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【海峡の全寮制男子高】城下町ボーイズライフ【青春学園ブロマンス】  作者: かわばた
【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです
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誰を見て、誰と話しているの

 弓を持つ長井の手は小さく震えていた。

 どうして小言と思っている?なぜってそれは、自分が小言だと習ったからだ。

 誰に?

『音楽ばかりやって、いい御身分だな』

『俺はやりたいことはなにも出来なかった』

『お前ばっかり、自由でうらやましい事だ』

『バカげたもんに努力しているんだな』

『金の無駄遣いだ。せいぜい、名誉くらいは貰って来い』

『くだらないものに喜んで、なにが楽しいんだ』

 ―――――父だ

 そして、祖父だ。

 長井はちゃんとピアノもバイオリンも好きだった。

 よくできたね、と誉められて丸を書かれた大切な教本、練習に来たらシールを貼ってあげる、表紙のシールが努力の数だね、そう言われた大切な教本は、一番になれないなら辞めてしまえと言われて、取り上げられた。

 なにをすれば一番になれるだろう。

 偶然耳にした、チェロが地味だと言う青木の言葉、これしかないと思った、だから選んだ。

 たかが小言だ。

 大嫌いな連中がそう言っていたのを、素直に長井は従って習った。

 そして自分が言われた事を、そのまま全部投げつけた。

『寮生は家族みたいなものだろ?』

 そう言って笑った杉松が大嫌いだった。

 なぜなら長井にとっての家族は、気に食わない事があれば注意され、殴られ、なじられ、他人から誉められた時だけ、その価値も知らないくせに『楽器の才能がある』と喜んで自慢を繰り返す、そんな存在だった。

 折角逃げてきた場所に、また『家族』が責めにくるのか。

 だから迎合するもんか。そう思った。そしてそうした。

「寮生は家族みたいなもんって杉松の奴は言ってたけどな、家族なら小言?暴言?文句?そんなもんなんか聞き流せよ。そうじゃないなら迎合なんかできっかよ」

 長井に幾久は言った。

「オレは家族の方が迎合できないし、そもそも迎合なんかしなくったっていいじゃないッスか。たかが同じ寮の寮生ッスよ?寄り添うだけじゃ、なんで駄目なんすか」

「寄り添う?嫌いな奴でもか」

 長井に幾久は頷き、言った。

「嫌いな人なんか誰だっていますよ。でも、同じ寮に居るなら最低限、お互いに関わらずに、でも必要な時だけ協力するのってなんで駄目なんすか」

「お前らは仲がいいから判らない」

 寄り添うって何だよ、と長井は思う。

 そんな言葉は知らない。

 いや、言葉は判る。

 でも、寄り添うって何だよ。

 そんなことは誰も教えてはくれなかった。

 幾久が首を横に振った。

「そうでもないッス。嫌われてる先輩いるし、オレだって先輩に言われましたもん。御門に向いてないし、出て行かせるぞとも脅されたし。瑞祥先輩にも喧嘩売ったし、多分いまだに許してくれてない。本当は」

 長井は驚き幾久を見た。

 なぜなら、自分が全く同じことを言われていたからだ。むしろ、部屋がある長井は出て行かせる、とまでは言われなかった。

「じゃあ、なんでお前はここに居るんだ」

 長井だって、幼いころの高杉と久坂を知っている。

 お坊ちゃんなあの二人は、さんざん甘やかされたせいか、頑固で我儘で譲らなかった。

 じゃあ、あの二人ならとっくに追い出しているはずなのに。

 言葉だけを拾うなら、長井よりよっぽど幾久の方が立場が悪い。

 幾久は答えた。

「他の先輩に言われたから。似合ってなくても、向いてなくても、御門に居たけりゃ無理矢理なじめって」

「じゃあ、この先も追い出されたらどうするつもりなんだよ」

「成績上げて、無理やり御門に移動する」

 幾久のきっぱりとした答えに長井は目を見張った。

 幾久は言う。

「報国院は成績さえ上げればいいんでしょ?だからそん時は、トップでも奪ってやろうって」

「できるわけねえだろ」

 報国院はレベルの幅は広いが、早々トップを取れるものじゃない。

 幾久は長井を見据えたまま言った。

「でも、やらずに我慢なんかできない。悔しいから」

 悔しい、という素直な幾久の言葉が長井の胸をえぐり、長井は思わず自分の胸を押さえた。

 弓を持った手が邪魔だ。

 もしこの弓でまるでチェロのように、長井の心臓を響かせることができたなら、きっとその音は叫び声と同じ音だ。

 だけど長井の心臓は楽器じゃない。

 長井の手が響かせるのは、チェロの音だけで、その音さえ長井の思い通りの音は響かせてくれない。


 叫び声は届かない。

 なぜなら長井は叫ばないから。


 集のように叫べたら良かった。

 あの体全体を震わせて歌う集はまさに全身が楽器そのものだった。


 青木に負けて悔しい。年下のお前らに負けて悔しい。

 そう言えば自分はひょっとしたら、あの仲間に入ることができたのか。

 そんなはずはない。

 そして、そんな事を自分がするはずもない。


「寮生は家族じゃない」

 幾久は言った。

「どんなに一緒に暮らしたって、どんなに兄弟みたいに思ったって、家族になれない」

 長井は反射したみたいに幾久に怒鳴った。

「家族でもねえやつを信頼できるか!」

「オレは家族の方が信頼できない。立場守るのに必死で、本音も言わない、本気も出さない。察してくれ、こっちも苦しい、あなたなら判るでしょって、そんな判りもしない事を訴えられても判らない」

 幾久は言いながら、自分が母親への恨み言を言っていることに気づいた。

 そう、幾久は母親が嫌いだ。

 そのことからも目をそらしてきた。

 家族を嫌ったら、そこに居られないような気がしたからだ。

 でも今幾久には居る場所がある。

 だから素直に、今は母親を嫌うことが出来る。

「家族じゃないから、信頼するしかない。好きだって気持ちでしか、オレ達は繋がれない」

 嫌いなら嫌い、好きなら好き。

 駄目なら駄目、良いなら良い。

 それを伝えてどうしたいのか。

 あえて嫌な事を言うのはどうしてなのか。

 きちんと説明できるようになるまで、何十回も何百回も、何百時間も考える。

 判りあうのは不可能でも、どんな考えなのかくらい、上手に伝えたいから。

「俺が何も我慢せず、努力もしなかったって言うのかよ」

「少なくとも、杉松さんの注意を聞かなかったのは、努力しなかったってことになりませんか?」

 幾久の言葉が長井の心臓をえぐった事に、当の長井と、外から観察していた御堀は気づいた。

(あーあ、酷いな)

 御堀は少しずつ、幾久へと近づく。

 長井は幾久に怒鳴った。

「努力したに決まってるだろ!こっちがどんだけ我慢してきたと思ってる!」

 長井の心も頭も、ぐちゃぐちゃだった。

 信じていたもの、嫌っていたもの、そんなものの根底が音を立てて崩れてゆく。

「なんのために俺がここに居たんだよ!成功するために毎日嫌いな奴と過ごして!そもそも学生の頃から俺は努力してんだよ!お前らみたいに遊んでばかりの連中に何が判る!」

「自分の為の努力なんて、自分だけにしかいい結果を産まないんだから、判って貰えるはずなんかない。長井先輩は成功してるなら、チェロの努力は叶ってるけど、杉松さんへの努力ってしてないじゃないですか。じゃあ叶わないのは当たり前だ」

「我慢は努力のうちに入らねえってか」

 長井が言うと幾久が答えた。

「はい。勿論ッス」

 幾久が言うと長井が睨みつけてきた。

 だけど幾久は首を横に振った。

「我慢は努力じゃないッス。努力の為の我慢なら判るッスけど、我慢するだけは、ただの怠慢だし、諦めだ」

 幾久は自分で言いながら自分の心が傷つくのを感じた。

 幾久もずっと我慢していた。サッカーがやりたかった、本当は。

 ユースが駄目ならせめて部活で。なのに母親は塾の予定を山ほどねじ込んだ。幾久は逆らわなかった。

 そういうものだ、と言われ、そういうものか、と思ったからだ。

 だから三年間、サッカーをやりたい気持ちに蓋をして、遊びでいいと我慢して、我慢して、我慢して。

 ストレスが溜まっていた所に、乃木希典のドラマがあった。

(我慢するなら、最後まで我慢すべきだった)

 塾も、クラスメイトも進路も。

 東京の大学に進学するための、幾久の中学生活三年間の我慢は結局何の意味も持たなかった。

 最後の最後に、我慢できなかったからだ。

 どうせ我慢するなら、三年間、無理やりサッカーをやって母親の嫌味に我慢すればよかった。

 努力を避けて母親との衝突を避けた結果、幾久は自分自身の心と衝突してしまったのだ。

「我慢なんか、何の意味もなかった」

「俺が意味ねえことやってるって言いたいのか」

「そうじゃ無いっス。オレにとってはそうだったってだけで。長井先輩はチェロが成功してるなら、意味はあったんじゃないんすか」

 ―――――でも杉松には努力しなかった

 幾久が言わなくても、長井にはもう判っていた。

「俺は努力してた」

「杉松さんだって、そうじゃないんですか」

「みんなにチヤホヤされていい御身分の奴が努力なんかするかよ」

「じゃあ、長井先輩は今立場があってチヤホヤされてるんなら、努力してないって事っすか?」

「揚げ足とるんじゃねえよ!ほんっとしつけーなてめえは!そう言う所が杉松そっくりだっつってんだよ!」

 幾久は引かなかった。

 なぜか、杉松が言いたかった事が、長井に伝えたかった事が手に取るように判ったからだ。

「本当に、長井先輩は、杉松さんの事が嫌いだったんすか」

「嫌いに決まってんだろ。まだわかんねえのか」

「杉松先輩に似た誰かじゃなくて?」

 長井が眉を顰め、苦笑いで言った。

「お前の事か?」

「そうじゃないっす。本当は別に、本当に嫌いな人がいるのに、立場が似てたとか、同じ様な事を言われたとか、そういうので杉松先輩を嫌ったんじゃないんすか?」

 幾久には覚えがあった。

 なぜこの御門寮に来たとき、山縣の悪口を言う久坂と高杉に嫌悪を感じたのか。

 それは、まるで自分が中学生の頃、きっとこんな風に内緒で悪口を言われていたのだと、そう感じたからだ。

 誰かスケープゴートを作って、そうして寮の秩序を保っているのだと、思い込んでしまったからだ。

 幾久は確かに被害者だった。だけど、どこまでの被害者までかを考えなかった。

 だから世界は全部、幾久にとって悪いものとしか思えなかった。

「杉松さんを本当に嫌いって言うのなら、その理由を教えてください。長井先輩が杉松先輩を嫌う理由、オレ、長井先輩が注意された時の話しか聞いてない」

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