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【海峡の全寮制男子高】城下町ボーイズライフ【青春学園ブロマンス】  作者: かわばた
【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです
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潜る君、あがくあなた

 チェロを弾いている長井に近づくと、長井は幾久に気づいたが手を止める気はなさそうだった。

 幾久がノートを見せると、長井がはっとした表情になり、手を止めて、唸るように幾久に言った。

「なんでお前がそれを持ってるんだよ」

 楽器を持っていなければ、飛び掛かってきそうな雰囲気に幾久は一瞬、怖気づきそうになったが、高杉と久坂に長井が何をしたのかを思い出し、奥歯をかみしめた後、息を深く吸って言った。

「それより、これを聞いてくださいよ」

 幾久はスマホを取り出し、タップした。

 音量を上げて流れるのは、さっき毛利が送ってきた、この楽譜の中の一曲だ。

 長井は驚いた顔をしたが、幾久から視線を逸らし、弓を弦へ戻した。

 幾久は言った。

「これ、グラスエッジの曲っすよね」

 長井は答えた。

「―――――そうだよ。よく知ってるじゃねえか。お前もダイバーって奴なのか」

「いえ全然」

 グラスエッジはファンの事を『ダイバー』と呼んでいる。

 そこまで好きという訳でもないので正直に答えると、長井は幾久に視線を戻した。

「じゃあなんで知ってるんだよ。その曲知ってるヤツなんてそういないはずだ」

「友達が教えてくれたんスよ。そいつ、グラスエッジ大好きなんで」

 幾久が言うと、やや離れた場所で児玉が長井をじっと見つめていた。

「成程、アイツね。へえ」

 ふんと鼻で笑う長井の姿に、幾久はなにか引っかかるものを感じていた。

「長井先輩、グラスエッジに入りたかったんですか?」

 幾久が直球で尋ねると、長井は鼻で笑って言った。

「ねーわ」

「じゃあ、なんでグラスエッジの曲をこんなにしたんですか?」

 長井は答えた。

「完成度上げてやっただけだ。あいつらの音楽は隙だらけで整ってねえんだよ。特にその曲はな」

 だったらどうして。幾久は思う。

 存在しないチェロを楽譜に入れたりなんかしたのか。

 内緒で楽譜を作り、内緒でそのままにしておいて、ばれそうになったら取り返しに来たのか。

「本当はグラスエッジの事好きなんじゃないんですか」

「だからねーって言ってんだろ。なんでそう極端なんだよ」

「そうとしか見えない」

 幾久からしたら、まるで長井はただの駄々っ子だ。

 本当は仲良くしたいのに、嘘をついて思い込みで自分の思い通りにならないことに癇癪をおこしている子供みたいで。

「お前には判んねえだろうけどな。未熟なもん聴かされたらイラつくんだよ。毎日毎日聞かされて、あんまりイラつくから添削しただけだろ」

「じゃあどうしてチェロの音を入れたりしたんすか」

 長井は幾久をバカにしたように笑って言った。

「当然だろ。俺がチェロやってんだから、それをベースにアレンジしたほうが作りやすいし整いやすい。それだけのことだ」

 長井は嘘を言っているように幾久には見えなかった。

 むかつくし苛立つし、どうしようもなくガキくさい大人だったけれど、いま、この時に嘘をついているようではなかった。

 じゃあ、幾久になにが引っかかっているのだろう。

 幾久が考えてつい黙ってしまうと、長井が言った。

「その曲作ったグラスエッジに居る、青木って奴。俺のひとつ下だけどな。あいつは紛れもなく天才なんだよ」

 長井の言葉に幾久は驚いた。長井の口から、賞賛が出るとは思わなかったからだ。

「才能あるくせに、ばかげたジャズだのロックだのにハマりやがって、折角の才能を下手糞に合わせて曲を作ってやってる。だから俺がそれを修正しただけだ」

 最初はただの嫌がらせのつもりだった。

 ずっと寮で流れる音楽を聴いているうちに覚えてしまった。

 どうせつまらない曲だと楽譜に書きおこして稚拙さを笑ってやろうと思って、書き起こして長井は結局絶望した。

「アイツは天才なんだよ」

 長井はもう一度言った。

 青木は天才だった。

 楽譜で見れば、こんなに難しい事をどうしてやれるのか、もし自分がこの譜面を渡されて、すぐにやれと言われたら出来るわけがないと首を横に振っただろう。

「青木はどうしようもないクソだが、音楽の才能だけは本物だった。子供の頃からこのあたりでも、音楽やってて青木の名前を知らない奴なんかいなかった。世界に出る連中ってのは、子供の頃から違うんだよ。青木は世界レベルだったのに」

 長井は弓で弦を静かに引いた。

 それがまるで、長井の代わりにチェロが喋っているみたいに見えた。

「だから、曲をアレンジしたんすか?」

 幾久の問いに長井は答えた。

「曲の出来はいいからな。へたくそがより上手く聞こえるように配置してあるものを、上手くないとできないようにやりかえただけだ」

 実際、そうなのかもしれない。

 幾久は送られてきた曲を聴いて、良い曲だと思ったし、違和感を覚えなかった。

 それは初めて聴いたせいなのかもしれないし、最近のグラスエッジの曲のように、整ったものではなかったから、親しみを覚えたのかもしれない。

「だったら、なんで」

 幾久は長井に尋ねた。

「だったらなんで、わざわざコソ泥みたいに楽譜を探しに来たんですか」

 最初から堂々と、そう言えばよかったのに。

 隠したいことがあるからそんな風に隠れて来たのではないか。

 長井は言う。

「面倒だからに決まってんだろ。俺が正直に、完成度上げてやったって言ったって、どいつもこいつもお前みたいに『本当はグラスエッジに入りたかったんでしょ?素直になれよ』とか言い出すに決まってるだろ。馬鹿馬鹿しい。そういうの勘弁して欲しいんだよ」

 長井は鼻で笑って幾久に言った。

「そうそう、お前に似てる奴も、お前と同じ様な事言ってたわ。自分の気持ちをちゃんと考えろって。バッカバカしい。言われなくったって、自分の気持ちなんか判ってるに決まってんだろ」

「杉松さんの事っすか?」

「そうだよ。お前にそっくりだ。顔はそこまで似てねえのにな」

 フンと長井は鼻を鳴らす。

 幾久は不思議に思って尋ねた。なぜだか判らない。

 でもなにかが長井に引っかかる。

「なんで杉松さんのこと、嫌いなんですか」

「判った風な口を利くからだ」

「判っているわけではなくて?」

 幾久を長井は一瞥した。

 想像した答えと違ったからだ。

「なんで杉松さんが、『判った風』って長井先輩は思ったんすか?杉松さんには本当に判ってて、長井先輩には判ってなかったっていう可能性はないんすか?」

 面倒になったのか、長井は幾久から目をそらした。

「さあな。あいつが死んだ今となっちゃ、どうでもいいことだろ」

「そうっすか?」

「決まってんだろ。しつこいなお前。アイツがいないならアイツの事話しても意味ないだろ」

 そうだろうか。

 幾久はそうは思わない。

 杉松の事を話すとき、毛利も、三吉も、マスターも、宇佐美も、六花も、そして雪充の姉の菫も、皆幸せそうに喋っていた。

 まるでちょっと留守をしているだけの、大切な家族の噂話をしているみたいに。

 あの人たちのしていることが、意味がないとはどうしても思えなかった。

「なんで長井先輩には意味がないんすか?そりゃ杉松さんはもう亡くなってるから、杉松さん本人はどうでもいいかもしれないけど、長井先輩は生きてるのに、なんで『今となっちゃ』なんすか?」


 長井にとってそれは痛い言葉だった。

 杉松は死んだ。もういない。ざまあみろ。

 そう思っても杉松の存在は皆の中で不変だ。


「長井先輩は、なんで杉松さんと、話しなかったんすか」

「話になんなかったんだよ。口を開けばうるせえ小言。どうでもいい細かい事をネチネチ言って本題は無視。まずはその態度を改めろってさ」

「そりゃそうでしょ。長井先輩悪口ばっかりじゃないっすか。そんな人と話したくないっすもん」

 御堀は少し離れた場所で、二人の会話を聴きながら、吹き出しそうになるのをこらえた。

「おい、御堀」

「ちゃんと我慢してる」

 全く、と御堀は腕を組む。

(幾ってホント、素直が過ぎるよね)

 歪んだ長井と、まっすぐな幾久。

 その対比が楽しくてたまらない。

 長井は幾久に言った。

「内容さえわかればそれでいいだろ。ちょっとした文句のどこがいけねーんだよ」

「長井先輩がそれで良くても、杉松さんが嫌だっていうなら、話し合いにならないじゃないっすか」

「そうだよ。だから話になんねえって言ってんじゃんか」

「じゃあ、話なんかする必要ないじゃないっすか」

「だから話なんかしてねーつってんだろ!」

「じゃあなんで、話しないとダメな事で文句言うんスか」

「はあ?」

「話をしないと解決しないことを、話させないようにしてるの先輩の方じゃないっスか。だったら、解決策自分で潰してるんだから、なにが起こってもそれ杉松さん、全然悪くないどころか、単にとばっちりじゃないっすか」

「―――――はぁ?」

 長井には幾久が何を言っているのか理解できない。

 ただ、興味はあったので説明を聞くことにした。

 幾久は長井に続けて言った。

「杉松さんと話はしない、でも話さないと解決できない事を解決できないのは杉松さんが悪いって、めちゃくちゃっす。ただの我儘じゃないっすか」

「なにが我儘だよ」

「我儘ッスよ。だって杉松さんと話し合いのテーブルに着くには、まず礼儀正しくしないとダメなんすよね?先輩の言う所の『うるせえ小言』を止めないと。でないと杉松さんは話し合いをしないって事ッスよね?」

「そうだよ」

「じゃあ、テーブルに着く条件をそろえないのは長井先輩の方だから、杉松さんにはどうしようもないじゃないっスか」

「たかが小言くらいで本題を見失うのは悪くねーのかよ」

「だって杉松さんと長井先輩は、違う存在じゃないっすか。たかが小言って長井先輩言いますけど、長井先輩のは小言じゃない。オレから見ても暴言ッス」

 幾久の言葉に、御堀はたまらず顔をそらした。

『おい、御堀』

『判ってるって』

 必死に笑いをこらえている自分を、御堀は自分で誉めたかった。

 長井が言葉を失っていると、幾久が言った。

「なんで長井先輩は、そんなに暴言吐いてるのに、小言って言ってるんスか?言い訳?それとも、本気で小言程度って感覚で言ってるんスか?」

 責められている、と長井は思った。

 こいつもやっぱり、杉松と同じだ。

 こっちがちょっとしたふざけて言った言葉の言葉尻を拾っては責めてくる。

 反論しそうになった長井のわずか前に、幾久が先に口を開いた。

「―――――もし、本気で小言って思ってるのなら、それは、なんで、ッスか?」

 幾久は気づいた。

 なぜ長井を、そこまで苦手と思わないか。

 暴言だけなら山縣と同じだからだ。

 なぜ長井の感情が、見えてしまうのか。

 この寮に着た頃の、自分の苛立ちと同じだからだ。

 そして、なぜ、長井にこんな事を言っているのか。

 幾久によく考えろと言って、報国院に逃がした父と同じ気持ちだからだ。

(やっと判った)

 この人、他人だけじゃない。

 自分にさえ暴言を吐いていることに気づいてない。

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