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真夜中の内緒話

 静かな寝息が聞こえてきて、ごそりと呼春が動いた。

 廊下側は襖ではなく、障子が上半分についている戸なので月明かりが透けて、うっすらとその中の様子が見える。

 暗くても互いの表情はなんとなく判るのは、幼馴染だからだ。

 雰囲気で相手がどうなのかは手に取るように判る。

「いっくん、寝た?」

 瑞祥の声に呼春がああ、と頷いた。

「いろいろ溜め込んでるみたいじゃから、弾みで爆発したんじゃろう」

 悪いことしたのう、と呼春が言う。栄人が言った。

「原因はお前じゃないってさ。良かったなガタ」

 ふんと山縣が鼻を鳴らす。

「俺には関係ねーわ」

「東京に戻るっていうかなあ」

 栄人が心配そうに言う。

「そりゃ、大学行くなら都会の方がええじゃろ。うちがいくらレベル高いったって、所詮は地方じゃし」

「だよね。東京の方が、いい塾もありそうだし」

「けどさあ……」

 ぼそりと栄人が言う。

「おれらとかと、一緒のがいいんじゃないのかな。少なくとも、乃木希典の子孫だからって文句言う奴はいないっしょ」

「いや、おるじゃろ。ドラマがあの内容じゃ、絶対になんか言われる。こっちなら余計に、じゃ」

 呼春の言葉に瑞祥が目を伏せる。

 確かに歴史のただのドラマなら、気にすることもないのだろう。だけどここは普通の町じゃない。

 いまだ、維新を誇りにしている。

 良くも悪くも知名度が高いだけ、余計な目にもあうだろう。自分達にも覚えがあることだ。だから余計に、幾久が気がかりだ。

「……嫌な目にあうのかなあ」

「それでもこいつが自分でどうにかせんにゃいけんじゃろう。血からは逃げられん」

 どんなにそれが嫌であろうがなかろうが、一生離れられないものだ。

「子供の頃から言われりゃ、ちょっとは免疫ついたのにねぇ」

 状況から察するに、これまで何も関係ない生活だったはずが、突然現実で言われ驚いたのだろう。

「それでもどうしようもないじゃろ。今じゃなくても、いつかはそういう事もあったろうし。そりゃ、なけりゃないが一番ええが」

 昔から何度も思ってきた。

 わけのわからない繋がりやいちゃもんや、自分のものじゃない賞賛や尊敬。

 どれも自分に関わるのに、自分がやったものはひとつもなかった。

「おもちゃにされとる気分やもんね」

 ふうと瑞祥がため息をつく。心根を許した相手だけの時にしかこんな砕けた言い方はしない。

「有名税、と言や、聞こえはええんかもしれんけど」

「税金は嫌いだなあ、おれ」

 つられて栄人も言葉が砕ける。

 月明かりしかないような、こんな静かな夜はどうしても本当の心がこぼれてしまう。

「ここにおりゃあ、ええんじゃ。そしたら、わしらなら、何とかしちゃれる」

 呼春が言う。

「出来ることしか、出来んけどね」

 と、瑞祥も言う。

「それでいいじゃないの。いっくんだって、あんまり手を出されるの、嫌だろ」

 そういや、と栄人が言う。

「いっくんって一人っこ、だっけ?」

「一人じゃった」

 この中で唯一、呼春だけが幾久の書類を見ている。

 幾久を受け入れるかどうかを聞かれたのも、決めたのも呼春だ。

 問題を起こした生徒を受け入れるのは、実はこの学校ではあまりない。

 いくら金を積めばいいと言っても、素行が悪いのが一番嫌われるからだ。

 どうする、と判断をゆだねられ、話を聞かないと判らないと出向いた。

 その時に偶然、幾久に会った。

 助けてやりたいと、思った。

 見るからに喧嘩なんかしたことなさそうで、試験に遅れるからと必死で、何度もゴメンと謝ってきた。

 多分ずっと東京で、乃木希典のことなんか知りもせずに生活できただろうに、無神経な作品が全部それを台無しにした。

 いや、作品にもそこまで罪はないだろう。

 結局何も考えずに引きずられて鵜呑みにする奴らと、それを嵩にきて遊びにする奴らが悪い。

 だけどそんな事に気付かない連中に、何を言っても意味がない。

 無神経な、自分を善良と信じている人がどんなに面倒で厄介か、ここに居る全員がよく知っている。そんな人から、自分を自分で守るしかないことも。

「一人っこは、しんどいなあ」

 目を伏せて呼春が言うと、なぜか瑞祥が悲しそうな目になる。栄人も言う。

「家とか先祖のトラブルって、一人っ子だったら、ちょっときついだろーなぁ」

 ふん、と一人山縣が鼻を鳴らす。

「別に気にならん。最初から一人なら、そういうもんか、で納得する」

 そう山縣が言うと、呼春も瑞祥も栄人も顔を上げた。困ったように山縣が言う。

「なんか」

「いんや。ガタが言うと説得力あんなって」

「唯一、一人っ子だもんね」

「そういうもんか」

 三人の言葉に山縣が言う。

「……そういうもんだ」

 だから、大丈夫だろーしどうにかするだろ、それにどうにかしてやりゃええやろ、俺ら先輩なんじゃから一応。

 そう言って山縣は布団にもぐりこむ。

「ねみぃ。寝るわ」

 いつもならまだ全然起きているくせにそういう山縣に、三人とも笑う。

「やっぱ、腐っても先輩か」

「年の功、年の功」

「無駄オタク」

「誰じゃ今の」

 むかっとして山縣が言うと、栄人が笑う。

 判っているくせに。

 山縣が文句を言えるのは栄人にだけだ。

 呼春には絶対に逆らわないし、瑞祥にはやや引いている。

 そのあからさまな格付けが、山縣が嫌われる原因で、逆にこの寮で受け入れられる原因だった。

「この寮が合わんなら、よそでもええ。じゃけど、学校にはおってほしいのぅ」


 高杉がぼそりと言う。

 幾久はまだ、この学校こそ、幾久を守るものを与えてくれるのだということを知らない。

 その為にきっともっと、何度も傷つくだろうけれど。

 自分達がそうだったように。


「決めるのはいっくんだからね。ハル」

「わかっちょお」

 邪魔はしたくない。押し付けもしたくない。

 だけどここに居たらいいんだと、どうすれば思ってくれるだろうか。

 必死で言えば言うほど、逆効果になるのは判っているから勿論何も言うつもりは無いが。

「ええやん、いっくんおらんならおらんで、おれらだけでも気楽っしょ」

 栄人が言う。

「そりゃ、気楽っちゃそうじゃけど」

 栄人と瑞祥、呼春は昔からのなじみだから、今までのようにこの三人と山縣がおまけに居ても問題は無い。だけど。

「さみしいのう」

 ぼそりと言う。

 寮生は去年はもっと多かった。幼馴染が他にも居た。

 だけど編成の関係でこの寮を出て行った。

 それが寂しくてたまらなかったから、幾久が来て欲しかった。

 興味もあったし、それにどこか懐かしさもあった。

 自分たちもあんなに先祖や歴史に振り回されるのはゴメンだ、と思っていたけれど、やっぱりそれでもなんだか気になるのはきっとどこかで絡まるなにかがあるのだろう。


 血、というやつかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。

 でもそんな事はどうでもよくなる。


 結局呼春が親友に瑞祥を選んだように、瑞祥が呼春を選んだように、栄人が傍に居るように。

 誰が歴史と同じと笑っても、選んだのは自分自身だ。

 そうはっきりいえる何かは結局自分で掴むしかない。もしくは、作るしか。

「もしまだここにおるんなら、いろいろ教えてやりたいのう」

 幾久は知っているだろうか。

 この地域では、乃木希典は好かれている。

 尊敬もされている。

 神社があって、人がお参りをして、乃木希典が無能なんて誰も言わない。

 乃木さん、と、親しみを込めて呼ぶし、有名な小説家がきちんと本を書いてくれている。

 大学の教授だって、乃木さんの作った漢文を教えている。

 ここに居る人は、ちゃんとお前の祖先を敬っている。


 だから帰ってくればいいのに。


 あのドラマが放送されて暫く、神社で年寄りが文句を言っていたのを知っている。


 全く、なんでも適当にやればええと思って、乃木さんの功績をわかっちょらん。

 そうじゃ、小説やらテレビやらの作り事を本当と思い込んで、馬鹿か。

 誰もちゃんと調べやせん。


 そう言う年寄りを知ったら幾久はなんて言うだろうか。

 でも今はきっとまだ早い。


 待てば、そのうちこの夜も明けるように、いつか幾久の心も綺麗に晴れればいいと思う。

 誰がなんと言ったって、自分がこう思えばいいんだって、それだけのものを抱えられたら、きっと迷うこともないのに。


 それまではこうして暖かい布団に包まって、自然に目が覚めるのを自分達はただ待つのだろう。


 船の汽笛が響いた。

 この音を幾久は聞いたことがあるだろうか。


 大丈夫、きっとなんとかなるし慣れるよ。

 わしらだってそうだった。


 思う存分眠ったら、嫌でも目が覚めてしまうから、そしたら明日は何をして一緒に遊ぼうか。






[真夜中の内緒話]終わり

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