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【海峡の全寮制男子高】城下町ボーイズライフ【青春学園ブロマンス】  作者: かわばた
【16】バッハの旋律を夜に聴いたせいです
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懐かしき幸福の日々ならば

 待ちに待ったライブの日、ようやっと手に入れたチケットを手に、御門寮の一年生である、青木と福原、そして来原の三人は仲良く福岡に出かけて行った。

 外出許可はとっくに出しているし、音楽バカの三人が、よそで遊んでくるとも考えにくい。

 なので楽しんで行って来いと、御門寮の総督である久坂杉松は、三人を快く送り出した。

 元気な一年生がいない寮の食卓は少しさみしい。

 だが、それはそれで穏やかに夕食をすませ、食後のコーヒーを入れて飲んでいる時のことだった。

 つけっぱなしのテレビから、ローカルニュースが流れてきた。

『はい、こちら本日ライブが行われます、福岡シーメッセからお送りします!本日のライブは、日本での活動を再開した、ピーターアート!昔からのファンが今日の日を心待ちにしていました!しかもピーターアート、なんと出身が長州市とあり今回の日本ツアーで故郷から一番近い場所でのライブは、ここ、シーメッセなんですね。インディーズの頃から福岡を中心に活動を行ってきたこともあり、メンバーはとても喜んでいるそうです』

「あれ?これって青木達がいま行ってるヤツだよな?」

 毛利の言葉に、椿 葦尋が覗き込んだ。

「そーそー、ピーターアートだろ?これだよ」

「ひょっとしてあいつら、映ってないかな」

 二人はテレビにがぶりよる。

「そんなに近づいたら見えないだろ」

 宇佐美が苦笑するが、毛利とよしひろの二人はじっとテレビ画面を見つめている。

『そして本日、今夜のミュージック・スワロウ、なんと後程、楽屋でのインタビューを放送させていただきまーす!ライブに行けなかった皆さま、要チェックですよぉ!』

「アイツ等、このこと知ってんのかな」

 宇佐美が言う。

 熱烈なこのバンドのファンである三人は、ライブ会場には行っているが放送の事までは知っているのだろうか。

「わかんないから、録画しといてやろーぜ」

 そう言ったのは面倒見がいい毛利だ。

 どうせ今日は連中、遅くに帰って来るのは知っている。

 どうしてもバスが間に合わないので三人でタクシーを使って帰って来るのも聞いている。

「楽しめたらいいんだけど」

 杉松の言葉に、毛利が言った。

「心配ないんじゃね?ホラ、これ見て見ろ」

 テレビに会場の様子が映ったが、どの人も楽しそうに待っている雰囲気だった。

「なんかいいね、こういうの」

『ではここで、ピーターアートの過去のライブ映像をお楽しみください!』

 そうしてしばらくの間、アーティストの紹介とライブの映像が流れた。

 夏にあったイベントにも参加していたらしく、誰もが大声で叫び、腕を振り上げて楽しんでいる様子が映った。

 それを見て、同じ寮に所属する長井は鼻で笑って言った。

「ばっかじゃねえの、こいつら」

 ふんとバカにした様子なのはいつもの事だ。

 普段なら食事が終わればさっさと自室に戻り、チェロの練習に入る長井が居間にいるのも珍しい事だったし、そうは思っても特に苦手にしている一年がいないから、気が緩んでいるのかもな、と誰も特に気にはしなかった。

 だがやはり、人を苛立たせることを言わずにはいられないようだった。

「あいつらもよく、こんな低俗なモン金払って行くよな。あ、低レベルか」

 そういってひきつったような笑いを浮かべている。

 長井一人は楽しそうだが、当然聞いている方はいい気分ではない。

 長井は、一年生連中を嫌っている。

 自分はずっとクラシックをやっているので、軽音楽をやっている福原や来原、そして青木を見下している。

 特に青木は元々クラシックをやっていたので余計にあたりが悪く、ことあるごとにしょうもない嫌味を言ったりしてよく喧嘩になっていた。

 また一年生がいないのを良い事に、どうでもいい嫌味を言い始めたな、やれやれ、と三年である毛利に宇佐美、そしてよしひろは呆れ、二年の犬養、三吉は我関せずと同じように無視を決め込む。

「こんなクソくだんねーもんで喜べるとか、ほんっとつまんねーやつら。バカみてえ」

 辞めればいいものを、そう言ってゲラゲラ笑っている。

「バカになりに行ってるんだろ」

 杉松は言った。

「は?金払ってわざわざ?」

 杉松を嫌っている長井はそうバカにして言うが、杉松は長井に言った。

「一万人の人って凄いと思わないの?」

 さっきテレビから流れてきた映像で、今日のライブは一万人以上集まっていると言っていた。

「それが何だよ」

 ふんと鼻を鳴らす長井に、杉松は静かに続けて言う。

「例えば、毎日一人会ったとしても一万人会うには二十七年以上かかる」

 横で聞いていた毛利とよしひろが、ひー、ふーみー、と計算を始めた。

 長井は杉松を睨みつけたままだが、杉松は静かに言葉を続ける。

「たった一日、たった二時間、そのくらいの時間にまとめて一万人、しかもお金はそれぞれが五千円かそれ以上払っていいって思うのって相当な魅力じゃないのかな」

 よしひろが言う。

「一日五千円だけ貰って生活しても、二十七年以上暮らせるってことか」

 いいなそれ、と毛利と一緒になって頷く。

「何が言いたいんだよ」

 長井が言うと杉松は答えた。

「少なくとも今日の夜に、あのライブ会場には、お金を払っていいって人が、君以外に一万人は存在するわけだ。だったら、その一万人が目の前に居たとしたら、君は今と同じことを言う?」

 杉松は淡々と静かに言うのだが、その言葉の内容の意味まで察することができる人は少ない。

 たしなめられているということは長井には判る。

 だが、そのくらい何が悪い。

 どうせ生意気な一年がはしゃいで出かけているくらいの間、二年の自分が文句を言って何が悪いのだ。

 だが、杉松は許さなかった。

「同じ寮の後輩の、たった三人の前ですら言えない事を、君は一万人の前で言える?」

 後輩が居たら言えないくせに。

 そう言われている気がして、長井はむっとしながらも、バカにした態度は崩さずヘラヘラと笑いながら言った。

「金払ってこんな低俗な音楽聞いて、バカになりに行くのかよ。無駄だろ」

 杉松が言い返した。

「君だって、こうしてお金を払って入った学校の時間を使って成績や人間性を下げているのは無駄じゃないの?あいつらが払ったチケット代より今月の学費の方がよっぽど高いだろ」

 入学時は鳳だった長井は、すぐに鷹落ちして、鷹と鳩を繰り返し行ったり来たりだ。

 くすっと宇佐美が笑って言った。

「杉松きっつー」

「黙って」

 杉松に言われ、宇佐美はこわ、と肩をすくめる。

 杉松が容赦ないことを本当の意味で理解できているのは、多分この寮では宇佐美だけだ。

 長井はバカだな、と宇佐美は思う。

 口調の柔らかさに誤魔化されているが、杉松はああみえて厳しい。

 何度も同じ失敗を繰り返しているのになぜ長井は懲りないのだろう。

 それは多分、仕方のないことなのだけど。

「謝れ」

 杉松が長井に言った。

 ああ、厳しいな、やっぱりそんな所が杉松らしいと宇佐美は思う。でもそれは言わない。

 そんな厳しいところが好きだからだ。

「僕たちの前で不快な事を言ったくせに、なかったことにはしないよ」

 やわらかい口調なのに、実はどこまでも厳しい杉松に、宇佐美はあーあ、と思いつつ、一応は後輩に助け舟を出してやる。

「杉松、ちょっとは手を緩めてやれよ」

 甘やかさず、あくまで杉松が勝っているのだから容赦してやれ。

 そういう風に言わなければ、長井は宇佐美が自分の味方をしていると勘違いする。

 だけど宇佐美の助け舟を杉松は長井の目の前で沈めてしまう。

「これを許すとね、こいつはこの寮で子供になっちゃうんだよ。僕たちはこいつの母親じゃない」

 甘やかすのと受け入れるのは違う。

 一年が居ない間に悪口を言う自分を許容して欲しい長井の欲を、杉松は理解しているからこそ、こういった事を許さない。

 不平、不満なら杉松はきちんと話を聞き、少しなら受け入れもしただろう。

 だけど長井の言葉はただの悪口で、しかも誰かが好きなものを乏しめて喜ぶという最低なものだった。

 杉松が許すはずがない。

「謝れ」

 杉松が言うと長井は露骨に表情をゆがめた。

「一年はいねーだろ。誰に謝るんだよ。あ?このバンドのみなさんか?どうやって会えるんですかねえ」

 茶化し、バカにする長井に杉松は穏やかに言った。

「謝るのは僕らにだよ。僕らを君の不愉快な仲間に組み込もうとした、その不躾さを謝れ。僕らに」

 誰にだよ、という売り言葉に乗っからず、ではお教えしますね、なんてどこまでもまっすぐな正義は人を追い詰める。

 だけど杉松はそういう奴だ。

 だからこそ、この御門寮で誰もが逆らう事がない。

 杉松はもう一度言った。

「謝れ。たとえ部屋に閉じこもってもこじあける」

 不愉快な事があるとすぐに自室に閉じこもる長井にとって、本当に部屋をこじ開けてくる杉松は嫌な相手だ。

「すみませんでした!」

 表情を歪めたまま、いやいやそう言う長井だったが、杉松は首を横に振る。

「違う。言うべき言葉は『ごめんなさい』だよ」

「同じだろうが!」

「違うからわざわざ選んでるんだろ?」

 むっとして長井は立ち上がった。

 逃げるつもりだと誰もが判っている。だけど杉松も立ち上がり、長井の行く道をふさいだ。

「謝れ長井」

 そういってじり、と近づくと長井は息を飲んだ。

 静かに表情を変えずに言う、杉松のこんな所が怖かった。

「言ったろ。僕たちを母親にするな」

 やっとのことでうつむき、小さな声で、ごめんなさい、と言って去ろうとする。

 逃げられたとほっと肩を落とした瞬間、まるで呪いの言葉のように杉松は長井に告げた。


「お前を守る母親は、この寮にいないんだよ」



 思わず振り返った瞬間にはすでに杉松はテレビの前へと戻り、そこには自分と一年を除いた、寮生の穏やかな、いつもの夜の日常があるだけだった。

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