我が名はボーンスリッピー(1)
桜柳祭も終わり、中期の期末試験までは特になにもなく、のんびりとした、ある日曜日の事だった。
御堀からの連絡で、姉がまた和菓子を大量に持ってきたので取りにくれば外郎があると知った幾久は、強引に児玉を誘って桜柳寮へ出かけた。
桜柳寮で和菓子を受け取り、ちょっと話をして、児玉と幾久はのんびり御門寮までの道を歩いていた。
「ったく、日曜なのにほぼ学校まで来てんじゃん」
「まあまあ、退屈しのぎと思ってさ。一人じゃ歩くのもなんかかったるくってさ」
「ま、いいけどさ」
そう言って幾久と児玉は喋りながら歩いて帰る。
「じゃ、今日は山からいこうぜ」
「いいよ」
山から、とは御門寮まで帰るルートで、かなり高い場所まで歩かなければならない。
幾久が入寮のとき、栄人に騙されて通ったルートだ。
山といっても実際は住宅地で、山らしい風景はないのだが、位置が高いので歩きながら海が見える場所がいくつもある。
幾久は最初は嫌だったが、慣れた今では気分転換でわざと遠回りすることもある。
児玉と喋りながら歩いていつものルートを通り、御門寮へ向かう道へ出て歩いて、しばらく過ぎた時だった。
「ピーちゃん!ピーちゃんこらまて!ちょっと、ピーちゃん捕まえてぇええええ!」
背後から聞こえた女性の大きな怒鳴り声に、幾久と児玉は足を止め、振り返った。
「ピーちゃん?」
「え?鳥?!」
思わず上を見上げた二人だったが、ばっふ!という声と衝撃に幾久は「うわあっ!」と声を上げ膝をついた。
幾久に背中から飛びついたのは鳥ではなく、真っ白なとても大きな犬だった。
「幾久?!」
児玉は驚いた。
倒された幾久の背中にものすごく大きな毛むくじゃらの、しかし真っ白な毛玉が乗っかっていて、幾久を踏みつけたまま、しっぽをぶんぶん振り回し、ふんふん臭いをかいでいる。
「うわあごめんなさい!ピーちゃん!ピーちゃんどいてったら!なんでこんなことすんの!」
白い毛玉の飼い主らしい女性が慌ててリードを掴み、無理やり引きはがす。
「な、なんだ一体……」
やっと犬が引き離され起き上がった幾久だったが、いきなりべろんと顔を舐められる。
「こらピーちゃん!知らない人になにやってんの!」
ぐいぐい引っ張られ、やっとの事で幾久は犬から離された。
「な、なんなんスか一体」
「ごめんなさい!いつもは大人しい子なんだけど急に走り出して……」
丸いメガネをかけた、二十代の可愛い女性がそう言って幾久にぺこぺこ頭を下げるが、じっと幾久をみつめて言った。
「キミ、ひょっとしていっくん?」
「へ?」
全く見たことも無い女性に言われ、幾久は驚く。
「報国院の御門寮、一年の乃木幾久君だよね?」
「あ、はい、そーっスけども」
なんでそこまでこの人が知っているんだろうと幾久が一瞬警戒するが、女性は笑いながら言った。
「あ、ごめん、怪しいものじゃないの!いつもお世話になってます!バカ福原の妹でーす!」
「バカ福原って、ひょっとして、福原先輩の?」
「ピンポーン!」
福原は、御門寮のOBだ。
若者に人気のバンド、グラスエッジのギターでサッカーにも詳しい。
「丁度良かった!迷惑かけたことだし、うちに寄ってってよ!うちすぐそこだし!」
そう言って指さされたのは本当に目の前だった。
「いや、べつに大したことないっすし」
寮はすぐだし、ちょっと汚れたくらいで大したことはない。
面倒くさそうだし、と断ろうとするが、福原の妹という女性は強引に幾久の腕を取った。
「そういうわけにはいかないよ。お茶くらい出させて。ピーちゃんが迷惑かけちゃってさ。あ、そうそう、いっくんってサッカー好きなんでしょ?兄貴と写真撮ってる選手の写真があったりするよ」
「行きます」
サッカーとなれば話は別だ。
あっさり誘われた幾久は、児玉と一緒に福原家へお邪魔することになった。
福原の家は、古い作りではあったが、改築をしているのか、モダンな古民家風だった。
居間に案内されて幾久も児玉も驚いた。
「うわ、スッゲ―。レコードだらけ」
所狭しと置いてある棚にはレコードがぎっしり詰まっていて、壁にもジャケットが飾られてある。
レコードプレーヤーがいくつもあり、大きなスピーカーもたくさん壁にかかっている。
「幾久、さっきからひょっとして、って思ってたんだけど、福原先輩って」
児玉は今更気づいたのか、青ざめていた。
幾久は全く気にせず言った。
「グラスエッジの福原先輩だよ。タマ、グラスエッジ好きだろ?あれだよ、あれ」
「……おう」
児玉はそわそわと落ち着かなくなる。
「お待たせしましたー!お茶とお菓子、お持ちしました!いっぱい食べてね!」
福原の妹がトレイにお茶のセットをのせて運んできた。
「紅茶で良かった?」
「なんでもいっす」
出されるものに文句は言わない。
喉も乾いていたし、幾久は有難くお茶を頂戴した。
「いただきまーす」
「……いただきます」
児玉は福原の家と知って緊張が解けないようで、がっちがちに固まってしまっていた。
「ホントごめんね。ピーちゃん、兄貴が帰ってきたと思ったんだね」
そのジャージ、と妹が言った。
「あ、そか。福原先輩に貰ったから」
幾久が今日着ていたのは、福原に貰ったザンクトパウリと言う海外のサッカークラブのジャージだ。
黒の生地にドクロの模様が入った、サッカーファンには人気のデザインで、幾久もお気に入りで、ちょっと大きめだがよく着ている。
「兄貴さ、家ではずっとそれ着てたから、ピーちゃんが勘違いしたのね」
本当にごめんね、という妹に幾久は首を横に振った。
「いいっす。オレ、本当にこれラッキーで貰ったもんだし」
幾久の隣に白い大きな犬が寄ってきて、しっぽをぶんぶん振っている。
動物は得意じゃないが、好意を向けられるとそう苦手ということもなくなる。
「この犬、大きいですね」
「サモエドって種類なのよ。本来は寒い所の犬でね。あたためる用の犬なの」
「温める用?」
児玉が驚くと、福原の妹は頷いた。
「そうなの。寒い所だと凍死しちゃうでしょ。だからこういう犬と暮らすの。冬なんかほんとあったかくていいんだけど、夏はクーラーいれっぱよ」
「確かにこの毛だと、夏は暑いでしょうね」
撫でていると、幾久に近づいて体をぐいぐい寄せてくる。
なつっこい犬だ。
「うちは犬好きでね、代々白い犬ずーっと飼ってんの。兄貴なんか帰ってきたらよくこいつとサッカーしてるよ」
「えっ、犬とサッカーできるんすか?」
「遊んでるよ。犬相手にフェイント全然きかないって」
「はぁ」
変な人だと思っていたけどやっぱり変な人だった。
ただ、サッカーを犬とするのはちょっと面白そうだな、と幾久は思った。
「いいなー、オレも犬とサッカーしてみたい」
幾久が犬を撫でながら言うと、犬も「わん!」と頷くように吠えた。
「じゃたまにうちに遊びにおいでよ。私じゃなくても両親がいるからさ。ピーちゃんでっかいから、散歩してくれるとありがたいわあ」
「じゃ、海岸に一緒に行ってもいいっすか?」
幾久が尋ねると、福原の妹は頷いた。
「いいよいいよ!ピーちゃん、兄貴が帰ってきたらいっつも海岸でサッカーしてるからきっと喜ぶわ」
それより、と福原の妹はタブレットを持ってきた。
「サッカー選手の写真見たいっしょ?これ、ウチ用のアルバムなんだけど」
「うわー!!!!」
幾久が喜んでしまうのも無理はない。
幾久よりちょっと年上だったり、あこがれた選手が次々に出てきたからだ。
福原と一緒に食事に行ったり、ライブに出かけた写真もあった。
「え、この選手って」
幾久が驚いて写真を見た。
福原と一緒に写っていたのは、幾久も憧れた、天才と言われて海外に渡った選手だった。
「ザンクトパウリって、じゃあこのジャージ」
ひょっとしてこの選手に貰ったんじゃ、と幾久が尋ねると妹さんは「そうよ」と答えた。
「その人、兄貴と昔から友達みたいよ。アイツもずっとユースだったからさ、お互い知ってたみたい」
「え――ッ!福原先輩って凄い人だったんだ!」
「幾久、お前ひょっとしてサッカー基準で考えてるな?」
児玉の問いに幾久は頷いた。
「グラスエッジのお笑い担当と思ってた」
「ちげーし!」
児玉はつい激しいツッコミを入れるが、妹さんはげらげら笑っていた。
「それ正解!」
「いや、正解じゃないっすよ。凄いんだから、福原さんってマジギターの天才だから」
「兄貴なんかただのギターおたくだけどねえ。あ、そうだ、じゃあこれ欲しい?」
妹さんは立ち上がると、部屋の壁にある扉をがらがらと開けた。
「うわ―――――っ!!!!!」
児玉が声を上げた。
カラフルで派手なギターが、壁にずらっとかけられて並んでいる。
「うわっ、うわ、すげえ、これ『カランド・ツアー』の時のギターだ!わ、こっちは『レガート・ツアー』の時!こっちは『グリッサンド・ツアー』の!!!!」
興奮して児玉がギターを見て言うが、幾久と福原の妹は同じような目で児玉をみつめた。
「うわ引く」
「だよね」
「なんだよ!俺にはお宝だぞ!つーか、ファンなら絶対に見たいぞ!俺だって実物見るの初めてだし、博物館に並んでもおかしくないぞ!」
児玉の熱心な説明に、幾久が言った。
「コイツ、グラスエッジの大ファンなんすよ。ギターもやってるし」
「あー、ナルホド。じゃあそれ持って帰っていいよ」
妹の言葉に児玉は青ざめて首を横に振った。
「駄目っす!絶対に駄目っす!」
「何本もあるからバレやしないわよー」
「ばれますって!本気でやめてください!マジで!泣きます!」
本当に涙目で訴える児玉に、妹さんは「判った」とため息をついた。