I need a change
桜柳祭なんかとっとと終わっちまえ。
二人で一緒に居ても、悪口のネタは尽きてしまったし、喋ることもない。
ただ時間が過ぎていくのを待っているだけで、やっと今日で終わりと思っていたら、最後の最後に境内で、ロミオとジュリエットの公演をやると放送がかかった。
うぜえ、うるせえ、なんだよ、メーワク。
そう思っても、講堂から出てきた観客は皆楽しそうに席をとりはじめるし、人は増える。
「え?!外でやってくれるの?うれしい!今日のチケット取れなかったから!」と大感激して待っている人もいる。
(マジうぜーよ)
人は増え、賑やかになり、楽しそうにはしゃいでバカみたいだ。
いい年こいて、どいつもこいつも。
歩いているとどんっと誰かにぶつかった。
この暗いのにサングラスにパーカーのフードをかぶっている、中学生くらいの男の子にぶつかった。
なんだ、中坊かよ。
そう思って鼻で笑った。
「いってーな。前見ろよ」
中坊は露骨にむっとして「そっちがぶつかってきたんだろ」と言い返した。
「んだと」
文句を言おうとしたけれど、中坊はすぐ目を戻した。
真正面の境内の階段前では、ロミオとジュリエットの演技中だ。
野山と岩倉は舌打ちした。
(こいつもかよ)
くだらねえもん見やがって。つまんねーやつ。
「行こうぜ」
そう言ってその場所を去ろうとしたその時、野山の足元になにかがぶつかった。
それは中坊の足元にあったサッカーボールだった。
足元に置いてあるということは、そいつの持ち物に間違いない。
野山と岩倉は、互いに目を見合わせて、ニヤッと笑った。
野山がボールを拾い上げた。
「!」
中坊がボールを取られたことに気づいたときに、もう二人は走り出し、そして客が舞台に集中している隙。
野山は幾久に向かって、思い切りボールを投げつけた。
野山と岩倉がぶつかったのは、舞台に見入っていた律の息子だった。
律の息子は折角ロミオとジュリエットを面白く見ていたのに突然報国院生にぶつかられ、しかもぶつかってきたくせに「いてーな」と不遜な態度を取られ、むかついた。
(こっちが年下と思って舐めやがって)
いつもなら面倒で『ごめん』くらいで見過ごすけれど、折角楽しんでいたのを邪魔されて、むかついて「んだと」と言い返した。
しかし、そんなことをやっていると、舞台が見れない、そうすぐ気づいて無視することにした。
馬鹿はほっとくしかない。
そうしてふんと顔をそむけ、舞台に見入った。
所がである。
動いたはずみで自分のボールをちょっと足先ではじいてしまった。
すると、さっきぶつかった連中がボールを拾うと持って逃げた。
「おい!」
そういって追いかえると、二人組の報国院生はニヤッと笑って、思い切り、演技をしているジュリエットに投げつけた。
「ボール!」
思わず叫んだ。
叫んで気づく。
ちがう、危ないと言わなくちゃいけなかった。
だけどいつもの癖が出たのに気づいたのは、すでにボールが投げられた後の事だった。
幾久は演技に夢中だった。
御堀がアドリブは入れないと言っていたので、そこは安心して出来ていたし、お客さんの反応を見る余裕も少しあった。
そんな中、一瞬届いた、通る声にはっとした。
「ボール!」
子供の頃から培った経験は強い。
暗い中、幾久達を照らすライトの逆光の中、飛んできたものを雰囲気で無意識に理解した幾久は、ずっとそうしてきたせいで、体が勝手に反応した。
「!」
飛び込んできたサッカーボールを幾久は無意識のうちに肩で受け、その瞬間勢いを殺し、すとんと足元に落とし踏んで押さえた。
そこでやっと、自分がなにをしているのか気づいたが、全く意味が理解できなかった。
(え?え?ええ?なんでボールがここに?)
御堀も驚いて、幾久を見つめるが、走り出して逃げる一瞬の後姿をわずかに見つけて理解した。
(あいつらが投げたのか!)
しかし今はそれどころじゃない。
御堀を見るとやっぱりびっくりしたままで、でもさっき走って逃げた二人を見て、何があったのかは理解したようだ。
観客もいきなり現れたサッカーボールにざわざわしている。
(どうしようか、誉)
しかし御堀は幾久の足元のボールを見ると、思い切り笑った。
(いつも通り、遊べばいいよ)
御堀の目がそういっているように見えた。
(そっか!)
幾久は頷き、なんだか楽しくなって、足の甲に乗ったままのボールを蹴りあげ、膝でリフティングを始めた。
「行くんだロミオ。嘘をついてごめん、あれは間違いなくひばりの声」
ぽーんと幾久がボールを蹴りあげ、御堀に渡す。
と、御堀も上手にそれを足で受け止め、リフティングする。
いきなりのサッカーボールに驚いた観客も、二人の様子にきっと演出なのだと思い込み、わーっと拍手が起きた。
そして御堀が幾久にボールを渡し、幾久が受ける。
幾久は左足で蹴り上げたボールが落ちてくると右足をくるりと回し、ボールをくぐらせ左足でボールを受ける。
おおーっと声が上がる。
「朝はもう近づいてきている。お前を失いたくない、留めていたい、ひばりなんか鳴かなければいいのに」
そうしてセリフをしゃべり終ると同時に御堀へボールを渡す。
最近ずっと一緒に遊んでいたのだから、互いにどのくらい出来るのかは判る。
御堀は両足で器用にリフティングしながらセリフを言った。
「別れがたいのは僕だって同じだ。もう一度、キスしてもいいかい?」
ぽんっと幾久にボールを高く蹴りあげると、幾久はそれを上手に額で受けた。
ぴたっと止まり、ボールを落とさないようにする幾久に拍手が沸く。
「一度なんて、何度だって」
そうして額からぽいっと御堀に渡すと、御堀も上手に足で受ける。
ボールの乗った片足を上げていると、横から乳母役の瀧川がセリフを言った。
「ジュリエットさま!お母様がお急ぎでこちらへ向かっております!早く!」
「どうかロミオ、もう一度」
幾久が言うと、御堀はボールを何度か跳ね上げ、ぽんっと幾久の胸に当てた。
幾久はそれを上手に受け、足元に落とし、それを足で蹴って跳ね上げると肩で受ける。
おおーっと観客の声が上がる。
「胸騒ぎがするんだ。まるでお前の白い顔が、墓の下の亡者のように見えてしまって」
肩で弾ませて足元に落とし、後ろから跳ね上げて御堀へ渡す。おおーっとまた声が上がる。
「僕にも君が青白く見えるよ。きっと別れが悲しすぎるせいだね。さあ、お別れだけど、必ず僕たちはまた会えるのだから―――――」
右、左とボールを移動させながら器用に弾ませ言うと、瀧川がまた叫んだ。
「ジュリエットさま!お母様が!」
「ロミオ!」
幾久が叫ぶと、御堀がボールを幾久へ渡す。
「どうか、どうか無事で」
そして幾久から御堀へ渡され、御堀は受けたボールを膝で弾ませながら幾久に言った。
「無事でいると誓うよ、ただ、君の為に」
そう言ってぽーんとボールを高く跳ね上げると、手で受け取った。
幾久と御堀は二人で顔を見合わせ、手を繋ぎ観客に頭を下げると、わあっと盛大な拍手が上がった。
一端境内の階段を上がり、観客から隠れると幾久は御堀に抱きついた。
「よ、よかった……どうしようかと思った」
あれがイレギュラーだったことに気づいたのは、多分一部の人だけだろう。
「幾の機転でどうにかなった。ほんっとうに、幾がジュリエットで良かった」
「違うよ、誉が居たからだよ。でないとあんな風にできなかった」
幾久を抱きしめて御堀が言う。
「僕、幾が男じゃなかったらこの場でプロポーズしてるかも。すごい通じあってた!」
「そりゃ、玉の輿に乗り損ねたなあ」
そう言うと御堀も笑いながら言った。
「一生外郎食べ放題だったのに?」
「そうだよ!惜しい!」
幾久の本気のような勢いに、御堀は爆笑し、幾久も笑う。
笑っている主役二人に、様子を見ていた久坂と高杉の二人も大丈夫そうだとほっとしていた。
勿論、幾久も御堀も気づいてはいなかったが。
「次は、ラストのシーンになります」
周布が観客に知らせ、全員ラストシーンの支度に入る。
と、幾久達が演技している階段前の左側、手水舎の反対側になるのだが、そのスペースに人が入ってきた。
周布や他の生徒がパイプ椅子を四つ横に並べると、観客から見て右から二番目の椅子に誰かが座った。
見るからに柄の悪そうなおじさんは、幾久の父の友人である論だ。
髪はウエービーな肩までの長髪、黒いTシャツには大きな文字で『AC/DC』と入っている。腰にはじゃらじゃらのチェーン、穴の開いたジーンズ。
論がどっかり腰を下ろすと、ギターを抱えた。
一瞬、ざわっとした空気が流れたが、論は観客席に『静かに』という風に口に人差し指を立てた。
すると、すぐにまたしんとなった。
舞台はエンディングのシーンへ移る。
幾久は階段の下に寝転がる。
その手を御堀が握り、言った。
「あなたはどうして、こんな時ですら美しく愛しいんだ。こんなんじゃ、迎えに来た死神ですら、君に恋をしてしまうよ」
御堀がセリフを言い始めると同時に、スタッフ役の生徒たちとSP役の生徒たちが、観客に気づかれないように客と舞台の囲みを回り始めた。
御堀は先輩たちの采配に感心した。
(流石だな、先輩達)
思いがけないアクシデントの内容がなにかを確認するより、もう処理に入って対応して、おかげで御堀も安心して演技に集中できる。
「こんな死者の集う場所でも、君がいるだけでなんて清らかになるのだろう。ジュリエット、僕の愛する君、君だけにさみしい黄泉路を歩かせるものか。僕は常に君の従者、永遠にあなたを守る者。僕の命の全てはね、この場所に埋めるよ。僕のこの先の命は全部君のもの。さあ、死への契約を交わそう。そしてどうかこの毒が、僕の心臓に届きますように」
御堀は毒の瓶をあおった。
「薬屋め、ちゃんとした毒のようだ、これですぐ愛しいジュリエットの元へ。そうしてあなたに、最後の誓いの口づけを」
そう言って御堀は幾久の上にかがみこみ、観客に見えないように、幾久の口に手を置いて、自分の手の甲にキスをする。
そんな所は見えない観客からは、まるで本当にキスしているように見えて観客からきゃああ、と悲鳴があがる。
盛り上がりに満足して、御堀は幾久の上に倒れ込んだ。