尊いが過ぎましてよ
奥様方は幾久を見つめていて、御堀はさっと幾久の隣に並んだ。
「彼が僕のジュリエットです。幾、誉会の奥様方だよ。周防市に居た頃お世話になってね」
「あ、いつも誉がお世話になってます」
一応、同級生だし、同じ部活だしでそう頭を下げると、なぜか女子からクスクスと笑いが出た。
奥様方は幾久にやや驚いたものの、にこりと微笑んだ。
「いいえ、誉会は誉さまの為にある存在ですもの」
「ええ。あたくし達、誉さまの為に全力でサポートして参りましたの。これからも、ですわ」
「舞台、とてもお上手でしたわよ」
奥様に言われ、幾久は微笑んだ。
「ありがとうございます。誉のおかげです」
「そんなことないよ」
御堀が反論するが、幾久は首を横に振った。
「あるよ。もうスッゲー迷惑かけまくったし。でも誉会の人に楽しんで貰えたら、良かったです」
「……本当にお上手でしたわよ」
「ええ、お世辞ではなくってよ」
「誉さまにお似合いのジュリエットですわ」
口々に奥様方が言うと、幾久はほっとして胸に手を当てた。
「よかったあ。明日も頑張ります。見に来られるんですよね?」
幾久が尋ねると、奥様方は口々に言った。
「勿論ですわ」
「明日は誉会、全員で観覧しますの」
「今日はご迷惑になってはいけないので、代表だけ参りましたの」
一体誉会って何人いるんだろうと幾久は思ったが、撮影会の人がまだ並んでいるので、あまり長話もできない。
「えーと、あの、じゃあオレ、教室に戻ります。誉もそろそろ」
「あ、そうだね」
幾久と御堀が言うと、奥様達もはっとして、御堀に告げた。
「誉さま、ブロマイドにサインを入れてくださる?」
「ええ、そのくらいお安い御用です。ただ、枚数が多いのでお時間を頂戴したいのですが」
「そんなの、後日で充分です!」
ねえ、皆さま方、という着物の奥様に、残り二人が頷く。
「でしたらご用意して、後日お送り致します」
御堀がにっこり微笑んで、そこを去ろうとした時だった。
レースの服の奥様がぽつりと行った。
「あの、誉様、あたくしの分、ジュリエット君のサインも頂けるかしら?」
「サイン?幾、どうする?名前書くの平気?」
御堀に尋ねられたが、幾久は全く気にしない。
「そのくらい、別にかまいませんけど」
「あら、じゃああたくしの分も」
着物の奥様が言うと、グレーのワンピースの奥様も言った。
「あら、あたくしにもお願いできるかしら」
「全然かまいませんけど、オレなんかのでいいんすか?」
幾久が言うと、奥様は三人とも「勿論ですわ」と頷いた。
「では誉様、ジュリエット君、あたくし達は失礼いたします」
「撮影はしなくていいんすか?」
幾久が尋ねると、奥様方はなぜか並んでいる女子を見て言った。
「必要ありませんわ。あたくし達、誉さまへチケットを『頂いた』お礼を申し上げに来ただけですもの」
「ええ、あえて今日限りしかお会いできない訳でもありませんもの」
「こんな風に、わざわざ誉さまのお手間を取らせることは、致しませんのよ」
今度は女子たちがぐぬぬ、となり、奥様方は、ふふんとふんぞり返っていた。
「わざわざありがとうございました」
幾久と御堀が言うと、奥様はにっこり微笑んで、くるりと踵を返した。
「明日も必ず参りますわ」
「お待ちしております」
御堀が言うと、奥様方は背筋をのばし、かつかつと歩いて去って行った。
奥様の姿が消えると、女子たちはなにあれ、こわーい、おばさん嫌味―などとおしゃべりを始めて途端にぎやかになった。
雰囲気が緩んだせいか、幾久はほっとして笑って御堀に言った。
「誉会の人って、面白いおばさんたちだね」
あはは、と笑う幾久の言葉に、その場にいた女子は溜飲を下げた。
(和む……癒しよジュリエット君は)
(これは、マイナスイオン出ておりますぞ!)
皆、そう目と目で話をして頷いた。
待っている女子に気づいた幾久が、そうだ、と慌てて謝った。
「あ、ごめんなさい、誉……じゃないや、ロミオのお仕事関係の人が来てたんです。お待たせしてごめんなさい」
と幾久が頭を下げると、並んでいた女子たちは首を横に振った。
「いいよぉ、ジュリエット君が許すなら仕方ないもん」
「そーよ。ロミオ様大変―、こんな時までお仕事なんて」
「ブラックよブラック」
女子たちの言葉に、幾久が頷いて言った。
「誉、じゃなくてロミオって忙しいんだよ。それはもう」
「そんなに?」
女子の問いに、幾久は頷く。
「すげーよ。舞台の練習もだし、実行委員もだし、そのくせ勉強もスゲーできるしサッカーも上手いし。オレ、助けて貰ってばっかだし」
そう言った幾久に女子たちは、どっと笑った。
「やだー!彼氏自慢?」
「のろけー!」
「ジュリエット君、ロミオ様とラブラブー!」
「え?え?」
幾久としたら、一生懸命頑張ってて忙しい御堀をみんなが知ってくれたような気がして嬉しかっただけなのだが。
「いや、そうじゃなくて」
「否定しなくてもいいよ!あたしたち、二人を応援してるから!」
「そうそう、ウィステリアはロミジュリの味方だよ!」
うん、どこまで同一視してるのかは判らないけれど、桜柳祭ジョークとしておこう、と幾久は思ったのだった。
女子怖いし。
幾久は笑ってその場をごまかすことにした。
教室に入ろうとすると、栄人がやってきた。
「おーい、いっくーん」
「栄人先輩!」
両手に荷物を抱えて、受付の机にどすっと下ろした。
「もうなんなんだよ、チケット刷ったら終わりかと思ったら、次から次に仕事が……」
うんざり疲れた様子の栄人に、幾久は「お疲れ様っす」と声をかける。
「ほんっとお疲れよお疲れ!それより、写真追加持ってきたからとっとと売っちゃって」
栄人が運んできたのは印刷が済んだ、ロミオとジュリエットのブロマイドだった。
「あと、出来る限りポスターなんかも作ってみた」
そういって広げてみせると、後ろから覗きこんできた女子たちが声を上げた。
「なにそれ!新しいグッズ?!」
「かわいい!欲しい!」
「あたしもほしい!いくらですか?」
商売の話になると、途端栄人は目を輝かせ、背筋をしゃんと伸ばして言った。
「はい、こちらでポスターも写真も販売しますよ、足りない分は印刷してますから、すぐ追加もできるし明日の受け取りもオッケーですよ!」
そう言ってにこやかに販売を始める栄人に、さすがだなあ、と幾久は思ったのだった。
「じゃあ幾、そろそろ戻ろうか」
「そうだね、撮影しないと。えーと、次の方から順番にどうぞ」
幾久が声をかけると、やっと自分の番が回ってきた女子が「はいはいはーい!」と言いながら手を挙げて入ってくる。
険悪な雰囲気はなくなったことにほっとして、皆仕事に戻ったのだった。
さて、写真館に居る梅屋は、目の前で刷られていくロミオとジュリエットの写真の枚数を数えながら、高笑いしていた。
「うわははは!もうけもうけ!」
「一体何枚刷る気なんすか?」
呆れて後輩が声をかけるも、梅屋は言う。
「決まってるだろ!売れるだけだよ!」
ロミオとジュリエットさまさま~と言いながら何度も電卓を叩いて原価計算をしている梅屋のもとへ、一報が入ってきた。
御堀からの連絡だ。
「……なん……だと?」
「どうしたんすか?トラブルでも?」
「落ちつくんだ『素数』を数えて落ちつくんだ」
「いや落ち着いて下さい梅屋先輩!先輩がいつも数えているのはお金だけじゃないっすか!」
「そ、そうだったな」
ふーっ、と梅屋は種息をついた。
「ひるむ……と!思うのか……これしきの……これしきのことでよォォォオオオオ」
「梅屋先輩、どうしたんすか!」
「……注文が」
「注文が?まさかキャンセルになったんですか?」
梅屋は首を横に振る。
「ご注文がッ入りました!」
「いいじゃないっすか!どのくらい!」
「五百だぁああああ!」
ごひゃく、と数を聞いて一瞬止まった後、後輩は叫んだ。
「五百?!」
梅屋は頷く。
「しかも枚数じゃねえ、セットだ、しかも暫定と来ていて増える可能性もあるっ!」
やったぞ、やったぞ、と梅屋はにやにやして喜んだ。
「金だ、いま俺は金を刷っているんだ!」
ふはっ、ふはっ、ふはっ、と笑いながら梅屋は印刷機を撫でさすった。
さて、誉会の奥様方は校内を歩きながら、重要な会議を行っていた。
「誉さまのお相手は、私たちが納得できる相手ではないと絶対に駄目って思っていましたけど」
着物の奥様が言うとレースの奥様が頷く。
「男子校でどうなるかと思ったけれど、ジュリエット君なら仕方がないわ」
グレーのワンピースの奥様も頷く。
「これは暫定で決定ね。ジュリエット君が居る限り、誉さまのお相手選びは急がない事」
三人は顔を見合わせ、もう一度頷いた。
ぴたっとグレーのワンピースの奥様が足を止めて突然言った。
「そそそそれより、ジュリエット君に向ける誉さまのあのかわいらしい笑顔、ご覧になって?!」
うんうんうんとレースの奥様も何度も頷く。
「勿論よ!あんなにお優しく微笑まれて。きっとよいお友達なのだわ」
「いつものクール&ニヒルな笑顔も素敵ですけど、あの少年らしい気を許した優しい微笑み」
ほう、とため息をつくと、三人は同時に呟いた。
「尊い……」
翌日、誉会有志から結婚式会場かとみまごうばかりの大量のフラワースタンドが『誉ロミオ様と幾久ジュリエット君』に届けられる羽目になるのを、この時誰も知らなかった。