レディースエン、ジェントルメン!
朝の六時半に報国院ののろしが上がる。
それは今日、この日に桜柳祭が開催されるという合図であり、それはご近所さんにとっても決戦とも言える日であった。
桜柳祭の初日、報国院の朝は早い。
夜明けと同時に開門されるのはいつもの事だが、今日はいつもよりずっと多くの生徒が早くから学校に詰めかける。
生徒だけでなく、学校の敷地内にある出店を出す業者も勿論準備を始め、火器を扱う為に用心深くチェックを行う必要もあって、業者や生徒で報国院の敷地内である、神社の境内はにぎやかだ。
さて、そんな早朝、真夜中からずっと明かりの消えなかった店があった。
報国院にほど近い場所にあるテーラー松浦。
そこでは一人の女子高生が、せっせと夜なべをして、縫物をやっていた。
「……できた!」
出来上がったものを持ち上げて、透かしてチェックをする。
丁寧に作った自信はある。
それでもどこか抜けがないか、何度も何度も確認をする。
やはり完璧だった。
このまま商品として売れてもいいレベルだ。
うふっふっふっふ、とそれを制作していたウィステリアの女子高生、松浦は笑ってしまった。
「やべえ、やべえっす。これマジでやべえ」
脳内のイメージ通りどころか想像以上に完璧だ。
やはり愛があれば、作品はそれに応えてくれるのだ。
「できたぞぉおおおお!」
そう言って、松浦はすぐさまスマホを手に取り、メッセージを送信した。
「で・き・ま・し・た・よ、と」
すると返信はすぐに来た。
すでに学校に居るので、取りに来るとの事だ。
「はえーの」
舞台のギリギリに取りにくるかと思ったが、これから取りにくるならもう起きて待っておくことにした。
「あー、疲れた。舞台まで時間あるし、これ渡したらひと眠りすっか」
出来には満足だ。
今日の舞台にどうしても使って欲しくて無理をしたが、そのかいあっていいものが出来た。
「おはようございます、報国院のものですが」
「はいはーい」
メッセージ通り、早速引き取りに来たのだろう。
松浦は扉を開けた。
「おはよーみほりん」
「おはようございます。朝早くにすみません」
礼儀正しくぺこりと頭を下げたのは、今回の桜柳祭でロミオを演じる御堀だ。
入学以来トップを譲っていない、報国院の一年生でも生え抜きのエリートで、しかも外見もよくおぼっちゃまときている。
「いーってことよ。それよか中、入って」
くいっとあごをしゃくり、店の中へ案内する。
「ほら見てごらん。そして誉めろ」
松浦がばっと広げた布に、御堀は目を見張った。
「これ、先輩が?」
「おーよ。作ったぞ。大したもんだろ」
えっへんと胸をはって威張って見せる。
御堀は目を丸くして、布に触れた。
「凄い。本物にしか見えない」
「まー限りなく本物みたいなもんだけどね」
徹夜明けのハイとあって松浦はべらべらと説明を始めた。
「布地はオーガンジーの生地を使って透け感を出しました。そんで、裾にはチュールレースを縫い付けて上品さを演出!布地部分は重なるところをずらして、うっとおしくないようにしたし、パーカーフードにしたのでうっかり布を足で踏む心配もなーし!前身頃は大きなおそろいの白いリボンで結べばほどけることもなし!」
どやあ、と威張る松浦に、御堀は丁寧に頭を下げた。
「とても立派なものをありがとうございます」
「まーね!まーね!まあ欲望に忠実に作ったからね!我ながら最高傑作!」
一気に言うと、ふう、と松浦は息を吐いた。
「いやー、ホント疲れたし大変だったけど、めちゃくちゃ楽しかった」
そう言って微笑んで、御堀に渡すため、風呂敷に作品を包み込む。
「いっくんとみほりん見てさあ、こりゃイケメンと思ったけど二人でロミジュリするって聞いたらいてもたってもいられなくてさ。勝手に衣装作らせてもらったけど、おかげで楽しかった」
「そんな。先輩の衣装、凄いです。評判も良いし、他の連中もものすごく喜んでました」
今回の衣装は松浦一人が作ったといっても過言ではない。
ロミオとジュリエットの衣装ほどではなくとも、他のキャラクターの衣装も揃いで見えるように、ベストやコサージュ、リボンなんかの小物をたくさん作ってくれた。
おかげで舞台の衣装に統一性も出来たし、一気に内容も豪華になった。
「そう言われると苦労したかいあるわあ」
「舞台、見に来て下さるんですよね?」
「勿論ー。全部見るよ、全部」
それまで寝とくけど、とふわあと大きく欠伸をする松浦に、御堀はパスを渡した。
「これ、お約束のパスです」
「なに?食べ物チケット?」
御堀は頷く。
「三名分ご用意してます。大庭先輩と、豊永先輩にもお渡しください。桜柳会のフリーチケットなので、なんでも食べ放題です」
「やっり」
「あと、これはクラスメイトからです」
「ん?」
御堀が渡したのは、試供品のパックだ。
「美容液がたっぷりしみこんで、お肌に良いそうです」
「OK、みほりんじゃなかったら殴ってるけどまあ貰っとくわ」
クマひどい?と尋ねると御堀が頷いた。
「舞台のギリギリまで寝てたほうがいいくらいには」
「やっべえ、じゃあもう寝るわ。みほりん、後は頼んだぞ」
「お任せください。衣装に恥ずかしくない舞台にしてみせます」
そう言って頭を下げる御堀に、松浦は言った。
「いっくんを思う存分辱めてくれ」
御堀は答えた。「それはちょっと」
松浦は舌打ちしたが、「勝手に期待するからな」と言って扉を閉めたのだった。
報国院への道を歩きながら、御堀は考えていた。
(辱めるとか、ホント面白い言葉使うよなあ、あの先輩)
一体なにをどうすればいいのか、なんて尋ねたら事細かに指定されそうな気だする。
とはいえ、今日は外部の入る初めての舞台だ。
昨日は生徒ばかりだったので、幾久の衣装に仕込まれたものも使わなかったし、この包みの中のものも当然使わなかった。
(これがどう出るかな)
別に昨日の雰囲気を考えればなくてもいい演出かもしれないが、あって駄目なこともないだろう。
むしろ少々えげつないくらいの演出の方がいいかもしれない。
「僕もなんか毒されてるのかなあ?」
以前、ロミオを演じたときは面倒だなあとしか思わなかったのに、今はわくわくしてたまらない。
昨日より違う演出で、昨日と違う客がどう反応するのか、御堀は楽しみでたまらなかった。
さて、一方本日の舞台、もう一人の主役である幾久は、出がけの先輩たちに起こされて目が覚めた。
「幾久、ええかげん起きんと間に合わんぞ」
高杉に言われてがばっと起き上がり、高杉と久坂がすでに制服に着替えていたことに慌てた。
「えっ!遅刻?!」
慌てる幾久に高杉が笑った。
「時間を見ろ。まだ早いが、起きんと」
「先輩達はもう行くんスか?」
「桜柳会があるけえの。お前も遅れんように来い」
「あ、はいッス」
幾久は起き上がり、先輩たちは先に学校へ向かった。
栄人もすでに出た後で、いつも通りに起きてきた児玉と食事をしていると、山縣が起きてきた。
「ガタ先輩、おはよーございます」
「おうよ。カフェオレ」
「はいはいっす」
あくびをする山縣に、幾久はいつものようにカフェオレを作る。
「ガタ先輩は今日は映像研究部に?」
児玉の問いに山縣は「おーよ」と答えた。
「俺の今日のお仕事は、バランス見だからな。オメーらの舞台効果も録画も他の連中がやってる。なんかあったら俺がやるけど、基本だらけとく」
「雪ちゃん先輩は忙しいのに」
「アイツは好きでやってんだろ。なんかあったらヘルプしろっつってるからいーんだよ」
「ガタ先輩で役に立つんスか?」
「立ちまくるから頼りにされるんだろ?」
えへんと山縣は胸を張るが、幾久は「はいはい」とあしらった。
幾久は児玉と一緒に歩いて学校に向かったが、到着すると、昨日と違う雰囲気なのはすぐに判った。
九時学校開門、八時三十分には敷地内の境内には入って良いのですでに門前に集まっていた。
学校の敷地内は神社の境内とおなじなので、祭りの時のように地元の人が集まっていた。
「人スゲーな」
児玉の言葉に幾久も頷いた。
「ほんと、人多いね」
自分たちは当然、いつものように校舎に入るが、今日は勿論ホームワークもなくいきなり部活だ。
児玉はバンドの打ち合わせで軽音楽部に向かい、幾久は最終確認の打ち合わせで部室へ向かった。
部室は桜柳会のメンバーを除いて、用事のない面々だけが居た。
「打ち合わせって?」
「特にないね。連絡もないし」
いまの所、さしあたって急ぎのこともないらしい。
「じゃあ、時間前に忘れず集合。で、それまでは自由時間ってことで」
と、突然スピーカーからノイズが響き、お知らせのベルが鳴った。
『皆さま、おはようございます。桜柳会代表、三年鳳の、桂です』
「雪ちゃん先輩だ!」
「判ってるって、幾」
「ほんといっくん、雪ちゃん先輩好きだねー」
皆が笑う。
『本日はお忙しい中、我が報国院男子高校へ足をお運びくださいましてありがとうございます。おかげさまで本年も無事、桜柳祭の開催にこぎつけることが出来ました。生徒を代表してお礼申し上げます。ありがとうございます』
ぱちぱちぱち、と拍手がおこった。
『桜柳祭一日目は、演目が一度限りとなっております。もし本日ご覧になるのであれば、今一度お時間の確認を。明日とはスケジュールが違いますのでどうぞお気を付け下さい。また、明日のチケットも本日、発売しております。まだお持ちでない方はどうぞお求めください』
「舞台のチケット、完売じゃなかったっけ?」
幾久が尋ねると三吉が答えた。
「指定席は完売だよ。でも立ち見はまだ余裕があるんだって。毎年同じらしいよ」
「へえ」
だったらいいけど、と幾久はほっとする。
「でも、去年は二日目の二回目って評判凄すぎて、結局立ち見も完売してさ、後ろ扉開けたのにまだ希望者が居たって」
「えっ、そんななんだ」
凄かったとは聞いていたが、そこまでだったとは。
「あの二人、スゲーよな」
改めて考えると、久坂と高杉のコンビは本当に規格外だ。
「僕らもそのくらい伝説作らないとね」
そう言ったのは三吉だが、幾久は苦笑いした。
「えー?そんな無茶な」
「いや、いっくんとみほりんならいける!」
「うーん、誉の事は否定しないな」
「でっしょ!」
喋っていると、放送が続いた。
『それでは皆様、開催時間が近づいてまいりました。カウントダウンに入ります。十、九、八、』
部室の、そして他の校内も雪充の声に音が引いて静かになった。
『七、六、』
「ご、よん、さん、」
部室に居た全員が、声を合わせた。
『二、』
「いーち!」
『桜柳祭、開催します!開門!』
わーっという歓声と、あちこちから響くぱちぱちと拍手の音に、なぜか急に盛りあがた。
「うわー、これアガる!」
喜んでいるのは品川だ。
ゲームのようなファンファーレにがぜん盛り上がってしまったらしい。
「俺、りんご飴買ってくる」
「またかよ」
「今日は初めて。回復アイテムは必須っしょ!」
そういって品川は出て行った。
「幾は?」
山田に尋ねられたので答えた。
「オレ、友達が来るんでちょっとだけ案内するから、校舎内まわる」
「そっか」
そう、今日は東京に居た頃の友人、多留人が遊びに来るのだ。すると、スマホから音が鳴った。
多留人が最寄りのバス停に到着したとの事だ。
「オレ抜けます」
「ういー」
「じゃーあとでね、いっくん!」
三吉達に手を振られ、あとで、と答え幾久は裏口と呼ばれる鳥居の前へ向かった。