しかしあと3回残っているぞ
「うわー!やっと終わった!」
ぐったりする山田に高杉が言った。
「あと三回あるぞ」
「そんなラスボスの変身みたいに」
突っ込んだのは三吉だ。
だが、そんなことは皆判っている。
今日はあくまで前夜祭、本番は明日、明後日の二日間。
それでも今日は、よくやったと思いたかった。
「―――――お前ら、ようやったの」
高杉の言葉に、全員がへら、と笑った。
「ハル先輩もね」
幾久が言うと、高杉が「おう」と笑った。
「ま、この調子で明日明後日なら、問題ないじゃろ。今日はお疲れじゃったの」
「明後日はこれ一日二回やるんスよね?疲れるわー絶対に疲れるわ」
そう文句を言うのは入江だったが、山田が「黙れ万頭」とぽかりと殴る。
「思ったほどヤジも飛ばなかったし、出来は上々なんじゃない?」
久坂の言葉に高杉も頷く。
「これなら明日も問題ないじゃろう。じゃあ、今日はこれで終わりじゃ。全員、早めに着替えてメイクを落とせ。明日、明後日が本番じゃぞ」
高杉の言葉に全員が頷き、誰ともなく拍手がおこった。
緞帳の向こうでは楽しそうな雰囲気を抱えた声や、講堂から出ていくざわめきが聞こえてくる。
(舞台って、こんななんだ)
本当の意味での終演を初めて経験して、幾久は少しぼうっとしていた。
試合の後のような、達成感や心地よい疲れ。
そしてまた明日もあるのだ、という嬉しさがあった。
「幾、着替えないと」
ぼうっとしていた幾久に御堀が声をかけてきた。
「あ、うん、そーだね」
頷き、立ち上がろうとするとふらついたのを、御堀が支えた。
「大丈夫?」
「大丈夫、なはずなんだけど」
はは、と幾久は笑って頬をかいた。
「なんか試合やってた頃思い出した。達成感っての?最近全然、感じたことなかったから」
幾久の言葉に御堀は頷いた。
「なんか判る。終わったぞ、やったぞって感じあるよね」
「試合にしちゃちょっと長いけどね」
「常に延長戦?」
「疲れる」
サッカーの試合は全部で九十分だが、延長戦に入ると更に三十分追加になる。
ロミオとジュリエットの舞台は役者紹介込みで二時間あるので、そう考えると同じくらいともいえる。
「走り続けるよりかはマシじゃない?」
御堀の言葉に幾久は笑った。
「でも、同じくらい疲れるよ」
「そうだね」
でもよくやった、お互いにそう思えた。
御堀の肩に体を預け、幾久は言った。
「あと三回、頑張ろう」
「そうだね」
あんなにも毎日演じたものを、あと三回で終わらせるというのも奇妙に感じた。
二人で歩きながら着替えるための控室に向かう途中、幾久は御堀にこっそり尋ねた。
「誉、観客席見て、なんか思い出さなかった?」
「観客席?」
うーんと考える御堀だが、首を傾げた。
「何かあった?」
幾久は微笑んで、頷く。
「誉を見つけた、夜の海に似てた」
真っ暗な中、波に浮かび上がる工場や船や、月の明かりの反射する光。
観客席にそっくりだった。
「そうかな。海の方が明るかったような」
「月が出ていたもんね」
でもわかる、と御堀も頷いた。
「確かにそれっぽかったかも」
「だろ?」
「明日、ゆっくり見てみよう」
「余裕じゃん」
「二回目だし」
「そっか」
そう言って二人で控室に戻った。
控室はにぎやかで、まるでお祭り騒ぎだった。
みんなメイクを落としたり、着替えたり。
だけど誰もが笑顔だった。
(なんか楽しいな)
雪充が参加したがったのが判る気がする。
きっと昨年も、こんな風だったのかな。
(雪ちゃん先輩、きっと本当に参加したかったんだろうな)
だから、忙しい中わざわざ覗きにきたのだろう。
それが判っているから、高杉も雪充を円陣に呼んだ。
(ハル先輩、スゲエな)
自分が部長で舞台の責任者で、桜柳会にも参加しているのにそこまで気をまわせるなんて、高杉は凄いと幾久は思う。
(癪だけど、ガタ先輩のほうが良く見てるってことだなあ)
言動はおかしくても、高杉の苦労を目の前で見ているはずの幾久はそのことに気づかず、山縣はとっくに気づいているなんて、なんだか癪だ。
(あ、そっか。だからか)
幾久は気づいた。
(だからみんな、ガタ先輩の事)
嫌い、と言うけれどきっと苦手なんだ。
そう気づいた。
傍にいるわけでも親しい訳でもないのに、しっかり観察して、なにが必要か見ていて、注意も入れて、そのくせ嫌がられるのを判ってても必要なら首を突っ込んでくる。
(そりゃそっか。あんな雰囲気で言ってることてんでスラングばっかりでオタクなのに)
山縣が実はあの寮で一番大人だ。
(そっか。先輩ら、大人ぶってるだけなんだ)
二年生は大人っぽく見えているけど、一生懸命頑張って虚勢を張っているのだと気づくと、これまでの事が全部子供っぽく見えてきた。
「いっくん、何ニヤニヤしてんの?」
久坂が幾久に気づきそう言ってきた。
からかおうとしている雰囲気が見て取れて、なんだかそれも可愛く見えてしまった。
「いや、なんかみんな可愛いなあって」
幾久が笑って言うと、そこらにいた連中が怒鳴った。
「可愛い?!」
「お前が一番可愛いかったのに?!」
「そーだよ!ほんっと可愛かったぞ!」
二年生や三年生がそう言って幾久に迫ると、幾久はそれもなんだかおかしくなって笑った。
「みんな可愛いッス」
「おいハル、主役がハイだぞ」
「それでエエ。明日、明後日その調子でやってくれりゃあ、評判も上がるじゃろう。今日は全員早めに帰れよ」
高杉の言葉に全員がはーい、とかウス、とか返す。
「誉は?帰れるの?」
幾久が尋ねると御堀は首を横に振った。
「僕は桜柳会で残るよ。先輩達もだけど」
「そっか。忙しいね」
「あと二日の事だから」
そう言って笑う御堀に、以前のようなプレッシャーは感じない。
(良かった)
あと二日、三回の舞台を終えれば、自分たちは面倒から逃げられる。
だけどそう思うと急に寂しい気持ちが湧いてきたので、幾久はそのことは考えないようにした。
地球部以外の部活に所属している連中や、桜柳会がある御堀や高杉、久坂を残し幾久は先に寮へ帰った。
「ただいまー」
玄関の扉をがらりと開けると、丁度児玉が立っていた。
「おかえり幾久。今日はお疲れ様」
「ただいま。タマもありがとう、音響」
「俺はなんもしてねえよ」
そう言って笑う。
「俺、先に風呂入ったから今から飯なんだ。幾久はどうする?風呂入るか?」
児玉の言葉に幾久は首を横に振った。
「一緒に飯食うよ。疲れたし腹減ったし」
「そっか」
幾久は荷物をおろし、手を洗ってダイニングへ向かう。
どうせ風呂に入るから着替えるのも面倒で、制服のジャケットを脱いでネクタイを外し椅子に腰を下ろした。
「お前は座っとけよ。疲れてるだろ」
そう言って児玉が支度をしようとするので、幾久は立ち上がった。
「タマだって疲れてるだろ」
「俺はそこまでじゃねえって。ホント見てるだけだったし」
いいから座っとけ、と児玉が言うので幾久はありがたく座ったまま待っておくことにした。
「音響はうちの先輩がやってるじゃん」
軽音部に所属している児玉が言う。
「で、俺もお前らの手助けしたいって言ったら、先輩がついてきていいって言ってくれてさ。音響室の使い方教えてくれたんだ。来年から俺も参加するよ」
「うそ、マジで?」
「マジで。だって幾久、来年も地球部だろ?」
「……のつもり」
最初は辞める気満々だったけれど、御堀と約束した今となっては続けるつもりだ。
「じゃあ俺だってやるよ。少しでも手助けしたいもんな」
「うわー、タマ居るなら百人力じゃん!」
「大げさだな」
「大げさなんかじゃねーもん。オレ、タマに頼むつもりだったし」
「音響をか?」
「そう」
幾久は頷く。
お膳が整ったので、幾久と児玉は手を合わせた。
「いただきまーす」
「いただきます」
二人は食事をしながら、話を続けた。
「地球部ってさ、スゲーいろんな部活と連動してるじゃん」
「ああ。けっこう多いよな」
普通、文化部であっても桜柳祭では各部活がそれぞれの発表をする事が多いのだが、地球部は他の部と違う。
音響は軽音部に、大道具は伝統建築科に所属している生徒と美術部が作ってくれ、映像効果は山縣の所属する映像研究部がやってくれる。
録画やライティングなどをやってくれているのも映像研究部だ。
小道具はホームエレクトロニクス部、俗にいう家庭科部がやってくれた。
衣装は今回は部外者であるはずの松浦がやってくれ、本当に皆の協力がなくては何もできなかった。
「オレ、自分がセリフと役をやるのに必死でなんもわかってなかったんだけど、いざ舞台稽古になったらいきなり道具が出てきたり、音が出てきたりで正直びっくりしたもん」
それが全部先輩たちがやってくれていたのだと知った時、なぜ高杉があんなにも忙しそうだったのか理由がやっと判った。
「舞台って大変だよ。あんなにもたくさんの人が二時間の舞台に協力してくれて出来上がるんだもん」
見ている時は気づかなかったと幾久は思う。
舞台を見たことがないわけじゃないし、どんなものか頭では知識があった。
だけどいざ、本当に自分がそっちに回ると知らない事だらけだったと思う。