やらしー先輩
寮に帰り、幾久と児玉は先に食事を済ませた。
多分、後から久坂と高杉が帰って来ることを考えれば風呂も先にすませておいたほうがいいと思い、風呂も早めにすませておいた。
幾久はセリフをもう一度確認しようと、居間で台本を広げているとスマホにメッセージが届いた。
「多留人だ!」
メッセージはチケットが無事届いた知らせだった。
面倒なので電話にすると、多留人がすぐに出てくれた。
「多留人?チケット届いたんだ」
『あー、幾久、チケットサンキューな!』
多留人が希望していたのは初日の部だ。
その日なら高校の部活が休みなのでこちらまで来ることが出来るのだと言う。
「ほんと、ウチの学校まで来るんだよね?けっこう遠いよ?」
多留人が博多から報国院に来るためには、新幹線に乗り、北九州で降りて在来線に乗り換え、そこからバスで三十分近くかかる。
『大丈夫だって。新幹線はこの前乗ったから判るし、乗り換えも余裕。それに幾久の学校って知らないからわくわくするしな』
変な学校って聞いたから楽しみ、と言いつつ多留人が言った。
『絶対にモウリーニョ、見せてくれよ』
「あー、だよね!見たいよね!」
報国院の毛利先生は、サッカーの監督のモウリーニョに名前も雰囲気も似ている。
『素行のよくない連中のまとめって、そんなとこもモウリーニョだよな!』
「そうなんだよ。ホントうける」
毛利は報国寮の寮監をやっているのだが、伊藤曰く、毛利も怖いし三吉なんかもっと怖いという。
『あと、お前のジュリエットすっげー楽しみ。写真撮りまくる!』
「勘弁してよ。ホント」
『女装じゃないならいいじゃん』
「そうだけどさー。あ、でも衣装はスゲーよ。ほんと本物の衣装」
『そーなんだ!楽しみ!』
多留人と近況を話し合い、あれこれサッカー談義をしているといつの間に高杉と久坂が帰ってきていた。
「あ、先輩、おかえりなさいっす」
『先輩帰ってきたんか?じゃあ切るな』
「うん、ありがと。じゃあまた」
『またなー』
そう言って電話を切った。
「先輩ら、晩飯は?」
「もう食った」
「食べたよ」
「そっすか」
じゃあお茶でも、と幾久が立ち上がろうとすると、久坂が一言「最中」と答えた。
「はいはい。ハル先輩はなんかいります?」
「いや、エエ。お茶だけ頼む」
「はーい」
幾久は立ち上がりキッチンへと向かう。
と、今日は遅かった吉田が帰ってきたところで、玄関で靴を脱ぎ捨てたところだた。
「栄人先輩、おかえりっす。遅かったっすね」
「あー、いっくん、ただいまー!もう疲れたー、チケット準備するのが大変でさあ」
ぎゅっと幾久を抱きしめ、ぽんと肩を軽く叩き上へあがる。
桜柳祭が近いので経済研究部も忙しいのだろう。
「大変そうっすね」
「まー、今日はタッキーが来てくれたからなんとかなったけどね」
もうおれ着替えない、と栄人はダイニングへ入る。
制服のジャケットを脱いで椅子に掛け、食事を始めた。
「そういや用事があるって残ったの、経済研究部手伝ってたんすか」
「そそ。ああ見えて案外有能なんよねタッキー。発言面白いけど手は早いし、要領もいいし」
さすが一年スリートップの一人、と栄人が誉める。
「やっぱ鳳って違うんスねえ」
幾久がため息をつくと栄人が食事しながら言った。
「なーに言ってんのいっくん。もう後期は間違いなく鳳に来ないと、瑞祥にボッコボコにされるぞ?」
「やめてくださいよ。怖いッスよ」
まだ久坂に叱られて怖かった事が完全に尾を引いている幾久としたら、叱られたりはしたくない。
「それに後期に鳳に入っとかないとさ、雪ちゃんががっかりするんじゃない?」
「雪ちゃん先輩が?」
そう、と栄人が頷く。
「だって雪ちゃん、卒業でしょ。後期で鳳いっとかないと、いっくんの鳳姿、雪ちゃん見れないよ?」
「……そ、ですよね」
確かに雪充は三年生だ。
ということは、あと半年もせずに卒業してしまう。
「え、えー……じゃあ、雪ちゃん先輩と過ごせるのって半年しかないんスか」
「正しくはそうもないよね。桜柳祭終わったらもう完全受験モード入るだろうし。ガタだってずっとそうだろ?」
確かに山縣はずっと部屋にこもって静かに勉強し続けている。
「報国院は三年後期の授業なんかないも同然だから。千鳥は就職だったりの準備するし、鳳はまず進学するし、学校全体で受験応援するし」
「そう、っスよね」
桜柳祭の準備に追われて考えていなかったが、確かにこれが終わってしまえば雪充は受験対策に入るだろう。
「本当はすでに受験モードではあるんだよね。ただ、うちって桜柳祭がけっこう遅い時期にあるから、仕方ないんだけどその分フォローもしてくれてるわけだし。おれらもよく考えておかないと、三年になって急に受験で慌てるのもかっこ悪いし」
「―――――そっかぁ」
報国院に居ると決めて、やっと本格的に動き出した幾久とは違い、三年生はもう受験だし、二年の先輩達も進路を考える時期に入るのだ。
幾久はため息をつく。
「なーんか高校生って忙しいッスね」
「ほんっと、つくづくおれも思うよ」
お茶を入れると幾久は久坂の最中をお盆に乗せた。
「じゃ、行ってきます」
「はいよー、おつかれさん」
そういって栄人はひらひらと手を振った。
栄人は食事を終え、ひとやすみしようと居間に行くと久坂と高杉がお茶を飲んでいる最中だった。
「お帰り。遅かったの」
「ほんとよもー。チケット爆売れはいいんだけど、手間がかかってしゃーない。それよかいっくんは?」
さっきこっちにお茶を運んできたはずだと栄人が探すと、高杉が答えた。
「御堀から電話じゃ。今、廊下で話しちょる」
「あーね」
御堀のストレス解消には幾久が必要らしい。
毎日のようにずっと喋っているのでいつものことだ。
「それよりチケットって?今更なんか店でも追加するの?」
瑞祥の言葉に、栄人が腰をおろしちゃぶ台に頭を乗せた。
「みほりんのファンクラブ受付を桜柳祭でやる準備が追加で出てきちゃってさあ、それがちょっと忙しかった」
「ほう」
「へえ」
二人が面白そうだと身を乗り出してきた。
「みほりんって地元にファンクラブあるって言ってたじゃん。おばさまが会員のやつ」
「ああ、知っちょる」
「誉会でしょ?」
栄人が頷く。
「その誉会って、会費が相当お高くてさあ、とてもじゃないけど学生が入れるようなものじゃないんよね。でもみほりん、今回の演劇で絶対にファンクラブできるだろうから、いっそこっちで用意したらいいじゃんって。そしたら管理できるでしょ?」
「そうじゃのう。その方が便利じゃし」
「いいじゃない。下手に勝手にそんなの作られるよりよっぽどいいよ」
報国院の生徒にファンクラブが作られるのは初めてではないし、桜柳祭の後は他校に自然発生的にファンクラブが出来ることもある。
実際、久坂と高杉のファンクラブも他校にあるらしいが、詳しくは栄人しか知らない。
「どうせ舞台を見て一瞬盛り上がって、まあせいぜいバレンタインまで続く程度のことじゃろう」
経験がある二人はそういって頷く。
桜柳祭での地球部の出し物は毎年人気で、当然他校にも知られているし、舞台に立てば効果もあって一気に知名度と人気が増す。
しかしそれは流行りみたいなもので、大抵学年が代わるくらいになれば沈静化していた。
「みほりんは自分でも判って王子様やってるとこあるし、この前のウィステリアでもめちゃ人集めてたらしいから、収入に期待はできそうなんだよね」
「ま、もうかるのはエエことじゃの」
「取れるところからはとっちゃえば?」
「そうそう、それなんでお金先輩がめっちゃ張り切っててさ。アプリ開発しようかとか言ってる」
「へー、そりゃまた」
経済研究会はその名前の通り、お金になることはなんでもするし、いろんな部と提携して儲けられることはなんでも手を出している。
「アプリがあれば会費も取れるし、すぐ退会もできるし、技術開発部と組んでなんかやろーかって」
「そりゃ面白そうじゃの」
技術開発部は、要するにメカマニアの集まる部活で、いろんなわけのわからない事をやっていて、地球部の服部が所属している。
「桜柳祭が終わっても、そう暇にはなりそうにないな」
「そうなんよねー。おれもバイト増やしたかったけど、来年は受験あるし、考えるよなあ」
はー、と栄人がため息をつく。
「あれ?栄人先輩、ごはん終わったんすか?お茶いります?」
御堀とのおしゃべりが終わったらしい幾久が居間に戻ってきて尋ねた。
「あー、いいっていいって。おかまいなく」
「でもオレ、自分のお茶入れるつもりだったんで。ついでに入れましょーか?」
「いっくん、僕ほうじ茶」
「ワシも」
すかさず高杉と久坂が言うので、幾久は栄人に尋ねた。
「栄人先輩もほうじ茶でいいッスか?」
「なんでもいいよ。あんがとさん」
折角一年生が動いてくれるので、栄人はありがたくそれに乗っかった。
幾久は「ウッス!」と返事してキッチンへと向かった。
栄人は二年生三人になった居間で、ぽつりと言った。
「おれさあ、なんでこの前瑞祥が急にあんなに怒ったのか不思議だったんだよねぇ」
この前、とは幾久が高杉に甘えてしまい、久坂を怒らせてしまった時の事だ。
「瑞祥の地雷ってのは判るけど、いっくん相手になんであそこまで短いのかなって実はずーっと考えてて、ちょっと不思議には思ってたんだよな」
高杉は久坂が怒っている場合にはなにも言わないようにしているが、この前の久坂の様子にはやや戸惑っていた部分があったのに栄人は気づいている。
「ワシも、ちょっとはそれを思っちょった」
「だろ?瑞祥にしてはなんか、ちょっと怒る時期が短いっていうか、むしろ桜柳祭でいっくんが大失敗するくらいに調子乗せて、その後に大叱りしそうな感じなのにさあ。おれ、なーんでかなって思ってたんだけど」
だからこそ、幾久も叱られて戸惑っていたし、児玉もなぜそこまで叱られるのか、と首を傾げていた部分もある。
久坂の性格を考えると、もっと明らかに、たとえば児玉から注意が入ってしまうくらいに幾久が調子に乗るくらいまで、明らかにそれは失敗だという程度までは待ちそうな感じなのに、今回はそれがやや早かった。
「さっきいっくんと話して気づいたんだけどさ、もしこれが桜柳祭の後だったら、絶対にいっくん引きずっちゃってさ、下手したら期末考査、ガタガタになっちゃう可能性もあったんだよね」
栄人の言葉に高杉も「そうじゃのう」と頷く。
「んで、それだけにあきたらず、そのまま揉めちゃったらすぐ冬休みになっちゃってさ。いっくんが移寮願い出しちゃう可能性もないわけもないわけで」
「そうじゃのう」
高杉が言う。
「でも、今だったらごちゃごちゃしてるから気も紛れるし、相談しやすい環境だし、雪ちゃんにも話しかけやすいよね?まだ受験体制に入ってないし」
「……」
久坂はそっぽを向いている。
栄人は言った。
「今ならいっくんが悩んでも考えやすかったり悩み相談しやすかったりする環境だし、ハルも瑞祥も地球部あるから無理矢理いっくんと関わるしかないわけじゃん?そしたらフォローもしやすかったんだよね?思いがけず早く片付いたからそうならなかっただけで」
「……で、何が言いたいの?」
久坂はやや不機嫌そうに栄人を見た。
「瑞祥ってさあ、ホンっといやらしー性格してるよなあ。もめてもちゃっかりフォローしやすい環境でやってんだもん。ホント、やーらしー」
仲たがいしてても、仲直りせざるを得ない環境を用意して怒るあたり、本当にちゃっかりしている。
「頭が良いだろ」
ふんとそう言って言い放つが、高杉は苦笑した。
「そう言う所、杉松そっくりじゃの」
「うるさいハル」
「やーらしー」
「やーらしー」
「うるさい二人とも」
そう言って高杉と栄人が久坂を茶化していると、幾久がお盆を抱えて入ってきた。
「なんかエロい事言ってるんすか?」
栄人が言った。
「そーそー、瑞祥がいかにむっつりスケベかって」
「そうじゃのう」
「えっ、瑞祥先輩ってやっぱりそうなんだ」
「やっぱりってどういう意味だよいっくん」
むっとする久坂に、幾久はお盆をちゃぶ台に置くとさっと高杉の後ろに隠れた。
「ハル先輩、やらしー先輩が怖いっす」
「ワシもじゃのう」
ニヤニヤ笑う高杉に、久坂は苦虫を潰したような顔になって「ハルまで……」と嫌そうに肩を落とした。