御門寮は特別
(山縣先輩かあ)
一応三年生だから、相談すればなにかヒントをくれるかも?いやしかし相手は山縣だ。
それに高杉を愛してやまない山縣に、幾久がなにか失言したと言っていいものかどうか。
だけど吉田に相談したとしても、ああ見えて吉田はそこまでおせっかいでもないしなあ。
それに二年生の三人は妙な連帯感とか空気があるから、もし聞いても自分で考えろとか解決しろとか笑顔で言われそうだしなあ。
でもしかし三年だからって山縣に聞いてもなあ。
「おい」
「は?え?は、はい?」
山縣に声をかけられ、児玉は驚いた。
「お前なんなんだよ」
「は?え?」
うろたえる児玉に、山縣はちっと舌打ちした。
「だから、なんなんだよその顔。人の顔見てあれこれあれこれ表情変えやがって。なんか言いたいことでもあんのかよ」
そんなに表情が変わっていたのだろうかと児玉は思わず自分の顔を手で包んだ。
「あー……言いたいことって言うか、」
どうする、と児玉は考える。
ここで山縣に相談すべきなのか?
しかし高杉がからんでいることで、勝手に話をしてもいいものかどうか。
(でも同じ寮なら、遅かれ早かれ、ばれるんじゃないのか?)
高杉と口をきくな、と幾久が言われたのなら、きっと朝から喋ることは許されないだろう。
だとしたら当然山縣も気づくはずで。
言い訳じみた考えだが、いまの児玉にとって、山縣の存在が吉と出るか凶と出るか、それは判らない。
「ガタ先輩、えーとあの。お時間いいでしょうか」
「だが断る」
山縣らしい返答だ。しかし児玉は食い下がった。
「ハル先輩の事だとしても?」
山縣の動きがぴたりと止まった。
「やれやれだぜ」
そう言って、山縣は椅子を引いて腰を下ろした。
どうやら話は聞いてくれるようなので、児玉も一応はほっとして椅子に腰を下ろしたのだった。
翌朝、幾久はいつも通り目を覚ました。
いつも通り顔を洗おうと洗面所に向かうと、いつもと同じなので当然高杉と久坂とはちあった。
だが、いつもと違うのは、久坂がすっかり目を覚ましていて、高杉の前を歩いていることだった。
幾久を不機嫌そうな顔で一瞥すると、「なに?」と尋ねてきたので、幾久は消え入りそうな声で「おはようございます」と呟く。
(まだ怒ってるんだ。当然か)
「先に使うから、終わってから使え」
久坂はそう言って、高杉と洗面所へ入って行く。
一瞬、高杉が何か言いかけたが、久坂が「ハル」とたしなめるように声をかけたので、高杉は仕方なく、黙ったまま久坂の後を追う。
(……そうだよな)
よくよく考えればこれが普通だ。
どの寮だって、上級生がどんな設備も先に使うし優先されると聞いている。
雪ちゃん先輩こそ、後輩に命令はしないけれど、そんな先輩の場合は後輩が気を遣うのが当たり前だと弥太郎も言っていた。
御門はいいなあ、とうらやましがる弥太郎や伊藤に、御門ではこれが普通と言っていたけれど、ちっとも普通じゃなかったことに失って初めて気づく。
「おはよ、幾久。早いな」
「タマ」
さっきまで寝ていたのに、もう起きたのか、児玉がいつの間にか後ろに立っていた。
廊下に立ちすくんでいる幾久を不思議に思ったのか、首を傾げているが、幾久がぽつりと言った。
「いま、瑞祥先輩とハル先輩が洗面所使ってて」
「あ、そっか」
いつもなら、一緒に並んで使っているのにそうできない事を児玉は察したらしい。
「じゃ、待ってようぜ」
そう言って笑う児玉の笑顔に、幾久は息が詰まりそうになった。
洗面所から久坂と高杉が出てきた。
いつもなら寝ぼけた顔の久坂が、もうすっかり目が覚めた様子で、しかも不機嫌そうな表情なことに児玉も気づく。
「おはようございます、久坂先輩、ハル先輩」
そういって、児玉はいつものようにきちんと頭を下げる。
「うん」
それだけ久坂が言い、高杉を先に歩かせ、喋らせないようにしてキッチンへと向かった。
二人が遠ざかる間、児玉はずっと幾久の腰に、支えるように手を置いていた。
「顔、洗おうな」
「―――――うん」
幾久は歯を食いしばった。
どうしても、いま、泣くのだけは堪えなければならないのが辛かった。
「いっくん、おはよー。タマちゃんもおはよー!パンでいいかな?」
「あ、はいっす」
「……ウス、」
吉田は知っているのか知らないのか、いつも通りだったけれど、露骨に元気のない幾久に何も言わない所を見ると、多分知っているのだろうと児玉は思った。
久坂は全身からぴりぴりした空気を隠さずに居て、さすがに児玉も当事者ではないけれど、これは居づらいな、と思う。
かといって自分から何ができるわけでもないので、ここは黙っているしかない。
チャンスがあれば、高杉に話しかけてみたくはあるが、昨日の今日でそんなことをしてもいいものか。
考えていると、山縣が起きてきた。
「おはよー高杉!」
「……ああ」
いつものように、高杉だけに声をかけ、高杉も適当に返事を返す。
無視していることも多いのだけど、山縣につい返したのは、ぼうっとしているからだろう。
「おい後輩、カフェオレ」
山縣が幾久に命令すると、幾久は「はい、」と頷き支度を始める。
いつもなら、ここでなんでオレが、とか面倒くさいとぶつくさ文句を言ってから支度を始めるのに、今日だけは妙に素直だ。
その様子を久坂は一瞥するも、何も言わない。
山縣もいつもなら茶化すのだろうけれど、今日は何も言わないのは、児玉に話を聞いたからだろうか。
一人だけ鼻歌を歌いながら、パンにチョコレートをぬりたくっている。
(ほんっとガタ先輩って、メンタル半端ねえなあ)
何も関わらないように児玉は知らないふりで必死だというのに、山縣はあまりにいつも通りで児玉は感心すらしてしまう。
食事を終えた久坂と高杉が立ち上がった。
「御馳走さま。今日は先に行くから」
久坂が吉田に言うと、吉田も「あいよ」と返事をする。
高杉は始終無言のままだった。
時折、幾久を気にかける様子があったけれど、まるで超能力みたいに久坂がそのタイミングを邪魔してずらすので、結局なにも喋ることが叶わなかった。
朝食の茶碗を洗おうとした幾久の手を、吉田が止めた。
「今日はいいから、タマちゃんと先に行きな」
「でも」
「いーから、いいから。たまには一年同士でゆっくり行きな?」
ね、と言われ、幾久は頷く。
やはり吉田もとっくに知っているのだ。
「……わかりました」
「じゃ、先輩、よろしくお願いします。幾久、行こう」
「うん」
落ち込んだままの幾久の手を引き、児玉が玄関へ連れ出す。
雰囲気はどんよりとして、学校に行きたくないと言い出しそうな空気だった。
だけど幾久はスニーカーを履くと、リュックを背負い、「いこっか」と言うので児玉はほっとして、「ああ」と頷き、玄関を出たのだった。
学校の授業は問題なく終わり、部活の時間になった。
時間がすぎれば幾久も、こんなんじゃ他の皆に迷惑がかかると気づいて、なんとか頑張らないと、と思って気合を入れたところだった。
「幾、おつかれー」
先に来ていた一年の鳳連中が手を振る。
「お疲れ」
「あ、そうそう、今日、久坂先輩も高杉先輩も、部活休むんだって」
「え?」
驚くと、三吉が言った。
「桜柳会の仕事がメッチャ溜まってるんだって。久坂先輩は高杉先輩のサポートに入るからって、今日はお休み」
「そう、なんだ」
「ま、あの二人は稽古なんか今更だよな。完璧だし」
山田の言葉に、一年生がみんな頷く。
「そーだよね。格が違うもん、格」
「あの華やかさは、私めも見習いたいものです」
ふっと瀧川が恰好をつけるも、入江が言った。
「いやー、タッキーのとはまたジャンルが違うっしょ、あの二人は」
そう言って一年生が盛り上がる。
(そう、だよなあ)
一年生たちが言うみたいに、久坂と高杉は特別だ。
雰囲気も、立場も、なにもかも違う。
皆がそう言うのと、昨日の幾久の言葉の、一体何が違うのだろうか。
「幾、じゃあセリフ合わせやろっか」
「あ、うん、そうだね」
御堀に迷惑をかけるわけにはいかない。
御堀だって、いつ桜柳会の呼び出しがかかるのかが判らないのだから。
(ちゃんとしなくちゃ)
叱られたのはあくまで幾久の事情なのだから、他の誰にも迷惑をかけるわけにはいかない。
幾久はそう決心して、気合を入れた。
「さー、やるぞ!」
「おっ、幾、気合入ってんな!」
そう言って山田が盛りあげてくる。
賑やかな時間が、余計な事を考えそうになる幾久にはありがたくて、実際、部活の間は忘れることが出来ていた。