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遠い故郷と、僕らの海

 波音の間隔は短く、波のぶつかり合う音は、静かな中でも力強い。

 眼前を阻むものはなく、海と向かいには港が見え、あれが九州だと初めて聞いた時には地図と目の前の間隔が結びつかず、ただ近さに驚いた。

 イメージの中にある青い海ではなく、波のぶつかる灰色と黒の海は、ふざけてでもそこに入ろうという気を起こさせない。

 ただ、何も話さずにそのまま居ても、波音を聞いていればいつまでも過ごせるような気がする。

「僕の家が、和菓子屋って知ってるだろ?」

 御堀の言葉に幾久は頷く。

「地元じゃ割と老舗でさ、どこ行くにも、従業員の誰かがついてくるんだ」

「おぼっちゃまってこと?」

「否定はしないね」

 そっけなくてどこか冷たい。

 人をやや見下すようで。

 御堀の気取った言い方は、まるで素が出た久坂のようだ。

「子供の頃ってさ、泥遊びするだろ」

「うん」

「僕が子供の頃だけど、家の前で泥遊びしてたら、どっかのオバサンに、和菓子屋の子のくせに汚い、みたいな事言われて、子供心にすごいショックでさ」

「―――――うん」

「今ならそんなことはないって判るけど、その頃はまだ子供すぎてさ、和菓子屋の子は泥遊びなんかできないんだって思ってなにもできなくなった。悲しくてね。でもそんな時、姉が無理矢理僕をサッカーに連れ出して」

 しかも雨上がりのグラウンド、と言うと幾久は驚いた。

「めっちゃ汚れるんじゃない?」

「汚れた汚れた。もう泥だらけ。はじめてやったサッカーすごく楽しくて夢中になったよ。でもサッカーだけしてるって思われたくなかったから勉強もやって、運よくユースにも引っかかって。勉強もそれなりに結果出て」

「うん」

「このまま地元の高校に進むんだろうなって親も友達も思ってて、僕も割とそのつもりだった」

 思いついたことをただそのまま喋っているみたいだった。

 御堀らしくはなかったが、絞り出す言葉のまとまっていないその塊が、幾久にはとても大切なもののように思えた。

「姉がね。もうほとんど勝手に僕を報国院に連れてきたんだ。学校見学くらいいいでしょって。まあいいかって僕も思って、ここに来た。そしたらもう、絶対にここしかないって思ってさ」

「そうなんだ」

 学校見学もなにもなく、入試の日にいきなり来た幾久とは違って、御堀には報国院に相当思い入れがあるのだろう。

「僕は、地元から逃げたかったって、逃げてやっと気づいたんだ」

 それは幾久にも覚えのある感情だった。

 よくわからないまま、判らないものに巻き込まれて、こんな所は嫌だと思って、三か月過ごして、ここを選んだ。

「御堀君と同じかどうかは判らないけど、そういうの、なんとなく判る、かな。オレも、こっちに来て、あー、母さんの言いなりだったって気づいたし」

「そうなんだ」

「うん。そういうのって、そうなってる時って気づかないもんだよね」

 そういうものだ、と思い込んでいた。

 でも考えたらそうじゃなかった。

「だから今はすごい楽しい。先輩らはスパルタだけど」

「そうだよね、久坂先輩も高杉先輩も、ちょっと厳しいよね」

「だよねー!」

 あーよかった、オレの勘違いじゃなかった!と幾久はほっとする。


 二人の言葉が止まり、波音が響く。


 しばらく波音を聞いていると、御堀が穏やかに口を開いた。

「時々、父に連れられてさ、パーティーに行くんだ。お偉いさんとか、職場関係とか。将来の跡継ぎだからって。ほとんど僕はおもちゃ扱いだけどね」

 自慢話のように思えて、ちっともそんな風に聞こえないのは、御堀がどこか冷めたしゃべり方をしているせいかもしれない。

「その中には、まあ、うちの父と仲が悪い連中も当然いるわけで、子供である僕に対して八つ当たりするわけ」

「……ひどい」  

 幾久の苦々しい言い方に御堀は小さく笑った。

「嫌でも仕方なくてさ。そうこうするうちに処世術学んだっていうのかな。外見がわりといいのは早くに気づいたから、それを利用することを覚えたんだよ」

 御堀がため息をついた。

 それは本当にどうでもいい、といった風な、悪い意味で大人っぽいため息だった。

「大人って、大人っぽい、ませた子供が好きなんだ。だからわざとそんな風にしてた。父や、偉そうな政治家とか、そういう人をマネして尊大で偉そうに、余裕があるようにしてたら、最初は面白がってて、そのうち本当に僕がそんな子であるみたいに見始めるんだ。年寄のマネをしてるだけなのにさ」

 御堀は続けた。

「年寄って図々しいよね。自分のフリしてる奴を『将来有能になるぞ』って言うんだ。ほんと、ああはなりたくないなって思った」

 御堀の言葉に、幾久は、御堀がひどく傷ついているのだ、と判った。

 自分じゃないものを演じ続けて、それを求められて与えてしまった御堀を、かわいそうだと思った。

「乃木君は、そういういびつな僕が、怖いんだろうと思う。だから、ゴメン」

「そんな」

 別にそこまで謝られるほどじゃない。

 単純にできる御堀に勝手に引け目を感じていただけだ。

「普通に誉は大人っぽくてカッコいいと思うよ」

 幾久の言葉に御堀はため息をつく。

「結局ストレス貯めてるから、かっこよくはないね」

「たまってるの?」

「……けっこうね」

「そりゃそうかあ。桜柳祭で雪ちゃん先輩に使われて、地球部ではハル先輩に使われて」

 考えれば御堀は忙しい。

 先輩二人分の仕事をかけもちしているようなものだからだ。

「雪ちゃん先輩に、今度からインカムで指示飛ばすって聞いて、あーって。もうスマホ忘れるとか、意味ないんだって」

 えっと幾久は驚いた。

「わざとやってたの?」

「うん、わざと」

 真剣な御堀の顔に、幾久はこらえきれず噴き出した。

「あははははっ!誉、子供みたいなことすんね」

「いま大人っぽいって言ったのに」

 むっとする御堀に幾久は笑って答えた。

「子供じゃん」

 本当に御堀のイメージが全然変わった。

 急に大人だと思っていた御堀が、自分と同じような高校生なんだと信じられた。

「今度から全部断っちゃおうよ。あ、でも御堀君がロミオじゃないのは困るから、あーでも雪ちゃん先輩が困るのもなあ」

 うーんと頭を抱える幾久に、御堀は楽しそうに笑って言った。

「次は、断ろうかな。自信ないけど」

「そーだよ。そうしなきゃ。いくら凄くても」

「凄くなんかないって」

 苦笑する御堀に幾久は首を横に振った。

「凄いよ。セリフとかあっという間に覚えてたし」

 しかし幾久の言葉に、御堀はああ、と笑う。

「だって僕、最初からロミオのセリフ殆ど覚えてたから」

「え?」

 いたずらっぽく御堀は笑った。

「中学生の頃、地元のイベントでね、ロミオやらされたことがあるんだ」

「え―――――っ?!未経験じゃなかったの?」

 驚く幾久に御堀は「未経験だよ」と答える。

「演劇部の経験は?って聞かれたから、いいえって答えただけ」

「なんだぁ……じゃあ、あの時セリフちょっと見ただけで覚えたっての、嘘?」

「ちょっとは覚えたよ。かなりセリフが変えてあったけど、まあ基本同じだからね」

「なんだあ、完璧超人だと思っていたのに。なんでそんな事したの」

 尋ねると御堀が答えた。

「だってその方が有能感あるだろ?」

「あるよ!オレすっかりだまされてたじゃん!」

 なんだあもー!と幾久は倒れ込んだ。

「誉にだまされた」

「だましてないよ。言ってないことがあっただけ」

「そういうトコ、ほんとうちの先輩らみたい。誉って御門に向いてんじゃない?」

「そうかも」

 そういって二人は急に笑い出した。



 波をじっと見つめていると、満ち潮に変わったのか、少しずつ波が迫り始めた。

 杷子の言うとおり波の動きはかなり速い。

「なんか誉が子供で安心した」

 完璧超人でもなく、すさまじく有能ということもなく。

 御堀はそれなりに俗っぽい感性で、自分を大人に見せている、気取った高校生だった。

「幾には丁度いいだろ?」

「けっこう言うね」

「まぁね」

「それ本性?」

「まさか!まだ遠慮してる」

「えぇえ……お手柔らかに」


 なんだか急に距離が縮んだ気がして、幾久は御堀と笑いあった。



 幾久の案内で、二人はかなり遠回りしてウィステリアの敷地内から脱出した。

 以前、栄人にだまされた山道の通りに向かい、幾久は歩いていた。

「どうせだから、このまま桜柳寮にいこっか」

 幾久の言葉に御堀が驚く。

「行けるの?」

「うん、山を登って、下って、城下町の通りに出るよ」

 御堀が散歩好きと聞いていたので幾久が提案すると、やはり楽しそうに興味を持った。

 二人は一緒に住宅街のある山に向かう。かなり道の起伏は激しいのだが、御堀は気にせずあちこちを楽しそうに見ていた。

「ここからちょっと上に行くと海が見えるよ」

 行く?と尋ねると御堀は頷く。

 幾久のお気に入りの海が見えるポジションで二人立ち止まり、海を通る船を見た。

「こんな道知らなかった」

「だろ?オレ最初にこの道が通学路だって先輩にだまされてさ、報国院入って一日目ですぐ後悔した」

「あはは」

「実際違って良かったけど、でも時々通って帰るよ。かなり大回りだけど」

「気分転換になるね」

「うん」

 特に理由なく歩くこともあるし、ちょっと歩きたいときは山道を選んで帰ることもあった。

「寮に戻ったら、今日の道を確認してみる。けっこう歩いた気がするよ」

「だよね。今日すっごく早く寝そう」

「明日もあるし?」

「そうそう!」

 明日は日曜日だが、部活はしっかりある。

 桜柳祭まで一か月あるが、その間に中期の中間試験が行われる。

 これから二週間の間、部活禁止の一週間と試験の一週間があって、その後十日余りで桜柳祭だ。

 つまり実質、練習できるのは残り十日程度しかない。


「それよりさ、もうすぐ試験だろ?オレ大丈夫かなあ」

 後期は鳳クラスを狙うと豪語しているものの、本当にできるのかどうかは不安だ。

「次は鳳狙ってるんだっけ」

「そうなんだけどね」

 児玉と二人、絶対に後期は鳳だ!と盛り上がってはいるものの、実際は全く無理とは言わなくとも、そこまでの完璧な自信は今の所はない。

 かといって、だったら中間は捨てて期末にかければいいというほど、鳳クラスは甘くはない。

 どちらもいい点を取らなければ、到底鳳クラスには追い付けないだろう。

「誉くらい出来が良かったらいいんだけど」

「さっき僕は『ぶってるだけ』ってネタ晴らししたばっかだろ」

「そうかもだけど、主席じゃん」

「頑張ってるんだって」

 そう言って御堀が苦笑する。

 その笑顔に、そっか、と幾久は笑った。

「無理してるんだっけ」

「そうそう」

「なんか見えないよね」

「見せないようにしてる。こう見えて必死なんだ。泳ぐ白鳥みたいにもがいてる」

「ああ、足だけメッチャ漕いでるっていう?」

「そうそう!」

 想像しておかしくなって、二人で爆笑した。

「ほんっと、誉って、優等生頑張ってたんだ」

「そうだよ。努力の賜物なんだから」

「凡人だよね」

「でも努力した結果出してるし」

「じゃあ、優等生になってる凡人」

「鳳だから、幾より上」

「そりゃオレはたかが鷹ですよーだ」

「来期は鳳?」

「そーだよ、気をつけないと、誉、オレに落とされるかもよ?」

「それはないな」

「すげー自信」

「たかが鷹には負けないって」

 ふふんと偉そうに笑う御堀は、どこか久坂や高杉の雰囲気に似ていた。

「誉ってけっこう負けず嫌い?」

「かなり。負けるのなんか大嫌いだね」

「見えないのに」

「見せてないんだって」

「オレだまされてたあ」

「だましてたんだ」

 二人は下り坂をふざけながら歩き、桜柳寮までの道をずっとしゃべりながら歩いたのだった。

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