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君の言葉と波の音

 足元に気を付けながら杷子の案内で、えっちら、おっちら、と歩き、岩場を乗り越えてやっと、幾久は見たことがある場所に出た。


「ここかあ!」


 そこは砂浜の奥が階段になっていて、公園のように整備された海岸で、奥には東屋もある。

 久坂と高杉がよく来る、見知った海岸だ。

「ここまで来たら判ります!」

「でしょ?良かった」

 幾久は頭の中で地図を整理した。


 これまで自分が知っている場所と地図とコース、そして今日通った場所を頭の中でつなぎ合わせ、整えると場所が理解できた。

「じゃ、ここから抜けて帰ろうか。このあたりもうちの校則で来るの禁止だから、まず生徒はいないから安心して帰れるよ」

 杷子が言った時、御堀が足を止めた。

「あの、」

「何?」

「どうしたの?御堀君」

 杷子と幾久が足を止める。

「僕、ここにちょっと居たいんだけど、駄目かな」

 御堀の言葉に、幾久は少し驚いたものの、杷子と顔を見合わせた。

「わこ先輩、オレ、この場所知ってるんで、もう帰れます」

「そう?じゃあ私は先に学校に戻るよ。うちんとこのテニス場の裏じゃなくて、歩道橋のほうの回り道から、ぐるーっと大回りする道は判る?海岸線から横断歩道渡って、坂道上って御門寮まで下るほうの」

 幾久は頷く。

「判ります。そっちも歩いたことあるんで」

「そっか。じゃあ心配ないね。一応、見つからないように大回りして帰ったら安心よ」

「うす、判りました」

 頷く幾久に杷子も頷いた。

「じゃあ、今日はお疲れ様。チケットの件とか、また連絡するね、直ちゃん経由になるかもだけど」

「判りました、よろしくお願いします!」

 幾久が頭を下げると、御堀もぺこりと頭を下げた。

 じゃーね、と言って杷子は駆け足で、学校へ向かう道を急いで向かった。


 幾久と御堀は二人、海岸に残る。

(御堀君、海、好きなんだな)

 幾久は整備された階段に、腰を下ろした。

 ここなら海もよく見えるし、座っても問題ない。

 御堀も幾久の隣に腰を下ろした。


 御堀が幾久に告げた。

「ありがとう」

「ん?」

「ここに居てくれて」

「そんなのいいよ。どうせ寮近いし、知ってる場所だし。それに今日、御堀君にオレ助けられたし」

 びっくりしたなあ、と幾久は笑って言った。

「いきなり御堀君が、ロミオやりだしたのは驚いたけど、でもなんか自信でた。声ちゃんと出せたし」

「言ったろ。下手じゃないって」

「御堀君のリードのおかげだよ。オレ、めちゃくちゃ引っ張られたの判ったもん」

 サッカーではこういうことがよくあった。

 一緒にやる人が上手い人なら、実力を全部引っ張り上げて貰えた。

「チケットだって、おかげで売れそうだし。オレ、自分で売り方考えるとかえらそうな事言ったのに、結局御堀君頼りだし」

「もしチケットが売れても、二人の功績だよ」

 御堀が言うが、幾久はちっともそうは思えない。

「御堀君は凄いよ。さすがって思う」

 幾久は言って膝を抱えた。

「迷惑ばっかかけてて、どーしようばっか思ってたし、いまも思ってるし」

「迷惑なんて」

「かけてるよ。でも、頑張るから、オレ」

 部活だけ頑張ればいい幾久に比べ、御堀は仕事が多すぎる。

 今日だって御堀の機転がなければ、チケットがどれだけ売れたかも判らない。

 だけど御堀は浮かない顔で、ずっと海を見つめている。

 なにか間違った事を言ったのだろうか。幾久は思っても、それを尋ねるとまた御堀に気を遣わせてしまうような気がして、違う事を尋ねた。

「御堀君って、海、好きなんだね」

「うん。地元では見ないから」

「周防市って、海近くないの?」

「全然。むしろ山ばっかりだよ」

「そうなんだ」

 三方を海に囲まれているから、てっきりどこも海が見えるものと思っていたが、そうではないらしい。

「僕の住んでる場所って、山と川の中に町があるって感じだから。海なんかちっとも見えない」

「ふーん」

 なるほど、だから海が珍しいのかな、と幾久は思った。

 それから御堀は黙って、じっと海を見ていた。

 ざざ、という波がくりかえし寄せてくる。

 幾久は膝を抱えたまま、御堀が海を見ているのを並んで同じように海を眺めていた。


 暫くそうして海を見ていると、御堀が口を開いた。

「あのさ、乃木君」

「うん」

「ずっと考えてたんだけど、僕、どうして乃木君にあだ名で呼んでもらえないのかな」

「え?!」

 いまそれ言う?と幾久は思ったが、確かに、考えてみれば幾久は部活の面々の事を全部呼び捨てだったり、あだ名で呼んでいる。

 御堀だけなぜか、最初からずっと『御堀君』だ。

「えー、うーん、特に意味はないというか」

「そういうのもひょっとして、距離を置かれている原因なのかなって」

 単純に御堀と同じ寮の面々は、御堀のことをあだ名で呼んでいるし、同じクラスの面々もそれにならっている。

 幾久だけが御堀と寮もクラスも違うから、そういうものだと思っていただけだ。

「距離、なんか置いてない、と思うけど」

「でもさ、あるだろ?」

 御堀に言われ、幾久は素直に頷いた。

「……うん」

 確かに、他の面々にはない距離が、御堀との間にはしっかりある。

「でも御堀君だって、ずっとオレの事乃木君、って言ってるし」

「じゃあ、僕は幾って言う」

「え、いきなり?」

「だから幾も変えて」

「えー?だってなんか御堀君をあだ名って」

「みほりん、でいいけど」

 三吉は御堀をそう呼んでいるが、それは三吉のキャラクターあっての事で、幾久が言うのはなんだか違う気がする。

 かといって、御堀、という呼び捨てで呼ぶのも違うしなんだか偉そうだ。

「オレが言うのはイメージと違うしなあ」

 うーん、そうだなあ、と幾久は腕を組んで考え込む。

「じゃあ、誉?」

「うん、それでいいよ」

 幾久は口の中でもごもごと、誉、誉、と繰り返す。

「大丈夫そう」

「そっか」

 御堀が笑うと、幾久もほっとする。

「なんか誉って近寄りがたいんだよね。悪い意味とかじゃなく、大人っぽい?っていうのかな」

 落ち着きがあって動揺しなくて、しかも勉強もちゃんと出来て気を使っている。

「そのうち雪ちゃん先輩みたいになりそうだなって思ってる」

 幾久の大好きな雪充もそんな感じだ。

 だけど御堀は首を横に振った。

「雪ちゃん先輩と、僕は全然違うよ」

「そう?」

「雪ちゃん先輩は大人っぽいのかもしれないけど、僕のはね、『ませてる』っていうんだ」

 自嘲するように、御堀はそう幾久に告げ、膝を延ばし、座っている階段に手を置いた。

 彼らしくない、どちらかといえばだらしない恰好で、ずいぶんと御堀が疲れている風に見えた。

「……僕さ、本当は高校、周防市の学校に入るつもりだったんだ」

「うん」

「でも姉が、ウィステリア出身でね。僕は絶対に報国院に向いてるって言って」

「無理矢理?」

「最初はね。でも学校見学に来て、考えが変わった」

 御堀は微笑んで言った。

「ここがいいって、そう思ったんだ」

 そうして海を見る御堀は、疲れていても幸福そうに見えた。

「全然知らない場所だったけど、ここがいいって。一目ぼれした」

「でもそれで首席入学だろ?すごいよ」

 知らない、ターゲットでもなかった学校を選んで、しかもレベルは決して低くない報国院の首席なんて凄いと幾久は思う。

「幾はなんで東京から報国院に?」

「オレは……去年あった、ドラマ知ってる?乃木希典の」

「ああ、あれ」

「あれでまあ、いじめっぽい事になっちゃってさ。オレんとこ、エスカレーターだから、高校もそいつらと一緒ってなんか嫌だなって思って」

 ふふっと御堀は笑った。

「そういうの、負けなさそうなのに」

「いや、実はオレがそいつむかついて殴っちゃって」

「へえ」

 御堀は楽しそうに驚いて笑った。

「オレが乃木希典の子孫だってばらしたの、学校側だったもんでさ、個人情報とかで駄目だろ?学校も表ざたにしたくなかったし、相手にも謝ったし、うまくは片付かなかったけど、別に高等部に進んでも良かったんだけど」

 だけど、その学校は私立で、ほとんど顔ぶれは変わらない。

 きっと中学と同じことにいずれなるのだろう。

 そう思ったら途端、つまらなくなってしまった。

「父さんが母校だからって薦めてくれたけど、ぶっちゃけ報国院がどんなものかって知らなかったし、寮だって報国寮しかないと思ってたし」

「それは思うよね、あのパンフレットじゃ」

 御堀が頷くと、幾久もだよね、と同調した。

「あ、思った?やっぱり?」

「思う思う。全員あそこに入るもんだって思ってたし、実はけっこう楽しみにしてた」

「やっぱり」

 なんだあ、同じこと思ってたんだ、と幾久は急に御堀と距離が縮まった気がした。

「あとはオレん家、母親がスゲーうるさいっていうか、ヒステリーおこすタイプで、オレ、こっちに来るまで、母親の言いなりって全く気づけなかった」

 御堀は静かに幾久に答えた。

「うん」

 幾久はなぜこんな話をしてるのかな、と思いながらも、なんだかしても良い気がして、話を続けた。

「ヒステリーはうるさくて嫌だと思ってたけど、どこの母親もそんなもんだろうなって。でも実際は、進路も考え方も、母親の言うなりだってこっちに来て気づいて、正直ぞっとした。悪気ないのは判ってるんだけど」

「うん」

「……いまは報国院で良かったなって思ってる。一応、自分で少しは考えられるようになってきてるかなって」

 幾久の言葉に、御堀はしばらく考えて、ぽつりと言った。

「僕、幾にずっと謝りたかった」

「なんで?え?なんもしてないよ?」

 いきなり変な事を言うなあ、と思うが御堀は首を左右に振った。

「僕はずっと、嫌いな大人のフリをしていたんだ」

 静かに御堀は続けた。

「みんなに有能そうに見て欲しくて、大人のマネしてたんだ。今日だってそう。僕の嫌いな連中なら、どうすれば喜ぶのかなって考えてやっただけ」

「……成功、してたよ」

 別にどんな手段でも、目的が果たされればそれでいいのじゃないのかな、と幾久は思ったが、御堀は首を横に振った。

「大人のマネはね、どこでもウケるんだ」

 そしてやはり、高校生らしくない、大人びた表情で自嘲した。

「きっと、成功っていうのならそうなんだろうと思う。でも、これは僕っていうか、大人のマネだよ。しかも僕が嫌いな連中の」

 ため息をついた御堀の顔から、自嘲の表情すら消えた。

「僕は自分が嫌いなんだ。全部が全部じゃないけど」

「……」

 幾久は黙って御堀の話を聞いていた。

 波音がまるで沈黙を埋めるように、御堀の言葉を待っている間、一定のリズムを刻む。

 東京に住んでいた頃に、行った海水浴場とは違う、荒く速い波の音は力強く、ここまでは来ないと判っているのに、波が迫ってくるかのように見えた。

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