女子校の中に王子様を放り込むとこうなる
バルコニーから見る御堀は、まるで現実のはずなのにお芝居の中に吸い込まれてしまったようで、幾久は不思議な感覚にのまれていた。
自分がセリフをしゃべっているのに、自分じゃないようで。
幾久は続けて御堀に訴えた。
「うちの連中は、お前を見つけたらきっと殺してしまう」
御堀は胸に右手をあて、幾久に向け、左手を差し伸べた。
「どんな恐ろしい剣よりも、僕は君に嫌われるほうが怖い。どうか僕に―――――微笑んで欲しい」
幾久は首を振り、必死に訴える。ジュリエットがきっとそうであるように。
「絶対に、誰にも見つかっては駄目だ、ロミオ、」
だが御堀は首を静かに横に振る。
「夜の闇が僕を包んでくれている。でも君が僕を愛してくれないのなら、見つかって殺された方がマシだ」
互いに見つめあうその雰囲気に、見ている女子からため息が漏れる。
幾久は苦しげに御堀に告げる。
「ロミオ、一体誰がお前をそそのかして、こんな場所まで連れてきたんだ」
御堀は極上の微笑みで、幾久へ手を伸ばし訴えた。
「恋だよ」
周りにいた観客の女子が、御堀のセリフに息を飲む。
御堀は一歩、バルコニーへ近づくと幾久を見上げて訴えた。
「そそのかしたのは、そうだね、言うなれば恋の神、キューピッド」
そうして跪き、幾久を見上げた。
「あなたを見つけたのはそのせいだ」
互いにじっと見つめあう。
そうして御堀はすっと立ち上がると、トラウザースの膝についた埃をはらう。
その音に全員が我にかえり、いつの間にか拍手が起こっていた。
ぱちぱちという拍手の中、御堀はぺこりと頭を下げ、女子たちに向けて言葉を出した。
「報国院の演劇部です。今年行う舞台の『ロミオとジュリエット』のシーンをさせていただきました。ご覧のとおり、僕がロミオ役で、バルコニーの彼がジュリエットを演じます。ウィステリアの皆様に、是非ご覧になって頂きたいと思い、今日は宣伝に来ました」
すると拍手が一層大きくなった。
御堀が軽く、手を挙げると、拍手が止む。
「今年は例年と違い、他の学校には桜柳祭の入場チケットを学校単位で配らないことになりました。ウィステリアは報国院と姉妹校なのでそんなことはありませんが、その為、舞台のチケットが売れるかどうか判りません。どうかウィステリアの生徒の方に、優先的に見ていただきたいと、僕達は思っています」
そうして御堀は幾久を見上げ、「ね」と言う。
幾久も慌てて、「あ、うん、じゃなくて、はい!」と叫ぶ。
御堀は続けた。
「ですのでどうか、皆さま、チケットを買って、僕達の舞台を見に来てください。よろしくお願いします」
御堀がぺこりと頭を下げたので、幾久も慌てて「よろしくお願いします!」と頭を下げる。
と、拍手がいくつも起きて、わーっという歓声が上がった。
「私、絶対に行く!家族もつれてく!」
「いまのロミジュリ、めちゃくちゃ良かった!絶対に見るね!」
女子たちが御堀に迫ると、御堀はにこっと微笑んで告げた。
「お待ちしています」
するとそこに居た女子たちが、途端「あたしもチケット買う!」「あたしも!」と、御堀の手を握り握手を求めてきた。
一人がはじめると、わっと人だかりが出来てしまう。
女子に囲まれた御堀を、幾久はどうしようとうろたえていたが、杷子が言った。
「バナナ、出番よ」
「オッケー任せて」
言うと、大庭は部室を出て、ばたばたと階下へ降りていく。
女子たちにもみくちゃにされている御堀に近づくのだが、あれをどうやって片づけるのだろうか。
「わこ先輩、」
「慌てなさんないっくん。大丈夫よ。見てな、うちの部長の実力を」
ふふんと得意げに杷子が言う。
はらはらとバルコニーから御堀を見ていると、大庭が御堀に近づいて行った。
すると大庭はスカートを持ち、まるでマントのように広げると、従者のように胸に手を置きうやうやしく頭を下げた。
「王子、時間でございます。どうかお戻りになりますよう」
ハスキーボイスの通る声に、迫力のある雰囲気、高い背が一層雰囲気にあっていて、本当にそこに王子様の御堀と、従者が居るように見えた。
「お嬢様がた、どうか、王子をこちらへ戻していただけますか?」
キラキラしたイケメンに微笑んでそう言われたら、いくらスカートをはいていても女子は逆らえないらしい。
御堀の腕をひっぱっていた女子は、大庭のイケメンオーラにすっかりやられ、「あ、ハイ」などと顔を赤くして御堀からするりと手を離した。
御堀はさりげなくその場から静かに去り、そうして大庭は女子たちに向かって微笑みながら頭をもう一度下げた。
「どうもありがとう、お嬢様方、わがウィステリアの乙女たちに栄光あれ!」
大庭が言い、踵を返すと、わーっと女子たちの拍手がおこり、やっぱうちの部長カッコいい、いや、報国のロミオでしょ、あたしジュリエットの子応援する―とマイペースできゃあきゃあ騒ぎ始めた。
幾久は杷子に腕を引っ張られ、そうしてそそくさともとの部室に戻ったのだった。
「あーもう、びっくりしたぁ」
御堀をなんとか救い出した大庭は、ソファーにどっかり腰を下ろし、杷子はとなりでぱちぱちと拍手していた。
「いやーさすが部長!見事に王子を救出されましたなあ」
「盛り上がりすぎだわ。コリャ大変になるぞ。チケットは売れそうだけどね」
そこで幾久はやっとほっとして、「よかったぁ」と胸をなでおろした。
「いっくん、全然下手じゃないじゃん。むしろ上手いくらいよ。声出てたし」
杷子の言葉に大庭も頷く。
「そうだよ、あれだけ声出てたらもう合格よ。ちゃんとお腹から出て響いてたし」
「そ、そっすか?」
発声は嫌になるほど先輩たちにやらされていたからちょっとはマシになったのかもしれない。
「でもなんか、稽古と今日って雰囲気違ったっす。すごく場所に助けられたっていうか」
幾久の言葉に大庭が、ああ、と頷いた。
「そういうのあるよ。場所とか衣装とかで、全然自分の気持ちが違ってくるの。メイクもそうだよね」
「わかるぅ!コスしてても、着替えたりカツラつけたらまるっと気分変わるもん」
杷子もうんうんと頷く。そっか、と幾久は笑った。
「この場所のおかげっすね」
「それだけじゃないよ」
御堀が呟いた。
「ありがとう、応えてくれて」
「そんな。御堀君はオレのためにやってくれたのに」
どう考えても、御堀は幾久に勢いをつけさせるためにやったのは判っている。
あのままもし幾久がなにもしなくても、きっと御堀は幾久を責めたりはしなかっただろうけれど。
「ね、下手じゃないでしょう、彼」
御堀の言葉に、杷子も大庭もうんうんと頷く。
「むしろメッチャ楽しみになってきたよ!本気で全公演見に行くからね!」
「これで衣装とかつけたらどうなるのか、もう妄想だけでご飯食べられる」
ふわーと杷子がうっとりしていると、突然ドアがガンガン叩かれ、いきなり女子が入ってきた。
驚いてみると、さっきお茶を持ってきてくれた女子だ。
「やばい杷子。他部の連中が、二人に会わせろっていま旧校舎前でもめてる」
「え?」
「ロミジュリのチケット直接買わせろって」
「いやいや、だってまだ出来てないしあるわけないじゃん」
大庭が呆れるが、女子が言った。
「理由はなんでもいいのよ。とにかくスゴイの。窓、あっちから見えないように近づいてみてん」
え、と窓にそっと近づくと、声が聞こえた。
ロミオ出てきてー!ジュリエットくーん!という歓声が聞こえる。
ね、という女子に全員が頷く。
「一応ここは部室がある人以外、立ち入り禁止だけどこれじゃあここに来るのも時間の問題よ。ほかの文化部が侵入止めてくれてるけど」
どうする、という女子に、大庭と杷子が顔を見合わせる。
「どうしようか杷子」
「まさかここまでとはねえ」
どうする、と頭を抱える二人に、女子は告げた。
「とにかく、もうしばらくはうちらで押さえるから、その間になんとかしてその二人、逃がしてあげて」
そういうと女子は部屋を出て行った。
杷子はドアに鍵をかける。
「さーて、どうしようか」
「出口は他にないんですか?」
御堀の問いに大庭は首を横に振った。
「ないね。正面玄関だけが入口出口。あそこ以外は窓しかないよ」
「えぇ、だったらオレら、逃げらんないってことっすか?」
「そういうこと。ここは二階だし、窓からも出られないし、出口は正面玄関のみ、しかしすでに人が来ている」
「詰んだってことっすか?」
まさかあの女子の中でもみくちゃにされながら出るとか、しかも幾久が帰るのは近くの御門寮だ。
「やばい」
焦る幾久にさすがに御堀も困った様子を見せた。
「どーする杷子」
「どーもこうも、こうなったら最後の手段っしょ」
大庭と杷子が顔を見合わせる。
「ど、どーするんスか?」
「最後の手段で脱出する」
「え?」
最後の手段っていったいなんだ?と思っていると、杷子が部屋にある掃除道具の収納ドアを開けた、と思ったが。
「わこ先輩?」
「二人ともくつ履いて。おいで。こっち。早く!」
杷子に手招きされ、幾久と御堀は杷子に近づくと、収納用の扉と思い込んでいた小さなドアの中にあったのは実は階段だった。
「バナナ、あとフォローと連絡、よろ!」
「まっかせて!」
そう言って大庭は笑っているが、幾久は立ち止まった。
「先輩は?」
「残るよ。そうしたら時間が稼げるから」
「でもそれって、ヤバいんじゃないんですか?オレらのせいなのに」
幾久の言葉に、大庭はウィンクしながら王子様さながらに幾久に告げた。
「可愛いジュリエットの為になら、いくらでも犠牲になってやるよ。ロミオ、」
呼びかけられた御堀は顔を上げた。
「ジュリエットを守ってやって」
「判りました」
「かぁーっこいい、大バナナ」
杷子が茶化すが、幾久は心底かっこいいと思った。
「茄々先輩、無事でいてください!」
幾久が言うと、大庭はきりっとした顔で答えた。
「命に代えても、わが君」
そうして扉をばたんと閉めた。
真っ暗な中、杷子が閉じられた天井の蓋を開けた。