百千鳥(ももちどり)
講堂は古かった。
というか、アンティークとでもいうのだろうか。
木造だけど立派なつくりで、天井も高く大きい。
以前観光で行った神戸の外国人居留地の、あの家のでかいバージョンみたいだなと思いながら中に入り、そこで幾久は仰天する。
「へっ?」
驚きすぎてへんな声が出てしまい、慌てて口を閉じる。まだ式の始まらない講堂内はざわついているが、その原因は絶対にこの様子に違いない。
(一体なんなんだよ、この学校は!)
講堂自体は、別におかしくない。ただの、こう、明治な雰囲気のある、木造で、アンティークな、お洒落な建物だ。
中はモダンというのか、和洋折衷で、それも別にいい。
しかし。
しかしだ。
(入学式って、普通椅子じゃねえの?!)
幾久が驚くのも無理はない。
講堂はまるで広い大きな寺のように、どーんと一面が畳敷きで、しかもそこに敷いてあったのは座布団だった。
新入生はざわつきながらも、座布団をあまり踏まないように歩き、指定された場所に座っている。
場所はクラスごとに分けてあり、その中で更に寮でわけてあるらしかった。
正面に落語の時に見るような演目の書いてあるものがあり、そこに寮の順番が書いてある。
幾久の鳩クラスは『報国』や『恭王』などがあり、一番最後が幾久の『御門』だった。
(出席番号、とかじゃないんだ)
一番最後なら、どこに座ったほうが、とか考える必要はない。
何も考えずに鳩の一番後ろに座ってればいいや、と幾久は一番後ろの座布団に座った。
式が始まるまで、あと十五分程度ある。
知り合いは誰もいないし、暇だ。
さっき貰った紙袋の中にあった校内図やパンフレットを見ていると、声をかけられた。
「隣、大丈夫?」
顔を上げると、そこにはちょっと太め、というか、いかにも柔道やってます、みたいながっしりとした体型の子が居た。
「あ、大丈夫っす」
「アリガト」
にこにこと笑って幾久の隣に座る。
まだ時間があるからなのか、胡坐をかいていた。
(どこの寮なんだろ?)
聞いてみようかな、と思っていると、幾久の隣に座った人が逆に尋ねてきた。
「御門?」
そう尋ねられ、うん、と幾久は頷いた。
「御門なのに、鳩なんてめずらしいのな」
「それ、寮でも言われた」
「だろうな。普通は鳳だ」
「みたいだね」
答えていると、相手が手を伸ばしてきた。
握手を求めている、と判って慌てて手を伸ばした。
「俺、伊藤俊文。よろしくな」
「あ、よろしく。乃木です」
「ノギイクヒサ、だろ?」
「え?知ってるんですか?」
幾久の問いに、伊藤は頷いた。
「有名だもんな」
有名、と言われてどきっとする。どういう意味で、なのだろうか。表情をこわばらせていると、伊藤が勝手に喋りだした。
「お前、御門っていいよな。俺も御門に入りたかったけど、鳳じゃないからダメって言われてさあ」
「え?そうなの?」
入りたいなんて意外だ、と幾久は思った。
あんな寮らしくない寮なのに。
「鳩でも入れるなら、俺も御門いきてえ」
「あんまいいもんじゃない、と思うけど」
なんたって先輩達がちょっとかなりアレすぎる。
おまけに部屋がいまだに決まってなくて夜は皆で雑魚寝だし。
しかし伊藤は言う。
「えー?いいじゃん、だってハル先輩いるんだし」
「え?ハル先輩の事知ってんの?」
「なんでお前、ハル先輩とか呼んでんだよ」
いきなりすごまれ、幾久はびっくりして思わず後ずさる。
「なんでって、だってそう呼べってハル先輩が」
オレは悪くないぞ、と幾久は思う。そもそも本人が強制したのだから、凄まれる筋合いはないはずだ。
と、伊藤の表情が急に温和になった。
「あ、そーなの。じゃ別にいいか」
どうも話を聞くと、伊藤は高杉の事を尊敬?しているらしい。
どんな関係なのだろうか、と尋ねようか迷っていると伊藤が自分で説明した。
「ハル先輩は俺の習い事の先輩。俺、ハル先輩の事すっげえリスペクトしてるからさあ」
「へー」
これも意外だ、と幾久は思った。
線が細い高杉と、全身から体育会系の雰囲気を出している、ガチムチな伊藤では随分とタイプが違う気がする。
「へーって、お前、ハル先輩のすごさが判んねーの?あんなにすごいのに!」
「なにがどうすごいとか、二三日じゃ判らない」
正直に言うと、伊藤は、うん、まあ、そっか、と納得した様だ。
悪気はないのかもしれないが、単純なのかな?と幾久は思う。
「まあそのうち判るって。ハル先輩はほんっとすごいんだからな」
「そ、そう」
よくわからないが反論しても面倒そうだし、と幾久は適当に合わせておく。
「そういえば、伊藤君は寮、どこなの」
「トシでいいって」
随分と親しげだな、と思ったが「みんなそう呼ぶから」との言葉で、その方がいいのか、と納得した。
「トシはどこの寮?」
「俺?俺は報国」
「えー?そっちのほうがいいじゃん!オレ、報国寮が良かったんだよね!」
「えー?だってフツーじゃん。殆どが千鳥の奴ばっかだしさあ、つまんねえよ」
千鳥、はこの学校でも一番下のランクのクラスのはずだ。
しかしその分、人数は多く、そのために入学式も午前中に先に終わったと聞いたが。
「千鳥って、そういえばそのクラスの人だけ御門にいないんだよね」
幾久が言うと、伊藤がぶはっと噴出した。
「おっめ、面白いこと言うんだな」
「なにが」
少しむっとして言うと、伊藤が「本当になにも知らねえのな」と楽しそうに説明してくれた。
「御門って、本来あれだ、エリートしか入れない寮だぞ。つか、鳳クラスしかいねえっていう感じなのが普通なんだよ」
「でも、三年生に鷹の人も居るし、オレ、鳩だし」
三年の山縣は鷹、つまり鳳の次のクラスだったはず。
幾久は更にその下の鳩。確かに二年生の三人、高杉、久坂、栄人は鳳だが。
「だから、そっちのが珍しいんだって。御門で鷹つったって、鷹落ちだろ?」
「鷹落ち?」
なんだそれ、と首を傾げていると、得意げに伊藤が言う。
「鳳から鷹に落ちるのを、鷹落ちって言うんだと」
「へー、そうなんだ」
いろんな言い方があるもんだな、と感心する。
じゃあ山縣は鳳クラスから、鷹に落ちたということだろうか。
「千鳥って、ほんっと、どーしようもねえ馬鹿ばっかりだぞ。そんな奴ら鳳と一緒にしてたって、互いにいいことねえよ」
「ひどいこと言うなあ」
そこまで言わなくても、と幾久は思うが伊藤は言う。
「ちっともひどくねーよ。名前書けりゃ合格とか、絶対にやべえに決まってんじゃん。やべえくらい頭悪いとか、やべえくらい勉強する気ねえとか。まあこの前までの俺の事だけど」
そういえば、と幾久は思い出す。高杉も、この学校のOBの父も、『名前を書いただけで入れるのは千鳥だけ』と言っていた。
幾久が試験を受けた日も、幾久以外の全員が名前を書くだけで試験を終わらせていた。
(ってことは、あの人ら全員、千鳥ってことか)
「俺もさー、最初は千鳥でいっかーとか思ってたんだけど、ハル先輩から『千鳥から鳳はまず登れない』って言われてすんげー焦って、そんで馬鹿なのに無理矢理勉強してさ、なんとか鳩にもぐりこめたって訳」
「千鳥から鳳って、そんな無理、なの」
確かに最低のクラスから最高に上がるのはかなり難しいとは思うが。伊藤が顔を上げて言う。
「無理無理無理!絶対に無理っていうくらい無理なんだと」
「そんなにいないの?」
「そんなに。まあ確かに話聞いたらそうなんだよな。名前書けばいいレベルから一気に市内トップクラスとか、相当勉強するか、もしくは元々、頭良くないと無理だろ」
市内トップ、というのがまた幾久には判りにくい。
東京に居た幾久にはその凄さが判らないからだ。
(全国模試でどんくらい、とか判ったらいいのに)
「入学して千鳥だったら、最初から遅れをとるから、もし鳳に来る気があるなら最低でも鳩に入れってハル先輩に言われて、勉強見てもらったりした」
「怖そう」
入試の日、いきなり蹴られたことを思い出してぼそっと言うと、伊藤が「わかるか?」と食いついてきた。
「ああ、うん、ワカル。ハル先輩、ちょっと怖い所あるよ」
いい人とは思うけど、と言うと伊藤も頷く。
「そうなんだよ!いい人なんだけどこえーんだ!なんかすっげ迫力あるし、目ヂカラもすげーじゃん!睨まれてるみたいだし」
「まあ、確かに」
高杉の目は切れ長なので、確かに冷たそうな印象はある。
「勉強もすっげえスパルタだし。お陰で鳩に入れたからそれは良かったけど」
「鳩と千鳥ってそんなに違うんだ」
「俺がハル先輩に聞いたのは、『千鳥の一年は中学のおさらいだから、一年の最初で千鳥の時点でもう手遅れ』だって。高校の勉強は鳩からでないとやんないって」
「そんなレベル?」
驚いて尋ねると伊藤が頷く。
「だから千鳥はやべーんだって。俺もだからすげーがんばった。無理かもしんねえけど、三年間で一回くらい鳳になりてえ。略綬欲しいし、ネクタイしてえし」
「略綬?」
制服を着た時に栄人も同じ事を言っていた。確か、『がんばったで賞』のバッヂだとかなんとか。
伊藤が幾久のジャケットの胸部分を指していう。
「ここにさ、あんじゃん。学年とか寮とかの。お前がここにつけてるやつ。これが略綬」
校章の下に並べてつけてあるバッヂの事のようだ。
「自衛隊とか軍隊とか、いちいちでっかい勲章つけらんない場合につけるのと同じで、報国院も生徒に全部この略綬つけさせてんの。俺らがつけてるのが、一年の鳩の略綬、あと寮のな。お前とは寮が違うから、これは違うだろ?」
「本当だ」
言われて気付く。
確かに伊藤の胸のバッヂはひとつは幾久と同じだが、寮の部分はデザインが違う。
「御門に入ったのはお前一人だから、一年ではお前しかそれつけてねえぞ」
いいなあ、と伊藤はまた言う。
「俺も学期終わりには希望出すけど、鳳じゃないと無理だろうなあ」
「そんなに入りたいんだ」
「入りてえよ。つか、俺、ハル先輩と一緒がよくてここ選んだし」
すごい好かれてるんだなあ、と感心する。
(そういや久坂先輩も、だっけ)
夜に高杉にキスをしていたのを思い出し、幾久はげんなりする。
高杉って男にモテるタイプなんだろうか。
「本当はフェニックスとかなってみてえけど、絶対に無理だし」
「フェニックス?」
「あ、千鳥からいきなり鳳に行くとな、フェニックス、って言う名称がつくんだと。フェニックスなんとか、みたいな」
「嬉しくないね」
最低クラスから最高クラスに移動なのに、その茶化したような名称はないだろ、と思う。
「でもすげえよ、まずそんな奴いねえし。俺が聞いたのも、十年くらい前からもうフェニックス、出てないっていうし」
「フェニックスが出たとか」
変な表現、と幾久が笑っていると、放送のスイッチが入り、がさがざとマイクの音がした。
「始まるみたい」
「だな」
伊藤と話している間に、いつの間にか人は揃っていたらしい。講堂内は新入生だらけで、もう座布団が見えない状態だ。父兄は新入生の後ろに立っている。
(立たされるんだ)
びっくりしたのが、本当に父兄が殆ど男、つまり父親で占められていたことだ。
中には高校生の父親にしては若すぎる人や、どう見てもおじいちゃんでしょ、という年齢の人も居た。
父兄が立つか座るかは自由らしく、けっこうフリーダムな感じだ。
(ほんと変なの)
そして来賓席を見て、あれ、と思う。どこかで見たことのある人が座っている。
「一同、正座」
マイクから聞こえた声に、新入生があわてて正座する。
しゃん、と背筋を伸ばし、正面を見据えた。
そして入学式が始まった、のだが。
幾久はまた、ここでこの学校に何度も驚く事になった。