どんくらいヤバイかって言うとマジヤバイ
「ポスター大丈夫かな」
杷子が真剣な声で言うと大庭は首を横に振った。
「ぶっちゃけこれ、無事だって言えないよ。正直、あっという間になくなるかも」
ポスターすら外されるほどダメなのか、と幾久はがっかりどころじゃなく本気で落ち込んでしまった。
(せっかく作って貰ったのに)
最初から幾久を参加させたのが、そもそも無謀だったのだ、と思ってもこれまで頑張ってきたのも嘘じゃない。
努力すればなんでも叶うとは思わないけれど、そこそこやれるようにはなっているし、形になってきてるんじゃないのかな、と思っていた自分がバカみたいだ。
今更、どうすればいいのだろう。
もっと有能な人に任せるべきじゃなかったのだろうか。
「御堀君、ごめん」
「?何が?」
「オレのせいで、迷惑かけて」
「迷惑?乃木君が?」
御堀は不思議そうな表情で幾久に尋ねた。
「乃木君に迷惑なんかかけられてないよ?」
「でもこんな駄目出しくらってるのに」
駄目出しという言葉に幾久以外の全員が首を傾げた。
「え?いっくんどしたん?」
「駄目出しって、なにが?」
杷子と大庭が首を傾げるが、すっかり落ち込んでいる幾久はため息をつきながら答えた。
「だって先輩ら、さっきからオレがヤバいヤバいってずっと言ってるじゃないっすか」
「ヤバいよ?」
「うん、めっちゃヤバい」
「ほら!じゃあヤバいんじゃないっすか」
「そーだよ。だからどうしようかって今相談してるとこじゃん」
「どうにかしないと、ポスター下手したら今日ももたないかもしんないし。マジでどうするかっていう」
「……そこまでそのポスターがヤバいってことじゃないっすか」
「だからさっきからそう言って」
御堀が静かにため息をついて、はっきり告げた。
「ちょっと全員、一端黙って」
幾久、大庭、杷子の三人はぴたっと口を閉じ、御堀はやや呆れ気味で言った。
「乃木君、自分が何て言われてるって思ってる?」
幾久は答えた。
「オレがヤバいって」
「その『ヤバい』は、下手って意味?」
「それ以外に何があんの?」
はっきりと大庭も杷子も、幾久が『ヤバい』と言っているではないか。
「じゃあ、大庭先輩、杷子先輩?」
「はい」
「はい」
ぴしっと二人が背筋を伸ばした。
「お二人の『ヤバい』の意味は、『いい結果が生まれる』っていう意味ですよね?」
「それ以外に何があるの?」
「さっきからそう言ってるじゃないの」
そう大庭と杷子が言うと、幾久が「え?」と言い、大庭も杷子も「え?」「え?」と顔を見合わせ、御堀はやっぱりな、という顔になって肩を落とした。
つまり、大庭と杷子が言う意味は、『人気出過ぎる、ヤバい』という意味で、幾久が考えていたのは『お前なんかにジュリエット役ができるわけがない、ヤバいわ』という意味だったと御堀に説明され、互いが互いに驚いていた。
「そんなん判るわけないじゃないっすか……」
幾久の言葉に杷子も大庭も首を傾げた。
「あの流れでどうしてディスられてるって思うの?」
「そうそう、誉めてんじゃん!」
「わかんないっすよ……」
幾久は落ち込みからまだ戻ってこれない。
誤解だと教えられても傷ついた気持ちはそう戻るわけでもなく、意味がなくてもやっぱり落ち込む。
「ただでさえオレ、めちゃくちゃ叱られてばっかりだし、へったくそだし、そんな見た目までアウトとか、手だけでもダメとか」
「誤解誤解誤解!そんなわけないでしょ!」
慌てて大庭が首を横に振る。
「いっくんがジュリエットって、絶対、絶対にカワイイに決まってんじゃん!もう絶対に全舞台見に行く気満々なんだけど!」
鼻息荒くそう告げるも、一度いじけた幾久の気持ちはそう簡単に戻らなかった。
「フォローあざす」
「もー!違うってば!」
大庭が必死に言うも、幾久はぽつりと言う。
「だってオレがどんだけ下手か、先輩ら知らないじゃないっすか」
「そういえばそうね」
「たしかにそうだわ」
盛りあがっていた大庭と杷子は幾久の言葉に一応は納得してみせた。
すると何を思ったか、御堀が告げた。
「だったら、やってみせたらいい」
「え?」
「乃木君は下手じゃないし、気にするほど酷くもないと僕は思う」
「……けど」
御堀がこんな場で嘘をつくとは思えないが、かといって全く自信のない幾久にはそれが全部本気で本当とも思えない。
しかし、大庭と杷子の2人は頷いた。
「いや、やってみたら確かにいいよ」
「そうそう、百聞は一見にしかず!見たら判るんだし!」
じゃあ早速、と大庭が立ち上がろうとすると、御堀は窓際に歩いていくと、外に向かう掃出しの窓を開けた。
「御堀君?」
「ここ、バルコニーあるんですね。出ても大丈夫ですか?」
御堀が尋ねると、杷子が頷いた。
「うん、平気よ。そこもうちの部の管轄。時々、ここで発声もするし」
「判りました。じゃあ、乃木君、ここで待っていて」
「へ?」
バルコニーの手すりを軽くたたき、御堀が言った。
「乃木君が下手じゃない証明をするよ」
そう言ってにっこりとほほ笑み、御堀は部屋を出て行った。
「御堀君?」
首を傾げる幾久に、大庭と杷子は二人顔を見合わせて、目を輝かせた。御堀が何をしようとしているのか、気づいたからだ。
2人はバルコニーに置いてあるガーデン用のテーブルと椅子へ移動して、腰を下ろす。
幾久は一人、バルコニーでどうしよう、と不安げに立っていると、バルコニーに男子生徒がいることに気づいた女生徒が不審に思ったのか、こちらを指さして近づいてくる。
「あのっ、先輩、なんかオレ、指さされてるんすけど、ひょっとして不審者扱いされません?」
「そりゃ今のままならね。ここ女子校だし、誰もいっくんの事知らないし」
「ちょ、ヤバいッっすよ、オレ隠れて」
「ばぁか。いま隠れたらかえって目立つでしょ。ちょっと待って」
広いバルコニーに置いてあったテーブルセットに腰を下ろしていた杷子と大庭の2人が立ち上がり、幾久のそばに近づいた。
「わこぉ?」
グラウンドから幾久に気づき、近づいてきた女生徒が杷子に声をかけた。
「はーい、お疲れ―」
「それ誰?杷子の弟?報国の子だよね」
「彼氏の後輩―、桜柳祭の舞台チケ、うちに売りにきてんの」
幾久を軽くたたき説明すると、下に居る女生徒が幾久に声をかけた。
「かわいーじゃん、あたしチケットかったげるー」
(か、かわいいって)
女子に言われて幾久は照れた。
「あ、ども……」
小さく会釈した幾久に女生徒はキャー、と声を上げた。
「なに一年生?かっわいい!照れてるー!」
その声に他の女子が集まってくる。
「バナナ―!下から見たらめちゃイケメンー!」
「はぁい」
ひらひらと大庭が手を振ると、ノリがいい女学生たちがキャー、と楽しげに声を上げた。その声に、なになに?と他の女子生徒も集まってくる。
声を聞いた、他の部室の文化部の女子も、窓から覗きこんだり、外に出てきたりしていた。
スカートなのに窓から出てくるツワモノまで居た。
と、騒いでいた女子たちが一瞬静かになった。
御堀が出てきたからだ。
煉瓦造りの旧校舎の二階のバルコニーに向かって御堀が幾久を見あげている。
女子たちは御堀の外見と雰囲気にすっかり飲まれ、なに、報国の子じゃん、かっこよくない?とざわざわしはじめる。
中には友人に教えるためにスマホを取り出して連絡を取り始めた子もいたり、ちょっと遠くに居る友人に声をかけに走り出す子も現れた。
なんだか面白そう、なにか始まりそう。
そんな空気を察した生徒たちは、急ぎ情報の共有をはじめ、かたっぱしから声をかけ始めた。
旧校舎のバルコニー前に報国院のイケメンがいるよ!という言葉を聞けば、それだけで皆走り出した。
「御堀君?」
じっと幾久を見上げる御堀を覗き込む。
と、御堀はあたりをぐるっと一瞥した。
女子たちは御堀の周りを二メートルあたりの距離を取って囲み、様子を見ている。
その円は御堀が移動すれば、きれいにそのまま移動した。上から見ている幾久にとってそれは圧巻の光景で、御堀君なんか凄いな、と感心していた。
御堀は肩を二度、上げ下げして小さくため息をつく。
そしてぐるりとあたりに居る女子たちを見ると、静かに微笑んで小さく会釈する。
おもわず女子たちは会釈を返し、にこっと微笑んでおしゃべりがだんだん静かになっていく。
静けさと比例して、女子たちはどんどん増えていく。
上から見ている幾久にはだんだん怖くなってくるのだが、御堀は平気な表情だ。
御堀はすう、と息を吸うと、バルコニーに立っている幾久を一瞥し、手を伸ばした。
「―――――もう月に仕えるのはおよしなさい。ねたみ深い月に仕えても衣装はお仕着せの青白い貧血のような色、さあ、その服を脱いで捨てて、ここへ来て。君は僕の恋人だ、この思いがせめて届くなら。君の瞳がもし天にあれば、その輝きも君の頬の美しさで、見えなくなるに違いない。君、今、頬杖をついたね。君の手袋になれば、君の頬に触れられるのかな」
ロミオとジュリエット、あまりに有名なバルコニーのシーンだ。
まさか、御堀はいきなりここで、あのシーンをやるつもりなのか。
いや、実際こうしてセリフを綴っている。
幾久をじっと見つめる御堀に、幾久の全身が泡立った。
どうしよう、という不安が湧き、一気にぞっとした。
どうしようもなにもない、このまま幾久が怖気づいてなにもしなければ、御堀をたった独り道化にしてしまう。
幾久は意を決し、御堀から目をそらした。
わかりやすいように、わざとそっぽを向いてひじをついた。
まだジュリエットは、ロミオの存在に気づいていないシーンだ。
「―――――ロミオ、」
御堀は微笑んで、バルコニーでそっぽを向く幾久に向けて言った。
「そう、僕の名前をもう一度呼んで。君の美しさに皆、目を丸くするだろう、僕の天使」
御堀の言葉に誰かが小さくきゃ、といいかけ、皆息を飲んだ。
幾久のセリフだ。
「ロミオ、どうして君はロミオなんだ、家との縁を切ってその名前をどうか棄てて。それがもし無理なら」
幾久は息を吸って、苦しげに告げた。
「オレを愛するとだけ、誓って」
女子からキャーッと言う声が上がったが、幾久は影響されないように、御堀の雰囲気を必死で手繰った。
「君が誓えば、もうオレはキャピュレットではない」
御堀が訴える。ロミオのセリフだ。
「もっと君の声を聞きたい。話かけていいかい」
ジュリエット役の幾久が言う。
「オレの敵はモンタギューだけ、しかしそんな名前に何の意味がある?薔薇という名前の花の名前が別のものになったとしても、甘い香りに違いなどない。ロミオ、お前も同じだ、名前なんか棄ててくれ。その意味もない名前を捨てて、代わりにオレを奪ってくれ」
御堀が声を大きくし、幾久に向かって叫ぶ。
「奪うとも、仰るとおりに。僕を恋人と呼んで。それが僕の新しい名前だよ」
その声で初めて気づいたように、幾久はやっと御堀の顔を見た。
(―――――本当に、キラキラしてる)
バルコニーから幾久を見上げる御堀の、茶色に近い色の髪が風に靡いて、本当に輝いているように見えて幾久は目を見張った。
部室の中で焦りながらする演技と、この場所での演技はまるで違う気がする。
幾久はなんだか、大丈夫だ、という気が湧いてきて、思わず自分でも微笑んでしまっていた。そしてセリフを綴った。
「この耳はまだ、君の言葉をそんなに聞いてはいないけれど、でも声は覚えている、君はロミオだ、モンタギューのロミオだろ?」
「どちらも違うよ、いとしいあなた。どちらもあなたの敵の名前だ」
幾久は御堀に向かい、バルコニーから身を乗り出した。あたかもジュリエットがそうするかのように必死で訴える。
「どうやってこんな場所まで?塀は高くて登れないはず、それにお前の立場を思えば、うちは処刑場みたいなものだ、もし誰かに見つかりでもしたら」
御堀は恋をする青年のように、希望に満ちた目で胸に手を置き、幾久に訴えた
「塀なんて恋の翼で飛び越えてしまったよ。どんな石の壁だって僕の恋を阻むことはできやしない。君に会うためならどんなことだってしてみせる」
人がますます増え始めた。
面白そうなことをやっていると、皆が手招きしつつ、御堀を囲む円はどんどん大きくなり、遠くから御堀と幾久を見つめる人も居る。
部活を中断して見に来た運動部の姿もある。
どんどん人は増え始める。
幾久は御堀の目をじっと見つめた。