つらぬくんだ、僕らの、恋を(但し男同士のな)
まるで黒いレースのような装飾に見える黒鉄の門が開くのは、生徒が登校する朝と下校時間、そしてなにがしかの行事があるときだけで、大抵は閉じられたままだった。
門の隙間から覗くのは、広いグラウンドと庭園の美しさと、重要文化財にも指定してある、戦火を免れた地上二階建ての美しい英国風の煉瓦造りの建物だ。
美しい門、美しい校舎。
さすがに煉瓦造りの建物は、あくまで主要な部屋と特別な部活でしか使われておらず、本来の校舎は最近建てられた立派なもの、それでも外観は英国風であり、元々の煉瓦造りの校舎と無理なく融合していた。
長州市に存在する男子高校の報国院と姉妹校である女子高校の私立ウィステリア学園。
古くからの伝統である女子の制服は、地元の中学生女子の憧れではあったが、特殊な運営による授業料の支払いの違いに、親は頭を悩ませるのだった。
そしてここにも一人。
女子校どころか、高校に入って一度もまともに女子高生と関わったことのない高校一年生男子が、頭を悩ませながら、男子絶対禁制の、私立高校の前に立っていた。
乃木幾久である。
(……ほんっと、なんでこんな事に)
いくら土曜日とはいえ、部活があるので生徒はそれなりに居て、男子が珍しいのだろう、じろじろとこちらを見ている。
そして幾久だけならまだしも、隣に立っているのは誰がどう見てもかっこいい御堀だ。
視線を感じないはずがない。
いたたまれなくなった幾久は、門に隠れるように背をつけて、何度もスマホを見つめた。
(まだかな)
全く知らない、というかスマホ越しにしかしゃべったことのない人でも、この状況では幾久の救いの女神はこの人しかいない。
おろおろとしていると、着信が入った。
「もっ、もしもしっ!」
「はーい、到着したよお待たせ」
耳元と目の前で同時に声がして、幾久はばっと顔を上げた。
「あの、おつかれさま、っす」
「はぁい、おつかれぇっ、今日はよろしくね!」
にこにことほほ笑んでいる女生徒に、幾久はぺこりと頭を下げた。
ことの起こりは、昨日の放課後の事だ。
桜柳祭が近づいてきたものの、練習が思うようにはかどらず、希望者は昼食後、部室で自主練習するようになっていた。
主役級のくせに一番遅れをとっている幾久は、当然希望しようがしまいが、練習するしかなく、相手役の御堀もそれに付き合ってくれていた。
本当は御堀を巻き込むのは申し訳なかったのだが、本人は気にしないと言っているし、それに同じクラスの山田や三吉も喜んで参加しているので、言葉に甘えた。
結果、幾久の様子を見る二年の先輩である、久坂や高杉も参加することになり、幾久は毎日昼休みも放課後もスパルタな指導を受ける羽目になっていた。
そして今日も昼に特訓を受け、放課後もまた怒鳴られていた。
「幾久!堂々とせんか!」
「そんなん言われても」
「いいからセリフ!」
「はぃいっ!」
なんとか覚えたセリフを繋ぎながら、流れには追い付いているものの、スムーズにとは言い難い状態だ。
(一応、覚えは出来たんだよ、覚えは)
それなりにセリフを覚えた自信はあるのだが、いざ御堀を目の前にするとやはりまだちょっと緊張してしまって、時々セリフが止まってしまう。
自分でもかなり慣れたとは思っているし、御堀の雰囲気もやわらかくなったのだが、まだ完全に克服したとは言い難いようだ。
地球部の活動は毎日行われて、それはそれはスパルタだったのだが、明日は土曜日という金曜日の放課後の事。
「御堀、幾久。こっち来い」
高杉の号令に頷くと、部室の奥にあるソファーのある一角、通称応接間に呼ばれた。
「明日じゃが、二人とも午後は部活に出んでエエ。そのかわり、やってきて欲しい事がある」
なんだか嫌な予感しかしないと幾久は思うが、逆らうことも出来ないので大人しく話を聞くことにする。
「桜柳祭でのチケットの売り上げが重要なのは、二人とももう判ってると思うけど」
久坂が言い、幾久も御堀も頷く。
報国院の文化祭である桜柳祭は、毎年地域の人や他校の生徒でにぎわうのだが、その際の売り上げが重要な意味を持っている。
なぜなら、ある程度の補助はあれど、来年度予算は今年に作らなければならないからだ。
その為、確実な収入源になる予約チケットを売ることが重要になる。
食べ物でもなんでも、前売りチケットは安く販売し、当日券は高めになるが、そのおかげで仕入も計画的にできるし、内容によっては豪華なものに替えることもできる。
幾久の所属する地球部も当然チケットを発行するのだが、優先順位というものがあった。
高杉が説明した。
「まずは地球部OB。これは招待する場合がほとんどで、これに関しては気にしなくて良い。次が、本校のOB。こっちは学校で管理されていて、チケット代金は学校が立て替えてくれているので問題ない。そして現役生徒も格安チケットが出るけど、これも予約制だから気にしなくて良い」
「生徒からも金、取るんすか?」
幾久が驚いて言うが、久坂が答えた。
「生徒は前夜祭なら無料で見れるんだよ。桜柳祭に見たいとかって場合はわざわざ取らないといけないけど」
「ああ、そういう事か」
幾久はほっと胸をなでおろす。
さすがに同じ学校の生徒からお金を取るなんてがめつすぎる。
「そして重要なのが、ウィステリア学園じゃ。幾久は場所、知っちょるの」
幾久は頷く。
御門寮のすぐ近くに、私立の女子高校がある。行動時間が重ならないし、道路が反対方向なので、見はしてもすれ違う事もそうなかった。
「そのウィステリアが、報国院と姉妹校というのも、知っちょるの」
幾久も御堀も頷く。
最近はそうでもないが、昔はもっと交流があり、報国院の生徒の彼女と言えばまずウィステリアとなっていて、最近でもその傾向はある。
「あの学校での地球部のチケットを扱う窓口は、ウィステリアの演劇部となっちょる。毎年、うちから頼みに行くんじゃが、ただ普通に売るだけじゃたいした売り上げにゃならん」
「というわけで、君ら二人、ウィステリアで宣伝しておいで」
「は?」
「え?」
さすがに御堀も驚いて声が出た。
「や、だって女子校ですよね?オレら、入れないっすよね?」
確かウィステリアは相当厳しく、先生も殆どが女性だと聞いた。
「そのあたりもあちらに許可は取ってある。行って宣伝して来い」
「いやいやいやいや」
幾久は首を横に振る。
「だって女子校っすよ?無理っす」
「行って宣伝するだけじゃ。なにが無理か」
「オレには荷が重いっす」
「駄目。主役級の2人が宣伝に行くのは決まりだから」
久坂がにっこり微笑んで言う。となると、これは逆らえないということだ。
「お前ひとりならともかく、御堀がおるんじゃからどうにでもなるじゃろ」
「そうそう、二人でちょっと挨拶すれば、チケットバカ売れ間違いないから」
にこにこと笑って高杉と久坂が言う。幾久は尋ねた。
「あの、もしそれって、売上悪かったら、どうなるんスか?」
「そりゃ勿論」
「君らが支払うんだよ?」
「え―――――っ!」
叫ぶ幾久だが、久坂と高杉は飄々と答えた。
「当然じゃろう。今回の売り上げが来年の活動にかかるんじゃぞ?」
「僕らはきちんと今年の活動費を確保してるんだから、君らだってやんなきゃ」
「そうかもっすけど……」
しどろもどろになる幾久だが、隣で話を聞いていた御堀が尋ねた。
「先輩たちは、どのように宣伝されたんですか?」
「ワシらか?平日に許可とって、学校中にポスター張らせてもらった」
営業しながらの、と高杉。
「僕ら二人でね。おかげですごかったよ。女子たちが手伝ってくれたし」
そりゃそうだろう、この目立つ二人女子校内を笑顔をふりまいてポスターを張っていけばそりゃ皆手伝うし、舞台だって興味を持つに違いない。
「参考までに聞きたいんスけど、女子どうだったんすか?」
「貼り終った後もずっとついて来てたな」
と、高杉。
「そう、ポスター張り終わる頃には、ものすごい人数でね、寮に帰るわけにもいかなくて一旦学校に帰ったんだよ」
「うわあ」
やっぱりそんなだったか、と幾久は肩を落とす。
「そんなん先輩らしかできない荒業じゃないっすか」
「そうか?御堀がおったら可能じゃないか?」
高杉が言うが、幾久は首を横に振る。
「そんなん、先輩らならともかく、オレとじゃ御堀君の負担が増えるだけじゃないっすか!却下っすよ!」
自分もイケメンならその方法も使えるが、そうでもない幾久にとっては、御堀だけに負担が大きすぎる。
「それに、御堀君と一緒になんであんなブサイクいんのとか言われたらオレ立ち直れない」
「乃木君は不細工じゃないよ」
御堀が言い、幾久は「ありがと」と返す。
「御堀は気遣いが出来るヤツじゃの」
「本当に、いっくんにはもったいない相手だね」
「いや、それ舞台の上での話なんで。変な風に混ぜないでくれます?」
幾久はため息をつく。
どんなに文句を言っても、先輩たちの意見は絶対だ。
「どっちにしろ、明日、ウィステリアに行くのは決定なんすよね?」
「そうじゃ」
「そうだよ」
「わかりました。じゃあ、行くのは行きますけど、あんま期待はしないで下さい」
幾久が肩を落とすが、御堀は軽く手を挙げて尋ねた。
「先輩達、質問ですが」
「なに?」
「なんじゃ?」
「ポスターは、あるのですか?」
御堀の質問に、幾久はそっか、と気づく。この二人がポスターを貼ってきたなら、自分たちも同じように最悪ポスターを貼ればいいのかもしれない。
「勿論作っちょる。毎年、美術部の連中が作ってくれての」
「今年のも出来上がってるけど、見る?」
幾久も御堀も頷く。
高杉が近くにあった段ボールを開けた。かなり大きい包みだった。
「ほら、これじゃ」
「いい出来じゃん」
見せられたポスターは、恋人つなぎの手のアップ、ロミオとジュリエットの演目、チケットについての詳細、そして、煽り文句。
『つらぬくんだ、僕らの、恋を』