メン・イン・ブラックⅡ(1)
シックな落ち着いた雰囲気のレストランは、夜になっても穏やかな大人の客が多い。
おしゃべりをしやすい環境でも、立場をわきまえた人々は、声を小さめに楽しそうに話をしながら食事を楽しんでいる。
山縣は一人、定番の奥まった場所で、さっき買ったばかりの漫画を読んでいた。
待ち合わせの時間に遅れると連絡があったので、それはまあ構わないけれど、そろそろ腹減ってきたな、とメニューを貰ったところで待ち人は現れた。
「ごめん山縣、待たせた」
現れたのは私服姿の雪充だった。カジュアルなファッションの山縣に比べ、相変わらずお坊ちゃんっぽい、きちんとした格好だ。
「いーってことよ。丁度メシ頼もうかと思ってたし。お前もメシ食う?」
「食べる。昼からろくに何も食べてなくてもう倒れそうだよ」
そりゃそうか、と山縣は雪充に同情する。
(こいつ、忙しいもんな)
高杉以外に全く興味のない山縣だったが、雪充に関してはそこまで否定的でもない。雪充もまた高杉を助ける側の人間だからだ。
「ずいぶん待ったんじゃないか?」
悪かった、という雪充に山縣は「そーでもねえよ」と答える。
本来なら、今日は雪充はもっと早くここ、山縣との待ち合わせに使うレストランのあるこの北九州市に来るはずだった。
だが、桜柳祭の準備に忙しく、なかなか時間が取れなかった。
「どーせんなこったろ思ったし。ここならいくらでも時間潰せるし、用事もある」
オタクの山縣にとってオタクビルとも呼ばれる、ビル全体がオタクのための商業施設がみっちり詰まっている場所は何時間でも過ごせる。
いつものごとく買い物を楽しみ、漫画を買い込み、それを持ってこの店でお茶でもすすりつつ待っていれば時間は気にならない。
「おまえんとこの寮、ちったあ落ち着いたんか?」
山縣の言葉に雪充は苦笑した。
「……多少は、ね」
雪充が抱えている恭王寮では、春からずっとトラブル続きで、この最近それが揉め事になって表に出てしまい、結果、一年生が三人退寮することになった。
そのうちの一人、雪充が最も期待していた児玉は、山縣の御門寮へ移寮した。
「タマはそっちでうまくやってる?」
雪充の問いに山縣は「さーな」と知らんふりだ。
「一年同士、うまくやってんじゃねえの」
新しい一年など、山縣にとっては無駄なのが一人増えただけのことで、山縣の生活の邪魔にならなければどうでもいい。
「じゃあ、大丈夫そうだな」
ほっとした顔を見せるのは、やはり恭王寮の提督だからだろう。
「おめー相変わらずおせっかいなのな」
「性分でね。でも、うまくいきそうで良かった」
「それはともかく、そっちの寮は人増えんのか?」
恭王寮から三人減ったのなら、どこからか入ることもあるだろう。
「増えるよ。一年から一人、二年から一人。二人とも来てくれるそうだからちょっとは落ち着くかな」
「へー。良かったじゃん」
そっけない言い方だが、雪充は笑った。全く興味がないくせに、一応雪充に気をつかってくれているのが判ったからだ。
話しているうちに食事が到着して、二人はがつがつとそれを食べた。
食事の後、雪充は粒あんのどっさり入ったぜんざいを、山縣はケーキを注文した。
甘いものが大好きな山縣は、満足げにケーキを口に運ぶ。
「さすがにここまで食ったら落ち着くわ」
「そうだな。僕もやっと落ち着いたよ」
そうして二人は視線を合わせる。
これでやっと本題に入れるからだ。
甘いものをつつきながら、テーブルの上に山縣は書類を広げた。
「で、お前の言ってたヤツのデータな。報告しやすいようにプリントアウトしてきたわ。情報もまとめてあるから、中身確認して問題なけりゃ、そのまま提出してもおKだ」
「助かるよ」
言いながら雪充は山縣の出した書類に目を通す。
何枚もあるレポートに眉を顰め、ぼそりと呟いた。
「なんなんだコレは」
嫌そうな雪充の顔に、山縣は満足そうに答えた。
「ぜーんぶ見たまんまだぜ、優等生」
雪充は心底呆れた、という顔になって大きくため息をつく。
「なんでこんな醜態、晒しているんだ」
「そーれーが、今どきのSNSってやつの弊害な」
山縣が用意した書類にあったのは、幾久に見せた写真と同じものだ。
そこにあるのは、若い女性、つまり自分たちとおなじくらいの高校生女子が、下着のような露出の高いルームウェアを来て友人同士でポーズをつけている写真で写っている、までは別にいい。
いや、よくはないが、ほかにも出てくるのは女の子同士ではあるがキスしている動画の一部を取ったもの、飲酒、喫煙の様子が判る写真にどこかのいかがわしいホテルらしき場所。
おまけに男とどこに行っただの、何をしたかといういらない報告。
「こんなことしておきながら、瑞祥とハルに迫ってたのか」
呆れる雪充に、山縣は笑う。
「こんなことできるから、迫れるんだろ」
山縣の用意した書類にプリントされているのは、以前高杉と久坂につきあってくれと迫った二人組の女子だった。
女子の制服を幾久に尋ね、学校はどこだか判った。
栄人の知り合いらしいという情報から、そのあたりも聞きださせて山縣に調べて貰ったのだが、正直ここまでのネタを晒してくれているとは思わなかった。
「制服さらしてくれてっから、顔だけマジックで塗ってやりゃあっちの学校脅す材料にはなるだろ」
「確かにね。悪い意味で完璧だ」
「それにしてもさ、お前やっぱ過保護じゃね?いくら年下の幼馴染ったって、高杉も久坂ももう高2だろ?しかもあいつら頭いーし。なんでそこまでガードする必要があるんだ?」
他校の女子高生が、久坂と高杉に言い寄って、幾久がとばっちりを食らったことくらい山縣は当然ご存じだ。その女子高生が他の男子高校や専門学校生とコンパしまくりなのも、栄人情報で知っている。
雪充に情報を集められるか?と尋ねられたので、当然とばかりにそんじょそこいらのストーカー顔負けのスキルであっという間に情報をかき集めたのだが。
「するのはガードじゃない。攻撃だ」
雪充の言葉に山縣は驚いて顔を上げた。
「え?は?どこを?」
「他校。正しくはウィステリア以外、かな」
ウィステリア女学院は報国院と並ぶ、長州市の私立の女子高校だ。
報国院と姉妹校で交流もあり、先生は兼任されることもある。つまり、ウィステリア女学院だけは報国院にとっては別枠になる。
「ウィステリア以外を攻撃する?」
山縣の問いに雪充はうなづくと足を組み、腕を組んだ。
どっかりとえらそうに胸を張る、雪充の影の素がもろにでた。
「勿論」
「え?なにそれ、面白そうじゃん」
こうなった雪充を山縣は嫌いじゃない。むしろこういった雪充のほうが面白くて絶対に協力してやろうという気になる。
「おい、詳しく聞かせろよ」
わくわくと身を乗り出す山縣に雪充は冷たい目で言った。
「これまで桜柳祭での警備費が、かかりすぎてたんだよ」
桜柳祭は報国院で一番の盛り上がりを見せる、俗にいう文化祭だ。
その桜柳祭の実行委員で責任者を務めているのが雪充だった。
生徒の自主性に任せられる桜柳祭では、予算なんかも全部生徒が管理をする。
といっても予算を使い切ればいいわけでなく、後輩の為に来年度の予算を作らなければならないのだ。
「警備費のかかる原因が、結局他校の女子を入れるから、になるんだ」
「あー、ナルホド。わかりみ」
昔は家族や卒業生、地域の人にしか招待状を出さなかったのが時代が変わり、招待状は市内の他校生徒にも配られるようになった。
だが、人が増えれば売り上げは増すが出る金も増える。
学校という場所は隠れる場所が多いし、文化祭なんてものになればいつもと違って更に勝手が判らない。
そんなときに限って他校の女子の前でいい恰好をしようとして問題になったり、逆に他校の生徒がはしゃいで問題になったり、ここ数年は特に頭が痛くなるようなことが多かった。
「僕は最初から、他校、特に女子は入れるべきではないと思ってた。女子がいるとどうしてもバカどもがはしゃいで問題を起こすから」
「でもんなことしたらさー、男ばっかでくっさいばっかだし盛り上がらねーし、ジェンダー様から怒られるんじゃねえの。女子だけを排除するなんて、女子を差別する気か!ってな」
「女子が来るとうちの生徒がはしゃいで問題を起こすんだと言っても通じないからね。ってことは、他校全部を排除するしかなくなってしまう」
雪充は言うが、山縣は眉をひそめる。
「でもそれ、正直現実的じゃねえぞ」
桜柳祭は出入り自由ではない。チケットを販売しているし、現金のやりとりは経済研究部が管理している。
「むやみに拒否しても入る奴はいるし、そもそもチケット配らねーと人数確保できねえだろ?そうなると各部の売り上げも変わってくるじゃん。梅屋に反対されっぞ」
「そこは考えてある」
雪充はこそっと山縣に説明した。
「……!なるほど、そうすれば確かに名目上は問題ねーし、千鳥連中も黙るだろーな」
女子が来なくて一番煩いのは、普段はヒエラルキーの一番下に存在する千鳥だ。もし雪充が女子を全部追い出したらそれはすさまじい反対にあうだろう。
しかし、雪充のやり方なら、チケットを他校に配る必要はないし、そもそも千鳥は絶対に雪充のやり方の方が得だ。
「いいじゃんいいじゃん、そういう面白いのオレ大好き」
「それともうひとつ」
「まだあんのかよ」
「今回の桜柳祭では、生徒には儀礼用タイを着用させる」
「……まじかよ!バッジは?」
「名札と学年バッジがあれば充分だろ?クラス別のタイも禁止はしないよ。やりたけりゃ、勝手にやればいい」
報国院では成績別にタイの色が判れている。つまり、そのシステムさえ知っていれば生徒がどのレベルに所属しているのかがすぐに判る。しかしタイの色がなければ一目で生徒がどのクラスか理解するのは難しいだろう。
「なーるほど、うちの生徒を擬態させんのか。つまり女子からナンパしづれー環境作るつもりだな?」
「そうでもないだろ?狙った男がどのクラスか判らないようにするだけだし」
「はっ、それ充分邪魔じゃねーか」
元より彼氏ならともかく、そうでないなら狙った男がどのクラスなのか判らない。
肩書狙いの女子を混乱させるには十分という事だ。
「やるじゃん、で、そのタイのことは」
「生徒には前日連絡で充分だろ」
雪充の言葉に山縣は大爆笑だ。
「なーるほど、そりゃ当日混乱するわ。モテたい奴のあわてっぷりが楽しみになってきたは」
山縣にとってモテなど正直どうでもいい。だが、モテたいと思っている連中や、彼氏を作ろうと探しに来る女子どもが混乱するのは見てみたい。是非見たい。
「チケットの配り方とシステムを変えれば、多少の人件費はかかってもこれまでみたいに誰が誰か判らない、なんて無法地帯ではなくなる。幸い、人数だけは揃えられるんだ、人海戦術でやりきるよ」
「そりゃ、そのほうがいいに決まってら。入る前に規制かけたほうが、後々の管理は楽だな、うん」
「どうせ千鳥連中は暇持て余してるんだし、警備にまわしても問題ない」
ナルホド、これまで金をかけてきた分を生徒にさせるのか。
納得はできたが、山縣は生まれた疑問を雪充にぶつけた。
「でもそれじゃあ、サボるヤツ出てくんぞ?」
千鳥を侮ってはいけない。
鳳が桁違いの頭の良さなら、千鳥だって桁違いの頭の悪さを持っている。
ただのバカじゃない、とんでもなく優れたバカも存在するのだ。
「問題はそこなんだよ。どうやって千鳥に仕事をさせるか」
そこで、と雪充は山縣に尋ねた。
「なんかいい方法知らないかって思ってね」
「うーん」
雪充と山縣は所属する世界が全く違う。だからこそ、これまで御門寮でもそれこそ中学生の頃も、それなりに互いで互いの常識で持って相手に手段を教えてきた。
山縣はしばらく考えて、考えて。そして気づく。
「―――――SPだ」
「ん?」
「千鳥の連中にコスプレさせろ。SPならうちの制服プラス、メガネと小物でいける」
「……詳しく説明してくれるかな」
「おー。ちょっと待てよ」
そういって山縣はさくさくとスマホで検索し、雪充にSPの雰囲気イメージだけを教え込む。
「確かにうちの制服に革靴、サングラス、あとは髪をきちんとすれば、SPっぽいイメージができるか」
「実際に連絡を取る為に、インカムは用意したほうがいいな。雰囲気が出るし、サボりを防げる。奴らはこういう道具が大好きだしな」
頭は悪いが、いざというときの団結力と行動力は千鳥は群を抜いている。
遊びまくった結果、千鳥クラスに所属している連中もいるので、実はゲームにハマっている奴も多く存在する。
そもそも、山縣は最初から御門寮でも鳳クラスでもなく、報国寮に所属していたので、千鳥のことはなによりもご存じだ。
「山縣が言うなら間違いないだろうな。こっちは何を用意すればいい?」
「人数の把握が必要だ。警備の配置、流れも見ないとまずいし交代要員の事も考えてくれ」
「なるほど」
「休憩時間を近くで取らせる必要があるし、飽きて逃がさないためにも雰囲気を作ったほうが良い」
毎年警備員はそれなりに配置していたが、人件費はやたら高くつく。生徒でできるなら、それにこしたことはない。