メン・イン・ブラック(1)
【虎視眈々】
第162部分[過去のいじめられ告白]と第163部分[すれ違うふたり]の間に入るお話です。
山縣からの連絡に、雪充は急遽、実行委員の仕事を切り上げて目的の場所へ向かっていた。北九州の某駅。そこは賑やかな百万都市の中心地だった。
長州市からは電車なら十五分という、県外でもそう遠くないこの場所は、山縣のホームのようなものだ。
「ごめん山縣、遅くなった」
「かまわねーって。それよりこっちだこっち。先にちょっとつきあえ」
「うん?」
雪充は山縣にある店に連れていかれた。駅の裏にある方向へ進み、とあるビルをぐんぐん進んでいく。
にぎやかな大きな音と、まばゆいばかりのアニメグッズの数々。オタク関係のものが一同に集められた、通称オタクビルだ。
雪充は山縣に引っ張られるままにアニメショップに行かされ、グッズを持たされ、一緒にレジに並んでグッズを購入した。
山縣の買い物はすぐに済んだので、二人はいつもの店へ向かった。駅前から歩いて数分、落ち着いた雰囲気のその店は、長い歴史を持っていて、静かで過ごしやすい。
おまけに学生が来れるような場所ではないので、まず報国院の生徒に見つかることもない。
まるで古い格式の高いホテルのように上品なあつらえの店で、雪充も家族とよく利用していた。
最近では専ら、山縣と来るばかりだったが。
「限定のバッジ、一人3個までだったんだよー、いやー助かったわー」
山縣はうきうきとさっき買ったばかりのバッジを取り出した。中身の見えない銀の袋を開いては中身を確認している。
「お!やった、ボルケーノちゃんゲットォ!」
目指したものが手に入ったのか、山縣はガッツポーズだ。
「良かったな」
「おー、サンキュサンキュ。お前引きが良くて助かるわー」
ほくほくと喜びながら丁寧にバッジを袋に戻している。
「こういうのって欲がない奴のほうが絶対に引きいいんだよな、不思議なことに」
「手助けになったのなら良かったよ」
苦笑して雪充が言う。
「それより、一体なにがあったんだ?随分急だけど」
山縣と外で会うのは珍しいことではなかったが、こんなにも急に呼び出すのは珍しい。
山縣はお冷を一口飲むと、「いろいろあんだよ」と呟いた。
「オメー恭王寮ちゃんと管理しろや。いじめ発生してんじゃねーかよ」
山縣の言葉に雪充は全て悟り、肩を落すとため息をついた。
「面目ない」
「っつーことは、加害者も被害者もぜーんぶ判ってんだな?」
「ああ」
「じゃあとっとと始末しろや。うちの一年がしょんぼりしててウゼーんだよ」
ふんと山縣は鼻息をつく。
「いっくんが?」
雪充が驚くと山縣が「そーだよ!」と返す。
「なんだか凄いな。山縣が後輩の為に動くなんて」
感心する雪充に、山縣はバーカ、と返す。
「のんきな事言ってんじゃねーよ。寮の二年には内緒にしてくれって念押しして俺んとこ来てんだぞ。すでに四面楚歌なんじゃねーかアホか」
山縣の言葉に雪充は驚き、思わず背を伸ばした。
「いっくんがそんな事を?」
「でねーとお前なんか呼ばねー」
山縣はもう一口水を飲む。
「そうか……」
雪充は真剣な顔になる。あの、困ったことがあれば必ず高杉や吉田に相談するだろう幾久が、よりにもよって二年生に黙っておいてくれだなんて。
「どうして二年に内緒に?」
「さあな。多分だけど、お前に知られたくねーんじゃねえの」
山縣が言う。
「あいつは全く個人名出さなかったけど、話から察するに多分仲良しだっつうお前んとこの奴がいじめられてて、悩んだはいいけどお前が忙しいから黙ってて欲しいとか言われたんだろ。で、そうなるとお前とツーカーの二年にも相談できねー、で、俺にお鉢が回ってきたってことだな」
バッカだよな、と山縣は言う。
「どーせこうやって俺が言うのに」
雪充は苦笑して答えた。
「仕方ないよ。いっくんどころか、誰も知らないんだから」
山縣と雪充のホットラインは、もう三年目に突入する。最初は中学時代、高杉を助ける為に。偶然から始まった割には、何度もこんな事はあった。
「でもそうか。いっくんもそこまで悩んでいるのか」
雪充は申し訳なく思う。幾久は報国院に残ると決め手からはじまった中期を楽しそうに過ごしていた。
それなのに児玉の件が幾久を悩ませているのだろう。
「オメー、このままじゃ御門に戻れねーだろ」
「難しくなったかもね」
苦笑する雪充に、山縣は、舌打ちした。
「こんな事おこさせねー為に恭王寮行ったくせに、これじゃあお前、行き損じゃねーか」
「本当にそうだよ」
雪充は肩を素直に落す。説得させられて御門を離れたというのに、これでは雪充が恭王寮に入った意味がない。
「まさか、ここまで酷くなるとは思ってなかったんだよ」
完全に雪充の読み間違いなのだが、正直、ああまで児玉にあの元鷹と鳩が絡むなんて思ってもみなかったのだ。
いくら児玉が鷹に落ちたからといっても、どう見ても、あの二人より児玉のほうが格上だ。
児玉は長い間武術をやってきたせいもあって、そこそこ鍛えられているし、高校に入ってからはボクシングも始めた。本当はずっとボクシングをやってみたかったらしく、勉強の合間をぬってわざわざジムへ通っている。
根性論でなんとかしてきたせいで、勉強の要領があまり良くないが、素直に人の話を聞くのでコツさえ掴めばまた鳳に戻れるのは想像がつく。
だから、冷静に考えれば、鷹に入れたからと鳩に威張り、サボって遊んでいる連中と児玉の差があるのは明らかだ。
正直言うと、元鷹が鳩に落ちたときにはほっとしたものだ。これで少しは静かになるだろうと。
だが結果はその逆だ。
「ちょっと考えたら、他人と自分の差くらい理解できると思ったんだけど」
ため息をつく雪充に、山縣は再びバーカ、と言った。
「お前、赤根の件でまだこりてねーのかよ」
「……そうだった」
そういえば、昔赤根と山縣がもめた時もそんな風に思っていたことを今更思い出してしまい、結局自分はそう変わっていないのかと雪充は落ち込む。
食事が運ばれてきたので、二人は先に夕食をとることにした。
「お前、御門に帰ってくるつもりなら、もう恭王寮の事考えてる余裕なんかねーんじゃねえの」
山縣の言葉にそうかもな、と雪充は思う。
雪充が任されたのは、それなりにしか運営されていない恭王寮に秩序を持たせるという事だった。
恭王寮はその性質から、成績順ではなく鳩以上の大人しい子が優先的に選ばれて入れられる寮だった。
元々、皇族が使っていた戦前の建物を譲られたとあり、歴史的な価値があるものも多い。
壊されるわけにはいかないので、喧嘩にもならず、ものを壊す心配もなく、つまり穏やかで大人しい子が優先的に入れられる寮になっている。
ただ、そのせいで最近は三年で提督であってもあえてなにか指導することもなく、みなどんぐりの背比べのように、先輩後輩もなくのんびりと過ごしていた、まではよかったが、それに甘んじてしまい、寮全体の成績ががた落ちしてしまうという悪い影響が蔓延してしまっていた。
皆と同じならそれでいい、という悪い安心感に浸かるようになり、結果自己管理がだらしなくなってきて、先輩と後輩の意味がなくなってしまったのだ。
だから、雪充が選ばれた。恐怖政治でもなく、自然に少しずつ恭王寮に秩序を戻して、その先もきちんと運営が出来る後輩を育てる為に。
その為に、雪充は偶然恭王寮に選ばれた、ちょっと毛色の違う児玉を選んだ。雪充に懐き、真剣で真面目で、なにかあったときには人を守れる力があるからだ。
しかしそれが仇になった。下手に能力がある、恭王寮に向いていない児玉だからこそ、運営には向いていると思ったのだけど、恭王寮の悪い残骸のような後輩たちは結局変化を嫌がった。
「まるで恭王寮の亡霊みたいだって思う時があるよ」
雪充は言う。
報国院の寮にはそれぞれカラーがあって、生徒も長くそこに住むうちにそのカラーに染まってゆく。
だけど、変化を嫌った恭王寮がまるで雪充に意地悪をしているみたいに、雪充の行動を遮っている、そんな気がしてしまうのだ。
「それ、おもしれー考えだな」
雪充のなんてことのない、だらだらした話に山縣がくいついた。
「亡霊って考えたら、たしかになんか納得するわ。亡霊っていうか、寮の意志!みてーな感じするよな」
アニメや漫画が大好きな山縣は、こういった話をすんなり受け入れて面白がる。
もしこれが、山縣以外の人に喋ったら、雪充は難しい事を言うと感心されるだけだろう。
優等生で、主席で、いつも立場を考えている。
そんな自分を嫌いなわけではないし、そうなろうともしている。
だから評価は正しいものを得ているのに、たまになぜか、そうじゃない、という気持ちになる。
そんな感情を御門にいるときは、何も考える事も無く、なじむことが出来ていたのに。時々、窮屈になってしまうことがあるのだ。
「そりゃ、きっちりした服は窮屈なもんだろ」
山縣はまたあっさりと雪充の疑問に答えて見せた。
「どんだけオーダーでもやっぱスーツは窮屈よ。制服だってそうじゃん。スエットの素晴らしさには勝てねーよな」
山縣の言葉に雪充は、なるほどなあ、と感心する。
「オメーは自分で選んで、正しく見てもらいてーからスーツなんか着込んでんだろ。じゃあ諦めろ。俺は正しく見られなくてもボルケーノちゃんのTシャツ着るし、スエット着る。幸せゆるゆる最高」
山縣の笑顔にそりゃそうか、と雪充も笑う。
「お前さ、どんなに頑張ったって、人はお前の望むまんまの評価なんかくれやしねーぞ。そんなん、お前の妄想だわ。どんなに上手くやったつもりでも、誰もお前の望む通りにも、都合のいいようにも動いてくんねえぞ」
「わかってるよ」
「わかってねえよ」
ったく、と山縣はため息をつく。