わかっていた
翌日の朝になった。
幾久は着替えを済ませるために寮へ戻ると、吉田が児玉の為の朝食をすでに用意してくれていた。
二人で食べるようにと準備され、幾久は頷き、茶室へそれを運んだ。
「なんか申し訳ねーな」
朝食を食べながら児玉が言うが、幾久は「別にいいよ」と笑う。
「先輩ら、なんかすっげー寝不足な顔してたから多分、昨日雪ちゃん先輩と会議したんだと思う」
「そうなのか?」
驚く児玉に幾久は頷く。
「瑞祥先輩が眠そうなのはいつもの事だけど、栄人先輩が眠そうって珍しいもん。ってことは、多分、夜遅くまでなにか話してはんだよ」
「俺、ここに居ていいのかな」
児玉が急に気弱になるが、幾久は「今更なに言ってんだよ」と笑った。
「先輩らがなにも言わないってことは、なにか動いてるってことだよ。もし本気なら、昨日の夜のうちにタマを追い出してる」
そのあたりは幾久も自信がある。あの先輩達は容赦ないし、ナワバリ意識も強いからだ。
「多分、今日にでも話、ちゃんとしてくれるって」
「そっか」
じゃあいいけど、と児玉は納得した。
食事を終え、幾久は食器を寮へ運んだ。ダイニングでは先輩達が食事中だった。
「ご馳走様ッス」
食器を洗おうとすると、吉田が幾久を止めた。
「ここはいいから、それより今日はタマちゃんと学校行きな」
「あの、雪ちゃん先輩のことっすけど」
気になり訪ねると、高杉が言った。
「それも話済んでるから心配するな。児玉の悪いようにはならん」
「本当っすか?」
喜ぶ幾久に高杉が頷く。
「詳しくは帰ってから話してやる。児玉はいつもどおり、学校行って部活行って、幾久はそれに合わせて帰ってやれ」
「ウス」
久坂が言った。
「ないと思うけど、もし、絡まれたらこの件は三年の桂提督預かりだからそっちに聞けって言えばいいから」
「それって雪ちゃん先輩の許可とってます?」
「とってるよ。安心しな」
久坂は苦笑いだ。久坂は夏に、雪充に許可なく責任を押し付けたという前科があるので、幾久は疑うが状況が状況だけに、さすがに今回は勝手にはしていないだろう。
「ちゃんと夕べ話しちょる」
高杉の言葉にやっと幾久は安心した。
「だったら大丈夫っすね」
ほっとして幾久は笑顔を見せた。
「まだなんも決まっちょるわけじゃねえ。児玉には何もいうなよ」
「ウス」
児玉に悪い話でないのなら、いまの所はそれでいい。
幾久は返事すると、児玉の待つ茶室へと戻った。
「嬉しそうだねーいっくん」
久坂の言葉に高杉も「そうじゃの」と返す。
「ただねえ、こうなるとやっぱ雪ちゃんは帰ってこれないのかなあ」
「さあのう」
高杉はため息をつく。
「雪のやりたいことは判ったが、雪本人がどうこうちゅうのはのう」
ただ、難しいだろうとは高杉も思う。
折角育ててきたはずの跡継ぎを御門にくれてやってしまったのなら、次を育てる必要がある。
後期に御門に戻りたかった雪充には少し、というかかなり厳しい。
「桜柳祭もあるのに、後輩まで育ててられないでしょ」
久坂の言葉に吉田も頷いた。
「そもそも、恭王寮に後釜いないからって雪ちゃん引っ張られたんだよ?その雪ちゃんが多分、本気でタマちゃん仕込んでたんだろうし」
もしそうなら、保険として児玉以外に誰かを仕込む余裕はないはずだ。
「うちとしては渡りに船どころか、鴨が葱しょって来てくれたようなもんだけどさあ」
吉田はそう言ってため息をつく。
幾久は知らなかったことだが、報国院に居るのなら、幾久の為に一年生を入れるべきだと丁度話し合っていたところだった。どの寮も有能な一年生は欲しい。
御門寮にしてみれば、幾久とも仲がよく、雪充が仕込んだ後釜をもらえるのはいい事だらけなのだが。
そうなると雪充が、後期に御門寮に戻るのは難しくなるだろう。
「なーんかなあ」
二年が全員がっかりするのは、雪充が帰って来ることを信じていたからだ。
雪充は御門寮をこよなく愛しているし、実力もある。
だからせめて卒業は御門からする、という言葉は皆信じていて、そう思っていたのだが。
「雪ちゃんにもできない事ってあったんだねぇ」
幼馴染で昔から雪充の事はよく知っていて、だからこそなんでも出来ると信じていたのに、まさかの非常事態が起こってしまった。
「思ったとおりにはいかないもんだね」
何事も、と久坂はため息をつく。
「そうじゃのう。まあ、仕方ねえ。雪のフォローをなんとかせんと」
「いっくんは、どう思うんだろうね。タマちゃん来るのは喜ぶだろうけど」
吉田の言葉に、高杉は渋い顔になった。
「あいつは雪に懐いちょるからの。複雑じゃろう」
例え仲の良い児玉が御門に来るとしても、そのせいで雪充が戻れなくなったと知ったら、それはそれで複雑だろう。
「雪は、どうカタをつけるんじゃろうか」
高杉の言葉に久坂と吉田は顔を見合わせて、首を傾げるしかなかった。
「おい、乃木、児玉。鳳の三年が呼んでるぞ」
中休み、クラスメイトにそう言われ、二人は驚いて教室を出た。
三年の鳳と言えば、雪充しか思い当たらないからだ。
「雪ちゃん先輩!」
「やあ、休みにごめん」
いいえ、と幾久と児玉は首を横に振った。
「ちょっといいかな。いっくんも」
皆に聞こえないよう、三人は廊下の端へ移動した。
「いっくん、悪かったね、昨日はびっくりしたろ」
「いえ。タマがちゃんと御門を頼ってくれて良かったです」
そういうと、雪充は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
雪充に礼を言われ、幾久は嬉しくて照れ笑いした。
「でも、タマ、どうなるんでしょうか」
雪充がこうして来てくれるのなら、児玉にとってそう悪いことにもならないとは思うのだけど、ただ、状況が状況だ。心配で幾久が尋ねると雪充が言った。
「今回の件について、原因になった一年生は全員、恭王寮を退寮処分にさせることになった」
「退寮……」
雪充は頷く。
「全員、と言っても原因になった三人だけだよ。両成敗の判断でね」
児玉と、元鷹、そして鳩の三人の事だ。
つまりその三名が、恭王寮を出て行かされる。
「じゃあ、タマだけじゃなくてあいつらも?」
幾久に雪充は「そう」と頷く。
「いま寮に余裕があるのが報国しかなくてね。とりあえず、あの二人は中期の間、報国での預かりって事になった」
本来、報国寮は殆どが千鳥だが、鳩も少し混じっている。クラスで考えれば、二人とも鳩なのでおかしい采配ではない。
「タマについてだけど」
児玉はごくりと唾を飲み込む。
「まだ許可は出ていないけれど、御門でどうか、といま尋ねている所なんだ」
「……!本当、っすか?!」
うわあ、と児玉と幾久は顔を見合わせた。
「ああ。今、先生方に相談して貰っていてね。今日の放課後にはその決定が出るよ」
「はやっ」
驚く幾久に雪充が言う。
「寮でのいざこざは、ないわけじゃないからね。僕も御門にいた頃、似たような事があったし」
だからこういう事の対処は早いと言う。
雪充は児玉に告げた。
「タマ、ひょっとしたら、御門にはならないかもしれないよ。報国と恭王でないのは確実だけど」
「それでも、いいっす」
児玉は雪充を見上げ言った。
「今が駄目でも、いつか絶対御門に入るって俺、決めました」
「そう」
それならいい、と雪充は微笑んだ。
「気になるだろうから、早く聞きたいなら放課後に職員室の前で待ってておいで。結果が出たら、すぐ伝えるよ」
「あの、雪ちゃん先輩、ヤッタも呼んでいいですか?」
幾久が言う。弥太郎もこの事は随分と心配していたから、きっと早く結果を知りたがるだろう。
「勿論。じゃあ、放課後にね」
「―――――はい、」
二人が頷くと、雪充は軽く手を上げて、三年の教室へと戻っていった。
児玉と幾久は、目を見合わせた。
御門ならいいのに。
二人とも互いにそう思ったのが判った。
放課後になり、雪充は職員室で毛利と話していた。
毛利は寮関係を統括する報国院の責任者でもあるからだ。
「僕ではおさえきれませんでした。力不足で申し訳ありません」
雪充は恭王寮の揉め事を押さえられなかったことを毛利に詫びた。
が、毛利は言う。
「いや、お前に無理なら誰も無理だろ」
正直に言うなら、毛利より全然雪充の方が管理の手腕は上だ。
毛利と三吉は報国寮を管理してはいたが、正直恐怖政治以外のなにものでもない。
雪充のようにバランスを取って上手く配置するのは絶対にできないからこそ、恭王寮を任せていたのだが。
「ま、しゃーねえわな。元気な男子高校生はそう大人しくしてねーったことだ」
例え大人しいはずの恭王寮だとしてもな、と毛利は言う。
「それより先生、あちらの親御さんに連絡されたんですよね。児玉とのことは、何て?」
トラブルがあって、互いに手を出し合ったのだが、児玉が腹に一発入れて吐かせてしまった。あの元鷹が大人しくしているとは思えなかった。
だが、毛利は「心配ねーわ」と言う。
「学生ごときの手加減腹パン一発で吐くかよ。どうせ食いすぎだったんだろって調べたら、あいつら買い食いしまくってたじゃねーか」
はは、と雪充も苦笑する。確かにあの二人の生活態度はあまり良くなく、食事をきちんと取らないことも多かった。
児玉と喧嘩になる前も、二人で出掛けて買い食いしまくって帰ってきたところだったらしい。
「親御さん、怒ってなかったんですか?」
「は?そんなん俺が説明したら一発だわ。めちゃめちゃ謝られたね!」
ふんっと威張って胸を張るが、横から三吉が突っ込んだ。
「寮でご飯食べない上に、吐いちゃう程おやつ買い食いするからお小遣いは控えめにして、お母さんから注意しといてっていう、さっき言ってたアレですか」
「間違ってねーだろ」
「途中いろいろ抜けてますけどね」
だってよーと毛利が言う。
「あいつら、児玉に吐くほど殴られた!とか喚きやがるから、そんなんガチであったら内臓やられてるから救急車乗る?入院するなら退学したほうが体の為だぞって心配したら、もう痛くないですってよ」
「ははは……」
毛利は見たままだが、元ヤンキーで喧嘩慣れしている。
おまけに今現在も、戦う相手はプロレスラーをやっている親友で、毛利自身も格闘技をやっていて、つまり、相当強い部類に入る。
このあたりは城下町のせいか武術の習い事も多く、その影響で雪充や高杉、久坂は子供の頃からなにかと武術をやっていた。
だから、大げさにしようが誤魔化そうが、どのくらいの衝撃でどんな結果になるのか全部よく知っている。
力の扱いには慣れているのだ。
「でもいいのか?」
毛利が雪充に尋ねた。
「お前、今から後任育ててたら、後期に御門帰れねーぞ」
「……判ってます」
判っていた。
児玉に勝てと告げた時から。
多分、本当はもっと前から。
きっと自分はもう、御門寮に帰るべきではないのだと。
ただ、その覚悟が自分になかっただけで。