相談があります
幾久はやっと気付いた。
雪充が卒業してしまえば、恭王寮を支配するのは二年生だ。
そしてやがて、恭王寮に児玉の味方は弥太郎しかいなくなる。
「おれだって、恭王寮にずっと居るのか判んないよ。雪ちゃん先輩いなくなったら、提督も勿論違うからおれだけ追い出されて最悪タマだけが恭王寮に残されるってこともあるし」
今の所、別の寮の希望なんか出さないけど、と弥太郎は言うが幾久は益々青ざめた。
(そうだよ、そういうのってありえるんだ)
必ず三年間この寮と決まっている訳ではない。
幾久も、今は二年生達の独断と偏見であの寮に当然のように居続けているが、来年は判らないのだ。
「でも、雪ちゃん先輩に内緒にするなら、うちの先輩達に相談はできないよ」
雪充と高杉、久坂に吉田は全員が幼馴染だ。隠してくれと言ってもまず無理だろう。
しかも恭王寮の責任者は雪充で、御門寮の責任者は高杉だ。内容から考えても、雪充の耳に届かないはずはない。
「完全に詰み。相談したらばれるし、相談しなければなんにもできないし」
幾久の言葉に弥太郎はやっぱそうかあ、と肩を落とした。
「なんかいい方法、ないのかなーって思ったけどやっぱりないのかあ」
「雪ちゃん先輩に相談するしかないと思う」
それが多分、一番確実で正しいやり方だ。
雪充がいくら忙しいといっても、寮の責任者として必ずなにかしら動いてくれるだろう。
「でも、タマが絶対に言うなっていうし」
「そんな場合じゃないだろ」
「でもさあ、もしこれで本当にいっくんが先輩とか、雪ちゃん先輩に相談したらうまくいくかもしれないけど、タマますます落ち込むよ」
「……そうかもだけど」
でもそれ以外に解決する方法が考えられない。
幾久はここにきて又、自分が相談できる相手が、寮の先輩か雪充しかいないことを思い知る。
(先輩達がいなかったら、オレなんもできないじゃん)
友達が困っているのに、その友達を助けることができない。ヒントすら貰えない。
解決策は、雪充達に伝えるしかないのに、それが出来ない。
「じゃあ、タマはずっと我慢するしかないってこと?」
御門寮の先輩達は、幾久以外の一年生を入れる気がないと以前言っていた。ということは、もし相談できても駄目の一言でおしまいだろう。
(そうだ!六花さん!)
と、思いついても六花も久坂の姉だし、毛利や先生の方の三吉と友人らしいのでそっちに話が通じてしまう。
(やべえ。マジで誰もいねー)
頼るどころか相談相手も居ない。幾久にはいい考えは浮かばない。
「我慢して、御門が駄目なら他の寮に希望出すしかないね。御門以外の、どっか空いてる寮に希望出して恭王出るしか」
「タマが被害者なのに、タマが寮出るしかないってこと?」
弥太郎は頷く。
「それしか方法がないってこと。タマも多分、そうするんじゃないのかな」
「それでも中期は我慢し続けなくちゃならないんだろ?」
「そうなるね」
「まだ始まったばかりなのに」
中期は長い。四ヶ月近くあるのに、その間毎日そんな馬鹿げた事を我慢し続けなければならないのは理不尽だ。
「あー!もう!どうにかなんないのかよ!」
幾久はぐしゃぐしゃと髪をかきむしる。幾久だって完全無関係なわけではない。元鷹に煽られたのは事実だが、実際喧嘩にしてしまったのは幾久の方だ。
(調子こいた……)
山縣がよく笑いながら『調子こいて玉砕ー!』とはしゃいでいるが、本当にその通りだ。気分良く勝ったはずなのに、こんなことが待っているとは。
このまま中期を乗り切って二人とも鳳に行こうとか、何も知らずに考えていた自分が馬鹿じゃないのかと思ってしまう。
「先輩に口止めしても雪ちゃん先輩には絶対に通じるし、かといって雪ちゃん先輩に言うのも駄目なんだろ?」
幾久の言葉に弥太郎は頷く。
「焼け石に水っていうのか、結局これまでと同じになると思う」
「あーあ……」
どうしようと幾久は肩を落とした。まるで楽しいばかりの中期だと思っていたのに、知らない間にそんなことが起きていようとは。
どうにかしないと。でも、どうすれば?
そんな考えがぐるぐると頭の中で回るばかりで、幾久は頭を抱えた。
「あれ」
地球部の部活に参加していた、一年山田が手を上げた。
「幾、今日は今日は欠席するそうです」
「なんでじゃ」
高杉の問いにスマホを見ながら山田が言う。
「なんか個人の事情により、らしいです」
「なんじゃそりゃ。まあ、事情があるなら仕方ねえ。幾久抜きでやっといてくれ」
高杉の言葉に一年生や、同じグループの二年生が返事をした。
「はーい」
「りょーかい」
練習を休むなんてなにがあったのだろうか、と全員が思ったが、同じ寮の高杉や久坂に聞けば判ることだとその時は皆気にしなかった。
何食わぬ顔で部活に参加する気にもなれず、かといって何をどうするかも判らない。
結局、幾久は気分転換にコンビニへ向かい、お菓子をいくつか買って寮へ帰った。
「ただいまー」
帰っても何の返事もない、ということは麗子さんは買い物に出かけているか、まだ来ていないのだろう。
栄人はバイトでいつも遅いし、久坂と高杉は部活中だ。
幾久は着替えながら、あることを考えていた。
(相談って、誰にもできないんだよなあ)
児玉の気持ちを考えると、先輩達に相談するわけにはいかない。かといって自分ひとりでどうこうできる問題でもない。
(ほんっと、どうすりゃいいんだよ)
はあ、とため息をついて、幾久はさっき買ってきたコンビニのお菓子を見て考える。
(今考えられる策って、これしかねーんだよな)
自分でどうにもできない事だと判っていて、しかも相談相手がいない。
ただ、例外がひとつだけある。
幾久はコンビニの袋を持って、ある部屋の前に立つと扉をノックした。
と、御門寮の開かずの扉がゆっくり開いた。
「……なんだよ」
むすっとした顔の山縣が出てきた。幾久は無言でコンビニの袋を差し出すと、山縣はそれを受け取り中身を確認した。
「入れ」
山縣が言い、幾久は山縣の部屋へと入ったのだった。
山縣の部屋は相変わらず、大量の漫画やフィギュアやゲームで埋め尽くされていたが、意外な机に広げられているのは参考書だった。
「勉強してたんすか?」
「お前、俺が受験生って忘れてねーか?」
およそ山縣らしくない言葉だが、確かに山縣は三年だし、鳳クラスだった。
「で、何の用だよ一年」
「ご相談なんスけど、その前にひとつお願いが」
「あんだよ」
面倒そうに山縣がちっと舌打ちするが、いつものことなので気にしない。
「今から相談すること、他の先輩達に内緒にしてほしいんです」
幾久が言うと、山縣は答えた。
「バーカ、そもそも俺は誰とも話なんかしてねーだろーがよ。高杉にも相手にされてねーわ」
「それは確かにそうですけど、一応言っとこうかと」
「なんだオメーむかつくな。で、相談って何よ」
山縣は幾久がコンビニで買ってきたいちご牛乳パックにストローを刺す。山縣の好物はいちご牛乳とうまい棒なので、それを買ってくれば話はしてもらえる。
「ガタ先輩って、昔いじめられてたんすよね?」
「おめ、ほんとデリカシーねえな。で、なんだよ」
「いじめられてた時って、どうでした?」
「おめ、ほんとクソデリカシーねえな。面倒くせーに決まってんだろ」
「面倒くさい……」
「なに他人事みてーな顔してんだ。オメーだってそういう目にあったんだろーがよ」
「あ」
幾久はそこまで言われて、ようやっと自分も面倒な目にあったことを思い出した。
「そういやそうっすね。オレ、それでここに来たんだった」
乃木希典の子孫であることがバレ、ドラマの影響であれこれ馬鹿にされ、逃げるように報国院に来たのだった。
「そっか。あれっていじめか」
なるほどーと幾久は納得するが、山縣はなにを今更、といった顔だ。
「時期が短かいのと、オメーがそこまで気にしてねーからそこまでの自覚はねーんだろーけどよ。されたことは立派ないじめだろうが」
山縣に言われてはじめて幾久は、自分がいじめられていたのだと気付く。
(そっか。だから父さん、オレを怒んなかったのか)
からかわれて、茶化されて、そいつに向かって暴力を振るったのにどうして、と思っていたけれど、いじめなら納得だ。
いじめという言葉で考えたら、学校が慌てたのも父が出てきたのも判る。どうしてあんなに慌てるのだろうとか思っていたのだが。
「オレいじめられてたんだ」
「今更すぎだな。じゃ、俺に聞くことはねーよな。サラバ」
「いやいやいや、ありますって」
いじめはともかく、幾久が聞きたいのは対処法だ。
「ガタ先輩って、いじめられてた時どうやって対処したんすか?」
「おめー知ってんだろ。動画とったりしたの」
「そうじゃなくて。えーと……対処法が聞きたいわけじゃなくて」
幾久は必死に頭を使って考える。そう、幾久が知りたいのはいじめに対する対処法ではない。
それならとっくに雪充に強引に話せば済む事だ。
「そう、解決法っす!」
「はぁ?」
「どうすればいじめが止まるのか、解決法を知りたいんす!」
そうだよ、これだよこれ!と幾久は頷く。
児玉がいまあっている目から逃がすのではなく、問題の根本を解決したいのだ。そうすればもう今のような目に合わずに済む。
ところが山縣は、幾久の希望を見事に打ち砕いた。
「そんなものはない」
「ないって……」
「あるとしたらそうだな、連中がいじめのターゲット変更するとかか?」
「えぇえ……それじゃあ犠牲者が増えるだけじゃないっすか」
「たりめーだろ。いじめに解決法なんかねえよ。あるのは自分がいじめられない方法でしかねえ」
「そんなぁ」
児玉をなんとかして救ってやりたいのに、ターゲットを変えるだけじゃあ意味がない。
「なにが『そんなぁ』だよ。そんなのできっこねーよ馬鹿」
「どうにかならないんすか」
「ならねーな」
山縣のきっぱりした言葉に、幾久は困る。
こう見えて山縣は正しいことを言うのだから。
つまり、児玉のことはどうにもできない、ということだ。
「詰んだ」
「そうだな。さっさと出て行け」
「いやいやいや、ガタ先輩なにがどうとか事情知らないじゃないっすか」
児玉の事はなにひとつ話していないというのに、こんなあっさり終わっては、イチゴ牛乳の意味がない。
「事情なんか知らなくても関係ねえよ。いじめはなくならないし、そういうの考えるだけ無駄でーす。以上」
「いやいや、そこをなんとか」
「ならねー意味ねー。じゃな」
「ちょっと、マジで困ってるんすって!」
「なんだよオメーいじめられてんのかよ」
山縣の問いについ幾久は答えてしまった。
「いや、オレではないっす」
言ってから、しまった、と思ったが山縣は「フーン」としか言わなかったので深く突っ込む気はないらしい。
「ただ、いじめをどうにかできないのかなって」
「できねーって。無茶いうな」
「ガタ先輩の無敵のスタープラチナでもですか」
「できねーな」
あれ、このネタに乗っかってこない、ということは本気で無理なのかと幾久はしゅんとした。
落ち込む幾久に山縣は、ため息をひとつつくと答えた。
「あのなあ、お前TVの見すぎだぞ」
「?」
「よくさ、いじめの原因はいじめをする側の家庭環境がどーのこーのとか、そういうのあるけど、ああいうの本気にすんな。意味ねーし、例えそういう奴の家庭環境がよかろーがわるかろーが、全く、何の意味も関係も全くねーから。だから解決なんかしねーの!」
「はぁ」
山縣の言っている意味が、判りそうで判らない。
実際、なにかしら問題があるから、いじめは発生するのではないのだろうか。
「原因があるなら、それを取り除けばいいだけの話じゃないんすか?」
「そんな実験みたいにいかねーわ馬鹿。いいか、うまい棒ピザ味に免じて説明してやっからよーく聞け」
「ウス」
他に頼れるものはなにもないので、幾久はわらであっても山縣を掴むしかない。正座して膝に手を置き、まじめに聞いた。
「あのな。いじめる奴ってのは、いじめる奴なの。どうにもなんねーの」