多留人と幾久(中)
もうマトモにボールにさえ触れていないし、部活でもやっていなかった。真面目にずっとサッカーをやっていた多留人とは違う。
なんだか幾久は、ずっと自分がサボっていたような気持ちになる。
(オレ、流されてばっかりだったんだなあ)
確かにこれといってやりたいことがあったわけでもないし、選手として必死に頑張ろうという気持ちがあったわけでもない。
プロは無理だ、と言われればそうだろうな、としか思わなかったし別にショックでもなかった。
今だって流されているといえばそうかもしれない。
学校だって父の母校だし、寮だってたまたま合っていただけだ。
部活だって成り行きだし、幾久には多留人に誇れるようなものがひとつもない。
「じゃあ、部活とかって、なんもやってないのか?」
いきなり尋ねられ、幾久はぼそっと答えた。
「……一応、演劇部、かなあ」
「演劇部?!幾久が?!」
「だろ。なんかおかしいよな」
苦笑して誤魔化すように笑うと、多留人は興味を持ったらしかった。
「ってことは、なんか劇すんの?」
「うん。秋に学校の文化祭で。桜柳祭っていうんだけど」
「それって他校でも文化祭入ることできんの?」
「できると思う。他校の生徒にもチケット売るって言ってたし」
「だったら俺買う!幾久、チケット売って!」
「えー!やめろよ恥ずかしい」
昔からよく知っている多留人に演劇を見られるとか恥ずかしすぎて、想像だけで顔が赤くなる。
「やだよ俺行くよ。見てーもん」
多留人がこう言い出したら引かないことは知っている。
「絶対にオレ、失敗すると思うよ」
「なんで」
多留人に聞かれ、幾久は口を開いた。
「いまさあ、もう劇の練習に入ってんだけど、みんなスゲー頭いいのな」
うん、と多留人は頷く。
「台詞はすぐ覚えてるし、飲み込みも早いし、堂々としてるし。全員初心者っていうけど、正直嘘だろって思いたくなるレベルでさ」
部活の面々は鳳のせいか、どの生徒も堂々と自信に満ちていて、幾久は気が引けてばっかりだった。
おまけに幾久の相手は御堀で、この御堀がまた見事なまでの完璧人間で、幾久は落ち込むことばかりだった。
「オレとコンビ組むみたいな人にさあ、迷惑かけっぱなしで。でも全然怒らないし、フォローしてくれるし。それがかえってコンプレックスになるというか」
「あー、なんかわかる。逆にむかついてくれたほうが楽な時ってあるよな」
多留人の言葉に幾久は思い切り頷く。
「そーなんだよ!いっそ文句でも言ってくれたらいいのに、大丈夫だよ、個人のペースがあるから、とか言って、そのくせ、そっちは台詞完璧で部活途中で抜けて先輩の手伝いしてんのに、ずっと部活やってるオレの方が全然駄目とか!落ち込むわ!」
幾久が文句を言うと、多留人が笑う。
「わかりみすぎる!逆に嫌な奴だったらさ、こっちも文句言えるのにさって思うよな」
多留人はやはり、昔と変わらない多留人だ。
幾久と同じような事を考えているし、気持ちをわかってくれる。
「多留人ぉ」
「幾久って相変わらずだよな。なんかいっつも勝手にハードル高くすんの」
「そっかなあ。普通だと思うけど」
はあ、と幾久は肩を落す。
「うちの部って有能な人ばっかなのに、なんでオレなんか混ぜたんだろ」
幾久を強引に引き込んだのは高杉で、高杉は圧倒的な人気を誇っているからか、誰も幾久のレベルが低くても文句を言わない。言えないのかもしれない。
「オレなんかより、よーっぽど有能なの、いくらでもいると思うのに」
鳳にしろ、鷹にしろ、幾久よりあの部活に向いていて、台詞なんかすぐに覚えてしまうくらいの人は報国院にいるはずだ。
なのにどうして無理に幾久にさせようとするのだろうか。同じ寮で贔屓とかやっぱりあったりするのだろうか。
「有能じゃないんなら、別の部分が必要なんじゃね?」
多留人が言う。
「その先輩って人が有能なら、幾久を選んだのは間違ってないんだろ?だったら幾久が思う以外のなんかが必要なんじゃねえの?」
「……フォローさんきゅ」
「べっつにフォローのつもりはねえよ?ただ、その先輩って頭いいんなら、そんくらい判ってんじゃねえの?文句とか言われてはないんだろ?」
「文句はないけど怒られてはいる」
「どんな?」
「どんなって」
幾久は高杉の文句を思い出す。
『照れるな!堂々とやれ!おおまかな流れで合ってりゃ御堀がなんとかする!間違ってもそのまま行け!適当に流せ!』
そう毎日のように叱られている。
「そりゃ厳しいなあ」
「だろ?もうホント、他の人に代わってほしいくらい」
はあ、と幾久はため息をつく。
「オレには演劇なんか無理だよ。人前に出るの苦手だし」
幾久が言うと多留人が噴出す。
「んなことねーって。幾久気にしすぎ」
「だって舞台とか、絶対に緊張するじゃん!」
多留人に言うと「んなはずねーよ」と笑う。
「だってサッカーのとき、幾久んなこと気にしたことあるか?」
「……え?」
「試合の時って、観客とか、気にしたことある?お前」
そういわれてみれば、と幾久は思い出す。昔、多留人とユースにいた頃は試合も勿論あったし、練習でも人に見られることはいくらでもあった。
観客が大勢いるなかで試合もいくつもしたけれど、観客を気にしたことは一度もなかった。
大抵はサッカーが気に入らない母親が不機嫌な表情で観客席にいるのが判っていたし、父は忙しくて来る事がなかったからだ。
スカウトが居てもそれは多留人を見に来ているだけであって、幾久は自分を気にされているわけではないのをちゃんと知っていた。
「……気にしたことない」
「だろ?お前、緊張とは無縁の性格してるじゃん」
「だって緊張しようがないよ。誰もオレなんか見てないし」
見ているとしてもそれはサッカーの試合であって、幾久の事を観察しているわけでもない。つまり、緊張する要素がない。
「じゃ、舞台も同じじゃね?」
多留人の言葉に、幾久ははっとする。
「確かに」
別に舞台は幾久の舞台な訳ではない。あくまで幾久は登場人物の一人であって、舞台に参加する人は沢山居る。
「文化祭でどんくらい人いるのか知らねーけど、サッカーの試合より少ないんじゃね?」
「……確かに」
幾久が参加していたのは東京のユースで、興味を持ってみる人も多かった。
「サッカーの時だって観客いっぱいいたし、試合の時ってチームしか見てないから大丈夫じゃね?俺らん時だって、マトモに見てるの親だけじゃん」
「確かに」
多留人の言うとおりだ。なぜ演劇とサッカーが違うのだろうか。どうせ誰も、幾久という個人なんかわざわざ認識もしないだろう。
「そりゃ、シュート決めた瞬間は注目浴びるかもだけど、そんなの決まったほうは気にしねーし、見られてもその一瞬だけじゃん。そういうもんじゃね?」
「……そうだわ」
何を自分は勘違いしていたのだろうと幾久は逆に恥ずかしくなった。
(オレって、ひょっとしなくても自意識過剰じゃん!)
主役級の配役を貰ったせいで勘違いしてしまったのかもしれない。
(うわー!うわー!恥ずかしい!そうだよ、なに勘違いしてんだよ!そもそも舞台ったって、間違いなく見に来る人は瑞祥先輩とかハル先輩とか、御堀君とかが目当てに決まってんじゃん!っていうか、御堀君見たらみんなそっち見るに決まってんじゃん!)
「なんかオレ落ち込む」
「はは、変なの幾久」
多留人にしてみたら、観客なんかサッカーと同じと思えば確かにいつものことだ。幾久も最近はそんなことはないが、子供の頃と同じと思えば、そう苦痛でもなくなった。
「そっかー。よくよく考えたらそうだよなぁ。誰もオレなんか見てないし」
「幾久って変なこと考えるよな」
「多留人が頭いいんだよ」
舞台は舞台、サッカーはサッカーとしか考えていなかった幾久にとって、その例えは思いつきもしなかった。
多留人は昔から考え方に柔軟性はあったけれど、おかげで幾久のプレッシャーは一気に消えた。
「なんか多留人のおかげで、一気にラクになった気がする」
「マジで?感謝しろ」
「するする。ありがとうございます、多留人様」
「おう」
ふんとふんぞりかえる多留人に、幾久が噴出すと多留人も笑う。二年も会っていなかったのが嘘のようだった。
「多留人は学校どうなの?ユース、蹴ったん?」
「俺、蹴ったって言ったっけ?」
「言ってないけど、多留人が外れるわけないから」
多留人の才能は本物だ。クラブが手放すはずがない。
ということは、多留人の方からユースを出て行ったとしか考えられない。
幾久が言うと、多留人は頷いた。
「俺、昔からあのクラブの方向性、そこまで考えたわけじゃなかったけど、どんどん自分の考えと違ってきてさ」
うん、と幾久は頷く。
「そりゃ俺だってガキじゃねーんだから、大人が何言ってるかくらい判ってる。でも俺には俺の考えがあるじゃん。でもさ、それを全く聞きもせずに、正しい答えを押し付けられるのが気に食わない」
別に自分の意見を通したい訳じゃない、と多留人は言う。
「疑問に思って聞いてもさ、またその話か、みたいに言われる。そりゃ、大人にとっちゃ飽きた子供の考えかもしんないけど、こっちは疑問に思って聞いてるわけじゃん?なのに最初から『またそれか』みたいに言われたらむかつくし、そのくせ『いいからやっとけ、間違いないから』って言われても納得できない」
きちんと説明して欲しい、と多留人は言う。
「この状況じゃ仕方がないから、ばっかり言われる。お前は才能あるからとか、才能があるやつはいいよな、とか意味わからん煽りもされるし。俺が一番練習してるのに」
「だよね。多留人、練習ノートもめっちゃ頑張って作ってたし」
「おーよ。将来は絶対海外行くって決めてるし。俺らの年令で海外行けてないって、それだけで才能ねーってのに、国内でなにやってんだよ、とも思う」
「多留人スゲー考えてる。オレ全然だわ」
はあ、とため息をついてテーブルに突っ伏すが、多留人が幾久の頭に手を置いた。
「幾久はそれでいーんだって。慣れない部活でもちゃんとやってんだろ?スゲエよ。俺サッカーしかできねえし」
「オレのは先輩と他の奴がすげーよ。最初は無意識に田舎って見くびってたとこあったと思うけど、うち学校っていうか塾だもん」
夏休みに入って鳳の受ける補習を一緒に受けたがとんでもないスピードで、幾久はついていくだけで必死だ。
「クラスも上を目指すって言っちゃったし、部活は桜柳祭まで忙しいし、スケジュールまじハード」
「文化祭呼べよ。幾久見てえし」
そういやさ、と多留人は尋ねた。
「劇ってどんなんするんだ?」
幾久は露骨に嫌な顔になって言った。
「……言いたくない」
「えー、いいじゃん教えろよ。俺とお前の仲じゃん」
「ヤダ。多留人絶対笑うから」
「んなことねーって。教えろって。どんな役なんだよ。まさか木か?」
「……殆ど主役、みたいなもん」
「スッゲー!いきなり主役かよ」
「主役は二人居るっていうか、そのうちの一人」
「マジで!もう絶対に俺見に行く!」
盛り上がる多留人だが、幾久にとっては罰ゲームみたいなものだ。
「なあ教えろって。絶対に笑わねーから」
多留人が食いついてくるので幾久は仕方なく、ぼそりと呟いた。
「……エット」
「ん?」
「……ジュリエット」
「は?」
「ロミオとジュリエットの、ジュリエット」
「………………ッ」
暫く堪えていた多留人だが、結局堪えきれずにブフッと噴出してしまい、「……悪い」と幾久に謝った。