多留人と幾久(前)
夏休みも終わりに差し掛かり、新学期の準備をしなければならない時期になった頃のことだ。
父からの連絡に、幾久は驚いて声を上げた。
「父さん?多留人から連絡きたって本当?」
『ああ。もしお前が迷惑だと思わなければ、連絡が欲しいそうだ』
報国院に入る前に、幾久は携帯を新規契約にした。
つまり、電話番号もなにもかも、全部新しくしてしまって、これまでの連絡先は一切判らないようになっていた。
幾久と連絡がとれなくなってしまい、わざわざ連絡してくれ、もし問題なければ連絡が欲しいと、電話番号とIDを伝えてくれたらしい。
幾久はつい笑顔になった。
「……そっかぁ」
『どうする?なんなら断っておこうか?』
幾久が黙っているので父がそう気を利かせたが、おもわず首を横にふった。
「ううん!全然!オレ、多留人に連絡するよ!」
父は幾久の言葉にそうか、と頷く。
『じゃあ、この件はもういいな』
「ウン。ありがとう、父さん」
『どういたしまして』
幾久は笑顔になった。
多留人は、幾久がルセロ東京というサッカーチームに所属していた頃の親友だ。学校も塾もお互い全く違ったが、気が合って一緒によく遊んだ。
幾久は残念ながら、プライマリと呼ばれる期間を過ぎるとユースから脱落してしまったが、多留人は持ち前のセンスで残った。
日常でもサッカーでも互いに気があったのでストリートでは多留人と幾久はよく一緒に遊んだ。
幾久にとっては塾や学校の友人より、幼い頃から一緒だった多留人のほうがよっぽど親しかったのだが、中学の二年を過ぎた頃から幾久は塾が忙しくなり、多留人はユースで忙しかったらしく、なんとなくそのまま疎遠になっていた。
その後、幾久が高等部に進まなかったことも、当然多留人は知らなかったのだろう。
「多留人が福岡に来てるなんて」
幾久は驚いた。
まさかユースから脱落したのか、他に考えがあるのか、多留人は今、福岡にあるサッカーの名門に入学したのだという。
幾久は早速、多留人の電話番号とIDを登録し、メッセージを送った。返事は驚くほど、速攻で来た。
最初はメッセージのやりとりだったが、面倒なので電話でいいか、と言われたので互いに電話で話す事にした。
「多留人?!久しぶり!」
『幾久か?マジなつかしー!その眼鏡、かっけえじゃん!』
画面の向こうに移る多留人は幾久が知っている頃よりちょっと大人だ。あまり会わなくなって二年近く過ぎているのだから当然だが。
「全然連絡しなくてゴメン」
『いーよ、こっちこそなんも連絡しなかったしさあ。進路いろいろ悩んでて、すっげ忙しくて』
「そうなんだ?」
多留人くらい上手かったら、どこでもサッカー推薦で入れそうなものだし、ユースならこれまで通っていた学校が近かったはずだが、なにかあったのだろうか。
気になったが、逆に多留人が幾久に尋ねた。
『それよりお前さ、中学でなんか色々あったんだろ?お前の学校の奴になんとなく聞いてさ」
「ウン。卒業間際にいろいろあってさ。高等部に進むつもりだったからすごくばたばたしたよ」
『だろーな。俺も似たようなもんだからめっちゃ判るわ』
それよりさ、と多留人が言った。
『幾久、会わねえ?』
「えっ?どこで?」
たしかに福岡と長州市は隣の県ではあるが、このあたりは東京みたいに交通網が発達していないし、おまけに交通費はやたら高い。
まさか福岡まで出るのか?と幾久が思っていると多留人が笑った。
『お前さ、北九州なら近いだろ?』
多留人が言った駅名に、幾久は頷く。
北九州の主要都市であるその駅は駅の近くに山縣のテリトリーのオタクビルがあり、幾久も付き合ったことがあったからだ。
『その駅って新幹線で一駅でさ、土日にはめっちゃ安い券使えるんだ!俺そっち行くから待ち合わせよーぜ!』
「そんなんあるんだ」
知っている駅なら問題ないし、そこなら幾久の小遣いでもなんとでもなる。
『じゃあさ、そこで会おうぜ!』
「ウン!」
急に連絡が取れていきなり会う事になったが、幾久はもうその日が待ちきれなくなった。
週末になり、幾久と多留人は北九州の某駅前で待ち合わせた。
多留人は新幹線で来るというので、新幹線のホーム前で幾久が待っていると、改札の向こうから懐かしい人が現れた。
「幾久!」
「多留人!」
久しぶり、と笑いながら二人で抱き合って喜んだ。
「多留人めちゃくちゃ背が高くなってねえ?」
「幾久も伸びてんだろ?」
「オレまだまだだよ、百七十ないもん。そりゃちょっとは伸びてるけどさあ」
多留人は御門の先輩達と同じくらいある。多分、今の幾久よりゆうに五センチは上だ。
「多留人は?」
「俺?百七十八」
「うわ。先輩と一緒」
雪充と同じ身長で、確かにそのくらいかも、と幾久は多留人を見上げた。
「中二の春までは同じだったのに」
「ハハ、伸びるって。おまえんち、おじさんもけっこうあるじゃん」
「そうだけど」
父も低いほうじゃないけど、やはり中々伸びないと心配になる。
それより移動しよう、という事になり、その前に多留人はある場所を目指した。
「なあなあ、写真とりてーんだけど!」
そう言って目指したのは、駅の名物にもなっているアニメキャラの銅像だ。
「幾久、とってくんね?」
「いいよ」
銅像の隣にならんで多留人がポーズを取った。
「おれんち、親がこのアニメのファンなんだ」
うらやましがらせてやんの、と楽しそうに言う。
「いいよ。並んで」
幾久が写真をとってやっていると、観光客だと思われたのか、話しかけられた。
「君たち、一緒の写真とってあげるよ」
幾久は必要がなかったので断ろうとしたのだけど、多留人は「じゃ、お願いしゃす!」と笑顔で応じたので、幾久もまあいっか、と写真を撮って貰ったのだった。
オタクビルはさすが休日だけあって人が多く、賑やかだった。多留人はゲームを見たかったらしく、ゲームが沢山あるコーナーをゆっくり見て回った。
買い物を済ませたのでもういいよ、となったが、今度は行き先に困った。幾久はあまりこのあたりに詳しくなかったのだ。が、多留人はしっかり調べてきていた。
「俺、お城見たい!お城好きなんだよ!」
「あ、そうだったっけ」
多留人は城好きで、家族旅行でもお城がある所を狙って行くと聞いていた。
「幾久は行ったことねーの?」
「ないなあ。興味なかったし。でも多留人が行きたいなら行こう」
「おう!」
お城を外からは見たこともあるし、道順も覚えているので幾久と多留人はお城へ向かって、中を見学した。
流石に中は昔のままではなかったが、昔の資料なんかが沢山あり、多留人は楽しそうにあれこれ見ていて、幾久もそれなりに楽しめた。
お城の中を堪能したので疲れてしまい、二人は近くにあるショッピングモールに行く事にした。
コーヒーショップに入り、二人ともフラペチーノを注文し、ゆっくり出来る窓際の席へ向かい合わせに腰を下ろした。
多留人が言う。
「ずっと幾久に連絡してなかったろ?いろいろあって本当は春に高校入ったらすぐ連絡しようと思ってたんだけど……急に進路変更することになってさ」
「そうなんだ」
幾久自身も忙しくはあったが、多留人がどうなのかまでは気にしたことがなかった。
お互い、受験があるのかもな、と遠慮しているうちに、時間がかかってしまい、掛け違えたボタンのようすれ違ってしまっていたらしい。
「で、こっちの学校選んだけど、まー寮って慣れるの大変な。幾久も寮だろ?」
「うん。でもなんか全然、寮って感じじゃないよ」
二人は互いに、寮や学校の事を話し合った。多留人の言う寮は、まさしく幾久が報国院に入るまで想像していた寮そのものらしく、イメージとしては報国寮が近い雰囲気だった。
「オレはもうサッカー関係ないから、普通に父さんが母校薦めてきたから乗っかったみたいなもん。本当は夏から転校しようかな、とか思ってたくらいだし」
「だったら幾久、ウチの学校来いよ!」
多留人が大喜びで言うが、幾久は首を横に振った。
「ううん、今の学校めちゃくちゃ好きだからそれはないな」
「ふーん。なんかめずらしいのな」
「何が?」
「だって幾久、そういうこと今まで言ったことないじゃん」
「……?なにが?」
幾久は多留人に尋ねると、多留人は答えた。
「幾久って、『めちゃくちゃ好き』とか、『それはない』とか言わないタイプじゃん」
「……そう、だっけ?」
幾久は自分の事ながらそうだったかなあ、と首をかしげた。
「そーだよ。大抵、わりと、とか、適当に、とかで、はっきり好きとか嫌とか、言わなかったじゃん」
「そうだっけ」
「そうだよ」
そうかなあ、と幾久は思うが、確かにはっきりと意見をいう事はあまりなかったような気がする。
「うちの寮、先輩らがすげー直球だから、なんか染まったのかも」
「へえ。先輩らってどんな?」
興味深そうに多留人が尋ねるので、幾久はいろいろ話して聞かせた。
意地悪な久坂のことや、口は悪いが頭の回転が速くて面倒見のいい高杉、まるで寮母さんみたいにこまかく動き回る吉田に、オタクで変わっている山縣。
学校の制度も興味を引いたらしく、詳しく教えて欲しいと言われ、鯨王寮のことを話すと感心していた。
「うちの学校ちょっと変わってて、高校サッカーはないけど、ユースの生徒がケートスと同じ寮に住んでるよ」
「確かに長州ケートスって育成に力入れてるもんな」
「多留人、知ってるんだ」
「知ってるもなにも、二年前からの快進撃すげーじゃん!今の監督に変わって、あっという間にJ3からJ2上がって、いまやJ2上位だろ?」
「そうなんだ」
ヨーロッパ以外はノータッチの幾久は、国内のサッカー事情には詳しくなかった。
多留人は驚いて幾久に言った。
「おま、前のオリンピック行った選手とか、ケートス所属してんじゃん!」
「へー、けっこう凄かったんだ」
いま知った、といった雰囲気の幾久に、逆に多留人は驚く。
「幾久、相変わらず国内ノータッチなのな」
「うん、ごめん。代表くらいなら判るんだけど」
「謝らなくてもいいって。でもそっか。今はサッカーしてないのか」
うん、と幾久は頷く。
「もう全然駄目だと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ」