男子ジュリエットは和菓子がお好き
唯一の一年生が居ない御門寮は静かだ。
山縣はいつものように食事を済ませて風呂を済ませ、とっとと部屋にこもってしまったが、二年三人は時間をもてあましていた。
「なんか暇だなあ」
とっくにお皿を洗い終わり、明日の朝食の支度まで済ませた栄人が言う。
「暇なら勉強でもせえ」
呼春はそう言って、今のちゃぶ台に問題集を広げているが、瑞祥が言った。
「ハルだってさっきから一問も進んでないよ」
「……」
高杉はペンをちゃぶ台の上に転がした。
「なんか調子狂うの」
「だろぉ?」
「だよね」
いつもなら、お菓子を食べたり、廊下でごろごろ転がったり、サッカーを見ていたり、勉強教えてくださいよーとか言う幾久がいないので、寮の中はやけに静かだ。
「こんなじゃったかのう」
高杉が言う。幾久が来る前はこんな風だっただろうか。
「だって春までは雪ちゃんいたし」
言われてそうだったな、と高杉は気づく。
二年生三人と三年生一人の、寮になるはずだったのだ本当は。幾久がこの寮に入ってこなかったら。
「……こんな静かだったんだねえ」
栄人が言い、ため息をつく。
本当は一年なんか入って欲しくなかった。雪充を他の寮に取られ、誰にも自分達のテリトリーに入れたくなかった。
殆ど高杉の一存みたいなもので、幾久をこの寮に迎え入れてしまったけれど、たった一人いないだけで妙に調子が狂ってしまう。
「ちょっとさ、電話してみない?」
栄人が言う。
「用事もないのにか」
高杉は嫌そうだが、栄人は楽しそうに言った。
「だってさ、気にならない?いっくん何してるか」
「気になる」
瑞祥が素直に答えると、栄人が「な?」と頷く。
「いいじゃん別にさあ。おれら先輩よ?いっくんがあちらの寮にご迷惑かけてないか気にするのはおかしいことじゃなくない?」
ねえ、と栄人が言うと瑞祥も頷く。
「で、ワシに電話せえと」
「だってハルが御門の総督じゃん」
「そうだよ、ハルしかいないだろ」
二人がにこにこと笑って言うので、高杉は仕方なくスマホを手に取った。
電話をかけていいか、と御堀にメッセージを送ると、かまわないとの事なので高杉はそのまま電話をかけた。
「御堀、すまんの」
『大丈夫です』
「ところでうちの一年は迷惑かけちょらんか。みんなが気になる、ちゅうてな」
『迷惑ではないんですけど』
「なんかあったんか?」
『なにかあった、っていうか』
御堀は少し困惑しているようだ。何かあったのならすぐに動かなければならないと高杉と、そばで見ていた久坂と栄人も電話の画面を覗き込む。
『先輩方、お疲れ様です』
久坂と栄人に丁寧に御堀が挨拶してくる。
「いっくん、なんかあったの?」
「どうした?」
『実は、いま寝込んでます』
寝込んでいる、との言葉に全員が顔を見合わせた。
高杉がゆっくり、御堀に尋ねた。
「病気じゃないな?」
連絡が入っていないということは、そんなことはないだろうが。高杉が尋ねると御堀が苦笑いで答えた。
『外郎の食べすぎです』
「へ?」
『今日、僕の姉がうちの和菓子を大量に差し入れてくれたんですが、乃木君が外郎をすごく気に入って』
「……ほう、」
『うちの寮では全員が食べ飽きているんで、そんなに好きなら食べていいよ、と乃木君に譲ったら、どうも食べ過ぎたみたいで』
「うん」
『食べすぎで寝込んでます』
「バカかな?」
瑞祥が言うと、栄人も頷いた。
「バカだね」
「バカじゃの」
『消化剤を飲ませたんで、しばらくすればおさまると思います』
「御堀、すまんの迷惑かけて」
『いえ、こっちはみんな爆笑……笑ってますので大丈夫ですよ。乃木君もいま寝てますし』
御堀は楽しそうに笑っているから、心配はないのだろうけれども、あまりの理由に高杉もなんと言えばいいか判らない。
「まあ、うん、なんかあったら連絡くれ。なんもなかろうけども」
『わかりました。先輩達が心配してたって、乃木君の目が覚めたら伝えておきます』
頼むな、と高杉は告げて電話を切った。
久坂、高杉、栄人の三人は顔を見合わせると、どっとちゃぶ台に突っ伏した。
「……なんなんじゃアイツは」
「外郎の食べすぎって、ホンット、管理してやらないと駄目な子なんだから」
「確かに御堀庵の美味しいけど」
三人が同時に顔を上げて言った。
「ばっかじゃ『ないの』『なかろうか』『ないかって』」
そして顔を見合わせて同時に「はぁ」とため息をついたのだった。
桜柳寮はその頃、爆笑の渦に巻き込まれていた。
少し時間をさかのぼると、夕食後、風呂に入り、皆でおしゃべりをしている時の事だ。
御堀の姉が持ってきたという和菓子の数々を幾久は三吉のおすすめのままに食べた。
和菓子はどれも上品でおいしかった。
そのうちのいくつかは、六花の家で食べたものと同じで、このあたりでは有名なのだな、と思った。
「いっくん、ここのは外郎が有名だよ」
三吉に言われたが、幾久は外郎はあまり好きではなかった。
「うーん、外郎は別にいいかな」
父の土産で食べたことはあるが、甘い餅といった感じでそこまで幾久に興味はなかった。
「まあまあ、いいから食べてみなよ。生外郎、めちゃくちゃ美味いから。めったに食べられないんだぞ」
「そうなの?」
三吉が頷く。
「普通の外郎はあるんだけど、ここの生外郎はね、本店と一部店舗に限定であるだけなの。みほりんのお姉さんが持ってきてくれるから食べられるんだぞ」
なぜか三吉が自慢げに言うので、幾久は「じゃあ、ひとつ食べてみる」と外郎を口にしたのだが。
「……なにこれ」
幾久の固まった表情に、御堀が心配になり尋ねた。
「どうしたの?なにか変なものでも入ってた?」
幾久は大真面目な顔をして、ぶんぶんと首を横に振った。
「美味しい!めっちゃくちゃ美味しい!なにこれ!本当に御堀君ちのお菓子?!」
うん、と頷く御堀に幾久は感動を訴えた。
「これ、すっごく美味しいよ!なにこれ!ほんとおいしい!マジで!作れる人尊敬する!」
もぐもぐと頬張る幾久に、山田が言う。
「だったら好きなだけ食えよ幾。おれらめっちゃ食ってるから」
「!いいの?」
幾久が驚くが、寮生は皆かまわないと頷く。
「いっつも食べてるし、どうせまた差し入れあるだろうし」
「そうそう、折角食べられるんだから好きなだけ食べろ、いっくん」
もう桜柳寮の三年生も幾久をいっくん呼びをはじめているので、幾久は遠慮なく、外郎に手を伸ばした。
所がである。
おしゃべりをしながら台詞あわせをしたり、いろんな話を聞いたりしている間、幾久はずっと外郎をもぐもぐ食べ続けていた。
しばらくすると幾久は、胃に圧迫感を感じてきた。
(……なんかお腹いっぱいな気が)
椅子に座っているときつくなってきて、幾久は「ちょっとスンマセン」と談話室のソファーに横にならせて貰った。
「おい、幾、大丈夫か?」
心配した山田が声をかけてくる。
「うーん、なんかお腹が」
「ひょっとしていっくん、外郎の食べすぎじゃない?」
三吉が言うと、幾久は「そうかなあ」と言うが、幾久が食べた後の残骸、外郎が包まれていた紙を見て山田が呆れた。
「おい幾、お前どんだけ外郎食ってんだ!」
「わかんないよ、おいしかったから」
「やばい量食べてるよ。ちょっと、大丈夫?消化剤飲む?」
「飲んどく」
幾久が言うと三吉が消化剤を持ってきてくれた。
食べすぎと思うと急に意識して、幾久はお腹を抱え込んだ。
「大丈夫?しばらく大人しくしてればおさまると思うけど」
御堀が心配げに幾久に尋ねるが、幾久は大丈夫、と頷く。
「おいしいからきっとすぐに消化する」
その答えに皆爆笑した。
「なんでおいしかったらすぐ消化すんだよ」
「だって、オレがおいしいって思ったらオレの体の中もおいしいって思うし、だったら絶対消化早いはず」
幾久が言うとそこに居た全員がますます爆笑した。
「いっくんおもしれーな」
「御門寮、面白い一年飼ってんな」
「ハル、手を焼いてるって嘘じゃなかったんだ」
笑う先輩達に幾久は言い返した。
「ハル先輩らに手をやいてるの、オレの方なんで」
その言葉に、先輩達はますます爆笑だ。
「すっげ!ハル、そりゃこれ引っ張るわ」
「瑞祥の顔、見てみてーな」
「山縣とうまくやってるって、本当だったんだな」
三年や二年が勝手に納得しているが、幾久にしてみたらよく判らなかった。
御堀は幾久に言う。
「無理して食べちゃ駄目だよ。食べたいなら包んであげたのに」
御堀の言葉に、幾久が「あっ」と言って起き上がる。
「残りの外郎、貰っていい?」
その言葉に更に皆が爆笑する。御堀もこらえきれずに笑ってしまっている。
「……いいけど、今日はもうやめときなよ。包んで持って帰っていいから」
寝て休んでなよ、という御堀に幾久は頷いて「じゃあ、朝ごはんに食べる」といって横になったが、とうとう全員が大爆笑の渦に巻き込まれた。
幾久が寝てしまった後に高杉から電話が入り、御堀が説明した。
しばらくすると幾久が目を覚ました。
「お、幾、目が覚めたか」
山田が言う。
「ご心配をおかけしまして」
よいしょ、と幾久は起き上がろうとするが、三吉がとめた。
「気にしなくていいよ。みんな休んでるし」
聞けばこの時間は学習室で勉強しているのだという。
寮生全員が鳳だけはある、と幾久は感心した。
「いっくん、お茶飲む?みほりんがあたたかいお茶入れてくれるって」
「飲む」
寝ていたおかげで大分消化は進んだようだ。お腹は張っているが、さっきみたいに苦しいほどじゃない。
三吉がお茶を運んできて幾久に渡す。
「このお茶おいしいね」
普通の煎茶だが、甘く感じる。
「みほりんが丁寧に入れてくれてんの。みほりん、お茶もお花もできるんだよ」
「凄い」
なんだか王子様力だけでなく、女子力も高いのか。御堀君ほんとやるなあ、と幾久は感心した。
談話室から見えるキッチンで、御堀は茶碗を洗っているが、音が消音されているのかと思うほどに静かだ。
御堀の後姿を見て、幾久は呟いた。
「ほんっと、御堀君ってなんか違うよね。洗い物してるのにカッコいい」
「桜柳祭でロミオなんかやったら、女の子人気凄いだろうね」
確かに、と幾久は頷く。
男の自分が照れてしまって台詞が読めないほどかっこいいのだから、女の子から見たらもうたまらないだろう。
「え、じゃあオレってひょっとしなくても、女子に敵視されるんじゃ」
幾久が気づいて言うと、三吉が笑った。
「あっはっはーそうかもね、みほりんかっこいいから、ジュリエットに女子はキーってなるかも」
「やばいやばいやばい、オレ絶対やだこわい」
「嘘だって。もう、びびんなよいっくん」
「いや、絶対にそういうのある」
首を横に振る幾久に、三吉はないない、と笑う。
「うちの伝統判ってる人しか来ないから大丈夫だって。しかもただの演劇じゃん、びびりすぎ」
「だって御堀君、なんかスポンサーとかファンとか居るってきいたよ」
ロミオ役だって、スポンサーとの兼ね合いがどうとか言ってそうなったのだから、まさか嘘ではないだろう。
「そうなだよね。みほりん、誉会の人呼ぶの?」
「呼ぶよ。招待する」
洗い物を終えた御堀が、手を拭きながら幾久の隣に移動した。
「お腹は大丈夫?」
「うん、だいぶよくなった。消化したみたい」
「よかった」
ほっとして笑ってみせる御堀はやはり王子様にしか見えない。
「お茶、おかわりいる?」
「うん」
幾久が頷くと、御堀は嫌な顔ひとつせず、また立ってお茶を入れ始めた。
お湯を湯冷ましに入れてゆっくり冷まし、煎茶を入れて丁寧に待つ。
「外郎は」
幾久が言うと御堀が答えた。
「今日はもう駄目」
「ちぇ」
「ちょ、いっくん、まだ懲りてないの?」
驚いて笑う三吉に幾久は答えた。
「だってあれ、間違いなく神の食べ物だよ?」
「神って、いっくんおもしれー」
「いや、御堀君があんなに王子様になんのも、実は外郎のせいかも」
幾久ははっとして、呟いた。
「実はすげえのかも。外郎のポテンシャル……」
幾久が大真面目に言うので、三吉は爆笑してしまい、山田が噴出して御堀もさすがに苦笑いを隠せなかった。
幾久は寮の空いている部屋に通された。
「じゃ、いっくんおやすみー」
「お休み、幾」
三吉も山田も自室で寝るとのことなので、幾久も「おやすみ」と告げ、部屋のドアを閉めた。
桜柳寮はとても静かで、御門寮と同じように、管理は生徒の判断に任せられているとの事で、一応、住み込みの管理人がいるのだが、あまり関わることはないらしかった。
幾久は横になって目を閉じたのだが、なかなか寝付くことができなかった。
(……さっき寝ちゃったもんなあ)
外郎の食べすぎでお腹が痛くなって、しばらく眠ってやりすごしたのでその分今は眠くない。
ごろん、ごろん、と何度も寝返りを打っていたが全く眠くならない。
(こういうとき、御門なら自由にできるのに)
自分の家よりもむしろ自由で、眠れなかったら起きてだらだらしたり、そうこうしていると時山が遊びに来たり、山縣が起きてきたりすることが多かった。
よその寮でそんなんできないなあ、とごろごろ転がっても眠れないものは眠れない。
幾久は仕方ない、と起き上がった。
「談話室いこ」
あそこならソファーがあるので、横になってたら眠くなるかなあ。そう思って部屋を出て、階段を下りて談話室へ向かった。
てっきり誰も居ないと思っていた談話室には明かりがついていて、喋り声が聞こえた。
誰かおきているのかな、と思って覗き込んだが居たのは御堀一人で、おまけに喋っている内容はロミオとジュリエットの、どちらの台詞もそらで言っていた。
(こんな夜中に練習してんの?)
幾久は驚き、声をかけた。
「御堀君?まだ起きてたんだ?」
御堀も驚いたようで、顔を上げ、幾久を見て言った。
「乃木君こそ」
「オレ、寝てたせいか、眠くなんなくて。御堀君は台詞の練習?凄いね」
本当はしなくちゃいけないのに、オレのせいでごめん、と幾久は謝る。
「謝らなくていいよ」
幾久は首を横に振る。
「せめてオレ、相手したいけどちゃんと覚えてなくて」
外郎なんか食べ過ぎたせいで、きっと御堀の予定は狂っただろうに、御堀は一言も幾久を責めない。
御堀はやっぱり王子様然として笑って首を横に振る。
「居てくれるだけでいいよ。台詞は教えるから、なんとなく覚えてるところだけ付き合って」
「うん」
せめて少しでも役にたたなくちゃ、と幾久は御堀の台詞の相手をすることにして、御堀の隣の椅子に腰を下ろした。
続けて台詞を喋った後、御堀がもう一度通したいというので幾久も勿論付き合った。
(……あれ?)
妙だ、と幾久は思った。いつもより全然、御堀の雰囲気がやわらかかったからだ。
台詞を言い終わると、幾久は驚いて御堀に告げた。
「御堀君、なんか全然、今回オレ、恥ずかしくないよ!」
「本当に?」
御堀の言葉に幾久は頷く。
「なんか、嘘みたいに普通。いや、そりゃちょっとは照れるけど」
でもそれは、他の誰でも同じようなことだ。
恋をして、舞い上がっている台詞を言うのはやっぱり役とはいえ恥ずかしい。だけど、いつも御堀に感じるような、やたら圧迫感のある雰囲気は感じなくなっていた。
「なんでだろ。本当に御堀君に慣れたのかなあ」
驚く幾久に、御堀が茶化した。
「外郎のおかげじゃないかな?」
しかし幾久は本気で頷いた。
「そうかもしんない」
御堀はこらえきれずに噴出したのだった。
翌日、部活の時間になった。
昨日ほどではないが、幾久は少し緊張してしまう。
「やっぱりなんか照れるなあ」
ちょっとは慣れたと思ったのに、と幾久は言う。
「なんじゃ、一晩泊まってもその程度か」
高杉の言葉に幾久は文句を返した。
「そんな簡単に御堀君のオーラには慣れないですぅ」
「そんなんで間に合うんか?」
高杉は呆れて言うが、幾久は気にしない。
「なんとかなるんじゃないっすか?」
「ったく、御堀、どねーかせえよ」
「判りました」
御堀はさっと立ち上がると、ポケットから外郎を取り出した。
「御堀君、それって……!」
大好物の外郎を目の前に出され、幾久の目は外郎に釘付けだ。
「上手くできたら、これあげるよ」
「マジで?!うわー、オレ頑張る!」
大好物の外郎を前に、幾久は俄然張り切りだした。
現金な幾久に高杉は呆れたが、まあええ、と御堀に任せることにしたのだった。
傍から見ていた久坂がぼそりと、「犬のしつけ」と呟くと、高杉はこらえきれずに噴出してしまったが。