廻る地球部 prologue
実質は演劇部の、『地球部』の本格的な活動が始まることになった。
夏休みの登校日の午後。
報国院のとある一室では、地球部の部長の引継ぎが行われた。
元部長 三年鳳 桂 雪充
新部長 二年鳳 高杉 呼春
新副部長 一年鳳 御堀 誉
地球部の部長は代々、新入生代表者、つまり入試で最高得点者がなるということだ。
(なんか見たことあると思ったら、確かに入学式で見たんだった)
乃木幾久は御堀を見て、そっか、と納得した。
無理矢理に入らされた部活ではあるけれど、大好きな雪充が喜んでくれているし、高杉も久坂もいるから全く知らない人だらけというわけでもない。
一年生は殆どが鳳クラスで、まだ鳩のネクタイをしている幾久としては少々居づらいが仕方がない。
今日は部長の引継ぎ式と、演目を相談するだけなので全員が集まっているわけでもないのだという。実際人数は二十人も居ない。
新部長になった高杉が、言った。
「では本年度の演目についてじゃが、恒例にのっとって、シェイクスピア劇の演目は一年生の決めたものとなる。シェイクスピアでやりたいものを言え。まず……」
「服部君と瀧川君はお休みでーす」
一年生から声が飛ぶ。
「瀧川は旅行中じゃったな。服部はどねえした」
「熱中症でぶっ倒れました」
別の一年生が説明する。
「アイツはまたか。じゃあ仕方ねえ、おる一年生だけで決める。まず山田」
山田、と呼ばれた一年生は、はい、と頷くと大真面目に発言した。
「『仮面ライダージェネラル』大東亜戦争で失われた戦艦大和、その戦艦を作り上げたプロジェクトチームが政府の秘密工作によりある男を人造人間として生き返らせるも、兵器としての生き方を嫌った人造人間が政府特殊機関と戦う話です」
「シェイクスピア劇とゆうたはずじゃが」
高杉が言うと山田は答えた。
「作者はウィリアム・シェイクスピア・山田です」
「もうええ。次、三吉」
三吉と呼ばれた一年生が、はい、と答えておだやかに答えた。
「目覚めし天空の悪霊と神々の姫君、そして呪われし幻のエデンへ導かれし五つの種族の戦士たち、空と海と大地と星空の伝説へ、過ぎ去りし花嫁を求めて」
「花嫁に逃げられてるな。次、入江」
「いま考え中でーす」
「小学生かお前は。次、品川」
「入江君といっしょでーす」
「小学生かお前等は。次、御堀」
御堀、と呼ばれた一年生は、全身から鳳オーラをきらきらとぶっぱなしながら、幾久の思いもかけない事を言った。
「僕、王子様的な役でないとスポンサーとの兼ね合いがあるのですが」
え?と幾久は首を傾げた。
確かに御堀はもろに王子様とかお坊ちゃまという雰囲気が全開で、アイドルさながらの外見をしているのだけど、スポンサーとは一体何なのだろうか。
疑問に思う幾久だったが、高杉は全く気にせず続けた。
「王子様役な。判った。次、乃木」
「へ?オレっすか?」
「他にどこに乃木がおるんじゃ。幾久、シェイクスピア劇。なんかないんか」
「シェイクスピアって……ロミオとジュリエット、とか?」
幾久が言った途端、他の一年生からブーイングが飛んだ。
「そこはボケて!」
「一週目から答え言うとか」
「バラエティって判って!」
「真面目か!」
えぇ……と幾久は引いてしまう。
「そんなん言われても、オレ今日、初めてこの部活に参加したし」
「それでも流れから理解してくれよー折角暖めておいたネタが!」
「どんなんじゃ。聞いちゃろう」
そう高杉が言うと、山田は「仕方ないなー」と言いながら胸を張って、自慢げに言った。
「紳士戦隊、ジェントルマン!英国貴族の血を引く一族が」
「もうええ。聞いたわしが馬鹿じゃった」
はー、とため息をつく高杉に一年生がまたぶーぶー騒ぎ出した。
「最後まで説明くらい聞いてくださいよ!」
「おーぼーだー、独裁だー」
「我々は断固反対する!」
「自由をわが手に!」
御堀以外の一年生がわーわー騒いでいて幾久は目を見張った。
(ここに入ったときは、なんか皆雰囲気ありそうだったのに)
今日、どんな人がいるのかとどきどきしながらこの部屋へ入った時殆どが鳳で、大人しく静かに穏やかにしていて、さすが落ち着きが違うなと感心したばかりだったのに。
これではまるで幼稚園だ。
しかし、その中で一人、静かにたたずんでいる鳳の一年生がいる。御堀だ。
見ていると、目が合った。思わず幾久は頭を下げると、御堀はじっと幾久を見つめ返した。
(なんかアイドルみたいだなあ)
髪もきちんと整っているし、服装もきちんとしていて、穏やかで大人しく、当然顔の作りもいい。
ぱっちりとした二重に意思の強そうな、すっとした眉は確かに賢さをそのままあらわしているようだ。
「乃木、幾久」
御堀に名前を呼ばれ、幾久は頷いた。
「そう、ですけど」
「どうしてこの部に入ったのか聞いてもいい?」
「あ、無理矢理っす。無理矢理。なんか知らない間に適当に」
「おいそこ、おしゃべりするな」
高杉が言うも、幾久は他の一年生を指差した。
「そっちのほうが喋ってません?」
ブーイングはまだ続いていて、一年生は新しいネタを披露しては高杉に却下をくらっている。
「お前等、ここがシェイクスピア研究会って判っちょらんのか」
はー、とため息をつく高杉だが、一年生の追撃は止まらない。
「もう面倒くせえ。今年の劇はロミオとジュリエットに決定する」
「えー?」
「はぁ?」
「ロミオとジュリエットで劇するなんて、二次元でしか見たことない」
「ありえんマジで」
一年生はわやわやと文句をいうが、高杉は首を横に振る。
「とにかく決まりじゃ。で、御堀、お前がロミオ」
「判りました」
「ジュリエットは幾久な」
「はぁ―――――?!冗談じゃないっす!」
高杉の言葉につい寮のままのテンションで、幾久は怒鳴った。
「冗談じゃねえ。お前がジュリエットじゃ」
「いやっす。絶対に嫌っす!そもそも、オレ裏方なんすけど!」
「そんなん誰が決めた。この部活に裏方なんかおらんぞ」
高杉の言葉に幾久は顔を上げた。すがるように雪充を見ると、静かに雪充は微笑んでいた。
「……マジで?」
久坂が言った。
「マジだよいっくん。みんな舞台に立つの。雪ちゃんは引退したから出ないけど」
「じゃあオレも引退します」
「なにまるで今まで所属してましたみたいな事言っちょんじゃ」
「だって!女装とか!絶対いやっすよ!」
幾久が言うと、雪充が笑いながら答えた。
「大丈夫だよいっくん。うちの部には女装はないから」
「そうそう。うち男子校だしね。ありえないって」
雪充に賛同したのは二年生の来島だ。
「でも、ジュリエットって、女の人ですよね?」
幾久の言葉に、一年生の一人が尋ねた。
「いっくんって、ウチの部活がどんなのか知らないの?全く?」
いつの間にかいっくん呼びされていたが、別にそこはいいとして、ウチの部活とは何なのか。
高杉が答えた。
「全く知らん」
そこでやっと口を開いたのが、顧問の玉木先生だった。
「あら、じゃあ教えてあげないと。あのねえ、ウチの学校の劇は、全部男でやるのよ?」
「はあ」
男子校なんだから全部男なのは当たり前だが、と幾久は思ったのだが、玉木は苦笑して「うーん」と腕を組んで説明した。
「そうじゃなくてね、配役もぜーんぶ、男にしちゃうの」
「男にしちゃう?」
そうそう、と玉木は頷く。
「つまりね、ジュリエットはジュリエットっていう役なんだけど、男がやって、台詞も男言葉に代えちゃうの。女性役は全部それよ?」
「……は?」
意味が判ってきたような、判らないような。つまりは、どういう事だって?と幾久が首を傾げる。
「じゃあ、あの、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?みたいなのを?」
玉木が答えた。
「おお、どうしてお前はロミオなんだ!みたいな?」
「男同士で?」
「男同士で」
「なーんだ、それなら」
別にいいか、とホッとしそうになった幾久だが、待てよ、と立ち止まる。
「ロミオとジュリエットって、確か恋愛物でしたよね?」
「そうよ?」
「……恋愛物?」
「ええ、そうよ」
「……男同士で?」
「そうなるわねえ」
「ということは」
「そういうことね」
ちょっと待て、それってどっちにしろなんか良くないじゃないか。
「いやっす」
やはり幾久はそう言うが、玉木は答えた。
「いいじゃないの。とってもセクシーで」
玉木先生は言語センスが独特で口癖は『セクシー』なのだが、いまそれいう事か?と幾久は首をかしげる。
高杉は言った。
「お前の希望通りの劇をしてやるんじゃから文句はなしじゃ」
「別に希望していませんけど」
「ロミオとジュリエットがエエゆうたじゃろうが」
「それがいいわけじゃなくて、それしか知らないんすよ!」
適当に答えただけなのに、なんでこんな役をしなければならないんだと思ったが、高杉もほかの面々も似たもの同士だった。
「幾久……乃木がジュリエットがエエと思うものは挙手!」
そう言うと、幾久を除く全員が挙手した。
「ひっでぇ!」
幾久の抗議は見事にスルーされた。
「次、キャピュレット夫人は山田」
「なんでおれが!」
山田と呼ばれた一年の言葉に、やっぱり女性役は嫌なんじゃないかと幾久は思う。
「異論のあるものは挙手」
高杉がそういうと、やはり山田本人以外は全員手を上げなかった。
「多数決で山田がキャピュレット夫人に決定」
「仮面ライダージェネラルならやります」
「一人でやれ、止めん。次、モンタギュー夫人は服部、ジュリエットの乳母は瀧川。異論があるなら挙手」
今日欠席の人の名前をわざわざ言っているあたり、確信犯じゃないか。
しかし女性役でなければいいのか、全員異論はなかった。
高杉の独断と偏見で配役は決定され、事もあろうに幾久の役はジュリエットとなったのだった。
「ジュリエットって……まじか」
演劇部(正しくは地球部だが)に所属させられた挙句にジュリエット役で、しかも中身はそのまま男とか、逆に素直に女装のほうがまだ良かったのかもしれない。
(なんて学校だよ、今更だけど)
自分でここがいいと、今日手続きをしたばかりなのに、早速後悔してしまいそうになった。
落ち込む幾久に玉木が慰めた。
「一年おきとはいえ、そこまで変でもないわよ?気にしなくても大丈夫、見る人は慣れているんだし、そこを求めてくる人も多いんだから」
「なにを求めてるんすか、何を」
そういうの求められるのもなんだか嫌だ、と幾久は思ったのだが女装よりはまだマシなのかもしれない。
ただ、文句を言っても高杉相手ではどうにもならないことをよく知っている幾久は、諦めるしかないのは理解した。
「じゃあ、今日はもうお開きにしましょうか」
玉木が言うと、生徒は賛成、と声を上げた。
「演目も決まったし、部長も交代したし、部員も確実に決まったのもあるし、お祝いしなきゃね」
「先生、おごり?」
生徒の声に玉木が答えた。
「経費よ経費。部活動の一環ですもん」
やったーという声と共に、玉木はにこにこと笑っていて、幾久はよく判らないままに肩を落とした。
玉木の勧めで商店街の中にある『ますく・ど・かふぇ』に行くことになった。
「いっくん元気出しなよ」
「出ないっす……」
大好きな雪充と一緒に歩いてもちっとも気は晴れない。
いくら女装はないと言っても、女性役には違いないし、そもそも舞台になんか学芸会以外で立ったこともないというのに。
「演劇とかよく判らないのに、なんか演目オレが適当に言ったのになっちゃうし、オレ、ジュリエットだし」
ぶつくさ文句をいう幾久に雪充はごめんと謝った。
「でも、いっくんが入部してくれて僕は嬉しいな」
雪充は言うが、幾久はむっとして返す。
「雪ちゃん先輩、今日で引退じゃないっすか。今日だけなんてだまされた」
「本当なら引退するけど、これからもちょくちょく部活には顔を出すよ。いっくんがかわいそうだし」
雪充の言葉に後ろから歩く高杉が言った。
「雪、あめー」
久坂も頷く。
「甘いよー雪ちゃん。うちの一年甘やかさないで」
「お前等の事だから、どうせだまし討ちみたいなことしたんだろ」
「そう!そうなんすよ雪ちゃん先輩!」
思い切り頷く幾久に高杉と久坂は顔を合わせた。
「だまし討ちなんて」
「そんな卑怯な」
幾久は何度も頷く。
「全くそのとおりッス。ほんとだまされました」
雪充は笑った。
「じゃあ、少しくらい甘やかしても問題ないな」
「ないっす!全然ないっす!」
雪充が来てくれれば、高杉も久坂も少しは大人しくなるに違いない。そう思った幾久は必死に雪充に頼んだ。
「絶対、絶対に来てください雪ちゃん先輩!でないとあの二人に酷い目にあわされる」
高杉と久坂がまた言った。
「酷い目じゃと」
「なんかいっくん、僕らを誤解してない?」
幾久は振り返り言った。
「してないっす!全くもって正しい判断しかしてないっす!」
ぶつぶつ文句を言う幾久だが、雪充が宥めた。
「まあまあ、暫くしたらタマも一緒に出来るから」
「タマも?え?なんでっすか?」
「タマは軽音部だろ?うちの効果音とかは軽音部が扱ってくれるんだよ」
「へー!」
児玉が軽音部に所属しているのは知っていたが、地球部と軽音部にそんな繋がりがあるとは知らなかった。
「舞台のパネルも、必要なものは美術部が作ってくれるし、映像は映研が協力してくれる。一口にうちの部活と言っても、みんな他の文化部と協力してやるから、うちだけの話しでもないんだよ」
「なんかそれって、すごく責任重大じゃないっすか。失敗したらどうしよう」
演劇だけなら失敗しても、部活内ですむことなのに、そんなに沢山の部と関わってもしとんでもない大失敗したら、と幾久は急に怖くなる。
だが、そんな幾久の心を見透かしたように雪充が告げた。
「失敗なんかないから安心しなよ」
「え?」
「舞台は生ものだからトラブルはつきものだし、一人が失敗しても必ず全員がフォローにまわる。だから絶対に失敗なんてものはないんだよ。これまでの舞台も全部そうだったから大丈夫。そこは安心していいから」
「そう、なんすか?」
舞台なんて、台詞もきちんと覚えてなにもかも完璧にしなければならないような気がするのに。
「トラブルやイレギュラーの発生しない事なんかありえないよ。問題はそれをどのくらい予測して、予測していないことはどう対処できるようにするか、だからね。自分できちんと考えれば、必ず道は開けるよ」
雪充にそう言われれば、そんな気がしてくるから不思議だ。
「なんか雪ちゃん先輩が言うなら、大丈夫な気がしてきた」
幾久の言葉に雪充が、あははと笑った。
「そう、その調子。問題が起こっても大丈夫。僕らならどうにでもなる」
そう言ってぽんと肩を叩かれた。見上げると雪充が笑っている。
(やっぱ雪ちゃん先輩って、三年生だなあ)
「あー、また雪が後輩たらしこむ」
「ちょっと雪ちゃん、御門の貴重な一年とらないでよ」
後ろから相変わらず高杉と久坂が突っ込みを入れてくる。どんだけ雪充にからみたいんだこの二人は、と幾久もちょっと呆れてしまう。
「先輩たちも雪ちゃん先輩見習ってもうちょっと大人になってください」
「うわ、雪にまんまとやられとるぞコイツ」
「ほんっと雪ちゃん、詐欺師」
雪充は言われっぱなしだが、さすがにやはり二人の扱いをよく知っていた。
「あんまり僕をけなしてると、いっくんの僕に対する株が上がりまくるよ」
ね、と雪充がふざけて言うので、幾久も当然頷いた。
「そうっす。上がりまくりっす。まさに上昇中っす」
実際にそのとおりだった。茶化しているばかりの高杉と久坂に比べて、雪充のなんと大人なことか。
この先の部活の不安も、どうしようかという形にならない悩みにも、雪充はいつも幾久が欲しい言葉を的確にくれる。
「雪ちゃん先輩が部長のままだったら、オレ絶対に自分から入部したっす」
「嬉しいな。ちゃんとこれからも、時々見張りに来るから大丈夫だよ」
見張り、というあたりが妙にしっくり来て、幾久は頷く。
「絶対っすよ」
「うん、約束するよ」
そう言っているうちに、『ますく・ど・かふぇ』へ到着した。店に『貸切』の札が下がっているので、玉木先生がわざわざマスターに頼んだのだろう。
いつものように高杉が、店のゴングを鳴らした。
「よしひろー、来たぞ」
「だから名前で言うなっつってんじゃん!」
飽きもせず、毎回同じやり取りを繰り返す。
本当はこの二人、仲がいいのだろうなと流石に幾久も判るくらいには常連になっていた。
「さ、入ろうかいっくん」
「ウス!」
全員が冷房のきいた店に入っていき、適当に席を探した。
「そういえば、雪ちゃん先輩」
「うん?」
幾久は疑問に思っていたことを尋ねた。
「どうしてここ、演劇部じゃなくて『地球部』って言うんすか?」
シェイクスピア研究会、というのは判ったがなぜそんなヘンな名前なのかが判らずに尋ねると雪充は言った。
「それは今から説明するよ。それよりいっくん、何が食べたい?」
「カキ氷!しろくま!」
店にあるメニューはもう完全に把握している。
幾久が言うと、雪充は「判った」と笑って頷いた。
夏休みは残り二週間もない。
これから毎日が、桜柳祭まで、毎日がお祭り騒ぎのようになる事を幾久はまだ知らない。
「桜柳祭まで覚悟しとけよ幾久」
高杉の言葉に幾久はつーんとそっぽを向いた。
「終わったら退部しますもん」
「逃げ切れるかなあ」
久坂が余裕の笑みを浮かべる。
「絶対に、逃げてみせます!」
雪充がいない部活なんて意味がない。
絶対に全力で逃げ切ってやる!と幾久は決意した。
『ますく・ど・かふぇ』の扉が閉まり、そして暫く、賑やかな学生たちの笑い声が響いたある夏の日の午後。
桜柳祭で、男性ジュリエット役で喝采を浴びた幾久のパネルが店に飾られるのは、もう少し未来の事になる。
廻る地球部 prologue・終わり