いい先輩キャンペーン終了のお知らせ
さて、登校日になり夏休みも残り三分の一を切ることになった。
幾久は毛利に呼び出され、職員室へきていた。
職員室は人が多く賑やかで、向かいには玉木先生と話をしている雪充の姿があった。
(雪ちゃん先輩だ!)
じっと見ていると雪充が幾久に気付き、笑顔を見せた。後で話ししようっと、と思っていると毛利が言った。
「書類関係はこっちからおまえんちに送っとくから、何もせんでいい。来期から、つうよりもう今日から完全にウチの生徒だからな。もうお客さんじゃねえっつう自覚しろよ。あと親御さんには手続き終わったって一応、お前からも言っておけ」
「ウス!」
幾久の表情は晴れやかだ。
これで名実共に、報国院の生徒として居られる。
三年間、この学校で過ごすことが出来るのだ。
同じ職員室の中、離れた場所で雪充が玉木先生となにか喋っていた。
まだ話は終わらないっぽいので外で待っていてあとで挨拶しようと幾久はご機嫌だった。
「ご無礼しまース」
そういってぺこりと頭を下げ、職員室を後にした。
職員室を出たところで、丁度同じく呼び出されたらしい、久坂と高杉も居た。
「ハル先輩、久坂先輩」
ずいっと久坂が近寄ってきた。
「瑞祥先輩」
自分で自分の名前をいう久坂に幾久は首を傾げた。
「は?」
久坂はもう一度幾久に言った。
「瑞祥先輩」
「え?」
(これってひょっとして、名前で呼べって言われてるのかな?)
「……ず、瑞祥先輩」
「よろしい」
よく判らないが、名前で呼ぶように要求されていたらしい。
対応は正解だった。
そんな久坂の様子を見て、高杉が噴出した。
「お前、一人だけ幾久に苗字で呼ばれておったのが気に食わんかったんか」
確かに二年生の吉田も高杉も、幾久は名前で呼んでいるが、それは最初にそう呼べと言われたからだ。
それに三年の山縣のことは苗字で呼んでいる。
(ガタ先輩は数に入ってないのか)
相変わらず山縣とは言え、三年に対する態度じゃないよなあ、と幾久は自分の事を棚投げしつつ思う。
「それより、部室行くぞ」
「え?」
「今日から桜柳祭に向けて、本格的な練習に入るからね」
「は?」
驚く幾久に、久坂と高杉はあきれ顔だ。
「いっくん、部活にもう所属してるって言ったでしょ」
確かにそれは聞いた。
でもそれは、三ヶ月の間ここにいるかどうか判らないから、とりあえずの処理だったはずだ。
確か先輩達の部活は演劇部とか言っていた。
(うわー嫌だ。面倒くさい)
そもそもこの目立つ先輩達と同じ寮というだけで悪目立ちしているのに、これ以上目立つなんて冗談じゃない。
「オレ退部します。それじゃ」
早く御門寮に帰って、ゆっくりカキ氷でも食べようっと思っていた幾久に、高杉が立ちはだかる。
「残念じゃの。退部は部長、副部長が許可せんにゃできん」
「え?」
「他の部はどうか知らないけど、ウチの部はそうなんだよ」
久坂の言葉に幾久が驚く。
「そんなの横暴だ!」
「しょうがねえじゃろ、決まりじゃからの」
「!ぶ、部長と副部長って」
「部長は雪ちゃん、副部長はハルだよ。でも最終的な決定権は部長にしかない。但し今から引継ぎ式があるから、もうすぐハルが部」
「雪ちゃん先輩ぃぃぃぃぃ!」
雪充ならさっき職員室の中に居た!今なら間に合う!と幾久は再び職員室の中へ入ろうとするが、丁度雪充が職員室から出てきた。
「雪ちゃん先輩!」
ダッシュで駆け寄って必死で制服を掴む。
「やあ、いっくん、久しぶり。イギリスのお土産があるから後で部室で渡すね」
「え?」
雪充はにっこりと笑って言う。
「毛利先生に聞いた。いっくんが報国院を選んでくれて僕も嬉しいな。これで名実共に、僕の後輩だね」
「あ、ハイ」
雪充の後輩と言われては、幾久は何も言えなくなる。
「それに、部活にも所属してくれるんだって?ありがとう。あんまり部員が居ないから、退部した後が心配でね。いっくんが所属してくれるならこれ以上なく嬉しいよ」
「あ、あの、そのことなんすけど」
雪充に言われたら逆らえなくなりそうだが、ここはきちんと断っておかないと絶対に面倒なことに巻き込まれてしまう!と幾久は雪充に告げた。
「オレ、部活とかそういうの無理なんで、辞めさせてください」
幾久の言葉に雪充は驚くが、ひとつため息をついて幾久に告げた。
「……いっくんの願いなら聞いてあげたいけど、僕には無理だよ」
「どうして?雪ちゃん先輩、部長なんすよね?」
雪充はさっき出てきた職員室の中を親指で差した。
「その部長をつい今、辞表を提出してハルに名前を変えたばかりなんだよ。その手続きで職員室に来たの。僕もあいつらも」
「ああああああああ」
何と言うタイミングの悪さだろうか。
ほんの五分、早く気づけば間に合ったかもしれなかったのに。
「追い討ちをかけるようで悪いけど、この時期にうちの部活に所属している場合は、桜柳祭まで辞めることはできないんだ」
「まじっすか」
「桜柳祭での舞台はうちの目玉のひとつでね。チケットも売っているから、急に辞められてどうこうっていう訳にもいかないから。急病とか、そういうのでない限りはまず許されない。諦めていっくん」
「ええええ、本当に?!マジで?」
うわー、軽く考えるんじゃなかった、早く知っておけばよかったと思ったがもう遅い。
「というわけじゃ。諦めェ」
「よろしくね、いっくん後輩」
「なんなんすか!先輩ら、横暴っす!」
幾久は怒鳴るが、全員どこ吹く風だ。
「今更だね」
「今更じゃ」
「今更だから、諦めようねいっくん」
雪充までこの有様で、もうどうしようと思っていると、幾久の目の前に久坂と高杉がどさっと持っていたバッグを置いた。
「?」
「部室は知っちょるじゃろ」
「持ってきてね、いっくん後輩」
「えー!なんでそんな!」
ぶーぶー文句を言う幾久に、久坂と高杉は顔を見合わせて言った。
「幾久、お前もう報国院の生徒じゃな?」
「ハイ」
「書類ももう出されたんだよね?」
「ハイ、先生がうちに送るって」
「だったら一年生は二年様に従え」
「荷物よろしく」
そう言って久坂と高杉は、二人して身軽になって部室へと歩いていく。
「なんなんすか!なんなんすか!ただのいじめっ子じゃないっすか!」
怒鳴る幾久に、高杉は言った。
「いい先輩キャンペーンはもうおしまいじゃ」
久坂も言う。
「ちゃんと年上に従ってね」
そう言って歩いていく二人に幾久は呆れ、傍に居た雪充に訴えた。
「雪ちゃん先輩!あれなんなんすか!」
苦笑いで雪充が答えた。
「うーん、だからむしろ、あれが本来の二人なんだよねえ」
「は?」
「言ってたろ。いまいっくんが見ている二人がむしろおかしくて、ああいうのが本来のあの二人だって」
「……だまされた!」
幾久の言葉に雪充は思わず噴出す。
「確かにその通りかもね」
「ヒドイ!雪ちゃん先輩!オレこんなことしなくちゃなんないんすか?!」
怒りまくる幾久に、雪充は笑いながら告げた。
「いっくんはどうしたい?」
「え?」
「あいつらがああなのはいつもの事だけど。でもいっくんはどうしたい?言われた通りに従いたい?」
雪充にそう言われ、幾久は考える。
あの二人がいつものように幾久を茶化して面白がっているというのはわかる。
でも、素直に従うのもむかつく。
「従いたくないっス」
「じゃあ、好きにしたらいいんじゃないかな?」
うーん、と幾久は考える。
二人のバッグの中には貴重品が入っている。
だから幾久がここにおきっぱなしにできないのも承知の上でわざと置いているのも判る。
幾久の判断を完全に理解した上での行動だ。
(じゃあ、こっちだって先輩の行動を理解した上で、好きにやってやろうじゃんよ!)
幾久は高杉の鞄を開ける。やっぱり、スマホはないのでそれだけは持っているらしい。
幾久は自分のスマホを取り出すと、ある人にメッセージを打ち、すぐさま別人にもメッセージを送った。雪充はその様子を隣で楽しそうにじっと見つめ、幾久はメッセージを送り終わると、高杉に電話をかけた。
「あ、ハル先輩?幾久です。先輩のバッグ、めっっっっちゃ重いんで、ガタ先輩に寮まで届けてもらうようにお願いしましたんで、それが嫌ならすぐ戻ってきてください。あ、瑞祥先輩そこにいます?タマにかばん持ち頼むって瑞祥先輩が言ってたって伝えたんで、明日から毎日タマが先輩を迎えに来るかもしれませんよ」
幾久のスマホの向こうから高杉の『おいッ!』という怒鳴り声が聞こえたが知るもんか、と幾久は会話のボタンを停止させた。
隣で雪充が、震えながら笑いを堪えていて、やっぱりこれで正解だったと幾久は得意な気分になった。
遠くから、どどどどどというわざとらしい足音が聞こえてくる。すれ違った人が時折ぎょっとした目で振り返るのも当然だ。山縣がものすごい勢いで廊下を駆け抜けてきたからだ。
「あ、ガタ先輩おつっす」
「後輩、お宝は」
「はい」
高杉の鞄を渡すと、山縣は幾久の手にうまい棒を押し付けた。
「よくやった」
山縣がぎゅっと高杉の鞄を抱きしめている所を、丁度高杉が戻って来た。
「幾久、お前っ!」
「ハル先輩おつっす。良かったッスね、ガタ先輩が運んでくれるそうッスよ」
鞄を抱きしめる山縣に、高杉は心底嫌そうな顔をして手を伸ばした。
「ガタ、今すぐその鞄をこっちへよこせ」
「高杉がチューしてくれたらかえ」
山縣は肩を引かれ、幾久の視界から消えたかと思うと久坂に床に倒された所だった。
音もなく、それは見事に「くるん」とでも表現できそうな技のかけ方だった。
「鞄返して」
苦手な久坂に笑顔で言われ、山縣は渋々バッグを返す。
ところが、そこに児玉がやってきた。
「久坂先輩!鞄お持ちします!」
うわ、面倒なのが来たと久坂が顔をしかめる。
児玉は憧れて尊敬していたお兄さんが、実は久坂の兄の杉松だと知ってから久坂に忠誠を尽くすと誓っているのだ。
「鞄、これとこれっすか?お運びします!」
「いや、タマ後輩」
「これから部活っすよね!じゃあ部室でいいっすよね?お先に運んでおきます!」
久坂に仕事を与えられたと思っている児玉はしっぽを全力で振っている犬みたいに喜んで、高杉と久坂の鞄を抱えた。
「幾久、お前の鞄は?」
「自分で運ぶからいいよ。じゃ、タマ行こっか」
お疲れさまーっす、と言って部室へ向かう児玉と幾久に、二年、三年はそこに残されていた。
爆笑する雪充に、久坂と高杉はむっとしたままだ。
「やられたねハル」
「やられたのう、瑞祥」
完全に今回の軍配は幾久に上がった。
この面倒でややこしく、横暴で負け知らずのはずの久坂と高杉がこうも手玉に取られるのは珍しい。
「いい後輩に育ててるじゃないか」
くっくっく、と雪充が笑うが、久坂と高杉はお冠だ。
「どうせ雪がいたらん入れ知恵したんじゃろう」
「反則じゃないの雪ちゃん」
「僕はなにも言ってないよ。いっくんが怒ってたから、どうしたい?って聞いただけで」
「雪ちゃんがそういう風に言ったら考えるに決まってるじゃんよ」
あーあ、と久坂はため息をつく。
「ハル、部室行こっか。負け組は負けを認めないと」
「くそ、幾久の奴、ガタをええように使いやがって」
傍にいた山縣が高杉に声をかけた。
「高杉ィ、オレになんか用事ない?」
「ない。帰れ」
きっぱりと断られ、山縣はすごすごとその場を後にした。
「桂先輩、お疲れ様です」
まだ笑っている楽しそうな雪充に、一年の鳳クラスの子が声をかけてきた。
「やあ御堀、お疲れ様」
御堀、と呼ばれた子は礼儀正しく、きちんと頭を下げた。
「久坂先輩も、高杉先輩も。お疲れ様です」
「おお、御堀か。お疲れ様」
「お疲れ」
丁寧に一人ずつに一年生が頭を下げる。
むくれている高杉、がっかりしている久坂に爆笑している桂雪充なんてめずらしい姿に御堀は尋ねた。
「先輩達、なにかあったんですか?」
御堀の問いに、雪充が頷く。
「いまこの二人が、御門の一年生に負けてね。面白かったよ」
久坂と高杉が負けたと聞いて、御堀は驚いた顔を見せた。
なぜなら、鳳クラスに所属する全員は、久坂に高杉、桂雪充といった面々を知っているどころか、崇めているものすら居るからだ。
「先輩達でも負ける事ってあるんですね」
「滅多にないけどの」
「そうだね」
負けたと言いながら全員どこか楽しそうで、御堀はどうしてだろうと首を傾げた。
この三人とも、代表的な鳳の生徒らしく、プライドが高く実力もあり、負けることが大嫌いなはずなのに。こんな楽しそうな、どこか困ったな、という風な三人を見たことがなかった。
「じゃ、部室に行くか。引継ぎ式があることじゃしの」
高杉の言葉に全員が頷く。
「御堀はしっかり見ておかないとね。来年は君が部長なんだし」
桂の言葉に御堀は頷く。
「ご期待に沿えるよう、頑張ります」
「お前も手を焼かんようにな。今年は面倒なのがおるけえ」
高杉の言葉に御堀が首をかしげる。
「誰の事ですか?」
すると久坂が答えた。
「わが御門寮の王子様、乃木幾久だよ」
「そんなん言ったら、幾久にまた嫌がらせされるぞ」
「えー、怖いな」
そう言って高杉と久坂は楽しそうに笑っている。
この二人がこんな風に楽しそうにしているのを御堀は見たことがない。いつも冷静で感情を動かすことがあまりないからだ。
そんな様子を見ながら御堀が雪充を見ると、雪充は「まあ見てなよ」と楽しげに笑って言った。
「普通の、なんてことない子だけどね。面白いよ」
普通のなんてことのない事の、何のどこが面白いのだろう。御堀はそう思ったが、尊敬する先輩達の言葉にはあえて逆らわず、その言葉だけを胸に留めた。
乃木幾久と、御堀誉。
二人が報国院の伝統でもある部で、舞台で大喝采を浴びるのはそう遠くない未来であるのを、誰もまだ知らなかった、ある夏の日の午後の出来事―――――
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