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せっかくあなたをみつけたのに

 仏間に行きたいと言うので、六花と幾久と児玉は三人でダイニングから庭に面した方の廊下へ向かった。

 この報国町は山が近いので山風が降りてくるので夏は涼しいのだが、日本家屋となると元々夏が涼しいように作られているから一層過ごしやすい。

 昔ながらの廊下を裸足で歩く。廊下の窓は全部開けられて、風が直接入ってくる。扇風機すら必要ないくらいだ。

「……」

 児玉はじっと久坂家の庭を見つめた。

 芝生、庭木、そして塀のあたりに池、小さな滝も食い入るように。

 あまりの広さと立派さに驚いているのかと思った幾久は、児玉に笑いながら言った。

「広いよな、ここんち。オレ、最初寺か旅館かと思ったもん」

「……ああ」

 児玉はどこか上の空で、じっと庭を見つめている。

 夏のまぶしい日差しの中、庭に敷き詰められた芝生は、まるで絵の具をそのまま零したような鮮やかな緑色だ。

 どうしたのだろう、庭に興味でもあるのかな。幾久が児玉を見ていると、先に歩いていた六花が仏間の襖を開けた。

「さて、到着。杉松、いっくんのお友達のタマちゃんがご挨拶したいってさ」

 相変わらず、そこに夫が座っているかのように、六花がやさしく杉松の遺影に声をかけた。

 その遺影を見て、児玉は驚く。

「……、その人、は?」

「久坂杉松。瑞祥の兄。よろしくね」

 幾久が言った。

「久坂先輩に似ててイケメンだよな、タマもそう思うだろ?」

「―――――の、人だ」

 児玉は、小さく呻くような声で言った。幾久はどうしたんだ、と児玉を覗き込む。

「タマ?」

「……この人だ」

「え?」

「間違いない、絶対にこの人だよ幾久!」

 絶叫のような児玉の声に、さすがに六花も驚く。

 児玉は搾り出した声で呟いた。

「なんで、もう亡くなってたなんて、そんな」

 幾久も六花も驚くほど、児玉はうろたえて慌てていた。

 どうしよう、なんで、と何度も繰り返し繰り返し、そしてとうとう、堪えきれずに泣きそうな顔になり、幾久に告げた。


「―――――俺が探してたのは、この人だ」


 そう言って児玉は、ぼろぼろと涙をこぼし、膝をその場について、泣いた。



 憧れて憧れて、いつかあのお兄さんのようになるのだと、そればかり考えて報国院を目指し鳳を目指し、御門寮に入りたかった。

 いつか会ってお礼を言うのだ、あなたみたいになりたかったのだ、近づきたくて、頑張った。

 同じ年頃になったけど、あなたに少しは近いだろうか、近づけているだろうか。

 そしてあなたはきっと今頃立派な大人になっているに違いない。

 なんたって鳳だったから、いい大学に行ってるだろうし、県外で働いているかも。

 ひょっとしたら博士なんかになってるかも。

 もしそうなら、同じようになりたい。

 優しくて傍にいてほっとさせてくれた、穏やかで賢くて、あんな人になりたいと幼心にはじめて思った憧れの人。

 それなのに。



 動揺して号泣する児玉に何を言えばいいか判らず、幾久はおろおろとするしかなかったが、六花はその様子を見ると、やおら立ち上がり、仏間を出てすぐに戻って来た。

 水でぬらしたタオルを持ってきて、児玉に渡した。

「気が済むまで何時間でも居ていいから、終わったらダイニングに戻っといで」

 六花の言葉に、児玉は涙を零しながら何度も頷く。

 児玉がタオルを受け取ると、六花は告げた。

「ここって無駄に広いから、よそん家に声聞こえないから」

 児玉は何度も頷く、六花は幾久のTシャツの裾を引っ張ると「来い」と仏間を出て障子を閉めた。

 途端、児玉の苦しさをこらえ切れないような泣き声が聞こえ、幾久の胸は締め付けられるように痛んだ。


 六花はまるで、児玉のことは気にしていないようだった。

 ダイニングに戻るといつものように、お茶を用意してお菓子を出した。

「……タマ、大丈夫かな」

 心配で仏間に戻りたくなるが、そんな幾久を六花は止めた。

「ほっときなさい。こういう時は、一人にして貰ったほうがありがたいの」

 六花の言葉には妙な説得力があって、幾久は頷く。

「タマちゃんだって子供じゃないんだから、気が済んだらちゃんと出てくる。それより、いっくんは状況判る?」

 六花は幾久の向かいに腰を下ろし、綺麗な最中を取り出した。幾久は頷く。

「そう。じゃあ、タマちゃんがなぜ、あんなに杉松を見て号泣してるのか教えてくれる?」

 幾久は頷き、自分でも記憶を探りながら児玉に教えてもらったことをゆっくりと話し始めた。


 幼稚園児の頃、商店街から道に迷ってしまったところを鳳の生徒に助けられたこと。

 御門寮らしき場所に、高校生のお兄さんとお姉さんが居て、お姉さんが手当てをしてくれたこと。

 助けてくれたお兄さんが優しくて、名前を漢字で書けない自分に、熱心に教えてくれたこと。

 かっこよくて憧れて、いつかああなりたいとずっと願っていたこと、その一念でずっと幼い頃から、報国院を目指して鳳クラスに入ったこと。

 幾久の説明に、六花は驚いていた。

「思い出したよ、あん時の迷子!そうそう、確かに児玉って言ってたわ。なんで思い出さなかったんだろう。確か変わった名前だったのよ」

 名前なんだっけ、という六花に幾久が答えた。

「児玉無一」

「そーよ!杉松がずっと、漢字の『無』の書き方教えてた!そーよ!そーよ、あの子があのタマちゃんだったの?ウワー、こんな事ってあるのねえ、いやもう、なんなの、事実って小説よりおかしいわホント」

「ってことは、手当てしてくれたお姉さんって」

「間違いなく私だわ」

 ほー、と六花は感心しきりだ。

 でも、と幾久は思う。

 そうならなぜ、御門寮のはずなのに久坂の家に学生が居たのだろうか。

 ひょっとして、今回みたいにたまたま帰省していたとか、そういう事でもあるのだろうか。

 幾久が疑問に思っていると、がらりとダイニングの扉が開いた。

 児玉が戻って来たのだ。

「おや、もう大丈夫?」

 六花の問いに、児玉が頷いた。

「ご迷惑おかけして、スミマセン」

 泣きやんではいるものの、目も鼻も頬も真っ赤で声もがらがらに擦れている。顔は洗ってきたらしいが、ひどく泣いたのは一目瞭然だった。

 幾久の隣に、児玉は腰を下ろした。

 こういうとき、何をどう言えばいいのだろうか。

 児玉は泣き止みはしたものの、ショックはまだ残っているのが判る。

 しかし、六花は全く気にする様子を見せず、児玉の前に入れたお茶を出した。

「喉渇いたでしょ。お飲み」

 児玉は頷き、お茶を一気に飲み干す。六花は茶碗を取り、そこへもう一度お茶を入れた。

「スンマセン」

「いーって事よ」

 児玉はお茶を持つと、一口含み、ぽつりと呟いた。

「まさか、久坂先輩のお兄さんだったなんて」

「こっちも驚いたわー。あの迷子のギャン泣きしていた幼稚園児が、まさかタマちゃんだったとは」

「……俺の怪我の手当てしてくれたのって、六花さんだったんですね」

「そうよお、綺麗なお姉さん覚えてるでしょ?」

「いや、そこまでは」

 泣きはらしたくせにそこはしっかり否定する児玉に、幾久は思わず笑う。

「空気読めよ少年達」

 六花の言葉に幾久は噴出し、児玉もつられて笑ってしまう。三人でなぜかおかしくて笑っていると、「ただいま」と声がした。久坂と高杉が帰ってきたらしい。

「丁度良かった。ついでだから、最初からあいつ等にも聞かせてやろう」

 六花は二人を迎えに玄関へと向かった。



「おう、幾久起きたか。トシの事じゃけど―――――なんじゃ児玉、どうした」

 帰ってきて椅子に腰を下ろし、そして顔を上げた高杉は児玉を見て驚く。泣きはらして真っ赤な顔をしていたからだ。

「いっくんが苛めたのかな?」

 久坂は高杉の隣に腰を下ろし、テーブルに肘をついて手を組み、顎をのせてふふっと笑って言うが、なぜか機嫌が良さそうだ。

「違いますって。そのあたり、ちょっと複雑でややこしい事情がありまして」

「事情?」

「説明してやっから、お座り」

 六花が言うと高杉と久坂は二人一緒に「もう座ってます」と答え、六花に「お上手に」と言われ、二人はさっと顎を引いて背を伸ばしていた。


 児玉の話を聞いて、久坂も高杉も驚いていた。

 それはそうだろう、児玉があれほどまで鳳にこだわり、御門寮を希望した理由が、まさか久坂の兄の杉松にあったなんて、知りもしなかったからだ。

「こんな偶然、あるんじゃのう」

 高杉はひどく感心して腕を組んで息を吐く。

「そうだね。兄とタマ後輩がそんな昔に会ってたなんて、驚いたな」

 久坂も心底驚いたらしく、椅子に肘をかけて足を組み、髪を書き上げる。御門寮では見慣れた光景だ。

 児玉も頷き、言った。

「俺もすごく驚きました。まさか、久坂先輩のお兄さんが、俺がずっと憧れてた人だったなんて。雪ちゃん先輩に似てるから、ひょっとしたらお兄さんいないですかって、聞いたことはあったんですけど」

 雪充には年の離れた姉しかいないということだったので、児玉も他人の空似だと思っていたのだが。六花が驚いて児玉に言った。

「雪が似てるの当たり前よ。だってアイツ、杉松の真似してんだもん」

「えっ!それマジっすか?」

 児玉が驚きのあまり敬語もすっとばしている。

 六花は「そうよぉ」と得意げに答えた。

「アイツ、杉松をお手本にしてんだもん。雰囲気とか言動とか、一人称もね」

「僕と一緒か」

 久坂が言うと六花が「そう」と頷いた。

「杉松さんって、雪ちゃん先輩みたいな人だったんすか」

 急に親近感を覚えた幾久が言うと、六花がおやという顔になる。

 高杉が六花の疑問に答えた。

「そいつ、雪充にメロメロなんじゃ」

「メロメロって、なんか言い方酷いっすよ」

 確かに雪充は幾久にとってあこがれというか、居てほしい先輩だ。

 優しくて大人で落ち着いてるし、しっかりしている。かといって盲目的になっているつもりもないのだけど。しかし児玉は乗っかって言った。

「複数形にしといてください」

「否定しろよタマ」

 メロメロなんて表現はいきすぎだと思うし少し恥ずかしい。

「いや、俺はなんか自分でもスゲーって思った。雪ちゃん先輩に似てるって思ってたけど、間違ってなかったわけだし」

「そうかもしんないけど」

 確かに、児玉の一念は凄い。

 幼稚園の頃の記憶だけが頼りだったのに、こうして憧れの杉松をちゃんと見つけてしまった。ははっと児玉は笑って言う。

「なんかさ、幾久。俺ってめちゃくちゃラッキーじゃね?」

「ん?」

「俺、あの人、久坂先輩のお兄さんの事一生かかっても探すつもりだったけど、今回の事がなかったら絶対にわかんなかった。酔っ払ってぶっ倒れでもしないと、久坂先輩の家になんか来なかっただろうし、仏間に行くこともなかっただろうし」

「そうだけど」

 前向きすぎる児玉の考えは、ちょっとびっくりする。

「俺さあ、伊藤にめちゃくちゃ文句言ってやろうとか思っててさあ、ひょっとしたらガチで喧嘩になるかもな、とか伊藤相手だったらあいつ喧嘩つえーから、ガチでも問題ねーかなとか、そんなん考えてたのにさあ、もう文句言えなくなっちまったわ、これ」

「いや、そこはちゃんと言えよ」

 幾久は言うが、児玉は鼻の頭を指でかいて言った。

「言うけど、やっぱり感謝のほうがデカくなっちまいそうだな」

 下手したら報国院を停学か退学になるかもしれなかった、どころか命さえ危なかったかもしれないのに。

 だけど児玉にとっては、そんなもの全部ふっとんでしまうほど、存在が大きかったのだろう。

(久坂杉松、さん)

 幾久に似ているといろんな人から聞いたけれど、写真を見てもぴんと来ないし、外見が似ていないのならどこが似ているのかも判らなかった。

 よくわからない人だった『久坂杉松』という人の存在が、幾久にとって急に鮮やかなものになった。

(雪ちゃん先輩のお手本で、タマの憧れだった人)

 そしてどこか、幾久は杉松に似ているという。

 目の前の人の中に、杉松は確かに存在しているのかもしれない。

 小さなかけらみたいに、少しだけかもしれないけど。


「そうだ。じゃあ少年達、こうなったら杉松の墓参りに行こう」

 六花の提案に児玉が顔を輝かせた。

「本当っすか?!俺、行きたいっす」

「いいよね?瑞祥、ハル」

 六花の言葉に、高杉も久坂も頷いた。

「かまわん」

「僕もいいよ。タマ後輩なら、仕方ないね」

 高杉と久坂がお茶を飲み終わったら、全員で杉松の墓参りへ行く事になった。

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