久坂先輩のおうちと家族
久坂の実家だというこの家は広かった。
廊下の広さは御門寮のほうがダントツ上だが、普通のお屋敷としてなら充分大きいし広い。
部屋が沢山あって、部屋数だけなら御門寮と張るか、多いかもと想像する。
庭がよく見える広間に通され、幾久は腰を下ろした。
黒塗りの大きな広いローテーブルはぐるっと囲めば十人は座れそうだし、足になにやら複雑な模様が入っていて、高いんだろうなあ、と庶民丸出しの感想しか出てこない。
大人しく座っていると、隣に高杉が腰を下ろした。
「幾久、昼飯食ったか?」
「あ、そういやまだっす」
朝、東京を出発する時にコンビニで買ったサンドイッチを食べただけで、それからなにも食べていない。
「ざるそばでエエか。丁度ワシらもいまから昼飯のところだったんじゃ」
そろそろ昼食にしようか、という所で幾久から連絡が入ったらしい。
「なんかスンマセン」
「まあええ。仕方のないことじゃ」
これというのもガタ先輩のせいだ、と幾久は文句を言ったがもとより山縣はああいった人だった。
いつまで怒っていても仕方が無い。
大人しく座って待っていると、入ってきたのは久坂の母だと名乗った女性だ。
「いっくんの分も準備してよかったんだよね?」
「あ、ハイ、ありがとうございます」
「遠慮しなくていいのよ?息子の後輩だもんね!」
「誰が息子だよ」
むっとして現れたのは、久坂だ。
それにしても何かいつもと違う違和感がある。
(……?あれ?)
なんかおかしいな、と思いつつ幾久は頭を下げた。
「久坂先輩、おつかれっす。あと、お世話になります」
「ああ、うん」
いつもそっけないが、今日は殊更そっけない。
どうしてだろうと思ってじっと見て、幾久は違和感の正体に気付いた。
「なんかおかしいと思ったら、久坂先輩が着物じゃないしお給仕までしてる!」
驚きのあまり声を上げると、久坂にはじろっと睨まれ、高杉は噴出した。
「いやー、なんかおかしいおかしいと思ったら、久坂先輩がお盆持ってお手伝いしてるからかあ」
久坂は寮では全く動かない。
自分の箸ひとつ持ってこないし、高杉にうるさく言われてようやっと動いても、絶対に自分の分しか持ってこない。
食事の時はテーブルにつくだけだし、寮では上げ膳据え膳状態なので、こんな風に誰かを手伝う久坂を見たのは初めてだった。
「ホラ見ろ瑞祥、ちゃんと普段から『お給仕』してねーけぇ、後輩に馬鹿にされるやろ」
笑いながら言う高杉に、幾久は慌てて首を横に振る。
「えっ、馬鹿になんかしてねーっす!ただあんまり珍しいからなんかおかしいなって思っただけで」
そう言う幾久に高杉はますます爆笑し、久坂は苦虫をつぶしたような顔になり、久坂の母だと名乗った女性は笑顔のまま、久坂を見ていて、久坂はめずらしく慌てたように呟いた。
「いっくん黙れ」
「はぃいっ!」
久坂に凄まれ、あわてて背筋を伸ばすと久坂は「お前が黙れ」と女性に後頭部をひっぱたかれていた。
昼食のざるそばを食べ終わると、お茶とお菓子が用意された。
お菓子は最中で、久坂の好物のものだった。
「あの、質問なんすけど」
幾久がそう言うと、三人が三人とも、「なに?」と幾久を見つめた。
聞いていいものかどうかと思ったが、泊めてもらう以上、ちょっと聞いておきたいのは女性の正体だ。
「えと、久坂先輩のお母さんって本当ですか」
「姉だよ」
久坂がすぐに答えた。
おかしいな、と幾久は思う。
久坂に姉が居るとは聞いた事が無い。
だけど、食事の間中、久坂も高杉も、この女性のことを「ねーちゃん」と呼んでいた。だからおかしいな、と思っていたのだ。
「おかーさんだってば」
むっとして女性が言う。
その言葉を無視して久坂が答えた。
「僕の兄の妻だから姉でしょ。義理の姉」
「ああ、そっか。そういう意味」
それなら姉というのも納得がいく。
久坂には早くに亡くなったお兄さん、杉松さんが居るとは知っていたので、その奥さんと聞けば納得がいく。
しかし女性は言った。
「実際は瑞祥のおじーちゃんの妻なんだよねあたし。そんで、瑞祥は私の子供になってるから、本当におかあさんなんだよ」
「え?え?え?」
全く意味が判らずに幾久は首を傾げるが、高杉は苦笑いしながら「考えんでエエ」と言う。
「この人、こうやってややこしいことをわざと言うのが好きなんじゃ。考えたら負けじゃぞ」
高杉の言葉にそうなんだろうな、と思って幾久は深く考えず、『杉松さんの奥さん』という認識をとることにした。そうでないとややこしい。
「じゃあ、なんてお呼びしたらいいんすかね」
久坂先輩のお母さん、と言えば久坂が怒りそうな雰囲気があるし、かといってお姉さんと言っていいものかどうか。
幾久が悩んでいると女性が答えた。
「六花さんとお呼びなさい」
「ろっかさん、スか。判りました」
なんだかノリが寮母の麗子さんに似てるな、と思った。
お茶を飲みながら、幾久は高杉や久坂の様子を観察していた。
久坂は判るにしても、なぜ高杉も六花の事を『ねーちゃん』と呼んでいるのだろうか。
(杉松さんは、ハル先輩のお兄さんみたいなものなのかな)
話の雰囲気から、そういった感じはわかるので、多分六花のこともそう認識しているのだろうなと幾久は勝手に納得した。
六花はまさに、高杉の女性版とも言っていいような雰囲気だった。
堂々としていて、そのせいでどこかキツそうな印象があるのだけど、喋ればそこまででもない。
久坂の姉というよりは、高杉の姉と言われた方が納得がいく。
以前、久坂に告白してきたような女子っぽいタイプとは真逆の男っぽい雰囲気で、女子校でモテそうなタイプの人だ。
もし久坂が兄の杉松と好きなタイプが同じなら、そりゃ告白してもダメだったろうなあ、と思う
「いっくん、そのお菓子嫌いじゃない?アイス食べる?スイカがいい?」
六花はにこにこしてそう尋ねてくる。
「いまは別に」
「そーだ!お中元、まだ全然開いてなかったんだよねー、いっくんも居ることだし開けよっか!」
あれ?この人のこういう所、けっこう久坂先輩に似てるかも。尋ねるけど人の話聞いてない。
「瑞祥、はさみとカッター」
六花が言うと、久坂が立ち上がり、はさみとカッターを探しに行った。その様子にも幾久は目を丸くした。
「凄い。久坂先輩が人のいう事聞いてる」
反論もせず、さっと動いているなんて信じられない。
幾久が言うと六花が呆れて言った。
「なにアイツ、寮ではそんな動かないの?」
「全くっすね。でも、久坂先輩より動かない、ナマケモノレベルの先輩が居るんであんまり目立たなかっただけというか」
「あー、山縣君か」
「ご存知なんすか?」
山縣を知っているとは驚きだが、高杉達からなにか聞いているのかもしれない。
「うん、会ったことあるよ。オタクで面白い子でしょ?」
どんな風だったのか全く想像がつかない。
「面白い、ッスカ」
「うん、面白かったねえ。あたしがさ、ハルの姉みたいなもん、って判ったら『貴方は私の師の師!まさにカミュ!いや、もしやマリンさんでは』とかわけのわからんこと言ってた。常世はなぜかその言葉に感心してたけど」
常世、とは報国院の教師の毛利の名前だ。
杉松と親友だったと聞いているから知っていて当然なのだろう。
「毛利先生と親友だったんスよね」
「そーそー。常世と、よしひろと、宇佐美と杉松でいっつも一緒だったんだよ。いっくん、ウィステリア女学院って知ってるよね?」
「あ、ハイ、勿論ッス」
ウィステリア女学院は、御門寮にほど近い場所にある女子高校だ。報国院とも姉妹校で、過去はかなり交流していたという。
今も部活によっては互いに行き来があるらしいが、幾久はよく知らない。
制服の可愛さで人気らしいが、報国院の姉妹校だけあって、システムが似ているらしく、授業料がかなり高いクラスもあるとは聞いている。
「あたしそこの出身なんだけど、高校生の時に、教授が講師をやってたの。あ、教授って、瑞祥のお祖父さんね」
「はい」
「あたしさ、本が好きで学校の図書館に入り浸ってたんだけど、貴重本って判る?昔の資料的なやつとか」
「なんとなく」
多分、美術館や博物館に展示してあるみたいなやつ、と幾久が言うと六花がそうそう、と頷いた。
「あの学校ってそういうのけっこう持ってるんだけど、許可がないと生徒にも見せてくれないし、おまけに校内の図書館って閉まるの早いのよ。放課後なんか一時間ちょいで閉じられてさ。持ち出しも禁止っていうからイラついてたら、教授が『同じ本ならウチにあるぞ』って言ってくれて」
「へえ」
「そんで、それからこの家に入り浸って本ばっかり読んでたって訳」
なるほど、と幾久は納得した。
(久坂先輩のおじいさんの教え子と、久坂先輩のお兄さんがこの家で知り合って、そんで結婚した、ってわけなのか。なんかロマンチックだなあ)
「あ、そうだ。いっくんにもお中元、運ぶの手伝ってもらお!仏間にあるから、杉松にも会ってやってよ」
「あ、はい」
突然の杉松の名前にどきっとしたのは、これまで何度も存在を聞きながらも、一度も見た事がなかったからだろう。
(どんな人なんだろ、杉松さんって)
もう亡くなっているというのに、こんなにもあたりまえに皆の生活の中になじんでいる。久坂の兄だというから、やはり超絶イケメンなのだろうか。
幾久は六花の後をついて、仏間へと向かった。
仏間は広く立派な造りだった。
床の間には大量のお中元らしき包みが並べてあって、あれ全部あけるのかな、と幾久は驚いた。
六花はろうそくに火を点し、線香をとった。
「はい、いっくんの分」
「あ、はい」
六花を真似て線香を立てた。両手を合わせて拝み、顔を上げるとそこには遺影が飾ってあった。
「杉松、噂のいっくん来たよ」
そう六花が話しかける。
初めて見た遺影の中の杉松は、やわらかく微笑んでいて、久坂の面影を持っている、涼しい整った顔の青年だった。
「やっぱイケメンっすね」
「やっぱりって?」
六花の言葉に幾久が答えた。
「や、久坂先輩、滅茶苦茶イケメンじゃないっすか。だからお兄さんもイケメンかなって思ってたら、やっぱ似てますね。イケメンっす」
久坂のような華やかな雰囲気はないものの、穏やかで大人しそうなのは写真からも判る。
「いっくんに似てるでしょ」
「そうっすか?」
似ているといわれても、幾久の目にはやっぱり久坂の兄だな、という印象しかない。
どこが、とかは判らないが全体的に久坂の兄だなというのは判る。
「やっぱ久坂先輩に似てるっすよ。なんか、先輩から毒気を抜いて人間性と年齢を足したらこんな感じになりそう」
「いっくん、言うねえ」
しまった、ご家族の前で言い過ぎたかと思ったが六花が楽しそうに笑っているのでほっとする。
(それに、オレよりどっちかっつうと雪ちゃん先輩のほうが近いかも)
顔は似ていないが、かもし出す雰囲気とかは雪充にそっくりだ。
「なんか優しそうな人っすね」
幾久の言葉に六花は頷いた。
「優しいよ。本当に、優しくて賢くて。教授も自慢の孫だってよく言ってた。瑞祥とハルにとっても自慢のお兄ちゃんだったからねえ。杉松が死んじゃった時には、そりゃもう荒れたわ」
ははは、と軽く笑っているが、きっとその言葉の通りの意味なのだろう。
高杉や久坂や、毛利先生やマスターの雰囲気やお喋りを聞いても、杉松という人の存在はものすごく大きいと判る。
「オレ、杉松さんに会ってみたかったな」
ぽつりとこぼれた幾久の言葉に、一瞬だけ六花は複雑な表情になったけれど、やっぱり笑顔で答えた。
「多分、もう会ってるんじゃないかな。いろんなところで」
「え?」
「さ、それよりもお中元開けちまおーぜ!いっくん、運んで運んで!一往復じゃ終わらないよ!」
どさどさと幾久に遠慮なくお中元を持たせて、六花は瑞祥の姉らしく、自分はなにも持たずに幾久をさっき居た居間まで先導したのだった。




