関ヶ原の合戦(と、同じ)
山縣の友人達や大佐が全員集合したので、予約してあるという店に幾久たちは連れ立って向かった。
ついたてがあるだけの名ばかりの個室ではあったが、どのグループもいわゆる『コミケ帰り』というやつらしく、席はどこも賑やかだった。
幾久の話をすでに山縣がしていたらしく、後輩さんよろしくっす、という挨拶を何人から受けた。
驚いたのは山縣の態度だ。
学校でのあの誰とも話さないぼっち状態が信じられないくらいに、フレンドリーで親しみがあって、冗談を言い合って笑っている。
(あんなガタ先輩、寮でもみたことないや)
よくよく考えれば寮にいるときだって山縣は部屋にこもりきりだし、夜中に時山が来た時に出て来るぐらいだ。
日常は最低限の会話と、学校帰りに突然のミッションが一方的に送られて来る(主にうまい棒買って来いという内容だが)程度で、こんな山縣を見るのも初めてだ。
「後輩殿、大人しいでごわすな」
話しかけてきたのはドン大佐だ。
今日は一日外にいたそうで、顔が真っ赤に日焼けしている。
「なに話していいかわかんなくて」
正直に言うと、ドン大佐は尋ねた。
「つまんないでごわすか?」
「いいえ」
幾久は首を横に振った。
「正直、喋ってることとか殆どわかんないっすけど、楽しいです」
山縣やその友人達は楽しそうにお喋りをしていて、内容からアニメや漫画の話しというのはわかる。
山縣が居間でアニメを見ることもあるので、そのとき幾久も並んでみているからだ。
「初コミケはどうでごわした」
「いやー。なんかすごかったっす」
どこを見ても、人、人、人。見渡す限り海のように人波ばかりで、ほんの一メートル先さえ見えない。
「昨日リハやってもらったけど、正直あんま意味なかったっす」
「ハハハ」
ドン大佐がおかしそうに笑った。
「そうでごわすなあ。いくら準備しても、あれは見るまでわからんでごわす」
どのくらい人がいるんだろ、と幾久が呟くと大佐が教えてくれた。
「関ヶ原の合戦と同じくらいでごわす」
「関ヶ原?!」
あの天下分け目の、というやつかと尋ねると、ドン大佐は頷いた。
「よくわかんないけど、すごいっすね」
幾久は感心した事がいくつもあった。
人があんなに多いのにそこそこ規律が守られていること。ぶつかることが少なく、もしこれがラッシュ時の駅ならもっと人にぶつかっただろうと思う。それと、親切な人が多かったことだ。
「今日もたまたま隣に並んでくれた女の人が、オレの買い物もぜーんぶ揃えてくれて、ついていくだけでよかったっすもん」
最初に並んだところはいわゆる『大手』という、とても人気のある作家の場所だったらしい。
「ガタ先輩が、歴戦のアマゾネスに守ってもらったなって」
「ハッハッハ、ガタどのさすがでごわすなあ、言いえて妙でごわす」
「みんな、すっごい生き生きしてましたね」
誰もが両手に重たそうな荷物を抱えているのに、無表情な人ですら、その頭の上からはうきうきした音符が飛び出して見えるようだった。楽しそうにおしゃべりして、騒がしくて、賑やかで。
確かに暑いし、しんどいし、大変だったけど楽しかった。幾久が言うと大佐は満足そうに頷いた。
「楽しいのは当然でごわす。祭りでごわすからな」
「祭り?」
「我等オタクにとっては、年に二回のお祭りなのでごわすよ。この祭りのためにどれだけ準備して、どれだけ楽しみにしているか」
だからみんなあんな風に楽しそうなのか、と幾久は納得した。
「しかし、冬はガタどのは不参加でごわすからなあ、それがいまから残念で」
大佐が言うと、山縣が隣に移動して口を挟んだ。
「春になりゃー、毎月行けるじゃん」
「そうではごわすけれども」
「毎月?!」
今日みたいなのが毎月あるのか?と幾久は驚いたが、山縣と大佐は首を横に振った。
「ああ、誤解でごわす。コミケは年に二回でごわすが、もっと規模の小さいイベントはけっこう頻繁にあるんでごわすよ」
「あ、そうなんだ」
「俺が東大うかりゃー、こっちに住めるし、そしたらイベント楽勝じゃん」
「イベントは楽勝でも、受験は楽勝じゃないでごわすよ」
「そーなんだよなぁ」
山縣は大きなため息をつく。
「東大とかマジキチ。勘弁してほしーわ」
高杉は(今の所は)東大に行くつもりなんか無いのに、山縣は高杉のいい加減な一言だけで進路を決めた。そんな所には呆れもするが、それでも本気で目指しているあたり山縣だ。
「先輩頑張ってくださいッス」
「なんだ気味わりーな。ま、お前に言われなくても俺はやるけどな!」
幾久の前では、やはりいつも通りの山縣でしかなかった。
そこは時間制限があったので、二時間で食事をすませて軽く打ち合わせをした後、山縣と幾久、そして大佐の三人は別のカフェへと向かった。
「つきあわせて悪いでごわすな」
謝る大佐に、べつにいーっすよ、と幾久は首を横に振る。テンション高く喋っている人たちは面白かったし、幾久にどうでもいい情報を沢山教えてくれた。
話題はあちこちに飛んだけれど、その内容が幾久のこれまで生きてきた世界とは全く違うものだらけで、何を聞いても感心しきりだった。
軍マニアに歴史マニア、アニメも内容が多彩で、一体どんな生活をすれば、そんなに沢山のことを知れるんだろうと不思議に思ったほどだ。
「面白かったッス。いろんな情報が沢山聞けて」
幾久が退屈しないように気を使ってくれて、幾久の興味のありそうなことを聞き出したり教えてくれたりもした。
「なんか寮の先輩と話してるみたいでした」
御門寮の面々もかなり濃く、いろんな話をよく知っている。一瞬考えたり悩むことがあっても、あっという間に本筋をとらえてしまう。
「みんな面白かったッス。いい人らだったし」
幾久が手離しで褒めていると、山縣がコーヒーをすすりながら言った。
「たりめーだろ。でも間違ってんぞ後輩。みんないい人なんじゃねーの、今日だから、いい人になってんの」
「意味がよくわかんないっす」
今日出会った人はみんな良い人だらけだった。
優しくて、お節介なところもあるけど親切で。
だが山縣は言った。
「今日は年に二回の祭りだっつったろ?つまりみんなすっげー楽しみにしてるわけだ。友達に会おうとか、本買おうとか、グッズ買おうとか。日常なんてそんな楽しくもねーし、友達は遠いし、クソつまんねーし、みたいな毎日やってるけど、こういうときに会って喋って、欲しいもん手に入れて、そりゃ誰だって親切になるだろ。知らなくても仲間だし」
「仲間、っすか」
「おーよ。だからテメーみてーなビギナーにはアマゾネスが付いてくれたんだろ。まあ、かなり珍しい例ではあるけどな」
山縣の言葉にそうだったんだ、と幾久は驚いた。
「初心者には誰にでもあんな風にされるのかと」
「ないないない!ないでごわす!」
首を横に振る山縣と大佐に、そうなのか、とびっくりした。
「つまりはそういうこったよ。条件が良い時に会った奴は良い奴になるし、悪けりゃその逆ってこった。俺見たらわかんだろ。普段はみんなこんなもんだ。祭りの日に楽しみてーから、楽しくするんだ。楽しい日に楽しくしてりゃ、そりゃみんな良い奴になるだろ」
「はぁ」
いつもの面倒くさい山縣節が始まったが、相変わらず妙な説得力がある。
「良い人なんて滅多に、つか、まずいねー。でも、良い時に良い奴なんかいくらでもいる。殆どがそうってことだよ、判ったか」
「……わかったような、わからんような」
「判ってねーじゃねーか」
ふんと山縣は鼻を鳴らすが、大佐は楽しそうだ。
「ガタどののいう事は確かにでごわすな。そりゃー、条件の良い時に都合のいい相手が居れば、それは良い人になるし、そうでなければその逆になるし」
大佐は『ごわす』口調が、いつの間にか消えていた。
「有能な人が味方にいれば百人力だし、敵にいたらとんでもなく邪魔だし。都合の良い時に都合のいい人を、良い人と言うのではあろうけども」
ふっと山縣と大佐の間に、静かな空気が流れた。
大佐は『ごわす』を言わずに静かに喋ると、体が大きなこともあって妙な迫力があった。大人っぽい、というよりは老成しているといったほうがしっくり来る。
「見極めるのって難しいんすね」
幾久がそう言うと、大佐が驚いた顔で幾久を見た。
あまりにきょとんとしているので、ヘンなことを言っただろうかと思わず山縣を見ると、山縣は足を組み、テーブルに肘をついて顎を親指で支え、なんだか格好良いポーズで鼻で笑って大佐に告げた。
「な、だから油断ならねーだろ、ソイツ」
山縣の言葉に大佐は一言、「たまげたでごわす」とまたごわす口調に戻っていた。
大佐と暫くお喋りをして、けっこうな時間になったので幾久と山縣は自宅へ戻ることにした。
「明日も同じ感じっすか?」
「おー。つっても明日は企業ブースだけどな」
今日幾久が参加したのが、一般の人が参加するところで山縣が買い物をしていたのが主に企業と呼ばれるところらしい。
企業と言うのはその名の通り、いろんな企業がコミケに参加してグッズやなんかを販売しているとのことだ。
「人数は多いに越したことねーからな。買ってもらうものはいくらでもある」
よく判らないけれど、山縣についていけば面白いし家に居なくていいのがなにより気楽だ。
「じゃあ、明日も早いんすか」
「おうよ。起きろよ」
「ウス」
祭りと言う言葉どおり、なんだか楽しくなってきて、幾久はすっかり山縣のペースに乗せられてしまっていた。
翌日、幾久と山縣は昨日と同じように朝早い電車に乗り、そして今回は企業ブースと言う昨日とは違う場所で買い物に走った。
山縣の言うとおり、昨日とは雰囲気が全く違って、こっちはこっちで凄い熱気だった。
山縣と一緒に買い物を済ませて、昨日と同じようにコンビニ前で大佐や友人達と打ち合わせ、一緒に夕食を取った。
相変わらずオタクの人たちのテンションは高く、お互いの情報を交換しまくっていて、あまりにさまざまなジャンルがあるので、幾久も何を聞いても驚かなくなっていた。
夕食を済ませると、昨日と同じように別の店で大佐と山縣、幾久の三人でコーヒーを飲みながら喋って、昨日と同じような時間になったので家に帰った。