道具に責任は存在するのか
「……ということがありまして」
「なるほどねえ」
居間のちゃぶ台で、幾久はなぜか久坂に今日あったことを報告する羽目になっていた。
いつもなら絶対に、高杉になにか聞くことはあっても久坂になにか聞くことは無い。
もし本気で悩んでいるなら、恭王寮の雪充に相談する。
だけどそこまででもないので、一人でぼうっと考えて、吉田になんか聞いてみよう、そのくらいの気持ちでいたのに。
(なんでよりにもよって、久坂先輩なんだよ)
御門寮に戻り、汗だくの体をシャワーで洗い流してTシャツとリラコにはきかえて、冷凍庫からカキ氷を出して一息ついて、「どうすっかなあ……」と呟いたのは、完全にここが一人だと油断していたからだ。
山縣は部屋にこもりっきりだし、吉田は毎日バイトだし、高杉と久坂の気配もなかったのでてっきり一人みたいなものだと完全に油断していた。
「なにをどうするの?」
と居間の向こうから出てきたのは久坂だった。
「あ、いや、なんでもないんで」
久坂相手は面倒なのでそう答えると、久坂はずかずかと近寄ってきて、幾久の隣に腰を下ろした。
「久坂先輩、暑いっすよ」
「夏だもんね」
にこにことイケメン爆発の笑顔とイケボでそう言うのは、幾久を逃がすつもりがないからだ。
久坂は夏は大抵浴衣か作務衣だ。今日は作務衣に髪をうなじの後ろで結んでいる。相変わらず渋いチョイスで、こんなの女子が見たらキャーキャー言うの間違いなしだ。
「で、なにをどうするの?素敵な彼女でも見つかった?」
「いやいやいや、そんな子いませんって!」
「そう?そろそろ女子高の子が参加しはじめる時期でしょ?声かけられたりしたんじゃない?」
「声はかけられましたけど、全部赤根先輩の情報教えてくれってのばっかりでしたよ」
「赤根……」
「赤根先輩って、もと御門なんすよね?あと時山先輩も」
知らなかった、と幾久がいとうとしたら、久坂が指先でとんとんとちゃぶ台を叩いた。
「お茶とお茶請け。最中あるから持ってきて」
「ハイ」
これはもう、絶対に説明するまで逃がしてくれないやつだと知っている幾久は、キッチンへ向かい、久坂のお気に入りのお茶とお菓子を運んでくるのだった。
冷やした薬草茶をガラスのポットごとと、ガラスの模様が透き通った綺麗なお茶碗にお茶を入れ、小さな最中をいくつか盆において幾久は久坂の前に用意した。そこでやっと久坂は幾久の隣でなく、ななめ向かいに移動してくれた。
(あの威圧するやり方、やめてくんないかな)
久坂は口では命令しないのに、ああやって小さく細かく、態度で地味にあらわすのでけっこう追い立てられる気分になる。
「最初から」
「ハイ」
まるで勉強を見てもらっているときのように久坂が幾久に説明を求めた。
久坂は伊藤から祭りの手伝いに誘われたのは知っているので、先週二回は問題なく終わった、と説明した。
今日は大人が沢山参加していて、そこで乃木と名乗ったら急にわっと大人が盛り上がった。
どうやら『乃木』がいるのことを知っていたから祭りの準備に参加していた人がいるらしい、幾久は利用されたのではないのかというのが児玉の見解で、そのことに児玉がちょっとおこ。
幾久は考えすぎだと思う。
以上。
「なるほど。よく判ったよ」
お茶を静かにすすり、久坂は言った。
「で、なにが『どうすっかな』なんだい?」
「わかんないっす。つか、このまま参加しててもいーもんかな、とか」
「いっくんは参加したいの?」
久坂の問いに、幾久は「別にどうでも」と答えた。
「めっちゃ参加したいわけでもなくて、頼まれたから手伝ってるってだけだし。面倒っちゃ面倒だけど、今更断るのも面倒かなとか」
仕事自体はたいした内容じゃない。雑用を任されているだけだし、皆が楽しそうなのは見ていても楽しい。
それに、祭りの雰囲気というのは賑やかで嫌いじゃない。ただ、どうしてもそれをやりたいか、といえばそうでもないというだけのことで。
「タマがなんでそこまで怒ったのかは判んないすけど、利用されてるならいい気分じゃないし」
「いっくんはどうしたい?利用されても手伝いたい?」
「そこまでじゃないっす」
「じゃ、やめちゃえば」
「へ?」
「気が乗らないことをやっても仕方が無いよ。どうせ頼まれただけなら断る理由なんかいくらでもあるし」
「そうなんすかね」
「そりゃそうだろ」
「……そうなんすかね」
「なにが」
「だって一回引き受けたら、責任とかあるんじゃないっすか」
「どうして?」
「どうしてって……」
と言われても幾久にもよく判らない。一度「いいよ」と引き受けたことを断ることは、なんだか無責任で悪いことのように考えていたからだ。
「一回引き受けたからって全部責任まわされちゃたまったもんじゃないよ。そもそもそんな責任取れとか説明なかったでしょ?」
「ハイ」
「責任あるポジションっていうなら最初からそう言うべきだし、もしそうならいっくんみたいなド素人を誘うべきじゃない」
そこって『ド』をつける必要性あんのかな、と思ったが久坂なので逆らわずにおいた。
「いっくんが勝手に責任感じるのはいいけど、それだけのものを求められているとは思えないし、求めているのならあっちの説明不足。求めるならちゃんとしたよく理解した人に頼むべき。いっくんに責任は無い。つまり断ってよくない?」
「気が乗らないってだけで?」
「気が乗らないってのも立派な理由だと僕は思うけどね」
髪を結んでいたゴムをするっと外し、久坂は前髪をかきあげた。そして再び髪をまとめ、ゴムできちんと結びかえした。
「今、確実に理由が判らないだけで、気が乗らないなら乗らないなりの理由がちゃんとあるんだよ。考えれば判るかもしれないし、後から気付くかもしれない」
その考え方は幾久にはなかった。
気が乗らないのは我侭で、ただの気分だとしか思っていなかったからだ。
「気が乗らないなりに、やってみてよかったって思うことはあるかもしれないけど、それは後から判断することだよ。今やりたくないなら、やらない理由を探せばいい。それが本当の理由ならそれがやらない理由だし、そうじゃなくても断る言い訳には使える」
「策士っすね久坂先輩」
「頭がいいと言いなさい」
「痛って!」
指先で額をべちっとはじかれた。ものすごく痛い。
「相手が黙ってる責任なんてロクなもんじゃないよ。そんなのは気づかないフリして逃げるが勝ちだよ」
「……?」
痛む額を撫でながら、幾久は久坂の言葉に聞き入った。
「いっくんみたいに優しくて察する人間をさ、利用してやろうって奴は多いよ」
「はぁ」
決して幾久は自分が優しいとも思わないし、察することが上手いとも思わない。
だけど久坂には幾久がそう見えているのだろうか。
それとも自分では判らないだけで、そんな部分がちゃんとあるのだろうか。
「責任感だの、責任を感じろ、なんていう奴はそいつ自身が無責任だよ」
「なんでっすか?」
素直に疑問を久坂にぶつけると、久坂がそれはそれは美しい笑顔で答えた。
「だって責任を預ける奴はその責任の重さを理解した上で預けてるわけだろ?だったらできないヤツに任せた自分の能力不足な訳でしょ」
「できるかどうか判んなかったとか」
「それも預けるほうの責任じゃないの?」
そもそも、と久坂は言う。
「そんなやり方じゃ、預けられるほうばっかり苦しいよね。預けるほうはなにも考えずノーリスクで、預けられるほうはキツイばっかりで。そんなのって逆に上の責任がないってことになる」
「なるほど」
責任に関してしっかり考えたことはなかったので、久坂の意見に聞き入ってしまう。
「下にもし責任があるとするなら、上からしっかり説明を受けて内容を理解した上で、それで更に『大丈夫』と判断した上で引き受けた上で、それで失敗したらそりゃ責任不足かもしれないけど、でもそれをフォローするのも上の役目でしょ」
「でもそれじゃ、上って責任だらけじゃないっすか」
幾久が言うと久坂が心底呆れた目をして幾久に言った。
「当たり前でしょ。それが上ってもんだよ」
「上ってキッツー」
「正しいものはなんでもキツイの。ふんわりしてるから適当な事を言えるんだよ。任されたのは手伝いであって責任じゃないでしょ。ならさっさとやめてしまえばいい。気乗りがしないっていうのでも立派な理由でしょ」
「なんかそれっていいのかなって思うんすけど。いい加減な気がするんすけど」
「やりたくないって時点で気持ちはそぞろだから、もう充分いい加減になってるよ。どうせいい加減にしかできないんだからさっさとやめちゃいな」
「久坂先輩ってやっぱ意地悪いっすよね」
さらっとした言い方で声がイケボだから気がつきにくいが、久坂は言いにくいこともいいづらいこともさらっと言う。それがどんなにキツイ事であっても。だが久坂は冷たい目でにっこり笑って意地悪く幾久に言った。
「なに?今更気付いたの?鈍いよいっくん」
そしてもう一度幾久の額をべっちん、と指ではじいたのだった。