そして午後にも戯れる
シーパルが、弾き飛ばされて地面を転がった。
身を起こし、悔しそうな視線を向ける先にいるのは、ユファレートである。
「こ……これで今日は……わたしの八勝七敗ね!」
疲労のため、息を切らし、膝を震わせていた。
シーパルも、似たようなものである。
二人が行っているのは、魔力を正面からぶつけ合い押し合う、力比べのようなものだった。
実戦的な訓練とは言えない。
そんなことを二人が本気ですれば、ここら一帯は焦土と化す。
ルシタが作り直した昼食で腹を満たしたルーアは、ぼんやりと外で地べたに座り込んでいた。
何とは無しに、二人の訓練を眺めていたのである。
特に視線を向けるのは、ユファレートである。
「……立ち直ったか?」
独り言を、呟いてみる。
しばらく前に、ユファレートは捜し求めていたハウザードと、アスハレムで再会した。
そして、打ちのめされた。
身体的にもそうだが、なによりも精神的に。
あの一件のあと、病に臥せたユファレートを見て、もう以前のように笑うことはないのではないかと、何度かルーアは思ったものである。
それが、最近では妙に明るい。
ユファレートは今、ハウザードの真実を知り、彼に対してどういう感情を持っているのか。
ハウザードは、犯罪者として追われる身分となっていた。
助かった、と考えている自分がいる。
ハウザードを殺せ、という指令を受けていた。
あの事件の前までは、ハウザードを殺害し、ユファレートに恨まれることを恐れている自分がいなかったか。
ハウザードの真実が明らかになった今、彼を殺害しても、ユファレートはルーアを恨まないのではないか。
そんなことを考えている自分を、ルーアは嫌悪した。
ユファレートの心は、どれだけ悲鳴を上げたことか。
「……開き直って、空元気出してるだけよ」
独り言のつもりだったが、たまたま近くにいたティアには聞こえていたらしい。
最近は、ユファレートだけがことさら明るく振る舞っていた。
「無理して、笑ってさ……今のユファ見てると、こっちがへこむと言うか、胸が痛むと言うか……」
「胸がへこむと言うか」
「……へこんで堪るか」
伸ばした赤毛を掴まれる。
「てかさ、今、ふざけるところ?」
「まあ、俺たちが落ち込んでも、仕方ないからな」
「それはそうかもだけど……」
「そのうち、本当の意味で立ち直れるだろ」
「そうかなあ……」
「大丈夫だって」
お前がいれば、と言いかけて、ルーアは言葉を呑み込んだ。
少し、無責任な台詞である気がしたのだ。
だが、本音である。
例え空元気だとしても、少なからずユファレートは立ち直った。
それには、ティアの存在が大きかっただろう。
一晩中ユファレートの側で、一緒に泣いていることがある。
そうかと思えば、翌日にはろくに会話を交わさなかったりする。
ユファレートが誰かの温もりを求めている時は、ずっと一緒にいて、独りになりたがっている時には距離を保つ。
いつも絶妙な距離で、ユファレートと接しているように、ルーアには思えた。
多分ティアは、考えてやっていない。
本能的に、ユファレートの感情の変化を感じ取っているのだろう。
本当に、よく見ている。
親友同士だと公言し合っているのも、納得だった。
お互いに信頼し合い、お互いに心を補い合っている。
出会った当初から、ルーアが二人に持っていた印象である。
それまで、女の友情など嘘臭い、と思っていた。
男の友情も同じく嘘臭い。
たった一人の見栄えの良い異性の出現で、簡単に壊れてしまう。
そんなものだと思っていた。
偏見だった。
二人を見ていると、それを認めない訳にはいかない。
ティアが側にいれば、ユファレートはきっと、本当の意味で立ち直れる。
(そういえば……)
ふと、思い出した。
ランディとの戦闘のあと。
独りでいたい、とルーアは思った。
それを感じ取ったのか、誰もルーアには近付こうとはしなかった。
ただ、ティアだけを除いて。
鬱陶しい。なんて空気の読めない女だ。そう思ったものだ。
そして、ランディを埋葬するのを手伝おうとしたティアを、邪険にし拒絶した。
もしあの時、ティアが寄ってこなかったら、どうなっていただろう。
思念は内へ内へと篭り、怨念のようにならなかったか。
自分は孤独だと思い込み、立ち直るのにもっと時間が掛からなかったか。
馴れ馴れしさを鬱陶しいと思いつつも、心のどこかで感謝していなかったか。
ランディを追うためにリーザイ王国を旅立ち、一年以上が過ぎ去った。
最初の半年は孤独だった。
エスが口出しをしてきたが、事務的な感が強く、仲間だと思ったことなどなかった。
今では、毎日当然のように六人でいる。
ティアの馴れ馴れしさがなければ、テラント、デリフィス、シーパル、ユファレートを受け入れるのに、もっと時間が必要となったのではないか。
「お前ってさ……」
他人の気持ちを忖度し、自然と相手が心の奥底で望んでいる距離で接する。
そんな真似は、ルーアにはできない。
多分、一生できない。
ルーアは、座り込んでいた。
ティアは、立ったままである。
なにか眩しいものに眼をやるような感覚で、ルーアはティアを見上げた。
「結構……凄いよな……」
「……なにが?」
「いや、よくわからんけど」
「なによそれ」
けらけらと笑う。
「ん?」
ティアの背後から、デリフィスが近付いてきていた。
無愛想な顔をしていることが多いが、また一段と不機嫌そうである。
はっきり言って、苛立っていた。それが伝わってくる。
「少しいいか?」
ルーアに向かって言うと、顎をついっと動かした。
その先に、魔法道具の調子を見ているテラントがいる。
「……なんだよ?」
「いいから、付き合え」
拒否するのは、まずい気がする。それくらい、デリフィスは不機嫌そうだった。
そして、ルーア相手に不機嫌なわけではないだろう。
仕方ない。ルーアは黙って頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
デリフィスが不機嫌になるのも、当然である。
ルーアも、微かに苛立ちを感じていた。
ズィニア・スティマを意識しているのだろう。
決戦が近い、と予感しているのかもしれない。
デリフィスと二人で、かかってこい。テラントにそう言われた。
ルーアだけでも、デリフィスだけでも不足、と言っているも同然だった。
魔法道具から光を伸ばし、隙なく構えている。
「……いつでもいいぞ」
言い終える前に、デリフィスが突進していた。
テラントの光の剣と、デリフィスの分厚い剣がぶつかり合う。
ルーアは、テラントの左に回り込んだ。
デリフィスに合わせるつもりはない。
彼は、自分の力だけを頼りに戦う傾向にある。
(舐めすぎなんだよっ!)
少し、痛い目を見てもらうとする。
さすがに魔法は使わない。
両手で剣を持ち、ルーアは突っ込んだ。
そして。
「……お前ら、一生やってろ」
座り込み、ルーアは毒づいた。
二合。それが、テラントと剣を合わせられた数だった。
それだけで、弾き飛ばされた。
今は、テラントとデリフィスは二人だけで斬り結んでいる。
二人とも、完全に本気だった。
もう、周りが見えていない。
二人だけの世界に入り込んでいた。
「ふふん」
後ろにいたティアが、鼻を鳴らした。
「やっぱりさぁ、ルーアって、テラントやデリフィスよりは弱いんだね」
ぴく、と頬が動くのを感じる。
魔法を使えば、という言葉は呑み込んだ。
ティアも、それはわかっているはず。
「……ねえ、あたしと勝負してみようか?」
「……勝負ぅ?」
ティアを振り向くと、彼女はいつの間にやら、キュイの館にあった訓練用の木剣を、二本抱えていた。
「お前と?」
ルーアは、鼻で嗤った。
「やめとく。お前なんかとやっても、なんも得るものがない。時間の無駄。カロリーの無駄」
「……とか言って、実は負けるのが怖いとか」
ぴくぴく、とまた頬が引き攣る。
「最近さ、あたしも結構腕上げたと思うのよね。テラントやデリフィス相手でも、十本に一本は取れるし」
「……あっそ」
だからなんだと言うのだ。
自信を付けさせるため、わざと一本取らせることは、誰だってやる。
ルーアも、ランディ相手に五本に一本は取っていた。
有効な工夫をした時や、意味のある思考をしている時、ランディは必ず一本取らせてくれたものだ。
ストラームだけは、一本も取らせてくれなかった。
彼に、弟子に自信を付けさせるなどという考えは、毛頭ない。
弟子とサンドバックが、同義であるような男である。
「今、ルーアと戦ったら、どうなるかなぁって……」
要は、少し自信を付けたから、テラントやデリフィスよりも剣術で劣るルーアで、腕試しをしたくなったということか。
「案外、あたしが勝ったりして……」
「……」
引き攣り過ぎて、頬が痛い。
ルーアは、感情を押し殺した。
挑発に乗りやすいという欠点は、自覚している。
「めんど臭いから、パス」
ティアが腕を上げてきているのは、わかっている。
だが、相手になるはずもなかった。
「む。煽り耐性上がったわね」
「ふっ……」
「じゃあさ、こんなのはどう? ルーアが連続十本取ったら、ルーアの勝ち。あたしが一本でも取ったら、あたしの勝ち」
「だから、やらねえって……」
「負けた方は、勝った方の言うことを、なんでも一つ聞く」
ぴくり、と今度は、鼻の穴が動くのを感じた。
言うことをなんでも一つ聞く。なんと甘美な響きか。
もやもやと頭に浮かんだものを、ルーアは払いのけた。
どうせ、なんだかんだ言って、有耶無耶になるに決まっているのだ。
世の中に、そうおいしい話が転がっているわけがない。
「……なにその手つき?」
「……え?」
言われて見ると、両手の指をわきわきと動かしていた。
「……無意識に罪はない」
体は正直ということか。
「……なんでも、の意味、わかってんだろうな?」
「わかってるわよ」
どうやら、本当に自信があるらしい。
「……十本、でいいんだな?」
低い声で確認すると、少しティアが怯むのを感じた。
「……じ、じゃあ、二十本!」
「……たった二十本でいいんだな?」
「さ、三十本でどう?」
「いいよ」
あっさり言うと、ティアは顔をむっとさせた。
舐められている、と感じたのだろう。
いくら舐めようと、ティアが相手ならば釣りがくる。
「じゃあ、相手をしてやるよ」
ルーアは、立ち上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ティアが、木剣を手に向かってくる。
悪くはない。悪くはないが。
ひょいとかわして、ルーアは木剣でティアの足を払った。
呆気なくティアが転ぶ。
「……これで、俺の十五連勝っと」
「むーっ!」
悔しそうに、何度か地面を叩くティア。
「言っとくけど、これは、遣い慣れてない武器のせいなんだからね! あたしの剣を遣えば……」
「いいぞ。取っ替えても」
「……え?」
「いちゃもん付けられても敵わんし」
「……だって、真剣だよ?」
「いいって、別に。ついでに、あれだ……」
ルーアは、ティアを直視しないようにして言った。
「……着替えてこいよ。すっげえやりづらい」
「……!」
意味を悟り、際どい所まで捲り上がっていたスカートを、慌ててティアが直す。
険悪な視線を向けてきた。
「……そういうこと。道理で足払いが多いと思った。それが狙いだったんだ」
「……チガウヨ」
「なんで片言!?」
「まあ、冗談はともかく。お前、足下がお留守なんだよ」
「……そうなの? テラントたちにはよく、腕の使い方が悪いって言われるけど」
「それも充分悪いが。てか、なんもかんも下手糞過ぎて酷いが」
「……」
上目遣いで睨みつけてくるティアに、しっしっとルーアは手を振った。
「ほれ、とっとと剣取ってこいよ。着替えもな」
木剣を持ち運ぶのに邪魔だったのか、いつもの小剣が腰にない。
キュイの館に置いてあるのだろう。
「あとで吠え面かくんじゃないわよ!」
完璧に小悪党の台詞を吐き、ティアが駆けていく。
見送りながら、頭の中をルーアは整理していた。
ティアの相手を始めてから、ずっと違和感のようなものがある。
思い浮かべる。
突進してくるティアの姿。足捌き。剣の持ち方。振り方。
違和感が、ぼんやりと形になる。
(……似てる……よな)
「待たせたわね!」
考えていると、ティアが戻ってきた。
かなり急いできたのか、息を弾ませている。
すらりと鞘から小剣を抜いた。
スカートの下には、短パンを穿いているようだ。どうでもいいけど。
「木剣壊れたら、ちゃんとルーアからキュイさんに謝ってよね!」
「そういや、借りもんだったな」
木剣。軽すぎて、ルーアにはむしろ扱いにくい。
放り投げた。
空になった手を、ぶらぶらとさせる。
「これでいいや」
「……ちょっと」
「……ん? なんだ? まだハンデ足らんか? なんなら、眼でも瞑ろうか?」
「……」
ティアが、斬り掛かってきた。
(だから、足下がお留守なんだって……)
あっさりと横に回り、ティアの肩を押しながら足下を蹴飛ばす。
簡単にティアは転んだ。
すぐに立ち上がり、向かってくる。
(やっぱ、似てるな……)
ティアの攻撃をかわし、放り投げる。
それを繰り返した。
数分後。
「これで、二十七連勝だな」
手首を掴み引き倒したティアに、ルーアは言った。
ティアは、一々悔しがる。
「お前って、誰に戦い方習った?」
「誰って、孤児院のみんなとか、村の道場とか……」
「……そこに、ストラームかランディが来たことないか?」
「……はぁ? ないわよ。なによ、急に?」
「……いや、深い意味はねえけど」
ずっと、違和感があった。
例えば、ルーアの身体能力がもっと低かったなら、もっと剣の扱いが未熟だったならば、そして魔法が使えなければ、今のティアのような戦型になるのではないか。
自分に似ている。そうルーアは感じていた。
(……まあ、いいか)
「ほれ、あと三回。さっさと終わらせるぞ」
意味もなく肩を回し、ルーアはティアに催促した。
一度唸り声を上げてから、ティアが突き掛かってくる。
かわしづらい胴突き。
剣の腹を拳の裏で殴り、突きを逸らして、ルーアはティアを放り投げた。
「……もう少し、力を付けた方がいいぞ。特に腕力。たまに、剣の重さに振り回されてる。お前、腕立て伏せとかできるか?」
ティアは、腕捲りをしてみせた。
ほっそりとした二の腕が顕になる。
「あたし、結構できるよ」
「そうよ、ティア頑張ってるもん!」
見学に来ていたユファレートが、声を上げた。
「毎晩寝る前に腕立て伏せして、毎日牛乳も欠かさないし、お風呂でマッサージもしてるし、パッドも工夫して自然に見えるよう……あれ? なんで首絞めるの、ティア?」
「……今、そんな話してないからね、ユファ」
ルーアは、額を押さえて溜息をついた。
なんだか、すごく無駄な時間を過ごしている気がする。
「あと二回」
気怠さを感じながら、ルーアは言った。
ティアが、小剣を振る。
(だから……)
足下が甘い。
もう何度目になるのか。
ルーアの足払いに、ティアが転ぶ。
何度も転ばされるうちに、ティアは受け身が上手くなっていた。
元々受け身は取れていたが、さらに上手い受け身が取れるようになった、と表現すればいいだろうか。
追撃に備えた受け身、あわよくば反撃しようという転び方である。
三回ほど、転んだあとにルーアが蹴ったからだろう。
蹴るといっても、触れる程度のものである。
相手が男だったら、足を振り抜く。
敵だったら、骨を踏み砕くか急所を狙う。
「やっぱ、足の運び方が雑だよな……」
「そう?」
「ちょっと、歩いてみろよ」
頷き、ティアが歩き出す。
三歩目で、ルーアは止めた。
「なんで一々歩幅変えるんだよ?」
歩幅が一定ではないから、微妙にバランスを崩している。
そして、ティア本人は気付いていない。
「……別に変えてないわよ」
「変わってんじゃねえか。一センチくらい」
「一センチって……」
ルーアは、テラントとデリフィスに眼をやった。
二人は、未だに剣を合わせ続けている。
「今度、あいつらが歩いてるとこ、よく見てみろよ。寸分足りとも狂いないから、ちょっと気持ち悪いぞ」
「別に、そんな細かいことで神経質にならなくても……」
「わかってねえな……」
ルーアは呻いた。
「確かに、あいつらの身体能力はすげえよ。けどよ、俺の何倍もすごいってわけじゃねえんだ。百メートルを全力で走っても、コンマ何秒しか変わらんだろうよ」
「うん」
「けど、剣だけの勝負だったら、百回やって百回俺が負ける。速さ、跳躍力、腕力、体力、瞬発力、体幹の強さ、反射神経、全部そこまでの差はないのに。なんでか、わかるか?」
「……さあ?」
「あいつらの方が、全てにおいて、ほんの少しだけ上だからさ。でも、その極わずかな差が、紙一重の勝負で、明確な勝ちと負けを分ける」
ある程度以上の実力がある者ならば、差などほとんどない。
達人同士の勝負を決するものは、細緻の極みの中にある。
「細かいことを細かいこととして修正を怠っていたら、あいつらは疎か、俺の足下にも、一生届かねえぞ」
言いながら、ルーアは心の中で呆れていた。
(なにを語ってんだか。こいつは、女だぞ)
戦闘で武器を振るうのは、古来より男の役割である。
戦場に立つ兵士のほぼ全員が、男であろう。
なぜ、競技のほぼ全てが、男女別々になっているのか。
男と女では、体の作りが違う。
心の作りも、多分違う。
男が得意なことと、女が得意なことは違うのだ。
この考え方を、男女差別とも男尊女卑とも思わない。
むしろ、女尊男卑なのではないか。
野蛮で危険なことは、男共にやらせればいい、という考え方なのだから。
根幹にそういう考え方があるはずなのに。
(センスが良いんだよな……)
だから、ついティアの戦い方や体の使い方に、口を出してしまう。
実際、ティアより動ける女は、そうはいないだろう。
そして、普通の男よりもずっと強い。
ルーアやテラントやデリフィスが、戦闘ずれしているだけの話なのだ。
「まあ、いいか……」
色々と思い浮かぶことを、その一言で一蹴して、ルーアは促した。
「あと一回。こいよ」
ティアが向かってくる。
やはり、筋は良い。
そして、これが三十回目。
今まで通り、ルーアはティアを放り投げた。
「はい、終了。俺の勝ちっと」
「うーっ!」
余程悔しいのか、小剣で地面を叩いている。
「なんでよ!? なんでこんなに差があるのよ!? 理不尽だわ!」
「当たり前の結果だろ……」
比喩ではなく、本当に血反吐を吐く訓練を受け続けてきたのだ。
これでティアに負けていたら、悲嘆に暮れて首を括りたくなる。
「ま、勝敗が見えていた勝負だとはいえ、約束は約束だからな。なんでも一つ、言うことを聞くんだよな?」
「う……」
「……そんな約束してたの、ティア?」
呆れ果てたようにユファレートが言う。
「だって、一回くらい勝てると思ったんだもん!」
「なにしてもらおうかなー」
「い、言っとくけど、スケベなことは駄目だからね!」
「……」
(……まあ、そうだとは思ってたけどな。最初から)
ここで下手な要求を出したら、ティアだけでなくユファレートも敵に回す。
「じゃあいいや。別にやって欲しいこととかないし」
「あんたの頭の中には、そういうことしかないのか!?」
「そういうわけじゃねえけど……」
むしろ、自制心が利いている方ではないかと思っている。
「いやでも、マジでなんも思い付かんし」
「なんでよ!? 男子が女子にして欲しいことなんて、いくらでもあるでしょ!? ご飯作ってもらうとか、手料理振る舞ってもらうとか、食事の準備をしてもらうとか、色んな選択肢が!」
「病院送りの一択じゃねえか……」
呻く。
「……ああ、思い付いた。メシを」
「うんうん」
「今後二度と作るな」
「なんで!?」
ティアが、叫び声を上げる。
「なんで、して欲しいことを聞いてるのに、『するな』、なの!? おかしくない!? ねえ、おかしくない!?」
「あー、もう。うるせえな。なんなんだよ。あれも駄目これも駄目、権利を放棄するのも駄目って」
これでは、勝っても負けても面倒なだけではないか。
「だって……」
「とにかく、別にして欲しいこととかないから。俺はこれから……」
思い出した。用事があったのだ。
そして、ふと思い付く。
「……あったな。やって欲しいこと」
「なに?」
小首を傾げるティアに、ルーアは指を向けた。
「今日一日、お前、俺の荷物持ちな」
◇◆◇◆◇◆◇◆
六人分の食事となると、分量はかなりのものとなる。
当然、食費も掛かる。
キュイやルシタは構わないと言うが、さすがにキュイの家庭にその負担を負わせるわけにはいかない。
三日に一度、街を一人で歩いたら戻ってこれなくなるユファレート以外でくじ引きをし、負けた者が食材の買い出しに行くことになっていた。
そして、今日の買い出しは、ルーアの役割だった。
地味に重労働なうえ、食材を捜す手間も掛かる。
ちなみにルーアはこのところ、四回連続で五分の一の外れくじを引いていた。
呪われているのではないかと思ってしまう。
「……ねぇ、ルーア」
両手一杯に食材が入った袋を持ったティアが、はっきりと不平の声を上げる。
「どうした、荷物持ち?」
「手が痛いんだけど」
それはそうだろう。
指に袋の持ち手が喰い込むのだ。
「脹ら脛も痛いんだけど」
「……だから?」
「女にこんな重労働させるなんて、男としてどうなのよ?」
「……」
「男としてどうなのよ?」
うるさい。
「お前、そんなこと言う間は、男女差別とか主張する権利ねえからな……」
苦々しい顔をしながら、ルーアは手を差し出した。
「……半分、持ってやるよ」
「ほんと?」
ティアは眼を輝かせると、ルーアに荷物を手渡してきた。
確かに半分くらいだが、大根やジャガイモなどが詰まった、明らかに重量がある方である。
「……」
「いやん、ルーアってば、かっこいい! 男らしい!」
「うっわ、ムカつく……」
諦め気味に呻き、ルーアは足早に歩き出した。
さっさとキュイの館に戻り、のんびりとしたい。
ティアが、小走りについてくる。
「そう言えばさ、二人で出歩くのって、久しぶりじゃない?」
「そうか?」
どうでもいいことだった。
それに、私服姿となったキュイの部下たちがつけてきている。
おそらく、街中での襲撃に備えての、キュイの指示が事前にあったのだろう。
素っ気なくルーアが返すと、ティアは頬を膨らませた。
「なんか、つまらなさそうだね、ルーア」
「……パシりにされて、なにが楽しいんだよ」
そして、今ふと思い付いた。
荷物持ちではなく、買い出し自体をティアに命じれば良かったではないか。
「ルーアがつまんなさそうにするとさ、あたしがつまんない女だと思われそうなんだけど」
ラグマ王国王都ロデンゼラーの通りだった。
夕刻前であり、多くの行き交う人々で賑わっている。
人目を気にしているというのか。
「……どうだっていいだろ」
「よくないわよ。ほら、楽しそうにして」
「……わーい」
「……」
「……るんるん」
「……バカにしてんの?」
「気のせいだろ」
「……あっ」
ティアが声を上げて立ち止まる。
釣られて、ルーアも立ち止まった。
「……今度はなんだよ」
いくらか苛立ちながらルーアが尋ねると、ティアはもう半分の荷物も押し付けてきた。
「ちょっと持ってて」
「あん?」
つい、受け取ってしまう。
両手が自由になったティアは、百貨店のガラスにへばり付き、中の商品を喰い入るように眺め出した。
手提げ袋が置かれている。
「あのバッグ、可愛い……」
白を基調とした、小洒落たデザインである。
だが、値札にある零の数が、妙に多いような。
視力が低下したのかと思い眼を細めるが、零の数は変わらない。
三十五万ラウ。
ちなみに、一般市民の月の収入は、平均で二十万ラウ前後だろうと言われている。
嫌な予感がして、ルーアは立ち去ろうとした。
ティアに、がっしとジャケットの裾を掴まれる。
(……しまった)
嵌められた。
両手一杯に荷物を持った状態で衣服を掴まれたら、身動きが取れない。
「……ルーアも、可愛いって思うよね?」
「いや、全然。まったく、これぽっちも。微塵も思わない」
鞄の役割は、物をしまい運ぶことにある。
デザインなどどうでもいいのだ。
「欲しいなぁ……」
「……じゃあ、買えばいいだろ」
「お金ないもん」
ティアに、金銭的な余裕がないことはわかっている。
「……あたしね、誕生日近い」
「……だから?」
「誕生日プレゼントとして……」
「だが断る」
皆まで言わせず、ルーアは遮った。
「てかあれだな。お前って、男に高い物ねだるような奴だったんだな。うわー、引くわー」
「違うわよ! 今回はたまたま、可愛いなー、いいなーって思ったのが高かっただけで!」
「どうだか」
「なによ! 男だったら、女の子の誕生日にちょっと良い物プレゼントするくらいの、甲斐性見せなさいよね!」
がくがく揺さ振ってくる。
なんでティア相手に、そんなものを見せなければならないのだ。
「……ああ、じゃああれだ。俺も誕生日近いから、それで相殺ってことで。プラスマイナスゼロってことで」
「なにそれ!? 誕生日プレゼントで相殺とか、聞いたことないわよ!」
そう言って、はたと表情を変えた。
「ルーアも誕生日近いの? いつ?」
「……お前はいつなんだよ?」
「九月十八日」
「……じゃあ、九月十七日でいいや」
なんとなく、ティアの誕生日よりも前日でないと、調子に乗られる気がする。
「じゃあってなによ!? あと、嘘ついてる時の顔してる!」
(だから……)
ティアが、詰め寄ってきた。
「ほんとはいつ?」
「……九月二十六日」
じっと、ルーアの顔を見つめてくる。
「……嘘をついてない時の顔ね」
(なんでわかるんだよ……)
自分でもわからない癖でもあるのだろうか。
「それにしても……」
ティアは、顎に手を当てた。
「あたしの方が、年上だったんだね」
数日早く生まれたことを、年上とは言わない。
「なんなら、『お姉ちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」
「絶対嫌だ」
やはり調子に乗りおった。
力一杯拒絶して、ルーアはティアを引きずりながらでも歩こうとした。
いつまでも、この手提げ袋の近くにいるのはまずい。
させじと、路面に踏ん張り抵抗するティア。
「……おや?」
ふと視界に入った人影に、ルーアは呟いた。
虎髭の、厳つい男。
「キュイさんだ」
ティアも、気付いたようだ。
任務の途中か完了したところなのか、黒いラグマの軍服を着ていた。
そのため、通りでも一際目立つ。
キュイは、病院へと入って行った。
「……なんだ?」
「任務で誰か怪我でもしたのかなぁ……?」
「言ってくれれば、俺が治すのに」
簡単な怪我なら、ルーアでも治せる。
ルーアに無理でも、シーパルやユファレートならば、かなりの重傷も治せる。
二人の実力は、そこらの魔法医よりも余程上だろう。
「ちょっと行ってみようか……?」
「そうだな」
この場から離れられる。
その一心のみで、ルーアはティアの提案に同意した。