表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

そして午後にも戯れる

シーパルが、弾き飛ばされて地面を転がった。


身を起こし、悔しそうな視線を向ける先にいるのは、ユファレートである。


「こ……これで今日は……わたしの八勝七敗ね!」


疲労のため、息を切らし、膝を震わせていた。


シーパルも、似たようなものである。


二人が行っているのは、魔力を正面からぶつけ合い押し合う、力比べのようなものだった。


実戦的な訓練とは言えない。

そんなことを二人が本気ですれば、ここら一帯は焦土と化す。


ルシタが作り直した昼食で腹を満たしたルーアは、ぼんやりと外で地べたに座り込んでいた。


何とは無しに、二人の訓練を眺めていたのである。


特に視線を向けるのは、ユファレートである。


「……立ち直ったか?」


独り言を、呟いてみる。


しばらく前に、ユファレートは捜し求めていたハウザードと、アスハレムで再会した。

そして、打ちのめされた。


身体的にもそうだが、なによりも精神的に。


あの一件のあと、病に臥せたユファレートを見て、もう以前のように笑うことはないのではないかと、何度かルーアは思ったものである。

それが、最近では妙に明るい。


ユファレートは今、ハウザードの真実を知り、彼に対してどういう感情を持っているのか。


ハウザードは、犯罪者として追われる身分となっていた。


助かった、と考えている自分がいる。


ハウザードを殺せ、という指令を受けていた。


あの事件の前までは、ハウザードを殺害し、ユファレートに恨まれることを恐れている自分がいなかったか。


ハウザードの真実が明らかになった今、彼を殺害しても、ユファレートはルーアを恨まないのではないか。


そんなことを考えている自分を、ルーアは嫌悪した。


ユファレートの心は、どれだけ悲鳴を上げたことか。


「……開き直って、空元気出してるだけよ」


独り言のつもりだったが、たまたま近くにいたティアには聞こえていたらしい。


最近は、ユファレートだけがことさら明るく振る舞っていた。


「無理して、笑ってさ……今のユファ見てると、こっちがへこむと言うか、胸が痛むと言うか……」


「胸がへこむと言うか」


「……へこんで堪るか」


伸ばした赤毛を掴まれる。


「てかさ、今、ふざけるところ?」


「まあ、俺たちが落ち込んでも、仕方ないからな」


「それはそうかもだけど……」


「そのうち、本当の意味で立ち直れるだろ」


「そうかなあ……」


「大丈夫だって」


お前がいれば、と言いかけて、ルーアは言葉を呑み込んだ。

少し、無責任な台詞である気がしたのだ。


だが、本音である。


例え空元気だとしても、少なからずユファレートは立ち直った。


それには、ティアの存在が大きかっただろう。


一晩中ユファレートの側で、一緒に泣いていることがある。


そうかと思えば、翌日にはろくに会話を交わさなかったりする。


ユファレートが誰かの温もりを求めている時は、ずっと一緒にいて、独りになりたがっている時には距離を保つ。


いつも絶妙な距離で、ユファレートと接しているように、ルーアには思えた。


多分ティアは、考えてやっていない。


本能的に、ユファレートの感情の変化を感じ取っているのだろう。


本当に、よく見ている。

親友同士だと公言し合っているのも、納得だった。


お互いに信頼し合い、お互いに心を補い合っている。

出会った当初から、ルーアが二人に持っていた印象である。


それまで、女の友情など嘘臭い、と思っていた。

男の友情も同じく嘘臭い。


たった一人の見栄えの良い異性の出現で、簡単に壊れてしまう。

そんなものだと思っていた。


偏見だった。

二人を見ていると、それを認めない訳にはいかない。


ティアが側にいれば、ユファレートはきっと、本当の意味で立ち直れる。


(そういえば……)


ふと、思い出した。


ランディとの戦闘のあと。

独りでいたい、とルーアは思った。


それを感じ取ったのか、誰もルーアには近付こうとはしなかった。

ただ、ティアだけを除いて。


鬱陶しい。なんて空気の読めない女だ。そう思ったものだ。


そして、ランディを埋葬するのを手伝おうとしたティアを、邪険にし拒絶した。


もしあの時、ティアが寄ってこなかったら、どうなっていただろう。


思念は内へ内へと篭り、怨念のようにならなかったか。


自分は孤独だと思い込み、立ち直るのにもっと時間が掛からなかったか。


馴れ馴れしさを鬱陶しいと思いつつも、心のどこかで感謝していなかったか。


ランディを追うためにリーザイ王国を旅立ち、一年以上が過ぎ去った。


最初の半年は孤独だった。

エスが口出しをしてきたが、事務的な感が強く、仲間だと思ったことなどなかった。


今では、毎日当然のように六人でいる。


ティアの馴れ馴れしさがなければ、テラント、デリフィス、シーパル、ユファレートを受け入れるのに、もっと時間が必要となったのではないか。


「お前ってさ……」


他人の気持ちを忖度し、自然と相手が心の奥底で望んでいる距離で接する。


そんな真似は、ルーアにはできない。

多分、一生できない。


ルーアは、座り込んでいた。

ティアは、立ったままである。


なにか眩しいものに眼をやるような感覚で、ルーアはティアを見上げた。


「結構……凄いよな……」


「……なにが?」


「いや、よくわからんけど」


「なによそれ」


けらけらと笑う。


「ん?」


ティアの背後から、デリフィスが近付いてきていた。


無愛想な顔をしていることが多いが、また一段と不機嫌そうである。


はっきり言って、苛立っていた。それが伝わってくる。


「少しいいか?」


ルーアに向かって言うと、顎をついっと動かした。


その先に、魔法道具の調子を見ているテラントがいる。


「……なんだよ?」


「いいから、付き合え」


拒否するのは、まずい気がする。それくらい、デリフィスは不機嫌そうだった。


そして、ルーア相手に不機嫌なわけではないだろう。


仕方ない。ルーアは黙って頷いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


デリフィスが不機嫌になるのも、当然である。


ルーアも、微かに苛立ちを感じていた。


ズィニア・スティマを意識しているのだろう。


決戦が近い、と予感しているのかもしれない。


デリフィスと二人で、かかってこい。テラントにそう言われた。


ルーアだけでも、デリフィスだけでも不足、と言っているも同然だった。


魔法道具から光を伸ばし、隙なく構えている。


「……いつでもいいぞ」


言い終える前に、デリフィスが突進していた。


テラントの光の剣と、デリフィスの分厚い剣がぶつかり合う。


ルーアは、テラントの左に回り込んだ。


デリフィスに合わせるつもりはない。


彼は、自分の力だけを頼りに戦う傾向にある。


(舐めすぎなんだよっ!)


少し、痛い目を見てもらうとする。


さすがに魔法は使わない。

両手で剣を持ち、ルーアは突っ込んだ。


そして。


「……お前ら、一生やってろ」


座り込み、ルーアは毒づいた。


二合。それが、テラントと剣を合わせられた数だった。

それだけで、弾き飛ばされた。


今は、テラントとデリフィスは二人だけで斬り結んでいる。


二人とも、完全に本気だった。

もう、周りが見えていない。

二人だけの世界に入り込んでいた。


「ふふん」


後ろにいたティアが、鼻を鳴らした。


「やっぱりさぁ、ルーアって、テラントやデリフィスよりは弱いんだね」


ぴく、と頬が動くのを感じる。


魔法を使えば、という言葉は呑み込んだ。


ティアも、それはわかっているはず。


「……ねえ、あたしと勝負してみようか?」


「……勝負ぅ?」


ティアを振り向くと、彼女はいつの間にやら、キュイの館にあった訓練用の木剣を、二本抱えていた。


「お前と?」


ルーアは、鼻で嗤った。


「やめとく。お前なんかとやっても、なんも得るものがない。時間の無駄。カロリーの無駄」


「……とか言って、実は負けるのが怖いとか」


ぴくぴく、とまた頬が引き攣る。


「最近さ、あたしも結構腕上げたと思うのよね。テラントやデリフィス相手でも、十本に一本は取れるし」


「……あっそ」


だからなんだと言うのだ。


自信を付けさせるため、わざと一本取らせることは、誰だってやる。


ルーアも、ランディ相手に五本に一本は取っていた。


有効な工夫をした時や、意味のある思考をしている時、ランディは必ず一本取らせてくれたものだ。


ストラームだけは、一本も取らせてくれなかった。


彼に、弟子に自信を付けさせるなどという考えは、毛頭ない。


弟子とサンドバックが、同義であるような男である。


「今、ルーアと戦ったら、どうなるかなぁって……」


要は、少し自信を付けたから、テラントやデリフィスよりも剣術で劣るルーアで、腕試しをしたくなったということか。


「案外、あたしが勝ったりして……」


「……」


引き攣り過ぎて、頬が痛い。

ルーアは、感情を押し殺した。

挑発に乗りやすいという欠点は、自覚している。


「めんど臭いから、パス」


ティアが腕を上げてきているのは、わかっている。


だが、相手になるはずもなかった。


「む。煽り耐性上がったわね」


「ふっ……」


「じゃあさ、こんなのはどう? ルーアが連続十本取ったら、ルーアの勝ち。あたしが一本でも取ったら、あたしの勝ち」


「だから、やらねえって……」


「負けた方は、勝った方の言うことを、なんでも一つ聞く」


ぴくり、と今度は、鼻の穴が動くのを感じた。


言うことをなんでも一つ聞く。なんと甘美な響きか。


もやもやと頭に浮かんだものを、ルーアは払いのけた。


どうせ、なんだかんだ言って、有耶無耶になるに決まっているのだ。


世の中に、そうおいしい話が転がっているわけがない。


「……なにその手つき?」


「……え?」


言われて見ると、両手の指をわきわきと動かしていた。


「……無意識に罪はない」


体は正直ということか。


「……なんでも、の意味、わかってんだろうな?」


「わかってるわよ」


どうやら、本当に自信があるらしい。


「……十本、でいいんだな?」


低い声で確認すると、少しティアが怯むのを感じた。


「……じ、じゃあ、二十本!」


「……たった二十本でいいんだな?」


「さ、三十本でどう?」


「いいよ」


あっさり言うと、ティアは顔をむっとさせた。


舐められている、と感じたのだろう。


いくら舐めようと、ティアが相手ならば釣りがくる。


「じゃあ、相手をしてやるよ」


ルーアは、立ち上がった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアが、木剣を手に向かってくる。

悪くはない。悪くはないが。


ひょいとかわして、ルーアは木剣でティアの足を払った。

呆気なくティアが転ぶ。


「……これで、俺の十五連勝っと」


「むーっ!」


悔しそうに、何度か地面を叩くティア。


「言っとくけど、これは、遣い慣れてない武器のせいなんだからね! あたしの剣を遣えば……」


「いいぞ。取っ替えても」


「……え?」


「いちゃもん付けられても敵わんし」


「……だって、真剣だよ?」


「いいって、別に。ついでに、あれだ……」


ルーアは、ティアを直視しないようにして言った。


「……着替えてこいよ。すっげえやりづらい」


「……!」


意味を悟り、際どい所まで捲り上がっていたスカートを、慌ててティアが直す。


険悪な視線を向けてきた。


「……そういうこと。道理で足払いが多いと思った。それが狙いだったんだ」


「……チガウヨ」


「なんで片言!?」


「まあ、冗談はともかく。お前、足下がお留守なんだよ」


「……そうなの? テラントたちにはよく、腕の使い方が悪いって言われるけど」


「それも充分悪いが。てか、なんもかんも下手糞過ぎて酷いが」


「……」


上目遣いで睨みつけてくるティアに、しっしっとルーアは手を振った。


「ほれ、とっとと剣取ってこいよ。着替えもな」


木剣を持ち運ぶのに邪魔だったのか、いつもの小剣が腰にない。


キュイの館に置いてあるのだろう。


「あとで吠え面かくんじゃないわよ!」


完璧に小悪党の台詞を吐き、ティアが駆けていく。


見送りながら、頭の中をルーアは整理していた。


ティアの相手を始めてから、ずっと違和感のようなものがある。


思い浮かべる。

突進してくるティアの姿。足捌き。剣の持ち方。振り方。


違和感が、ぼんやりと形になる。


(……似てる……よな)


「待たせたわね!」


考えていると、ティアが戻ってきた。


かなり急いできたのか、息を弾ませている。


すらりと鞘から小剣を抜いた。

スカートの下には、短パンを穿いているようだ。どうでもいいけど。


「木剣壊れたら、ちゃんとルーアからキュイさんに謝ってよね!」


「そういや、借りもんだったな」


木剣。軽すぎて、ルーアにはむしろ扱いにくい。


放り投げた。

空になった手を、ぶらぶらとさせる。


「これでいいや」


「……ちょっと」


「……ん? なんだ? まだハンデ足らんか? なんなら、眼でも瞑ろうか?」


「……」


ティアが、斬り掛かってきた。


(だから、足下がお留守なんだって……)


あっさりと横に回り、ティアの肩を押しながら足下を蹴飛ばす。

簡単にティアは転んだ。


すぐに立ち上がり、向かってくる。


(やっぱ、似てるな……)


ティアの攻撃をかわし、放り投げる。

それを繰り返した。


数分後。


「これで、二十七連勝だな」


手首を掴み引き倒したティアに、ルーアは言った。


ティアは、一々悔しがる。


「お前って、誰に戦い方習った?」


「誰って、孤児院のみんなとか、村の道場とか……」


「……そこに、ストラームかランディが来たことないか?」


「……はぁ? ないわよ。なによ、急に?」


「……いや、深い意味はねえけど」


ずっと、違和感があった。

例えば、ルーアの身体能力がもっと低かったなら、もっと剣の扱いが未熟だったならば、そして魔法が使えなければ、今のティアのような戦型になるのではないか。


自分に似ている。そうルーアは感じていた。


(……まあ、いいか)


「ほれ、あと三回。さっさと終わらせるぞ」


意味もなく肩を回し、ルーアはティアに催促した。


一度唸り声を上げてから、ティアが突き掛かってくる。

かわしづらい胴突き。


剣の腹を拳の裏で殴り、突きを逸らして、ルーアはティアを放り投げた。


「……もう少し、力を付けた方がいいぞ。特に腕力。たまに、剣の重さに振り回されてる。お前、腕立て伏せとかできるか?」


ティアは、腕捲りをしてみせた。

ほっそりとした二の腕が顕になる。


「あたし、結構できるよ」


「そうよ、ティア頑張ってるもん!」


見学に来ていたユファレートが、声を上げた。


「毎晩寝る前に腕立て伏せして、毎日牛乳も欠かさないし、お風呂でマッサージもしてるし、パッドも工夫して自然に見えるよう……あれ? なんで首絞めるの、ティア?」


「……今、そんな話してないからね、ユファ」


ルーアは、額を押さえて溜息をついた。


なんだか、すごく無駄な時間を過ごしている気がする。


「あと二回」


気怠さを感じながら、ルーアは言った。


ティアが、小剣を振る。


(だから……)


足下が甘い。


もう何度目になるのか。

ルーアの足払いに、ティアが転ぶ。


何度も転ばされるうちに、ティアは受け身が上手くなっていた。


元々受け身は取れていたが、さらに上手い受け身が取れるようになった、と表現すればいいだろうか。


追撃に備えた受け身、あわよくば反撃しようという転び方である。


三回ほど、転んだあとにルーアが蹴ったからだろう。


蹴るといっても、触れる程度のものである。

相手が男だったら、足を振り抜く。

敵だったら、骨を踏み砕くか急所を狙う。


「やっぱ、足の運び方が雑だよな……」


「そう?」


「ちょっと、歩いてみろよ」


頷き、ティアが歩き出す。

三歩目で、ルーアは止めた。


「なんで一々歩幅変えるんだよ?」


歩幅が一定ではないから、微妙にバランスを崩している。


そして、ティア本人は気付いていない。


「……別に変えてないわよ」


「変わってんじゃねえか。一センチくらい」


「一センチって……」


ルーアは、テラントとデリフィスに眼をやった。


二人は、未だに剣を合わせ続けている。


「今度、あいつらが歩いてるとこ、よく見てみろよ。寸分足りとも狂いないから、ちょっと気持ち悪いぞ」


「別に、そんな細かいことで神経質にならなくても……」


「わかってねえな……」


ルーアは呻いた。


「確かに、あいつらの身体能力はすげえよ。けどよ、俺の何倍もすごいってわけじゃねえんだ。百メートルを全力で走っても、コンマ何秒しか変わらんだろうよ」


「うん」


「けど、剣だけの勝負だったら、百回やって百回俺が負ける。速さ、跳躍力、腕力、体力、瞬発力、体幹の強さ、反射神経、全部そこまでの差はないのに。なんでか、わかるか?」


「……さあ?」


「あいつらの方が、全てにおいて、ほんの少しだけ上だからさ。でも、その極わずかな差が、紙一重の勝負で、明確な勝ちと負けを分ける」


ある程度以上の実力がある者ならば、差などほとんどない。


達人同士の勝負を決するものは、細緻の極みの中にある。


「細かいことを細かいこととして修正を怠っていたら、あいつらは疎か、俺の足下にも、一生届かねえぞ」


言いながら、ルーアは心の中で呆れていた。


(なにを語ってんだか。こいつは、女だぞ)


戦闘で武器を振るうのは、古来より男の役割である。


戦場に立つ兵士のほぼ全員が、男であろう。


なぜ、競技のほぼ全てが、男女別々になっているのか。


男と女では、体の作りが違う。

心の作りも、多分違う。


男が得意なことと、女が得意なことは違うのだ。


この考え方を、男女差別とも男尊女卑とも思わない。


むしろ、女尊男卑なのではないか。


野蛮で危険なことは、男共にやらせればいい、という考え方なのだから。


根幹にそういう考え方があるはずなのに。


(センスが良いんだよな……)


だから、ついティアの戦い方や体の使い方に、口を出してしまう。


実際、ティアより動ける女は、そうはいないだろう。


そして、普通の男よりもずっと強い。


ルーアやテラントやデリフィスが、戦闘ずれしているだけの話なのだ。


「まあ、いいか……」


色々と思い浮かぶことを、その一言で一蹴して、ルーアは促した。


「あと一回。こいよ」


ティアが向かってくる。

やはり、筋は良い。


そして、これが三十回目。


今まで通り、ルーアはティアを放り投げた。


「はい、終了。俺の勝ちっと」


「うーっ!」


余程悔しいのか、小剣で地面を叩いている。


「なんでよ!? なんでこんなに差があるのよ!? 理不尽だわ!」


「当たり前の結果だろ……」


比喩ではなく、本当に血反吐を吐く訓練を受け続けてきたのだ。


これでティアに負けていたら、悲嘆に暮れて首を括りたくなる。


「ま、勝敗が見えていた勝負だとはいえ、約束は約束だからな。なんでも一つ、言うことを聞くんだよな?」


「う……」


「……そんな約束してたの、ティア?」


呆れ果てたようにユファレートが言う。


「だって、一回くらい勝てると思ったんだもん!」


「なにしてもらおうかなー」


「い、言っとくけど、スケベなことは駄目だからね!」


「……」


(……まあ、そうだとは思ってたけどな。最初から)


ここで下手な要求を出したら、ティアだけでなくユファレートも敵に回す。


「じゃあいいや。別にやって欲しいこととかないし」


「あんたの頭の中には、そういうことしかないのか!?」


「そういうわけじゃねえけど……」


むしろ、自制心が利いている方ではないかと思っている。


「いやでも、マジでなんも思い付かんし」


「なんでよ!? 男子が女子にして欲しいことなんて、いくらでもあるでしょ!? ご飯作ってもらうとか、手料理振る舞ってもらうとか、食事の準備をしてもらうとか、色んな選択肢が!」


「病院送りの一択じゃねえか……」


呻く。


「……ああ、思い付いた。メシを」


「うんうん」


「今後二度と作るな」


「なんで!?」


ティアが、叫び声を上げる。


「なんで、して欲しいことを聞いてるのに、『するな』、なの!? おかしくない!? ねえ、おかしくない!?」


「あー、もう。うるせえな。なんなんだよ。あれも駄目これも駄目、権利を放棄するのも駄目って」


これでは、勝っても負けても面倒なだけではないか。


「だって……」


「とにかく、別にして欲しいこととかないから。俺はこれから……」


思い出した。用事があったのだ。


そして、ふと思い付く。


「……あったな。やって欲しいこと」


「なに?」


小首を傾げるティアに、ルーアは指を向けた。


「今日一日、お前、俺の荷物持ちな」


◇◆◇◆◇◆◇◆


六人分の食事となると、分量はかなりのものとなる。

当然、食費も掛かる。


キュイやルシタは構わないと言うが、さすがにキュイの家庭にその負担を負わせるわけにはいかない。


三日に一度、街を一人で歩いたら戻ってこれなくなるユファレート以外でくじ引きをし、負けた者が食材の買い出しに行くことになっていた。


そして、今日の買い出しは、ルーアの役割だった。


地味に重労働なうえ、食材を捜す手間も掛かる。


ちなみにルーアはこのところ、四回連続で五分の一の外れくじを引いていた。


呪われているのではないかと思ってしまう。


「……ねぇ、ルーア」


両手一杯に食材が入った袋を持ったティアが、はっきりと不平の声を上げる。


「どうした、荷物持ち?」


「手が痛いんだけど」


それはそうだろう。

指に袋の持ち手が喰い込むのだ。


「脹ら脛も痛いんだけど」


「……だから?」


「女にこんな重労働させるなんて、男としてどうなのよ?」


「……」


「男としてどうなのよ?」


うるさい。


「お前、そんなこと言う間は、男女差別とか主張する権利ねえからな……」


苦々しい顔をしながら、ルーアは手を差し出した。


「……半分、持ってやるよ」


「ほんと?」


ティアは眼を輝かせると、ルーアに荷物を手渡してきた。


確かに半分くらいだが、大根やジャガイモなどが詰まった、明らかに重量がある方である。


「……」


「いやん、ルーアってば、かっこいい! 男らしい!」


「うっわ、ムカつく……」


諦め気味に呻き、ルーアは足早に歩き出した。


さっさとキュイの館に戻り、のんびりとしたい。


ティアが、小走りについてくる。


「そう言えばさ、二人で出歩くのって、久しぶりじゃない?」


「そうか?」


どうでもいいことだった。


それに、私服姿となったキュイの部下たちがつけてきている。


おそらく、街中での襲撃に備えての、キュイの指示が事前にあったのだろう。


素っ気なくルーアが返すと、ティアは頬を膨らませた。


「なんか、つまらなさそうだね、ルーア」


「……パシりにされて、なにが楽しいんだよ」


そして、今ふと思い付いた。

荷物持ちではなく、買い出し自体をティアに命じれば良かったではないか。


「ルーアがつまんなさそうにするとさ、あたしがつまんない女だと思われそうなんだけど」


ラグマ王国王都ロデンゼラーの通りだった。


夕刻前であり、多くの行き交う人々で賑わっている。

人目を気にしているというのか。


「……どうだっていいだろ」


「よくないわよ。ほら、楽しそうにして」


「……わーい」


「……」


「……るんるん」


「……バカにしてんの?」


「気のせいだろ」


「……あっ」


ティアが声を上げて立ち止まる。

釣られて、ルーアも立ち止まった。


「……今度はなんだよ」


いくらか苛立ちながらルーアが尋ねると、ティアはもう半分の荷物も押し付けてきた。


「ちょっと持ってて」


「あん?」


つい、受け取ってしまう。


両手が自由になったティアは、百貨店のガラスにへばり付き、中の商品を喰い入るように眺め出した。

手提げ袋が置かれている。


「あのバッグ、可愛い……」


白を基調とした、小洒落たデザインである。


だが、値札にある零の数が、妙に多いような。


視力が低下したのかと思い眼を細めるが、零の数は変わらない。

三十五万ラウ。


ちなみに、一般市民の月の収入は、平均で二十万ラウ前後だろうと言われている。


嫌な予感がして、ルーアは立ち去ろうとした。


ティアに、がっしとジャケットの裾を掴まれる。


(……しまった)


嵌められた。

両手一杯に荷物を持った状態で衣服を掴まれたら、身動きが取れない。


「……ルーアも、可愛いって思うよね?」


「いや、全然。まったく、これぽっちも。微塵も思わない」


鞄の役割は、物をしまい運ぶことにある。

デザインなどどうでもいいのだ。


「欲しいなぁ……」


「……じゃあ、買えばいいだろ」


「お金ないもん」


ティアに、金銭的な余裕がないことはわかっている。


「……あたしね、誕生日近い」


「……だから?」


「誕生日プレゼントとして……」


「だが断る」


皆まで言わせず、ルーアは遮った。


「てかあれだな。お前って、男に高い物ねだるような奴だったんだな。うわー、引くわー」


「違うわよ! 今回はたまたま、可愛いなー、いいなーって思ったのが高かっただけで!」


「どうだか」


「なによ! 男だったら、女の子の誕生日にちょっと良い物プレゼントするくらいの、甲斐性見せなさいよね!」


がくがく揺さ振ってくる。


なんでティア相手に、そんなものを見せなければならないのだ。


「……ああ、じゃああれだ。俺も誕生日近いから、それで相殺ってことで。プラスマイナスゼロってことで」


「なにそれ!? 誕生日プレゼントで相殺とか、聞いたことないわよ!」


そう言って、はたと表情を変えた。


「ルーアも誕生日近いの? いつ?」


「……お前はいつなんだよ?」


「九月十八日」


「……じゃあ、九月十七日でいいや」


なんとなく、ティアの誕生日よりも前日でないと、調子に乗られる気がする。


「じゃあってなによ!? あと、嘘ついてる時の顔してる!」


(だから……)


ティアが、詰め寄ってきた。


「ほんとはいつ?」


「……九月二十六日」


じっと、ルーアの顔を見つめてくる。


「……嘘をついてない時の顔ね」


(なんでわかるんだよ……)


自分でもわからない癖でもあるのだろうか。


「それにしても……」


ティアは、顎に手を当てた。


「あたしの方が、年上だったんだね」


数日早く生まれたことを、年上とは言わない。


「なんなら、『お姉ちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」


「絶対嫌だ」


やはり調子に乗りおった。


力一杯拒絶して、ルーアはティアを引きずりながらでも歩こうとした。


いつまでも、この手提げ袋の近くにいるのはまずい。


させじと、路面に踏ん張り抵抗するティア。


「……おや?」


ふと視界に入った人影に、ルーアは呟いた。


虎髭の、厳つい男。


「キュイさんだ」


ティアも、気付いたようだ。


任務の途中か完了したところなのか、黒いラグマの軍服を着ていた。


そのため、通りでも一際目立つ。


キュイは、病院へと入って行った。


「……なんだ?」


「任務で誰か怪我でもしたのかなぁ……?」


「言ってくれれば、俺が治すのに」


簡単な怪我なら、ルーアでも治せる。


ルーアに無理でも、シーパルやユファレートならば、かなりの重傷も治せる。


二人の実力は、そこらの魔法医よりも余程上だろう。


「ちょっと行ってみようか……?」


「そうだな」


この場から離れられる。


その一心のみで、ルーアはティアの提案に同意した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ