懐中の罠
大量の爆竹が破裂するような音が、響き渡った。
ダンテ・タクトロスやトンスがいるのではないかと、ルーアたちが眼を付けたアジトに、間もなく到着するという所である。
前を走るテラントとデリフィスが、眼で合図をする。
目的のアジトは、廃れた商店街にあった。
その光景に、全員足を止める。
アジトの両隣の家は、土台から崩れていた。
路面が陥没し、十数人の軍人たちが倒れている。
アジトの壁も崩れていた。
一階に、兵士が二人。
その奥に、右腕を吊したトンス。
横手に、階段があった。
二階へ上がる途中を、大柄な兵士が塞いでいる。
そして、壁が崩れ屋内が丸見えな二階から、ルーアたちを見下ろす者がいる。
切れ長の眼、通った鼻筋、伸ばした頭髪。
「……女?」
美形の女だと、ルーアは思った。
「……私は、女ではない」
冷たく見下ろす瞳。
声は少し高く、女のものにしか聞こえない。
「……ラフ。ダンテ・タクトロスの右腕のような存在の奴だってよ。ちなみに、男だ」
資料を取り出し、テラントが言った。
ラフとやらが、眼を細める。
「私たちにとっては、面白くない物を持っているようだな。渡してもらおうか」
「『ヒロンの霊薬』となら交換してやるぞ」
テラントが軽口を言いながら、懐に資料を仕舞う。
「……馬鹿が」
ラフが、右腕の袖を捲った。
「うわっ……」
ユファレートが、怖気を含んだ呻きを漏らす。
そこにあるのは、無数の眼。
(『悪魔憑き』か……)
ぼろぼろと、眼球が転がり落ちる。
ゆらゆらと宙をたゆたい向かってきた。
デリフィスが、剣を抜き踏み出す。
なにかおかしい。
ルーアはそう感じた。
眼球は、斬れと言わんばかりのゆったりとした速度で移動している。
ラフの、余裕の表情。
破裂音。破壊の光景。倒れた軍人たち。
「待てっ!」
ルーアが制止した時には、すでにデリフィスは後方に跳躍していた。
歴戦の経験が、なにかを察したのだろう。
「ユファレート、防御頼む」
ルーアは眼球の一つに指先を向けた。
「ライトニング・ボルト!」
「ルーン・シールド!」
同時に、ユファレートの凜とした声が響いた。
電撃が眼球を貫く。
ルーアたちを包み込むように、ユファレートの魔力障壁が展開する。
電撃が命中した眼球が、破裂した。
衝撃が周囲の眼球にも伝播し、次々と破裂が連鎖していく。
魔力障壁越しにも、衝撃が伝わってきた。
「厄介な力だな……!」
衝撃波が収まり、ルーアはラフを睨み上げた。
衝撃のためか片膝をついたラフの右腕からは、今なお眼球が落ち続けている。
下手をしたら自分自身も巻き込む恐れがある能力だが、上手く使われたら近付くこともできない。
「フォトン・ブレイザー!」
ラフに放った光線は、あっさりと魔力障壁で防がれた。
魔法使いとしての実力があることは、今の魔法だけでもわかる。
眼球が、二階から転がり落ちてくる。
遠距離からの魔法も簡単に通用しないのならば、眼球に動きを制限される前に、とにかく接近戦に持ち込むことだ。
デリフィスが、階段へと向かう。
集まり始めた野次馬を気にしながら、ルーアはデリフィスに続いた。
一階では、ユファレートが放った光線が兵士を撃っていた。
転がりながらかわした兵士は、テラントに顎を踏み砕かれている。
そのままトンスに迫るテラント。
「フレン・フィールド!」
力場を発生させて、押し返そうとするトンス。
トンスは、テラントとユファレートに任せていいだろう。
まだ負傷の影響はあるはずだ。
そんな状態で、二人をあしらえるはずがない。
ならばこちらは、デリフィスと共にラフを潰す。
階段の上から、大柄な兵士が大剣を振り下ろす。
受け止めるデリフィス。
その肩や膨ら脛の筋肉が膨張する。
兵士を押し返し、体勢を崩させたところで頭蓋を断ち割っていた。
その脇を通り抜け、ルーアは階段を駆け上がる。
舌打ちした。
ラフとの間に、すでに無数の眼球が浮かんでいる。
破裂させればラフを巻き込めるだろうが、同時に自分たちも只では済まない距離。
(だったら……!)
ルーアは、瞬間移動の魔法を発動させた。
まだ眼球のない、ラフの背後に転移する。
瞬間移動は、術者にかかる負担がでかい。
眼が回るような感覚。
それでもルーアは、剣を振り上げた。
「……!?」
息が詰まるような圧力。
眼前に、光が点ったラフの掌。
魔力の流れを読んだか、こちらの行動を見透かしていたか。
トンスから、負傷した時の状況を聞いていたのかもしれない。
「フォトン・ブレイザー!」
至近距離から、光線が撃ち出される。
間一髪。
身をよじり光線をかわす。
体勢を崩していた。
この距離はまずい。
せっかく詰めた距離だが、ルーアは床を転がり間合いを取っていた。
間を、眼球が埋めていく。
ラフが、微笑んだ。
「じゃあな」
その姿が消える。
瞬間移動の魔法。
伝わる魔法の波動は、二つ。
一階のトンスも、瞬間移動の魔法を発動させたのだろう。
行き先を探るべく、魔力の流れを読んでいく。
天井裏と、外。
仕掛けがあったのか、見上げた天井が、大きく開いていた。
「げっ!?」
事前に設置されていたのだろう、何十の、いや、何百という眼球が転がり落ちてくる。
窓からも、眼球が入り込んできているようだ。
アジトの周辺全てを、取り囲んでいる。
魔法が使えないテラントとデリフィスには、脱出口がない。
「みんな集まって!」
ユファレートの叫び声。
デリフィスが、階段の手摺りを跳び越える。
なぜ、兵士が少ないことに違和感を覚えなかったのか。
このアジトは、罠だったのだ。
敵を殲滅するための、巨大な罠。
歯噛みしながら、瞬間移動を発動させてユファレートと合流する。
目眩を感じて、ルーアは膝をついた。
テラントは、すでに身を低くしている。
「ラウラ・バリア!」
ユファレートの声が響き渡り、ルーアたちの全身を淡い光の衣が包む。
魔法を連発、それも瞬間移動を発動させかなり辛いが、ルーアも魔力障壁を展開させていた。
さらにそれを覆い被すように、ユファレートの魔力障壁が拡がる。
「バルムス・ウィンド!」
外。おそらく、トンスの声だろう。
暴風がアジトを揺るがし、それが眼球へと伝わり、そして破裂した。
「う……おおお……!?」
「ぐっ……!」
二重の魔力障壁、そして光の衣の上から、何百回分の衝撃に体を叩かれ、みなの口から苦悶の声が漏れる。
しばらくして衝撃が収まったあとは、視界が暗かった。
どうやら、崩れた屋根や壁に生き埋めになっているようだ。
力場を発生させて押し拡げ、瓦礫をどかしていく。
テラントとデリフィスがすぐに立ち上がった。
ユファレートは、倒れ込んでいる。
負傷はしていないが、身を起こせないようだ。
衝撃や瓦礫のほとんどは、ユファレートが魔力障壁で受け止めた。
その分負担は、ユファレートにかかる。
ルーアとユファレートの役割が逆転していたら、ルーアは魔力を使い切っていただろう。
金属の澄んだ音がした。
眼をやると、短剣が石畳の路面で撥ねている。
トンスが、投げ付けられた短剣を力場で弾いたようだ。
トンスとラフが睨む先にいるのは、パナとドーラを連れたティア。
テラントとデリフィスが、ラフとトンスとの距離を詰めていく。
ティアも、小剣を抜いていた。
路地に駆け込むラフとトンス。
ルーアも、二人を追った。
「止まれ、ティア!」
路地に入りかけたティアを、テラントが制止した。
デリフィスも、路地に入らず踏み止まっている。
ルーアも、路地の入り口にいるティアたちに追い付いた。
「ちっ!」
路地に入ることができない。
すでに、眼球がいくつも浮かんでいた。
その向こうに、逃走するラフとトンスの姿。
魔法で狙撃するにも、無数の眼球が邪魔である。
間を通すには精密な制御が必要であり、自信はない。
もし眼球を破裂させれば、衝撃はこちらまで至るだろう。
攻撃魔法を放った直後の魔力障壁で、果たして防ぎきれるか。
これも自信はない。
防御魔法は人並みにしか使えないのだ。
「そうか!」
なにも、魔法で狙撃する必要はない。
あらゆる武器の扱いを、ストラームとランディに仕込まれてきた。
「よこせ!」
ルーアは、ティアのスカートの中に手を突っ込んだ。
「んぎゃああああっ!? ちょっ……!?」
確か、ティアの右太股に巻き付けてあるホルダーには、投擲用の短剣が差してあるはずだ。
短剣の投擲ならば、細かい魔法の制御よりも余程自信がある。
もし失敗しても、しっかりと魔力障壁を発生させることができる。
短剣を、眼球の間を通すように投げ付けてやれば。
拳。
「ぶっ!?」
なぜかいきなり、ティアに拳を鼻面に叩き込まれて、横転する。
「いっ……!」
鼻腔の奥に血の匂いを感じながら、ルーアは跳ね起きた。
「……いきなりなにすんだ、お前は!?」
「こっちの台詞よ! なにいきなり堂々とセクハラかましてきてんのよ!?」
「はぁっ!? なに言って……」
「阿呆……」
ぼそりとデリフィスが呟き、別の道を捜す。
路地を回り込むつもりなのだろうが、すでにラフとトンスの姿はない。
瞬間移動の魔力の波動だけが伝わってきた。
ある程度本体と距離が離れると、存在を保てないのかもしれない。
眼球は、宙に解け崩れていく。
もう追跡は無理だろう。
「……お前のせいで、逃がしたじゃねえか」
「あたしのせい!? あたしのせいなの!? ルーアが悪いんじゃない! ねえ、どう思う、テラント!?」
「……ん……まあ、なんつーか……戦闘バカが戦闘にのめり込むとこうなるんだな……天然て怖いなと思った」
かつん、と背後で音がした。
ダメージが抜けたのか、杖で路面を叩いたユファレートが立っていた。
かなり厳しい視線をルーアに向けている。
「ねえ、ルーアって魔法使いよね……?」
「ん? おお、そりゃまあ、一応……」
「なんで魔法で撃たなかったのよ?」
路地の状況は、ユファレートの位置からでも見えていたのだろう。
そして、はっきりと不機嫌だった。
「……いや、だってな、あの状況じゃ、魔法を通すなんてできないだろ………」
「で・き・る・わ・よ!」
余りの剣幕に、後ずさってしまう。
ユファレートから、衝撃波が放たれた。
近くの街路樹を撃つ。
舞い落ちる、何十もの葉。
次いで、ユファレートは杖を振った。
光弾が、宙を舞う葉を貫いていく。
「いきなりなにを……」
呻くルーアの横で、ユファレートが無言で風を操り、落ち葉を足下に集める。
何十の葉は、全て中央を撃ち抜かれているようだった。
超がつくほどの精密なコントロール。
「この程度の魔法制御、わたしは小学校低学年のうちからできたわ」
「……いやぁ、ユファレートさん……。あなたと一般の魔法使いを比べるのは、どうかと……」
「精進が足りないのよ!」
「……あ、はい、すみません……」
ぴしゃりと言い放つユファレートに、ルーアはうなだれた。
魔法が関わると、ユファレートは人格が変わる。
こうなると、誰も逆らえない。
ユファレートも、いきなり殴り付けてきたティアも、ルーアのことを睨みつけている。
(なんで懸命に戦ったってのに、俺ばっかりこんな眼に遭わないといけないんだ……)
左右から睨まれて肩身が狭い想いをしながら、ルーアは痛む鼻を摩った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
警察の眼が、崩壊した『コミュニティ』のアジトに向いている間に、ルーアたちは場を離れた。
事情聴取など受けている暇はない。
公園に戻った。
ユリマが入院していた病院の近くの公園である。
「……なんでユリマが攫われる?」
ティアから病院で起きた出来事を聞き、ルーアは呻いた。
テラントを見ると、難しい顔をして腕組みしている。
ユリマは標的にならないと言ったのは、テラントである。
その説明に、ルーアも納得した。
『コミュニティ』の目的は、王宮に保管されている『ヒロンの霊薬』の奪取であり、そのためにキュイに脅しをかけている節があった。
ユリマは、キュイの知人である。
重病人でもあった。
完治には『ヒロンの霊薬』が必要であり、残された時間は余りない。
ユリマを攫わなくとも、人質にしてるような状態だった。
協力して『ヒロンの霊薬』を手に入れなければ、ユリマは死ぬぞ、と。
「目的が、変わった……?」
ユリマを拉致し、なにをするのか。
「ロデンゼラーにおける『コミュニティ』の戦力は、激減している」
テラントが、資料をめくりながら言った。
「王宮の『ヒロンの霊薬』を奪うなど、不可能に近いだろ。それくらいの判断は、つくはずだ。だったら、どうするか。お前なら、デリフィス?」
「ロデンゼラーに留まるのは、得策ではない。俺なら、速やかに街を脱出する」
ティアの話では、ダンテ・タクトロスは『氷狼の棺』を持っていたらしい。
冷蔵保存ができる魔法道具である。
中身は、熱や湿気に弱い『ヒロンの霊薬』と考えていいだろう。
それをラグマ政府に奪われることだけは、避けたいはずだ。
今のロデンゼラーに留まり続けることは、ダンテたちには危険過ぎるだろう。
「街から脱出か……」
資料の一枚を、テラントはテーブルに置いた。
詳細なロデンゼラーの地図であり、脱出に使われるであろうルートが描かれている。
ユファレートが、地図のラグマ王国全土の頁を開き、隣に置く。
方角が逆であり、無言でティアが向きを直した。
「一番使われる可能性が高いとされているのは、西の脱出ルートだな。次に、南東。北東も有り得るが……」
「西か……」
ルーアは、地図を見つめた。
西にロデンゼラーを出れば、すぐにズターエ王国との国境である。
国境を越えて数日行けば、ズターエ王国王都アスハレムだった。
ラグマ王国とズターエ王国は、大陸南部を二分しているが、互いの王都が国境に近い。
長年敵対しているからかもしれない。
引く気はないという、意地の張り合いに思えた。
南東には、バーフィールという村があったはずだ。
北東にも街や村があり、そこからさらに東は砂漠地帯、北はレボベルフアセテ地方で山深い。
「……俺なら、西に行くな」
地形を思い浮かべ、ルーアは言った。
国境を越えるのは困難だが、ズターエ王国に逃亡すればラグマ政府は手出しできない。
「アスハレムまで逃げてしまえば……あそこは、まだごたごたしてるだろうからな」
アスハレムでは、二ヶ月ほど前に事件が起きた。
まだ、街は落ち着いていないだろう。
他国から流れてきた『コミュニティ』の構成員に、構う余裕はないはずだ。
「……じゃあさ、ユリマちゃんを攫ったのは、人質として国境の警備とか突破するため?」
「そういうこと……なんだろうけどな……」
聞いてきたティアに、ルーアは返した。
「うーん……」
ティアが唸る。
ユファレートは、小首を傾げていた。
ルーアも、釈然としないものを感じた。
人質にするならば、もっと適した人材がいるだろう。
ユリマは重病に侵されている。
余り考えたくはないが、人質として盾にする前に、命が尽きることも有り得るだろう。
なぜ、ダンテ・タクトロスはユリマを拉致したのか。
本当に、人質目的なのか。
ラグマ政府が、少女一人を人質にされたくらいで、『ヒロンの霊薬』を所持する者の逃亡を許すのか。
ユリマ。
キュイの知人の忘れ形見。
拉致された事実にもっとも動揺するのは、キュイだろう。
ロデンゼラー南西を守備する、ラグマ王国の副将軍。
南西の山々に拠る、ラグマ政府に帰順していない少数民族への備えである。
閃くものがあった。
「わかった……」
呟いて、ルーアは手元に地図を引き寄せた。
みんなが注目するのがわかる。
「あるじゃねえかよ……ズターエよりもずっと近くで、尚且つラグマ政府が手を出しにくい所が……」
ルーアの地図を見つめる視線を追ったか、テラントが短く声を漏らす。
ルーアは、頷いた。
「ロデンゼラー南西にある険しい山中。ここに、ラグマ政府に帰順していない、多くの少数民族が暮らしている。ここなら、ラグマ政府といえど、おいそれと手出しはできないはずだ」
「……今朝、マナ族の進攻があった、って言ってたな」
テラントが、眼付きを鋭くする。
マナ族を撃退したのは、キュイだという話だった。
「マナ族とは、比較的交渉が上手く進んでいたはずだ。それがいきなり攻めてきたってことはだ……」
「『コミュニティ』の謀略が働いているってことか、テラント?」
「おそらくな。マナ族の進攻は、『ヒロンの霊薬』奪取のための牽制だったんだろ。だとしたら、他の多くの民族にも、働き掛けがいってると考えていい。マナ族だけじゃ、たいした脅威にはならんからな」
「他の民族とも、繋がりがあるってことになる。まずいな……」
ダンテたちは少数民族に受け入れてもらいやすい状態にある、ということである。
そして、ラグマ政府は手を出しにくい。
少数民族を懐柔する政策を採っており、長年交渉を続けていた。
山へ攻め込めば、これまでの労苦が水の泡となる。
引き渡すように要請するにしても、見返りになにを要求されるかわからない。
強硬な態度をとったら、当然反発があるだろう。
「ダンテたちは、山へ逃げる気だ」
「でもさ、今朝の騒動で、山もラグマ王国の兵士に警戒されている状態じゃないの? 難しいんじゃない?」
ティアが指摘し、テラントは首を横に振った。
「そうでもないさ。ラグマの兵士っていってもな、全部が全部精鋭じゃない。王直属の部隊、ズターエやザッファーとの国境警備隊、進攻部隊……まあこの辺りが、最精鋭だな」
節くれだった太い指で、地図を指していく。
「少数民族の相対する部隊なんて、弱兵もいいとこだ。新兵や、老兵ばかり。余り圧力を掛けすぎると、交渉に支障が出るからな。ただ、例外はある」
例外がなにか、ルーアにはすぐにわかった。
「キュイさんの部隊だな」
「そうだ。キュイの奴が血眼になって調練してるからな。あの部隊だけは、傑出している」
「ユリマとかいう娘を人質に、部隊の動きを制限させる気か。だがそれで、あの男が止まるか?」
今度は、デリフィスが指摘した。
キュイは、生粋の軍人である。
命令があれば、誰が人質になっていようと突撃するだろう。
「直線的に、キュイに脅しをかけるつもりじゃないんだと思う」
テラントが言った。
「俺は元々、ラグマ王国に仕えてたからな。ロデンゼラー南西守備隊の総責任者を、少し知っている。キュイと同じ副将軍の位だが、立場はキュイよりも上。そして、キュイと上手くいってない」
キュイは、二十代半ばだったはずだ。
副将軍としては、かなり若い。
部隊の指揮能力は、卓抜したものがある。
当然、妬みなどはあるだろう。
出る杭は打たれる、というやつだ。
「そいつが、ユリマが捕まった事実を知ったら、裏切りを疑われキュイは待機命令を出されるだろう。手柄を立てる機会を奪うって意味もある」
「やっぱり、南西の山に逃げるつもりだろうな。急がねえと……」
ここは、街の南西地区である。
もう、ダンテたちは街を脱出しているかもしれない。
だが、ユファレートが疑問を投げ掛けた。
「南西の山に向かったって決め付けちゃっていいの? 他のルートは? この西とか……」
「……」
南東や北東のルートは、かなり遠い。
兵や警察が街に充満している今、脱出は不可能に近いだろう。
だが西地区は、ここから近い。
脱出に使われるであろうとされているのは水路だが、その近辺のアジトは制圧されていなかった。
ユリマを攫ったのは、こちらを惑わすためだけかもしれないのだ。
「ここで間違えたら、もう追い付けないような気がするの」
「そうだな……」
ルーアは、テラントとデリフィスに眼をやった。
二人とも、難しい顔で地図を睨んでいる。
「……本命は、南西だ。だから、念のため誰か西に行くとしても、余り人数を割くことはできない」
アスハレムでの一件の時もそうだったが、こういう時は人数の少なさが痛い。
単独行動を強いることになるかもしれない。
そして、単独だとしたら、ルーアかテラントかデリフィスが向かうしかないだろう。
一人でダンテたち全員と戦うのは厳しいため、軍や警察と衝突している隙を狙い、ユリマを助け『ヒロンの霊薬』を奪わなくてはならない。
ティアでは、危険過ぎるだろう。
パナやドーラは、そもそも戦えない。
ユファレートは、必ず道に迷う。
一人で行くとしたら、ルーアかテラントかデリフィスか。
デリフィスが、いきなり地図を手に取った。
無言で、凝視している。
「……デリフィス?」
「俺が行こう」
しばらくして、低い声音でそう言った。
意外な発言だった。
ルーアたちの中で、最も好戦的なところがあるのは、デリフィスだろう。
外れの可能性が高いところを、自ら選ぶとは。
「……いいのか?」
「ああ」
地図から眼を離さず、頷く。
「……なにかあるのか?」
「……いや、別に」
なにか理由はありそうだが、語る気はなさそうだ。
「……じゃあ、まあ、取り敢えず決定だな。デリフィスだけは西に行く。俺たちは南西だ。それで……」
「ちょっと待ちなよ」
今まで黙っていたパナが、遮った。
「あんたら、意図的に話すのを避けてるみたいだけど……そろそろはっきりさせた方がいいんじゃないかい?」
腰に手を当てて、ルーアたちの顔を見回す。
「『ヒロンの霊薬』を手に入れて、その後どうすんだい?」
「……」
みなが押し黙った。
『ヒロンの霊薬』が全土で不足している。
それが問題なのだ。
一度息をつき、ルーアは口を開いた。
「ラグマ王国執務官ジェイク・ギャメは、言ったんだってな。シーパルの命よりも、ロデンゼラーの子供たちの命の方が優先だと」
それを、責めるつもりはない。
命に優先順位があるのは、当然のことだと思う。
命は平等ではなく、平等に誰にでもある、というだけなのだから。
「俺にも、優先順位はある。シーパルの命は、見ず知らずのロデンゼラーの子供の命よりも、上だ。ユリマも……」
儚く、壊れそうな少女。
生きることを、諦めたような瞳。
重い病のため、明日をも知れぬ命。
「少しだけだが、面識がある。キュイさんにとって、大事な存在でもあるだろ。ロデンゼラーの他の子供よりは、優先するつもりだ」
「じゃあ……」
確認するように促すパナに、ルーアは頷いた。
「ダンテ・タクトロスから、『ヒロンの霊薬』を奪う。それで、シーパルとユリマを助ける」
「ラグマ政府を、敵に回してもかい?」
『ヒロンの霊薬』を私事で使用することは、ラグマ王国では反逆罪となる。
「リーザイ王国まで逃げ延びれば、大丈夫だ。俺は、英雄ストラーム・レイルの弟子で、元部下だからな」
ストラーム・レイルという男は、役職こそはリーザイ王国特殊部隊第八部隊隊長に過ぎないが、世界を三回破滅から救った英雄である。
その発言力は、時に一国の王さえ凌ぐ。
「それに、考えがある……」
「ダンテ・タクトロスか」
さすがにデリフィスは鋭い。
「そうだ。この際、ダンテ・タクトロスに罪は全部被ってもらおう」
ダンテ・タクトロスは、これまでの経緯を見ても、敵である。
生きている間は、これからも敵であり続けるだろう。
そして、ルーアには敵に容赦するつもりはなかった。
倒すということは、殺すと同義である。
『コミュニティ』を相手取る時は、いつもそうだった。
ダンテ・タクトロスを殺害し、罪をなすりつける。
死人に口無し、という訳である。
ただし、当然すっきりするやり方ではない。
「……ダンテ・タクトロスを倒し、奪い、罪をなすりつける。つまり、やろうとしていることは悪党以下の糞のすることだ。だから、嫌なら手を引いてもらっていいと思っている」
これは、主にティアとユファレートに向かって言った。
テラントとデリフィスは、人を指揮する立場にあった。
部下に、死ねと言っているも同然の命令を出したこともあるだろう。
策略を用いて、敵を罠に嵌めたこともあるはずだ。
汚れることを知っている。
「もう一つ、考え方だが……」
胸の奥に、重い感情がある。
「このままだと、ダンテたちは山に逃げ込む。それを阻止して百本の『ヒロンの霊薬』を奪うってことはだ……」
喉の渇きを感じて、ルーアは唾を呑み込んだ。
「余った『ヒロンの霊薬』は、ラグマ政府に譲る。だから考えようによっては、シーパルとユリマを助けたついでに、『メスティニ病』に苦しむロデンゼラーの子供九十八人を救うってことにもなる。でも、それでも……」
強く、頭を掻いた。
「百人の子供ではなく、九十八人の子供しか救えない。二人、死なせてしまう。そう考えるべきだと思う。背負うべきだと思う」
かなり重たいことだろう。
一生引きずることである。
そして、背負うことから逃げるわけにはいかない。
こういうことには、完全な正解はないのだろう。
きっと、完全な間違いもない。
「わたしはね……シーパルを助けたい。シーパルが倒れたのは、わたしを助けたせいだから」
ユファレートが、小声で呟くように言った。
「オースターは?」
「あたしは……」
ティアは、表情を殺している感じだった。
ただ、口だけを動かす。
「できれば、全員に助かって欲しい。それが無理なら、シーパルやユリマちゃんを選ぶよ……。他人よりも仲間や友達、家族を優先するのは、もしかしたら嫌な考えかもしれないけど、当然なことだと思うから……」
「……決まりだな」
また、犠牲が出る。
ルーアは眼を閉じた。
これまでもそうだった。
無関係な人々を、巻き込み死なせてきた。
仲間や、友人を死なせたこともあった。
ランディがそうだし、シーナもそうだ。
今、シーパルが犠牲になろうとしている。
仲間を、友人を、協力者を、無関係な人々を、敵さえも。
誰も死なせずに剣や魔法を用いた争いを収めるなど、不可能なことなのだろう。
「行こう。ただ、さっきの罠を見ても、ダンテたちは撤退戦に慣れている。油断は一切できないからな」
誰も犠牲にならない戦いなど、誰かのお話か妄想の中にしかないのかもしれない。
現実は、そこまで甘くはない。
それでも、やれるだけのことはやる。
犠牲を減らすために、全力を尽くす。
それが、これまでに犠牲になってきた人々への、礼儀だと思えた。