僕のかわいいコンポ
チャイムの音でドアを開けると、現われたのは今まで見たこともないような太った男だった。
太っていると言っても、小錦やその他の相撲取りのように体が大きいという太り方ではなく、背は小さいのだが、横幅が異様に大きい。正面からではよく分からないが、多分、前後の幅もそれに劣らず大きいだろう。
「なにか御用ですか?」
不審な気持ちを表に出さないように努めながらも、少し強い口調で問いただす。
「あのう・・・先日お電話いただいた○×電子のものですけど・・・」
男がその外見に似つかぬ弱々しい声で答えるのを聞いて思い出した。そういえば、先日コンポの修理を依頼したのだった。
就職祝いに少ない貯金をはたいて買ったその小さなコンポは、我が家にあるもっとも古い家電製品である。
買った時は就職直後の不安をハードロックで振り払い、会社を辞めた時は静かなクラシックが心を癒した。そしてコピーライターとして独立した今では、仕事中のBGMとして軽快なポップスがいつもかかっていた。
そう、長年使用したにもかかわらず、非常に好調だった。好調だったし、それが当然のように思っていた。つい3日ぐらい前までは。
それが、急におかしな音が出るようになった。まるで遠くで子供が泣いているような音が。
初めはCDに傷でもついているのかと思ったが、CDを替えても異音は出たし、だいいち、その時その時によって異音が出る箇所が異なっているのだ。
「ドアの鍵が開かないのは、鍵がおかしいか鍵穴がおかしいかだ」
そんな昔の格言を呟きながら、今度はコンポのほうをあらためてみた。
しかし、コンポのほうにも特に異常は見当たらなかった。あらためたと言っても、僕に精密機器に対する専門知識なんてないから、せいぜいレンズクリーナーを使ったり、うっそうと積もった埃を丹念に払ったりしたくらいだ。
もうこうなるとお手上げである。鍵も鍵穴も正しいはずなのにドアは開かない。諦めるという手もあったが、「音楽を聴きながら仕事をする」というここ数年の習慣のせいで、音楽がないとどうも調子が狂う。かといってラジオで最近の曲を聴くのも性に合わない。
それになにより、赤ん坊の泣き声のような音が出るコンポなんて、同じ部屋にあるだけでも気味が悪い。僕は霊感が強いほうではないし、怖がりなのでそのことは非常にありがたいと思っているほどなのだ。
かくしてメーカーに修理を依頼し、現在に至る。
太った男は、やっぱり前後も太っちょだった。きっと上から見たら腹のあたりが真円を描いているに違いない。
安アパートの狭いドアを苦労してくぐりぬけ(実際僕は、通れないんじゃないかと思ったけど、どうやらこういう狭いところを通るのは慣れているらしかった)、男は僕の仕事場兼リビングに入った。
「えーっと、そのう、それで、どういう症状ですか?」
僕が勧めた椅子にこぢんまりと座り(一応僕自身の名誉のために言っておくと、この椅子はごく普通のサイズの椅子である)、男は尋ねた。季節はもう秋だというのにすごい汗だ。
「あのですね、CDをかけると異音がするんですよ」
「い、異音・・・ですか?」
「ええ」
「それは、ええと、例えばどういった音ですか?」
ハンカチでしきりに汗をふきながら、男は続けた。
「それが・・・赤ちゃんの泣き声のような・・・」
ハンカチを動かす手が止まった。
「あ、赤ちゃん・・・?」
「ええ・・・」
男の表情からいかに驚いているかが分かる。同時に、少しだけ不安そうな影もよぎった。そりゃそうだろう。僕だって修理に呼ばれて「コンポから赤ちゃんの泣き声がします」なんて真顔で話されれば、「この人どこかおかしいんじゃないだろうか?」ぐらいは思う。
「ええと、それは、このコンポからですか?」
「ええ、このコンポでCDを聴くといつもなんですよ」
男はじっと僕のほうを見つめた。その目は、どうやら僕がウソを言っているかどうか見極めようとしているようだ。いつの間にか汗は止まっている。
「本当なんですよ。信じてもらえないかもしれないですけど」
言った後で随分間抜けな発言だなと思う。まるで犯罪者が「信じてもらえないだろうけど、オレはやってねぇよ」と言ってるようなものだ。
「・・・分かりました。見てみましょう」
数秒間の沈黙の後、男はそう言った。椅子から腰を上げた途端、また額から汗が吹き出していた。
「確かに、音がしますねぇ・・・」
「ね、するでしょう?」
僕はちょっと誇らしげにそう言った。症状確認のために適当にCDをかけ、異音の有無を確かめたのだ。確かに、異音はした。(しなかったらどうしようと思ったけど)
でも、なんだか前に聴いた時より音が小さくなっている気がした。
「では、まあ、中を見てみますか」
男は僕と2人でコンポを台から下ろし、コンポを分解し始めた。僕はというと、パソコンで仕事の続きをする、という手もあったのだが(実際、このところ集中できなかったせいで仕事が随分たまっていた)、なんとなく悪いような気がして、男の仕事を見ていた。
「あの、僕も何か手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫ですよ。どうぞ自分の仕事をなさってください」
僕にできることがあったら手伝おうかと思い、声をかけたが、男はまるで別人のようにしっかりした声で、僕の申し出を断った。
でも、実際僕が手伝える事なんて何にもなかった。もともとあまり器用なほうではないし、機械に対する知識もない。それにそもそも機械の分解作業は、散らかった部屋の片付けみたいに二人で分担してやる仕事ではないのだ。
男はもはや僕の存在なんか目に入らない様子で、一心不乱に作業を続けていた。まるで手術中の医者かなんかみたいに、数種類のドライバーをきっちりと揃え、手には手袋をして、見る見るうちにコンポを分解していった。太っちょだから不器用かと思ったが、なかなかどうして鮮やかな手際だった。
初めて見るコンポの中は、案外スカスカだった。こうして見てみると、これはどう考えても科学的な世界の産物で、赤ん坊の泣き声みたいな非科学的なものが聞こえるようには見えなかった。両者の間にははっきりとした線が引かれ、完全に違う世界にある。
そんなことを考えている間に分解作業は終わり、僕のコンポはいくつかの部品となった。もちろん僕にはどの部品がどんな役割を持っているかなんて知る由もない。
男は自分の黒い革のカバンから奇妙な器具(なんだか中学校の理科の実験で出てくるような器具だ)を出して、その部品1つ1つを丹念に調べ始めた。それはなんだか楽器の調律をしているような感じだった。知らない人には何がおかしいのかも分からないが、知り尽くした人の繊細な指先は、微妙な異常をつぶさに感じとり、然るべき状態に持っていく事ができる。
僕は、失礼な言い方だけど、男の思いがけない能力に驚嘆した。ちょっとした職人芸を間近に見ることができた気がして、なんだか嬉しかった。
でも、男の仕事ぶりがあまりに丁寧なので、初めの感動はしだいに薄れ、いいかげん観察に飽きてきた。それで、紅茶でも入れようとキッチンに向かった。僕の分と、太っちょの職人さんの分の紅茶だ。
「変ですねぇ・・・」
30分後、僕の勧めた紅茶を飲みながら男は呟いた。例の奇妙な器具を用いた検査の結果、どこにも異常がないことが分かったのだ。職人さんはうなだれ、依頼主は困惑した。
「でも、確かに音はするでしょ?」
「ええ、それは間違いないんですけど・・・」
僕は少しがっかりしながら、すっかり冷めてしまった紅茶をすすった。このまま直んないんだったら、新しいコンポを買うしかない。結構愛着があったのだが・・・。
気まずい雰囲気の中、2人は黙々と紅茶をすすった。僕はコンポが直らなくてがっかりしていたし、男は自分の力不足を嘆いているようで、しきりに額の汗をふいていた。
「あの、ええと、これはですね、本社の方に送ってですね、そこで、あの、もっと綿密な検査を受けていただく、といった形もですね、1つの方法としてですね、あるんですけども・・・」
この場の雰囲気に耐え切れなかったのか落ち込んでいる僕を気遣ってくれたのか、男が建設的な意見を述べた。
「それは、どのくらいかかりますか?」
「ええとですね、本社の方でですと、だいたい1週間はみておいて頂きたいんですが、あの、非常に申し上げにくいんですが、なにぶんこの型の製品は、現在では生産されておりませんので、もっとかかる場合もございますし、もし部品がなかった場合は、ええと、直らない、ということもですね、あるんです」
思わず黙り込む僕。恐縮至極といった体で僕を見つめる男。議題は却下され、空気は依然重いままだ。
そんな男を見ているうちに、僕は突然自分がひどい事をしている気になった。僕のコンポが壊れたのはこの男のせいじゃないし、この男を責めたからって僕のコンポが直るわけじゃない。もともとあのコンポは寿命だったかもしれないのに、そのことでこの人の良さそうな太っちょが身を縮こまらせるのは、見ていてとてもかわいそうだった。
「分かりました。本社に出してください」
僕はそう言ってニコッと笑った。男もつられてニコッと笑ったが、不謹慎だと思ったのかすぐにまた恐縮した。
「じゃ、じゃあ、とりあえず組み立てますね」
そう言って男は立ち上がり、リビングに向かった。その時男の巨体が僕がぞんざいに積み重ねてあったCDに当たり、CDが散らばった。
「ああ!すみません!すみません!」
そう言って急いで散らばったCDを集めようとする。
「いいですよ放っておいて」
もともと、片付けてなかった自分にも問題があるのだから。そう声をかけてリビングに入ると、男はあるCDを手にして呆然としていた。
「?・・・どうかしましたか?」
「こ、これ・・・」
男はそう言って首だけこっちに向けた。
「そのCDがどうかしましたか?」
「こ、これは初回盤ですか?」
見ると、僕が先日久方ぶりに買ったCDだった。名前も聞いたことのないCDだったが、試聴してなかなか良かったので買ったのだ。
「ええ、多分。よく分からないですけど・・・」
言うが早いか男は今まで手に持っていたCDを放り出し、自分のカバンを漁って大きなルーペを取り出した。訝しがる僕を尻目に、今度はさっき分解したコンポの部品からCD読み取り用のレンズを取り出し、それに見入っている。
「どうしたんですか?何かあったんですか?」
驚きと困惑を隠せないまま僕が詰問したその時、
「あっ!いた!いましたよ!!」
男が今までにない大きな声で叫んだ。そしてしきりに僕を手招きし、ルーペでレンズを覗けと言う。
言われるままにレンズを覗く。と、レンズの中、端っこの方に小さな、本当に小さな猫がいた。
「音猫ですよ」
「オトネコ?」
「音猫と言うのはですね、こういうコンポとか、ステレオの中に住む猫のことです。もともと家電製品内で飼えるペットとして大々的に宣伝、売り出されたんですが最近すっかり廃れてしまってて・・・まさかこんなところで見るとは思わなかった」
「その・・・音猫が・・・なんで?」
「さっきのCDですよ」
そう言って男はCDを見つめ、自分が放り出したことを思い出して少し首をすくめた。そう言えば、CDジャケットには猫の絵がフィーチュアされていた気もする。
「あのCDには初回限定で音猫が入ってるんですよ。きっと初回出荷分だけ猫工場に送って、そこで埋め込んだんでしょう。あ、猫工場ってご存知ないですか?」
「初耳です」
猫工場なんて聞いたこともないし、そこでどんな作業が行われているかなんて想像もつかない。
「猫工場というのは、猫農場で獲れた猫を出荷する場所です。この猫農場というのがまたすごいものでして、広大な畑の当たり一面、猫の尻尾が生えてるんです。それで、程よく育った尻尾を掴んで土中から引き抜くと、猫が鈴なりになってるんです。収穫期にはミャーミャーと少しばかり騒がしいですが、壮観ですよ」
「へぇ・・・。それで、この猫が?」
そう言ってまたレンズを覗き込む。音猫は、今は眠っているみたいだ。
「はい。普通はレンズを透過してコンポ内部に住みますし、最近のレンズにはちゃんと『音猫ガード』が入っていますから、こんなことはめったに起こらないんですよ」
そう言って男はレンズを眺めた。愛しそうに。本当に愛しそうに。
「随分と音猫に詳しいんですね。なにか愛着でも?」
その顔のあまりのほころびように思わずたずねると、男はまた困ったような顔になって、モゴモゴと口篭もった。
「え、ええ、まあ・・・。そ、それでですが、どうします?」
「・・・と言うと?」
「こ、この音猫なんですが、レンズを交換すると当然いなくなります。しかしですね、このコンポに合うレンズがあるかどうか、となると、ええと、ちょっと疑わしくて・・・」
「他に方法はあるんですか?」
そう聞くと男は怯えたような表情を見せ、少し迷った後にもう一つの方法を話してくれた。
「あ、あのですね、音猫は、音を食べて生きているわけなんですね、それで、ずっと音を与えない、つまりですね、ずっとCDをかけないでいると、音猫は・・・死んでしまうんですね・・・」
終わりのほうはほとんど消え入りそうな声で男は語った。そして、うなだれるような格好をして、僕をちらちら盗み見ていた。
僕は、どうするかじっくりと考えた。その傍らで、レンズに入った音猫は静かに眠りつづけていた。
後で聞いた話によると、あの太った男は、昔、音猫プロジェクトに関わっていたらしい。
「人気が出なくてさんざんでした。おかげで私もこんなに痩せてしまって・・・」
男はそう言って少し笑った。僕は男が今以上に太っている姿を想像しようとしたが、どうもうまくいかなかった。
男とはあれから連絡を取り合ううちに仲良くなって、たまに僕の家に遊びに来る。相変わらず椅子に座る姿があまりに窮屈そうなので、そろそろ新しく大きな、十分に大きな椅子を買おうかと思っている。
そして僕の大事なコンポは、また快適な音楽を奏で始めた。相変わらず好調でまだまだ壊れそうな気配はない。
今日もポップなサウンドを流してくれる僕のかわいいコンポ。たまに猫の鳴き声が入るのはご愛嬌・・・。
*へっぽこプーですな。現実に考えてありえないお話。
珍しくハート・ウォーミングっぽいお話です。らしくないです。
とりあえず、こーゆーのも書イテタヨ的な感じ。
よければコメントください。批判とかも。