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第七話

「僕は今でもオリヴィアを愛しているんだ。……もうこの世にはいないオリヴィアを」


 笑みを深めた拍子に、潤んだ目の両端からぽろぽろと涙が静かに滑り落ちる。強い意志のこもった声だ、と思った。まるで言葉に、或いは声そのもに意思があるような。だから俺は彼のその告白に、何も言えなかった。何も言い返せなかった。口にする言葉を、ひとつも見つけられなくて。


 たとえば、死んだのがオリヴィアではなくリシェルだったとして。瓜二つだからと、双子の姉を愛せるのかといわれれば、そんなことは無論出来るはずがない。オリヴィアを愛したのではなく、リシェルを愛しているのだから。

 愚問だった、と、今になって後悔するけれど、もう遅い。言葉を失ったまま、ただ無言で睨みつけるだけしか出来ない俺に、アルベルトはくつりと小さな笑い声を――聞き取れるか聞き取れないかくらいの、ほんの微かな音で――こぼし、それからゆっくりと左手を持ち上げた。俺の左耳につけられた、紫色の細長いピアスへ向かって。


「彼女からのプレゼントだろう?」


 白い、少し乾いた指先がピアスの先端にやさしく触れ、宝石が微かに揺らめく感覚がする。


「紫色のピアスが良いと、君が言ったそうだね。以前彼女が、嬉しそうに話していたよ。どれにしようかと随分悩んでいたけれど……その姿が本当に微笑ましくてね」


 大魔法師のひとりに叙せされた祝として、何か贈らせてほしい、とリシェルに言われたのは随分と前のことだ。まだオリヴィアが生きていて、アルベルトとともに幸福な日々を送っていた頃。

 たぶん彼女は、実際に任ぜられた俺以上に、その栄誉を喜んでいたと思う。魔法師は数多く存在すれど、その頂に立てる者は、王国でたったの三人しか存在しない。その内の一人になるというのは、とても誉れ高いことであり、だから目一杯お祝いしなければ、とやけに意気込んでいた。小さなパーティーを開くから、と、侍女や執事に頼み込んでいたリシェルの、その一生懸命さに呆れはしたけれど、嬉しくないわけではなかった。――本当に、懐かしい記憶だ。まだ誰も狂わず、壊れてもいず、幸福に満ちていた頃の思い出。


 ――紫色? どうしてその色なの?


 色の指定に、彼女は最初こそ疑問を抱いたようだったけれど、適当な理由をつければ、すんなりと受け入れてしまった。貴方が望むならそれにするわ、と。その単純さに、救われたと言えば救われた。あまり深く探られたくはなかったから。


 けれど――。どこか羨むように、或いは慈しむように、真っ直ぐに向けられる琥珀色の瞳を見ていると、騙されたのはリシェルだけだったのだろう、と気付かされる。恐らくはオリヴィアも、分かっていたのだろう。分かっていたから、彼女は――。


「初めは、彼女の瞳の色に合わせたいのだろう、と思っていたのだけれどね。それもあるのだろうけれど……紫色の宝石といえば、有名なのはアメシストだ。宝石に興味のない彼女なら、すぐにそう紐づけただろうね」


 そう言いながら、そっと目を細めたアルベルトに、俺は小さく息をついた。全部見越していたのだろう? と、そう言われているような気がした。彼女がアメシストを選ぶだろうことを、君ははじめから分かっていたのだろう? と。


「アメシストは、とても高貴な宝石だ。そして――“愛の守護石”でもある」


 思っていた通り、宝石に詳しくないリシェルは、恐らく店主の勧めるままにアメシストを選び、贈ってくれた。細長く加工された、深い紫色をしたアメシストを。「どんなデザインにしようか悩んだんだけれど」と彼女ははにかみながら言っていたけれど、宝石の種類で悩んだとは一言も言わなかった。紫色の石なんて、アメシスト以外にも、バイオレットサファイアやタンザナイト、スギライトなど、他にも色々あるというのに。


 呆然とする俺の、ぐちゃぐちゃになった心情など知ってか知らずか、アルベルトは色白の頬に涙の跡をはりつけたまま、俺の耳にふわりと指先を触れさせた。ピアスの根本のある、耳朶に。冷たい皮膚で、まるでそこをやさしく撫でるように。


 ――どうして左耳だけなの? 両耳、貴方がつけたらいいじゃない。


 やわらかく綻んだ琥珀を見つめていると、その向こう側に、困った表情で首を傾げる、在りし日のリシェルの顔をが浮かんだような気がした。渡されたピアスのひとつだけを受け取って、それを左耳につけてもらった時の彼女の、戸惑いの滲んだ丸い瞳も。緊張していたのか、微かに震えていたような気のする指先も。彼女の愛用していた香水の、甘く華やかな香りまで、何もかも。


「それを、左の耳にだけつけるというのは、君の、彼女への想いが本物である証拠だと、僕は思っている。……左耳のピアスは、“愛する女性を命がけで護る”という意味があるそうだからね」


 もちろんそんなこと、彼女は知らないだろうけれど――。

 そう付け加えたアルベルトを睨め付ける双眸に力をこめようとしたけれどうまくはゆかず、俺はただ唇をきつく噛み締め、そうして少しの沈黙の後に、舌打ちとも溜息ともつかない息をゆっくりと吐き出した。彼の胸倉を掴む手は、いつの間にか外れていた。その手は彼の首元に力なくのっかり、手の甲の表面を、あたたかな風が吹き抜けてゆく。慰めるというより、お前は馬鹿だな、と、まるでそういうみたいに、けれどもひどくやさしく。


 様々な由来がある――と、嘗て同じ学び舎で過ごした旧友は前置きをした。魔法師の学校に入学して三年ほど経った、春の野草がそよぐ長閑で心地の良い日。教師の指示で立ち会うこととなった騎士の叙任式の帰り道で、彼が訳知り顔で語ったのだ。騎士は右手で剣を抜く。だから、護るべき相手を左側にいさせる必要がある。何かあった時に、すぐその人を危険から遠ざけ、武器を手に取って護れるようにする為に。そういった騎士の風習を真似、いつしか貴族の間で、それをピアスで表現するようになったのだという。左側は護る者、右側は護られる者。つまり左耳にだけピアスをつけるということは、対のピアスを持つ相手を、“命がけで護る”という誓いの印なのだ。


 ――君はまるで騎士のようだね。姫に忠誠を誓う従順な騎士だ。


 騎士団に所属している殿下が、左耳にだけ揺れるピアスの意味を知らないはずがない。からかっているのだと、わざわざ察するまでもなく分かっていた。だから言葉が見つからなかったのだし、反論する気にもなれなかったのだ。何を言っても、全て無駄だと思えたから。

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