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第四話

 ――実はルシウスに頼みたいことがあるの。


 だから、彼女からそう言われた時、俺は素直に嬉しかった。漸く頼ってくれる気になったのか、と。彼女が求めてくれるなら、俺を必要としてくれるのなら、もちろん何だってしてやれる、と意気込みもした。――だから、


 ――私を、“姉”に変えてくれないかしら。


 形の良いやわらかな唇から告げられた言葉に、俺は言葉を失い、目を大きく見開かせたまま、暫く何も言えなかった。今まで一度も魔塔へ来たことのないリシェルが、侍女も連れずにひとりでわざわざ俺を訪ねにやって来たという、そもそもその時点で全てを疑うべきだったのかもしれない。いつもの彼女ではない、と。そして、彼女がよからぬことを胸の内に抱えているのではないだろうか、と。


 もちろん俺は断固として拒絶した。いくらリシェルからの頼みとはいえ、“アルベルトの為に姉に偽装する”なんて馬鹿げたことを認められるわけがない。それを言い出したのが彼女の両親であると聞かされた時には、腸が煮え返ったものだ。お前たちの娘はオリヴィアだけじゃないだろう、と。リシェルもお前たちの大事な大事な娘のひとりだろう、と。彼女の心よりも、娘婿――ひいては侯爵家――のことがそんなにも大事なのか、とも。そして、それをすんなりと受け入れたリシェル自身にも、俺はどうしようもないほど腹が立ってしかたがなかった。


 そんなことはやめておけ、と、俺は何度も言った。何度も何度も言い聞かせた。時には語気を強めてまで。

 アルベルトがオリヴィアではなく、リシェル自身を愛してくれるのならそれで良い。けれど、そうには決してならないことは明白だった。考えるまでもない。オリヴィアを亡くしてからのあの男は、最愛の妻の亡霊を探し続ける廃人同然の状態なのだから。アルベルトが求めているのは“オリヴィア”であって、“リシェル”ではない。そしてリシェルはそれら全てを分かっていながら、“オリヴィア”になることを決めている。

 ふざけるな、と、幾度吐き捨てただろう。ただ“瓜二つの顔をした双子の妹”というだけで、何故リシェルが犠牲にならなければならないのか。その理不尽を、俺はどうしても納得することが出来なかった。出来るわけがない。


 ――オリヴィアになれるのは、私だけだから。


 そう言って力なく微笑んだ彼女の、僅かに潤んだ瞳が今も脳裏に焼き付いて離れない。アルベルトの為なら苦ではない、とリシェルは言っていたけれど。そんな事はどう考えてもあり得ない。彼女の感覚が鈍っているか、或いは“恋心”に囚われてしまっているが故に思考が騙されているだけだ。普通に考えれば、彼女が幸福であれるはずがないというのは、火を見るよりも明らかなのだから。アルベルトは未だにオリヴィアを愛している。魂が天へ昇り、遺体を棺の中に納め、墓標を立てた土の下に静かに眠らせた今でもなお。彼はただただ一途に、オリヴィアだけを想い続けている。

 そんなアルベルトへ差し出されるリシェルは、ただの“身代わり”だ。瓜二つの顔をした双子であるからこそ成り立つ、残酷な生贄。そんな馬鹿げた話を、どうやって受け入れろというのだろう。


 ――君は、破滅の道の先に、幸せが待ってるとでも思ってるのか?


 呆れと怒りと、色んな感情を押し殺しながら投げかけたその問いに、しかしリシェルは何も答えなかった。口を噤んで、ただいつものように弱々しく微笑むだけ。しかしその沈黙こそが何よりもの“答え”であることが、俺には嫌でも――理解したくない、と拒んでも――分かってしまった。物悲しい表情をしているくせに、俺を真っ直ぐに見据える紫色の瞳だけは、決然としていた。揺るぎのない意思。こうなるともう、彼女の決意を壊すのは無理だ、と諦念を抱くしかなかった。


 姿形の何もかもがそっくりな双子の数少ない違いは、瞳の色と泣きぼくろだ。オリヴィアは薄桃色の瞳をし、リシェルは紫色の瞳と左目の下に泣きぼくろがある。だから魔法で、そのふたつしか存在しない違いを消してほしい、というのが、リシェルの頼みだった。つまりは、リシェルをリシェルたらしめる要素をなくしてほしいという、なんとも惨たらしい切望。


 ――本当に……そっくりね。まるで生き返ったみたいだわ。


 姿見に映る自身の姿――リシェルでありリシェルではない姿――を矯めつ眇めつしながら、リシェルはほっと安堵したように顔を綻ばせ、そうして、左目の下にそっと指先を触れさせた。誰がどう見ても、今の彼女は“リシェル”ではなく“オリヴィア”そのものだろう。試しに執事に見せてみると、彼は愕然として、暫く何も言えないという有り様だった。しかし、その反応はまだ良い方だったと思う。彼の強張った表情には、そうせざるを得なかった哀れな娘に対する嘆きが色濃く滲んでいたから。


 けれど、“オリヴィア”となったリシェルの姿をひと目見た両親は、ただただ喜ぶばかりだった。「オリヴィアが生き返ったんだな」などとほざきながら、嬉し涙を流し、幸福そうな笑みを浮かべ、リシェルを“オリヴィア”として抱き締める。その光景には、怒りを通り越して、心底呆れたものだ。お前たちが抱き締めているのが“オリヴィア”なら、じゃあもうひとりの娘である“リシェル”はどこへいったというのか。“オリヴィア”になることで、“リシェル”がいなくなったことには何も思わないのか。悲しむことも、嘆くことも、心配することも、或いは怒ることもしないのか。

 しかし結局、彼らは何もしなかった。胸糞悪いことに。“オリヴィア”の復活をただただ喜ぶだけで、“リシェル”の存在には一切触れようとはしなかったのだ、あいつらは。


 ――ありがとう、ルシウス。


 そう言いながら振り返り、嬉しそうに笑うリシェルの紫色の瞳を見つめながら、だから俺は再び心に誓った。今まで以上に彼女へ尽くそう、と。彼女が自分自身を大切にしないのなら、俺が代わりにリシェルを、他の誰より――彼女自身以上に――大切にしよう、と。彼女を護れるのは、俺だけしかいないのだから。執事の目にも、両親の目にも、それ以外の奴らの目にも見えないものが、俺の目にだけは見えるのだから。


 魔法をかけたのは俺だ。紫色の瞳も、左目の泣きぼくろも。術者にだけありのままを見せるようにするのは、造作もない。周りがどんなに“オリヴィア”だと言おうと、俺の中で彼女は“リシェル”以外の何者でもないのだ。リシェルはリシェルであり、オリヴィアではない。アルベルトが、両親が、使用人たちがどんなに“リシェル”の存在を忘れ去ろうとも、俺だけは絶対に彼女を忘れない、と、思った。強い覚悟をもって。だから俺だけは、彼女の紫色の瞳を、愛らしい泣きぼくろを見えるままにしておきたかった。

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