第三話
しめやかに執り行われたオリヴィアの葬儀の最中、リシェルはただ懸命に立っていた。白いハンカチをきつく握り締めながら、今にも崩折れてしまいそうなか細い両足で。
亡き最愛の妻に縋り付いて離れようとしないアルベルトを前にすれば、彼女がいつも以上に様々なものを堪えなければならないのは、しかたがなかったのかもしれない。棺の中で、薔薇の花に囲まれて眠る姉を見つながら、それでもリシェルは泣くことはなかった。縋りつきたかっただろう。泣き喚きたかっただろう。けれども彼女は、唯一無二の存在である姉が、冷たい土の下に埋まるまで、一滴の涙もこぼすことはなかった。アルベルトのように取り乱すことも、両親たちのよう肩を寄せて支え合うことも。
だから俺は、ずっと彼女の傍にいた。埋葬を終え、参列者が散り散りになっていくその間も、ずっと。リシェルの傍を離れることなんて、出来るはずがなかった。今にも倒れてしまいそうなほど蒼白い顔をした彼女を。今にも血が滲みそうなほど唇を噛み締め続ける彼女を。放っておくことなんて、俺には到底出来なかった。
――ずっと、あの子の傍にいてあげて。誰よりも、一番近くに。
オリヴィアに頼まれるまでもない。どんなことがあっても、リシェルの傍から離れるつもりなど微塵もなかったのだから。彼女がアルベルトを想い続けようが、別の男と結婚しようが、それでも俺は彼女の“友”として傍に居続けることを、疾うの昔に誓っていた。無論リシェルに打ち明けたことはないけれど。魔法師になる為の学校へ入学を決めた時にはもう、胸の内でかたく決めていたのだ。何があっても彼女だけは護ろう、と。傍にいて、彼女が幸せになる為なら何だってしてやろう、と。――たとえ彼女への想いが実らなくとも、リシェルが笑っていてくれるなら、それだけで良かった。俺はただただ、彼女の全てを護りたかった。どんな手を使ってでも。
妻を失ったアルベルトの憔悴ぶりは言うまでもなかったが、それはリシェルもまた同じことだった。アルベルトや両親の前では、疲労も悲しみも、何もかも隠そうと取り繕っていた彼女だが、ぎりぎりのところで踏ん張っているに過ぎないのは、誰の目にも明らかだった。少なくとも、俺の目には。
大切な娘を亡くして自室に引き籠もりがちになった母親。そんな彼女を気遣い、常に寄り添う父親。独りぼっちの食事が多くなった、と、屋敷の使用人に聞いてから、俺はなるべく頻繁に彼女のもとを訪ねるようにした。徹夜をして仕事を片付けたり、短いスケジュールの間に無理矢理用事を詰め込んだりして。どうにか時間を捻出し、俺は足繁く彼女の顔を見に通った。同僚や部下からは呆れられ、今や「君は俺の専属だろう?」などとのたまう王太子には苦笑を漏らされもしたけれど。周りがどう思おうと、俺は一切気にしなかった。そもそも周りのことなど関係がない。リシェルさえ支えられれば、他のことはもうどうでも良かった。
食事はなるべくふたりでした。時には彼女の好物を持ち込み、それをふたりでつつきながら星を眺めたりもした。下らない話をしたり、カードゲームやチェスをしたり。しかしそうしている最中も、彼女はどこか上の空だった。身体も意識も現実にあるのに、心だけがここにないような、ぼんやりとした紫色の瞳。姉を亡くした悲しみだけでなく、アルベルトが日々壊れてゆくのにひどく胸を痛めていることは、知っていた。そのせいだと分かれば分かるほど、遣る瀬無さばかりが募る。結局あの男か、と。何でもかんでもあの男なのか、と。
それでも、彼女を支える決意が揺らぐことは、決してなかった。「君はまるで騎士のようだね」と、いつだったか殿下に言われたことがある。姫に忠誠を誓う従順な騎士だ、と。今どき珍しいもんだ、とも。反論をしなかったのは、返す言葉を見つけられなかったからだ。何を言ったところでこの人には真意を見抜かれるのだろう、と分かっていたから。
酒を飲まないリシェルの為に、任務で赴いた国々で珍しい茶葉を見つけると、それを買って手紙と共に送り届けたり、或いは久々の休暇を使って遊びに連れ出すこともした。昔のように草原を駆け回るようなことはしなかったけれど。マーケットの露店で串焼きを買ったり、果物を頬張ったり、人気のない場所でぼんやりと時間を過ごしたり。アルベルトや両親の絶望に呑み込まれてしまわないよう、彼らから少しでもリシェルを切り離してやりたかった。遠いところまで。
そんな俺に、彼女は何も求めなかった。時折切なく微笑んで、かと思えばハッと我に返ったように、満面の笑みを浮かべる。気遣いの含まれた、空元気を装った造り物の笑顔。そんなもので俺を騙せるなどとは、彼女は少しも思ってはいなかっただろう。言葉はなくとも、互いにそう通じ合えるだけの繋がりが俺たちの間にあることを、俺もリシェルも十分に分かっていたのだから。




