第9章:平凡な一日の終わり
# 第9章:平凡な一日の終わり
佐藤健太郎はオフィスの自分のデスクで静かに居眠りをしていた。
「どうしてこうなった?」
その呟きと共に、彼は鳥取砂丘の真ん中でパンツ一丁になっている悪夢から飛び起きた。周囲を見回すと、オフィスの蛍光灯がまぶしく感じられる。彼の机の上には書類が山積みになっており、パソコンの画面は電力節約のためにスリープ状態になっていた。昼食後の眠気が彼を襲っていたのだ。
「うわっ!」健太郎は自分の声に我に返った。小さな悲鳴を上げた彼は、慌てて周りを見回した。幸い、近くに同僚はいなかったようだ。彼は額の汗を拭い、深呼吸した。「なんて変な夢だ…」
時計は午後3時を指していた。彼は首を回して肩の凝りをほぐしながら、今見ていた夢の内容を思い出した。鳥取砂丘で、なぜかパンツ一丁で立ち尽くしている自分。周りには観光客がいて、皆が彼を見て笑っている。あまりにも生々しく、恥ずかしい夢だった。
「佐藤君、資料はできた?」
声に振り返ると、中村部長が彼のデスクのそばに立っていた。健太郎は慌ててパソコンの電源を入れ直した。
「あ、はい。もう少しで…」
「5時までに頼むよ」部長は簡潔に言って立ち去った。
健太郎はため息をついた。平凡な一日、いつもと変わらない仕事の日常。彼は隣の席をちらりと見た。そこには山田の姿があった。山田は電話で誰かと話している。健太郎は首を振り、奇妙な夢を頭から追い出そうとした。
「よし、仕事に戻ろう」
彼はキーボードを叩き始めた。しかし、頭の片隅でまだあの夢のことが引っかかっていた。鳥取砂丘…彼は一度も行ったことがない場所なのに、どうしてそんな夢を見たのだろう。
そのとき、彼のスマートフォンが鳴った。着信画面を見ると、「山田 拓也」と表示されている。不思議に思いながら電話に出ようとして、健太郎はハッとした。
待てよ。山田は隣の席にいるのに、なぜ電話をかけてくるのだろう?彼は混乱して隣を見た。しかし、そこには誰もいなかった。空の椅子がデスクの前に置かれているだけだ。
「もしもし、佐藤です」健太郎は不思議に思いながら電話に出た。
「佐藤さん、山田です」声は弱々しく、鼻声だった。「すみません、体調を崩してしまって…」
健太郎は混乱した。「え?山田?どうしたんだ?」
「実は昨日から熱があって…今日、会社を休んでいます」
「昨日から?」健太郎はますます混乱した。昨日、山田と一緒に仕事をしていたはずだ。記憶が曖昧になっていた。
「そうなんです。鳥取出張の準備があるのに、このタイミングで…」山田は申し訳なさそうに言った。
鳥取出張。そのフレーズが健太郎の心に引っかかった。夢の中の鳥取砂丘…不思議な一致だった。
「鳥取出張?」健太郎は聞き返した。
「はい、明日の鳥取砂丘リゾート計画のプレゼンです。部長から連絡はありませんでしたか?」
健太郎は机の上のカレンダーを見た。今日は4月6日水曜日。確かに明日、山田は鳥取に出張する予定だったようだ。しかし、部長からの連絡は受けていない。
「いや、まだ…」
「そうですか。実は部長に、佐藤さんに代役をお願いしたいと伝えたんです」
健太郎の背筋に冷たいものが走った。この状況が、どこか既視感を覚えさせる。夢の中で見た光景と、今起きていることが、奇妙に重なり合っているような…。
「代役?」
「はい、明日の朝一で鳥取に飛んで、県観光局でプレゼンをしていただきたいんです。資料は全て揃っていますので…」
健太郎は言葉を失った。夢の中で見た奇妙な状況——鳥取砂丘でパンツ一丁になっている自分——の前触れのようなこの展開に、彼は戸惑いを隠せなかった。
そのとき、中村部長が彼のデスクに近づいてきた。
「佐藤、山田から連絡があったか?」
「はい、今電話しています」
「そうか。明日の鳥取出張、お前が行くことになったぞ」部長は淡々と言った。「山田の資料を使って、しっかりプレゼンしてこい。重要な案件だからな」
「はい…わかりました」健太郎は言いながらも、頭の中はパニック状態だった。
電話の向こうで、山田が咳をした。「佐藤さん、本当にすみません。夕方、USBメモリを会社に届けさせます。その中に全ての資料が入っています」
「わかった」健太郎は我に返って答えた。「とにかく、ゆっくり休んでくれ」
電話を切った後、健太郎は深いため息をついた。突然のことで、まだ状況を理解しきれていない。彼は再び自分の夢を思い出した。鳥取砂丘でのあの恥ずかしい状況…まさか予知夢だったのだろうか?
「いや、そんなはずはない」彼は自分に言い聞かせた。「単なる偶然だ」
健太郎は仕事に戻ろうとしたが、集中できなかった。明日の出張の準備をしなければならない。しかし、それ以上に、あの奇妙な夢が気になってしかたなかった。
彼はカップに残っていたコーヒーを一口飲み、不安を振り払おうとした。
「どうしてこうなった?」
彼は小さく呟きながら、パソコンの画面に向き合った。これから始まるであろう一連の出来事に、彼がどう対処するのか。そして、あの奇妙な夢は現実になってしまうのか。
健太郎はまだ知らなかった。これが単なる偶然ではなく、彼の人生を変える運命の始まりだということを。そして、彼を鳥取砂丘のまっただ中へと導く、一連の予想外の出来事の第一歩だということを…。
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「続いては鳥取からのニュースです。本日午前、鳥取砂丘の観光エリアで『どうしてこうなった?』と叫びながらパンツ一丁で走り回る男性が目撃され、観光客に騒ぎが広がりました。地元警察によりますと、30代から40代とみられる男性で、観光バスから降りた直後に突然服を脱ぎ捨て、砂丘の中央部に向かって走り出したということです。目撃した観光客によると、男性はビジネスマンのような印象だったものの、身元を特定できる所持品は現場に残されていなかったとのこと。この男性の行方はいまだ分かっておらず、鳥取県警では行方不明者との関連も含め捜査を進めています。鳥取砂丘観光協会では『このような事態は極めて異例であり、観光客の皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありません』とコメントしています。
著者あとがき
この物語を書き上げてみて、人生における「バタフライ効果」の不思議さをあらためて感じています。「鳥取砂丘でパンツ一丁」という、一見すると荒唐無稽なタイトルから始まったこの小説は、実は私たちの日常に潜む偶然の連鎖と、そこから生まれる予想外の結末についての物語です。
主人公の佐藤健太郎は、ごく普通のサラリーマンです。真面目で几帳面、しかし時に抜けているところもある彼は、私たち誰もが知っているような、どこにでもいる人物かもしれません。そんな彼が、同僚の体調不良という小さな偶然から始まり、寝坊、乗り間違え、荷物の取り違え、ホテルの火災と、次々と降りかかる不運によって、最終的に鳥取砂丘の真ん中でパンツ一丁という窮地に追い込まれていく様は、喜劇であると同時に、人生の皮肉でもあります。
逆行的な時間構造を採用したのは、結果から原因へと遡ることで、私たちの人生における「必然」と「偶然」の絶妙な絡み合いを表現したかったからです。最初に提示された奇妙な結末(鳥取砂丘でのパンツ一丁)は、一つ一つの原因を知ることで、徐々に「ああ、そうなるのか」という納得感を生み出していきます。そして最後に、すべては夢から始まったのか、それとも夢が未来を予見していたのか、という問いを残すことで円環的な構造を持たせました。
この物語を読んで、皆さんが日常の小さな出来事に思いを馳せ、そこに潜む運命の糸を感じてくれたら嬉しいです。そして時に、思いもよらない災難に見舞われたとき、「どうしてこうなった?」と呟きながらも、そこに人生の豊かさを見出せる余裕を持ちたいものですね。
最後に、この不条理コメディを最後まで読んでくださった読者の皆様に、心から感謝申し上げます。