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第6章:渋滞の向こう側

# 第6章:渋滞の向こう側


佐藤健太郎は動かないタクシーの後部座席で、じりじりと焦りを募らせていた。前方には車のテールランプが延々と続いている。信じられないほどの大渋滞だ。


「どうしてこうなった?」


彼は運転手の肩越しにダッシュボードの時計を見て呟いた。午前9時15分。彼の乗るべき飛行機は10時25分に離陸する。普通なら今の時間でも十分間に合うはずだったが、この動かない渋滞では絶望的だった。


「すみません、この渋滞はいつまで続くんでしょうか?」健太郎は運転手に尋ねた。


「さあ、わかりません」髭面の運転手は肩をすくめた。「ラジオによると前方で大きな事故があったようですよ。複数の車が絡む玉突き事故だとか」


健太郎は窓の外を見た。彼がいる首都高速は完全に車で埋め尽くされ、一台も動いていない。両側にはコンクリートの壁。降りることもできない。完全に閉じ込められている。


彼はスマートフォンを取り出し、再び時刻を確認した。飛行機に乗り遅れれば、山田の代理として任された重要なプレゼンは台無しになる。昨日、深夜まで準備した資料が無駄になってしまう。


「何か他のルートはありませんか?」彼は望みを捨てずに尋ねた。


「この辺りはそう簡単に迂回できませんよ」運転手はバックミラー越しに言った。「それに、降りる出口にもたどり着けませんしね」


健太郎のスマホが鳴った。画面には「中村部長」の文字。彼は深呼吸して電話に出た。


「もしもし、佐藤です」


「佐藤、どこにいる?」部長の声は既に焦りを含んでいた。


「申し訳ありません、首都高で大渋滞に巻き込まれています」


「なんだって?今何時だと思ってる?」


「はい、わかっています。事故渋滞で…」


「言い訳は聞きたくない。とにかく、空港に着いたらすぐに連絡しろ」


「はい…」


電話が切れると、健太郎はスマホを握りしめたまま、呆然と前方の車列を見つめた。このまま飛行機に乗り遅れたら、中村部長の信頼を完全に失うことになる。何としても空港にたどり着かねばならない。


時計は9時30分を指していた。


---


すべては20時間前から始まった。


健太郎は会社のデスクに向かい、明日のプレゼンテーション資料に最後の調整を加えていた。時計は既に午後7時を回っていたが、オフィスにはまだ何人かの同僚が残っていた。健太郎の向かいの席では、山田が咳き込んでいた。


「大丈夫か、山田?」健太郎は顔を上げて尋ねた。


「ああ…なんとか」山田は顔色が悪く、明らかに体調が優れない様子だった。「ちょっと熱があるみたいなんだ」


「明日の鳥取出張、大丈夫なのか?」


「それが…」山田はハンカチで額の汗を拭いながら言った。「実は心配で…」


その時、中村部長が二人の元に近づいてきた。


「おい、山田。顔色が悪いぞ」部長は山田の肩に手を置いた。


「すみません、少し熱があって…」


部長は山田の額に手を当て、眉をひそめた。「これは高熱だな。明日の出張は無理だ。医者に行けよ」


「でも、明日のプレゼンが…」


「心配するな。代わりは…」部長は周囲を見回し、健太郎に目を留めた。「佐藤、お前が行け」


「え?私がですか?」健太郎は驚いて声を上げた。


「ああ。山田の資料はもう準備できているんだろう?」


「はい、でも…」


「問題ない。お前なら大丈夫だ」部長は決定的な口調で言った。「明日の朝一で羽田から鳥取へ飛ぶ。山田の航空券をお前に変更しておく」


「わかりました…」健太郎は渋々同意した。


「頼むぞ。鳥取砂丘リゾート計画のプレゼンは重要だ。失敗は許されないからな」


部長が去った後、山田は申し訳なさそうに健太郎を見た。


「すまない、佐藤。急に押し付けてしまって…」


「いいよ、仕方ないさ」健太郎は山田の方を向いて微笑んだ。「とにかく、しっかり治せよ」


「ありがとう」山田は弱々しく笑った。「資料は全部揃ってるから。USBに入れておくよ」


健太郎は再び自分の仕事に戻った。突然の出張指示に内心では混乱していたが、これもキャリアアップのチャンスかもしれないと前向きに捉えることにした。


その日はさらに遅くまで残業し、山田からプレゼンの内容について詳しく説明を受けた。家に帰ったのは夜11時を過ぎていた。疲れていたが、翌朝の飛行機に乗り遅れないよう、アラームを3つもセットした。


翌朝。


健太郎は目を覚ますとすぐにアラームを止めた。まだ夜明け前の午前5時。彼は起き上がり、シャワーを浴びて身支度を始めた。スーツケースに必要なものを詰め、山田から預かったUSBメモリを確認し、財布とスマートフォンをポケットに入れた。


「よし、完璧だ」


彼は自分に言い聞かせるように呟いた。時刻は午前6時。羽田行きのタクシーを予約していたのは6時30分。まだ余裕がある。彼はキッチンでコーヒーを入れ、朝食代わりにトーストを一枚焼いた。


時計は6時15分を指していた。健太郎は最後のチェックを行い、玄関に向かった。そのとき、彼のスマートフォンが鳴った。中村部長からだ。


「もしもし、佐藤です」


「佐藤か。起きてるな?」


「はい、もう準備は万端です」


「そうか、それなら安心だ」部長の声にはわずかな安堵が混じっていた。「くれぐれも遅刻するな。山田の予約は10時25分発の便だ」


「わかっています。もうすぐタクシーが来ます」


「よし。空港に着いたら連絡しろ」


「はい」


健太郎は電話を切り、玄関のドアを開けた。外はまだ薄暗く、冷たい朝の空気が頬に触れた。彼はスーツケースを持って、タクシーを待つために建物の前に立った。


予定通り、6時30分にタクシーが到着した。健太郎は後部座席に乗り込み、「羽田空港まで」と告げた。


タクシーは静かな住宅街を通り、幹線道路に出た。「順調ですね」健太郎は運転手に話しかけた。「何時頃着きますか?」


「そうですね、この時間なら8時前には着きますよ」運転手は答えた。


健太郎は安心して窓の外を眺めた。早朝の東京の景色が流れていく。彼は昨夜遅くまで準備したプレゼンの内容を頭の中で復習していた。


「あれ?」運転手が突然、声を上げた。


「どうしました?」


「ナビを見ると、前方で事故があったようですね。首都高が赤く表示されています」


健太郎は身を乗り出して運転手のカーナビを覗き込んだ。確かに、彼らが向かっている首都高のルートが赤く表示されている。


「迂回できますか?」健太郎は不安を感じ始めた。


「そうですね、別のルートを試してみましょう」


タクシーは一般道に入り、別のルートで首都高に向かった。しかし、そのルートも混んでいた。


「申し訳ありません。どうやら朝の通勤ラッシュも始まっているようです」運転手は言った。


時計は7時30分を指していた。健太郎はまだ焦りを感じなかった。空港まではまだ時間があるはずだ。


しかし、状況は徐々に悪化していった。彼らが首都高に乗ると、トラフィックは完全に停滞していた。前方には車のテールランプが延々と続いている。


「これは…」運転手は眉をひそめた。「かなりの渋滞ですね」


健太郎は時計を見た。8時15分。まだ2時間あるが、この渋滞がいつ解消されるかわからない。


「このままじゃまずいですか?」運転手が尋ねた。


「いえ、まだ時間はあります」健太郎は冷静を装った。


しかし、次の30分の間、彼らはほとんど動かなかった。ラジオでは、前方で起きた大きな事故について報じていた。健太郎の焦りは増していった。


9時を過ぎても、状況は改善しなかった。彼はスマートフォンをチェックし始めた。最悪の場合、次の便に乗る必要があるかもしれない。しかし、次の鳥取行きは午後だった。そうなれば、プレゼンに間に合わない。


「どうしてこうなった?」健太郎は小さく呟いた。


9時15分、ようやく部長から電話がかかってきた。健太郎は状況を説明したが、部長の声からは苛立ちが伝わってきた。


「すみません、出口に辿り着いたらタクシーを降ります」健太郎は電話を切った後、運転手に言った。


「え?ここから先は徒歩ですか?」運転手は驚いた。


「はい。このままでは間に合いません」


「わかりました。でも、次の出口まで行くのもまだ時間がかかりそうですよ」


健太郎は焦りを募らせた。タクシーの窓から外を見ると、両側にはコンクリートの壁。逃げ場はない。彼はこの鉄の箱の中に閉じ込められていた。


そのとき、彼は思い切ったことを考えた。


「すみません、ここで降ろしていただけませんか?」


「え?ここですか?」運転手は驚いて振り返った。「首都高のど真ん中ですよ?」


「わかっています。料金はこれで」健太郎は財布から1万円を取り出した。「お釣りはいりません」


「でも、それは危険ですし、違法です…」


「お願いします。本当に重要な仕事なんです」


運転手は躊躇したが、健太郎の懇願に負けて車を路肩に寄せた。「気をつけてください」


健太郎はスーツケースを持って車から降り、立ち往生した車列の間を縫うように歩き始めた。危険な行為だとわかっていたが、他に選択肢はなかった。彼は前方に見える出口に向かって急いだ。


出口に辿り着くまでに10分ほどかかった。階段を下り、一般道に出ると、彼は全力で走り始めた。スーツケースが重くて邪魔だったが、捨てるわけにはいかない。中には重要な資料が入っている。


健太郎は通りを走りながら、周囲を見回した。タクシーはつかまらない。彼は地下鉄の駅を探した。「そうだ、電車なら」


最寄りの駅を見つけると、彼は階段を駆け下りた。駅の時計は9時40分を指していた。彼は急いで切符を買い、ホームに向かった。


「羽田空港行きはどれだ?」彼は駅員に尋ねた。


「羽田へは乗り換えが必要です」駅員は説明した。「この電車で大井町まで行き、そこから…」


「何分かかりますか?」


「そうですね、30分はかかります」


健太郎は絶望的な気分になった。それでは確実に飛行機に乗り遅れる。


「バスは?」


「空港直行バスならこの近くのバス停から出ています。でも時刻表は…」


健太郎は待たずに駅を飛び出し、バス停を探した。幸運なことに、「羽田空港行き」のバスが停まっていた。彼は最後の乗客として滑り込んだ。


「間に合いますか?」彼は息を切らしながら運転手に尋ねた。「10時25分の便に」


「それは厳しいですね」バスの運転手は首を振った。「でも、できるだけ早く行きますよ」


バスが動き始めると、健太郎は窓の外を見た。渋滞は相変わらずだった。バスレーンを使っているとはいえ、スピードは上がらない。


スマホで時刻を確認すると、10時を回っていた。彼は諦めかけていたが、突然、バスが高速道路に乗った。ここはまだ渋滞の影響がなかった。


「もしかしたら間に合うかも」健太郎は小さな希望を感じた。


バスは予想以上のスピードで空港に近づいていった。時計は10時15分。搭乗締め切りは10時15分だった。絶妙のタイミングだ。


バスが空港に到着すると、健太郎は他の乗客を押しのけるようにして飛び降り、ターミナルに駆け込んだ。彼はチェックインカウンターに向かって走った。


「JA302便、鳥取行きです!」彼は息も絶え絶えに言った。


「お客様」カウンターの職員は申し訳なさそうに言った。「申し訳ありませんが、搭乗手続きは既に終了しております」


「お願いします、なんとか…」


「申し訳ありません。次の便は…」


健太郎は天井を見上げて深いため息をついた。すべては終わったのだ。中村部長に電話をかけなければならない。そして、この失敗を報告しなければならない。


彼は電話を取り出し、覚悟を決めて部長の番号を押した。


「もしもし、部長…申し訳ありません。飛行機に…」


「佐藤か!」部長の声は焦りに満ちていた。「どうした?もう搭乗したのか?」


「いいえ、間に合いませんでした…」


「なんだって!」電話越しに部長の怒声が響いた。


「渋滞がひどくて…」


「言い訳はいい!次の便は?」


「午後1時45分発です」


「それに乗れ!そして、プレゼンの時間を変更できないか交渉しろ」


「わかりました…」


健太郎は電話を切り、力なくベンチに座り込んだ。彼はスーツケースを見つめながら、今日一日の計画が完全に狂ったことを噛みしめていた。


「どうしてこうなった?」


彼は再び呟いた。仕方なく、彼は午後の便のチケットを購入し、長い待ち時間を覚悟した。彼の思考は、さらに過去へと遡っていった…。

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