祓い屋 猫宮
ただの暇つぶしだった。
喰うのは、別に人間でなくても良かった。あれだけうじゃうじゃと数がいるのだから、多少減ったところで問題はない。どうせまた生まれる。種が絶えるわけでもない。永遠に生きられる私と違ってどうせすぐに寿命が尽きる。死因が「神に喰われた」になるだけで。
ただの興味本位だった。
私のもとに足を運び祈りを捧げる人間を喰った。人間が食物を食むように喰らってみた。が、特に美味くもなかった。怯えるさまは私に対する畏怖に見え、気分が良かった。
ただのお遊びだった。
神の怒りを買ったと見当違いをして贄を寄越してきた人間も喰った。必死に許しを乞うて地べたに伏しているのが滑稽だった。坊主だか、祓い屋だか、どこかの祈祷師だか知らないが、私を止めようと人間がやってくることもあった。もちろん喰ってやった。力を持った人間は、普通の人間よりも少しばかり美味いんだと知った。
すべて、神の戯れだ。
「餌がのこのこやって来たか」
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「準備は良いな。行くぞ」
祓い屋たち六人が、静かに廃れた森へと足を踏み入れる。
濃い霧が地表を這い、木々の間から覗く陽は赤く、不気味だ。
「森自体が普通じゃないですね」
足を進めていると、突然何かが襲ってきた。
「妖だ……!」
彼らの動きには無駄がない。陣を展開して妖を捕え、札を放ち焼き尽くす。捉え損ねた妖は、特別な刀や矢で祓っていく。それぞれが持ち場を理解し、手慣れた流れで応じていた。
「一体一体はそこまでだな」
「まぁ、見習いには任せられる程度ではないですけどね」
「こちらが六人で当たっているとはいえ、妖の数が多すぎですよ」
一般的に祓い屋は数人で妖を相手にする。祓い屋といえど、人智を超える存在を相手に、生身の人間が一人で対峙するのは、不可能に等しいからだ。
この場にいる六人も、それを心得ている。力の程度に差はあれど、いずれも現場を任されるには十分な者たちだ。
「あの、何か変じゃないですか?」
一人の祓い屋がおもむろに声をあげた。
「入ったときから変ではありますけど」
「森のことではなく、襲ってきた妖は皆、姿とかバラバラでしたよね」
「本来群れないはずの妖もいました」
不穏を表すように木々がざわめいた。
「つまり、統率しているものがいるはずだな」
その瞬間、世界が静寂に包まれた。すべての音が消え失せ、妖の気配もまた、何かに従うかのように霧の奥へと姿を消していった。
カサッ
草が揺れる。
「姿が、見えない……!」
音源へ即座に視線を向けたものの、姿は確認できない。草が自ずと掻き分けられた様相であった。動揺しながらも、混乱を見せず札を構えた。
「はっ!」
何者かの存在が疑われる場所へ札を放つ。妖を焼き尽くす筈の札は、ただの紙切れ同然で、何の効果も示さなかった。
「そんなっ!!効いてない!?」
姿なきナニカが迫りくる。身を挺して刀を振るうも、触れる感覚はなく、代わりに強烈な衝撃で吹き飛ばされ、呻き声を漏らした。全身を強く打ち付け身動きができない彼の腕には、大きな裂傷跡があった。
一人が応急処置を施し、他は負傷者を庇うように周囲の警戒を強める。
「誰か見えないんですか!?」
わずかな期待を込めて声を荒げるも、誰一人として名乗りを上げる者はいない。
視界に何も映らず、音もなく、気配すら掴めない。しかし、確実にナニカが潜んでいる。森の奥深く、祓い屋たちは死を回避すべく、五感を極限まで研ぎ澄ませていた。緊迫の空気が全身を包み込む。
「うわぁっ!!」
目の上に傷がつけられた仲間を庇おうと、弓を放つも手ごたえはない。
「クソッ!弄びやがって!!」
致命的な攻撃は与えてこないナニカは、彼らを甚振って喜んでいる。わざと草木を揺らして自分のいる場所を見せつける。かと思えば、まったく予測のつかないところから襲い掛かる。地を這い、木を駆け、空気ごと切り裂いてくるそれに、誰も手を出せない。
何も通じない。ただ、傷が増えていく。ただ、絶望が濃くなっていく。
「いるんですよ……ここに……! いるはずなんだよォ!」
焦点の合わない目で、気狂いのようなことをつぶやく。だが、視えていないのは彼だけではない。他の者も、何かを追っている。
皆、別の方向を見ていた。皆、違う動きをしていた。
「落ち着いてください!!」
錯乱した者を宥めようとしたとき、空気が揺らいだ。いや、歪んでいる。
目の前に、ナニカがいるのだ。
「ぁ……」
死を前にしても、やはりナニカの姿は目に映らない。
ナニカが腕を振り下ろし、祓い屋の息の根を止める。
──はずだった。
にゃぁ……ん。
空気を切り裂くように、猫の鳴き声が響く。
「やぁっと尻尾出したな」
突然祓い屋を庇うように現れた男が、ナニカの腕に触れ力を込める。途端に、ナニカの腕が内部から爆ぜるように吹き飛んだ。
「気配に鈍いやつで助かったぜ」
ステルス得意じゃねぇからなぁ、俺、という男。
全員が目を疑った。先まではいなかったはずで、この男は一体何なのか。見えなくとも、この男が決定打を与えたことは皆理解した。
『──!!!』
祓い屋たちには、ナニカが言っていることが聞こえなかった。だが、それは明らかに男への怒りが込められていた。
怒りのままに、今度は男目掛けて、残った腕を容赦なく振るった──が、再び何かが弾ける音がした。
『──?──っ!────!?』
ニタニタと笑う男が不自然に手を上げていた。それを見て、もう片方の腕も男によって失われたことを理解する。困惑から驚嘆、驚愕、そして恐怖へと、ナニカの様子が変わっていった。
「じゃあな」
男がナニカに向かって手を伸ばした。ナニカが一歩身を引くと、今まで気配のなかった妖たちが男を妨げるように襲い掛かる。
滑稽にも、その隙にナニカは逃げ出した。
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ただの暇つぶしだった。
ただの興味本位だった。
ただのお遊びだった。
すべて、神の戯れだ。
だというのに、私は今、祓われようとしている。
「畜生、畜生畜生畜生!!なんだアレは!」
廃れた森。堕ちた神が逃げ場を求めて駆け抜ける。これまで人のみならず、森のあらゆるものを食い散らかしていた神は、今や追い詰められた獲物と成り下がった。
死に体でありながら醜く生に縋りつく。かつて人や妖から崇められた、尊き風格は見る影もない。
──にゃあ
「ひっ、」
猫の鳴き声がする。それはまるで、お前は逃げられないとでもいうように。
追っ手は黒い外套によって姿を暗い森に溶け込ませる。その中に浮かぶ一対の紅い目が神の恐怖を煽る。
身体を引きずって当てもなく走りいつの間にか開けた場所に出た。
しかし──
身体に違和感を覚え視線を落とした先。踏みしめた地には何かが書かれた陣がひとつ。
明らかに最近書かれたばかりのそれが、誰を標的としているかなど一目瞭然だ。
「あぁ、そんな、いつから──」
誘導されていた。
初めから逃げ場などなかった。あの追手から逃げられるなどと、考えていたことが烏滸がましいほどに。目をつけられた時点で神の行く末は決まっていたのだ。
「このっ化け物がぁ!!」
最期の悪あがきとばかりに追っ手へと悪態をつく。無論そんなことで事が好転することはない。
突如、陣から生み出された炎が身を包む。
「ああああああああ!!?」
断末魔を上げるそれの身体がぼろぼろと朽ちていく。
地面に生えた草が揺れ、ついに追っ手が姿を現した。死にゆく堕ちた神を眺める、黒い毛並みの一人と一匹。
「だぁれが化け物だって?」
──祓い屋を営む男。
「俺は人間様だよ」
──名を猫宮。
それと猫宮のくせ毛に埋もれる黒い塊。
まるで、飽きたと言わんばかりに間延びした鳴き声をひとつ上げる。
──相棒の黒猫。
「にゃー」
「んー?」
「にゃう!」
「そうだな。軽くなんか食いに行くか」
──名をおはぎ。
この世には人ならざる者がいる。「霊や妖、神」が。
それらすべてが見える者は実に稀である。その存在を猫宮すら自身を除いて一人しか知らない。
猫宮は祓い屋のなかでも人の域を超える力を有している。
そんな猫宮を必要とする依頼主は、人に限らず霊や妖、時には神に至るまで。
ぴこんと軽快な通知音が鳴る。出どころは猫宮の尻ポケット。
取り出したスマートフォンを操作して、開かれたメール画面には「入門」の文字があった。
依頼受信用のアドレスに届いたメール内容に、短い返信を送る。
「げぇっ」
「んにゃあ?」
「『ウチに来い』って勧誘だった」
「にゃ?」
「あぁ、『また』来た。んでまた断った。飽きねぇなホント」
堕ち神退治の依頼を達成した猫宮たちは、その場に塵も残さず消え去った。
一人と一匹はどこに属することもなく、ふらふらと気が向くままに各地を巡る。
★猫宮さんの質問コーナー★
Q1)この後森はどうなったのー?
A1)人間が頑張ったおかげで、数か月後には動物や妖が戻ってたぜ。
Q2)お話合いで神様を説得できなかったのー?
A2)ぜひお前にやってもらいたかったなぁ。骨は拾ってやるよ。──残ってればな。
Q3)どうして神様はボロボロだったのー?
A3)別にいたぶるつもりは……。あいつが無駄に暴れたせいだ。
Q4)猫とお話できるのー?
A4)……できないもんなのか?
Q5)おはぎが何ができるのー?
A5)その内分かるだろ。なぁ?
A5)にゃう
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進捗や裏話など▶︎X @shigeyama_shige