06 白砂の古城(3)
夜の砂漠を吹き抜ける風は、昼のそれに比べて幾分か強く感じる。
それは開けた白砂のオアシスも岩場の上も、そう大きくは変わらないように思う。砂を含んだ風が打ちつける音は、建物の壁越しでも十分に聞き取れて……怖い。
モンスターの声は聞こえない。
ここ数日に比べて風が強い気がするから、ひょっとすると巣穴に隠れてしまっているのかもしれない。
とすると、あのカニも……いや、あのいかにも硬そうな甲殻がこれくらいの風や砂粒に怯む程やわな訳はないか。
(……眠れない)
暗い部屋のなかで身体を微かに揺らす。
光球が放つ光は狭い範囲に絞られて、今はテーブルの一部分のみをぼんやりと照らすのみだ。
暗い部屋の中、幸臣はクラウスのガウンに包まりながら、じっと横になっていた。
(マナ……か)
眠れない理由は、きっと興奮が抜けきっていないからだ。
魔法やマナが、自分の手の届くものだと分かった興奮──幸臣は、ほんの一時間ほど前のことを思い返した。
「ぐぅっ!!」
一度に過量の水を流せば頑丈なホースだって膨れる。それが安物の薄いゴムでできていたらはち切れてしまうかもしれない。
荒れ狂う波のように身体の中を駆け巡る力、統制の取れないマナの流れに耐えながら、幸臣は察した。
気を抜けば、自分の身体の中で同じことが起こる。そして、はち切れるのは庭先に転がったホースなんかじゃない。
流れが破綻して、行くべき方向を見失ったマナが溢れ出たりしたら……その結果、生じるだろう事態は火を見るより明らかだ。
それはマナを知覚したばかりの身でも、絶対に無視できない予感だった。
でも、ここからどうすればいいのか。
クラウスのおかげで流れの方向や力そのものは理解できた。理解だけはできていた。
でも、それさえできればあとは簡単だって、そんなこと思ったのは失敗だった。
(甘かった……!)
簡単なものか、よっぽど難しいじゃないか。
今日はこれで最後かななんて、バカだった。そんなつもりで始めた瞑想ももう三回目になる。
(ダメだ、落ち着かないと)
気持ちに引きずられてマナが乱れるのを感じ、息を吸って吐いた。
平静を保てば穏やかに、激情に駆られれば激しく荒れて、マナの流れは感情を強く映す。だから、焦ってはいけない。
呼吸を意識して、ゆっくりと気持ちを落ちつかせる。そうして、もう一度マナの流れる経脈へ意識を向けた。
「……っ!」
でも、制御しようとすればするほど反対に乱れていってしまう。
一度、気持ちが乱れてしまったのが悪かった。保たれていた均衡が揺らいで、揺らいでしまええば、もう一度正すことがどれほど難しいことか、わかっていないわけではなかった。
でも、
(どうしよう、まずい)
そう思ったとき、見計らったようにクラウスが幸臣の胸に触れた。
「──タカオミ」
呼びかける声。
クラウスのマナは光に似ている。力や熱というより、まるで陽光に抱かれたような感覚が全身を包んだ。
(やっぱり……すごい)
幸臣のマナが豪雨の日の濁流とすれば、クラウスのものは流れの緩やかな大河のようだ。
昂ったマナを抱擁して、宥めるように勢いを抑制する。そうして、少しずつ落ち着きつつある流れに、一定のリズムを取り戻させていく。
柔らかさと重厚さ、安定感がまったく違う。
流れていたマナはそのまま心臓へ導かれていく。
そして、そこから漏れ出るのを防ぐようにクラウスのマナが円を描くと、幸臣のマナは円の内周に沿って渦を巻きはじめた。
こうなればもう、無理に意識する必要はない。
マナの渦が次第に弱まるにつれて、自然と身体の緊張も解けていく。
ほどなくして、渦の勢いも完全に鎮まり、幸臣はそれに合わせて意識を浮上させた。
「はぁっ……」
ゆっくり強張った身体を伸ばす。ボキボキと関節が鳴った。
四度目はやる気にはなれない……やったらダメな気がした。
クラウスも少しずつ疲労が溜まってきているようだ。無理を強いるのは悪いし、流石にそろそろ終わりにしたほうがよさげに思えた。
(それにしても)
どれくらいの時間を費やせば、あんなに穏やかな流れを作り出せるようになるんだろう。
とても真似できるものじゃない。わかるのは、今の自分じゃ逆立ちしたって無理ってことくらいだ。
でも、魔法の習得ってことでいえば、あとちょっとのところまで行けていた感じがする。完全にものにはできなかったけど、あと少し、もう少し先くらいに。
あの感覚を完全に自分のものにしたい。
そうすれば、新しいものが見えてくる気がする。
そんなことばかり考えていると、
「──? タカオミ?」
大きな手が目の前でひらひらと揺れた。瞬きをして焦点を合わせると、クラウスの瞳がこちらを見返して同じように瞬いた。
「……?」
いけない、ぼーっとしてた。
クラウスは不思議そうに片眉を上げる。
けれど、それ以上気にする様子もなく、いつの間にか傍に置いてあった壺を持ち上げてトンと叩いた。蜂蜜が入っていたあの壺だ。
疲れたときは糖分補給──ってことかな、自分が舐めたいだけなのかもしれないけど……。
「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
甘いものは自分も好きだしね。
垂らしてもらった蜂蜜は、やっぱり甘くて美味しかった。
結局それを最後に今日の修練は終わって、身体を休めることになったわけだけど……それから一時間は経つのに、どうしても眠気が起きない。
硬い床の冷たい感触。寝返りを打った。
「……」
クラウスはテーブルの上で何かをしているようだ。背を向けているせいで手元は見えないけど、肘の近くに幸臣の手芸セットが置いてある。
(編み物……?)
毎度どこから取り出してるんだろ。服が変に膨らんでるようなこともないのにな。
前に見たときは、空中で手を振ったと思ったら唐突に物が現れた。スキルの中にそういった効果のものはなかったはずだから、とすると……手品?
(……まあ、いっか)
もう少し余裕ができたら聞こう。別にクエストを終えて砂漠から抜けられたらでも構わないし。
身体を捻って壁の方へ向く。白い壁をぼんやり眺めた。
(編み物、か)
手先の器用さが魔法と関係あるのかな。
それとも、精神集中のため? 集中の深度と持続力向上──ちょっとありそう。
(いや、やめよ。今は寝なきゃ)
明日聞いてみよう、そう思って目を瞑った。そしてそのまま、知らないうちに眠ってしまっていたらしい。
マナの鍛錬を積むなかで、悟ったことがある。それは、マナの“流れ”ばかりを意識してはいけないということだ。
マナは力。肉体に宿るのではなくて、おそらく精神に起因する力。それを経脈にそって動かす。
動く以上は流れが生じて、だから、その“流れ”に川や渓流のイメージを当てはめてしまっていた。体内を河川が流れるかのような気持ちでマナの操作を試みていた。
でも、それは少なくとも自分には合わない。
川の流れは自然だ。摂理の一部だ。
自然を人の手で統制できるはずはない。幸臣にとっての自然とはそういうものだから、従って、そのイメージじゃマナを操作することなんてできるはずもなかった。
始めて魔法に触れた日から一日が過ぎた。そのまま二日が過ぎて、三日が過ぎて。その頃には諦めも出てきて、でも、諦めきれずに続けたのは意地だった。
マナの操作に上達が見られたのは四日目のことだ。
──魚。
川を最初に想像した以上、そこから大きく逸脱したイメージは難しく、想像したのは泳ぐ魚の姿。大海から河川へ入り、渓流を遡上する。
より早く、より長く、体内を巡ったマナはその力を増幅させる。それは魚も同じ。より長く生きるほど、より強く大きく成長する。
不定形のマナに朧げながら輪郭が生じる。細かく想像する必要はなく、泳ぐ様を意識するだけでいい。
一定の速度、一定の強弱、完全な統制とはいかないけど、それまでとは雲泥の差だった。
「ふぅ……」
身体を廻るマナの力、気を抜けばすぐにもバラけてしまいそうになる力を束ねて経脈を安定させる。
そのままマナの一部を手に──集約。
あたたかな流れが手から押し出され、体表を伝うように広がっていく。クラウスの使う魔法と違ってまだまだ荒々しくて安定性に欠けているけど、試しに石ころを手に握りしめてみれば変化は一目瞭然だった。
「凄い……」
砂の塊が崩れるように、力を少し入れただけで石が粉々に割れた。そのくせ、手にはまったく傷も痛みもない。
少量のマナを纏わせただけで、こんなにも変わるなんて。握力だけじゃない、皮膚や筋繊維まで硬く強靭になってる。
(なら──)
棒を持って立ち上がる。重要なのはここからだ。正眼に構えて前方を見る。
砂漠の景色、どこまでも広がって果てがない白砂の海。マナの鍛錬をすると決めた時点で、翌々日には岩場を脱出して、オアシスに戻っていた。
体内のマナを統制し、もう一度手に纏う。半身を引き、構えた棒を振り上げて真上から一気に、
(振り下ろす!)
棒が風を切る。棒の先端が砂に触れて、ほんの少し埋まった。
でも……それだけだ。
旋風が巻き起こるでも、大地が二つに裂けるでもない。振り抜く速度だって普通。
これじゃ普段と変わらない。マナを使っていてもいなくても変わらないんじゃ、なんの意味もない。
「なんで……」
思わず落胆しかけて、けれど、そのとき、力なく下ろした幸臣の両手にクラウスの手が添えられた。
「──」
いつの間に、と思う暇はなかった。添えられた手から湧き立つ力が、幸臣のマナを刺激して引き出す。
失敗の答え合わせをするように。あるいは、褒賞と呼ぶべきものかもしれない。
そしてクラウスの提示したそれは、考えてもみれば至極基本的なことと言えた。マナ云々じゃなくて、もっと原理的な、肉体や運動に関連する法則だ。
導かれたマナが手だけでなく身体全体を覆う。薄くあたたかな皮膜のような感じだった。
なすがまま任せていると、クラウスが幸臣の手を引き、先ほどと同じ動作を辿らせられて両腕が振り上げられた。肘や手の向きなどの細かい位置が修正され、軽く叩かれる。
「タカオミ」
「さあ」と言うように軽く背を押す手の感触。
それに合わせて、振り下ろした瞬間──実感も得られないほど滑らかに下方へ振り抜かれた棒が、軽い感触とともに砂に触れた。
「え」
決まりきった道筋をなぞるような自然さだった。
強烈な旋風を生じたり、大地を割くような派手さはやっぱりない。けど……。
「は、はは……」
考えてみれば当然のことだった。手だけ強化したってせいぜいが握力が強くなるだけのことで、棒を振るのに重要なのはむしろ五体の協調にこそあるのだろうし。
これなら──。
「クラウス」
これなら、モンスターと渡り合うことができるかもしれない。
向き直って視線を投げかけると、それだけで言わんとするところを察してくれたクラウスが頷き返した。
ありがたい。早速、用意を始めながら、
(そういえば)
ふと思った。
なんとなく、本当になんとなくではあるけど、少しずつクラウスと意思疎通がとりやすくなってるような気がする。
数日も一緒に過ごせば当然かな。でも時々、クラウスの感情を朧げながら感じることもあるし。
〈交感〉ができるようになってきてるのかな。だとすると嬉しい。
「──よいしょっと」
棒と網を手に立ち上がると、すでに用意を終えていたクラウスが遠方を眺め見ていた。
何を見ているのだろう、指で示された先を見ると土煙が立っている。
クランチフィッシュ……?
その群れが砂海を跳ねるように泳いでいる。空中を飛ぶ虫か何かを捕食しているのかと思ったけど、どうにも様子がおかしい。
──逃げてる?
時折、群れ全体の泳ぐリズムが大きく崩れる瞬間がある。そういった瞬間には決まって間欠泉のように砂の柱が吹き上がって、巻き込まれた数匹が砂漠の上で気絶しているのが見て取れた。
魚群を追って砂から前後一対の背ビレが突き出ている。
遠近の縮尺はわかりにくいけど、それでも大きなヒレだ。刃のような鋭さをもって砂海を縦に斬るように進んでいる。
決定的な瞬間はすぐに訪れた。
ヒレから繋がる黒々とした頭が、砂海を突き破るように持ち上がる。あ、と思った次の時には、すでにことは終わっていた。
魚群の一部ががまるまるそのモンスターに呑まれた。そこだけがぽっかりと消されたように魚群に空白ができている。
陽光のもと、そのモンスターの全容が明らかになると、幸臣はその雄壮な体躯に思わず息を呑んだ。
背側は黒く、腹側は白い流線型のフォルム。背には鋭いヒレがふたつ並んでいる。牙は目立たないけれど確実にあるはずだ、アレが見た目通りの生き物であるなら。
「シャチ……」
海のギャングと呼ばれるあの生き物のあり方は、砂の海でも変わることはないらしい。
──まさか……?
気のせいだと思いたい。クラウスの目があのシャチに鋭く向けられている。
「あの、クラウス?」
まさか、アレを標的にするつもりだったりは……しない、よね?
「──?」
不安な気持ちを隠さずにいると、そんな気持ちと裏腹にクラウスはシャチを指さし、次いで自分の胸をドンと叩いた。
任せろってことなんだろうけど。
「アレは流石に……無理があるって」
何故、と言うように首を傾げクラウスは幸臣の持つ棒を指し示す。上段から振り下ろす手振りをしてみせた。
焚き付けるにしては邪気もなく、あんまりにも平然とした顔をしてる。多分、やれることをやりさえすれば十分通用するってこと……だとしても。
「タカオミ?」
風が肌を撫でた。吹き抜けて、風の向かう先には跳ね回る魚群と噴き上がる砂柱が数条。
シャチはまだ狩りの途中のようだ。執拗に魚群を追いかけて、潮を吹いたりわざと跳んだり弄んでいるのだ。
アレを自分たちが倒す……できると言われたって、簡単に信じられることじゃない。
(でもな)
クラウスが背を叩く。
「……僕」
本当にできるだろうか、わからない。わからないまま問いかけると、クラウスは困ったように笑んで頷いた。
どうしてだろう……どうしてそんな顔を?
浮かびかけた疑問は、遠くシャチが上げた歓声にかき消えた。
何が、とは思わなかった。疑問に思わずともその声の意味は明瞭だったからだ。
「……!」
シャチがこちらへ寄ってくる。凄まじい速度、風上にいたのがいけなかったのだろうか。
こんなことばっかりだ。でも、いつもと違うのは、気構え以外の準備は万全なことだろうか。
クラウスが両の手を前に出す。幸臣もそれに合わせて棒を構えた。
選択の余地はなかった。
マナを動かして全身を巡らせる。クラウスがやってくれたあの時の感覚を頼りに、手繰ったマナを全身に纏い、力が湧き立つのを感じながら棒の先端をまっすぐシャチの鼻先に向けた。
纏ったマナは循環を途絶えさせても数分は持つ。でも、維持するためにも意識は割かなきゃならない。
マナの操作はまだ不恰好だ。わかりやすく可視化できれば、濃淡も斑らに見えるに違いない。これを均一にならすことが今後の課題になるはず。
身体が震えた。
これから自分がしようとしているのは“戦闘”だ。逃げるばかりの囮役では決してなくて、自分から向かって行かなきゃいけない。
今後があれば……いや、きっと。絶対、なんとしてでも。
「──掴み取らなきゃ!」
砂を蹴る。
震えを置き去りに、顔をうちつける風に目を瞑らないよう顔を顰めつつ前へ。腰に構えた棒の重さも、常にある身体の重みも今はない。
風を切る。いや、風のようだ。急速に近づくシャチの顔。幸臣を真っ向から睨む視線の鋭さが見える。そんな距離まで、すでに近づいている。
(信じられない)
これが自分の走り? レベルアップのときとは比べ物にならない。劇的な変化だけど、あのときのようなギクシャクとした感じもない。
体内にマナを通しているから? それが何かに作用してる?
わからない。でも──すごい!
そのまま衝動に任せて駆ける。コマ送りになったかのように迫るシャチの顔。それが眼前に迫ったのを見計らって、身体を捻り、手に持った棒を横凪に振るった。
肉を打つ確かな感触。打ち据えた肌に波紋が広がる。それとともにシャチの身体が一瞬歪んだように見えた。
バンッ──と破裂するような音を立ててシャチが吹き飛ぶ。それまでの動きや慣性すら無視して、巨体が側方へ大きく弾かれた。
「う、わ……」
絶句した。
武術なんてやったことはないから技術的なことは毛ほどもわからない。筋や関節の協調、角度、振り抜くタイミング、きっと全部下手くそだ。
けど、そんな下手くそな殴打がまともに入った。あんなことが自分にできるだなんて、今もまだ信じられない。
もうもうと砂煙が立ちこめる。
煙の向こう側で、のっそりと起き上がったシャチが鼻を鳴らした。
体を震わせて、煙の切れ目からこちらを睨む目を、幸臣はじっと見つめ返した。
感触からして絶対に少なくないダメージだったはずなのに、それを感じさせない。余裕すら見える。
(アイツに比べれば僕なんか虫ケラだ)
でも、
「虫ケラだって……尻に火がつけば針くらい刺すさ」
「──ッ!!!」
棒を持ち上げてもう一度、シャチの頭に合わせる。
と、幸臣の言葉を理解したのだろう、シャチの咆哮が響き渡った。先の一手はお遊びだ。舐めるなと憤怒を隠さず吠えた。
煙が晴れ全身に打ち付ける威圧の先に、見えたのは怒張して膨れ上がった巨躯。身体中の筋肉が張り詰め、血管の浮き出た眼が再び幸臣を見据えた。
宣言するかのようだった。お前を狩るぞと、確かにそう言われた気がした。
長大な胸ビレが大地を打った。
そして次の瞬間、シャチは高く跳び上がり、砂塵をあげて翻った身体が頭から砂に潜りこんだ。
ざぶんと砂が波打つ。海の上に立っているかのような揺れ。
「くっ……」
慣れない感覚にたたらを踏むと、次第に揺れが小刻みになり、足元の砂が沸き立つように震え始めた。
地震──違う。
クラウスの方を振り返って確信した。揺れているのは幸臣のいる場所だけだ。地震なんかじゃない。これは、
(──来る!)
直感が脳髄を走る。
弾かれたように横へ飛び退くと、瞬間、足元から砂の柱が轟音とともに立ち昇った。
何らかのスキルを使っているのだろうか。凄まじい勢いだ。遠くで見ていた時と実感するとでは全然違う!
それで終わりではない。
続けて数発、今度は今いる場所とそれを避けた更に先に、予見したように複数の波紋が生じた。
間髪入れずに砂が噴き上がる。跳んで転がりながらもなんとか避け、避けられたことを喜ぶ暇もなく、もう一度跳んだ。
タイミングをあえてずらしたのだろう、一際太い砂柱がドッと立ち昇った。
足先を掠めた感触。
素早く確認する。幸い怪我はない。けれど、縄で編んだ靴の先が削れてしまっている。
(どうする……)
肺に溜まった息を吐いて、緊張に強張った肩を動かした。
攻め方を考えているのだろうか、砂柱の攻撃は一旦やんで静寂が周囲を包んでいる。
いつ来るのだろう。わからないのがもどかしい。
こういう緊張を持たせることもまた作戦とすれば、やっぱり相当に知能が高いってことだ。
(嫌らしい)
生ぬるい風が身体に纏わりつく。頬を汗が伝って、顎先に流れる感触がわずらわしく感じた。
手で拭いかけて、でも、直前で思い直し、棒を更に強く握りしめる。
一欠片も油断はできない。むしろこちらの油断を誘っているような意図すら感じる。
来るとしたらどこだろう。さっきは下からの攻撃だった。連続で同じ方向から仕掛けるだろうか。
急襲するなら警戒しにくいところを狙うのが効果的だけど、とすると後ろ? でも、裏をかいて下からくる可能性は捨てきれないし。
あるいは、あえて前方から仕掛けるというのはどうだろう。動揺を誘える可能性もあると向こうは考えるかもしれない。
フェイントは? いや、そうなれば予測なんてのはほとんど不可能だ。
結局は、ぶっつけ本番。
周囲への意識は切らさないよう注意しながら、ほつれが見え始めていたマナの巡りを正して体表のマナを補強する。
(……どこから)
左右に走らせた視線に映るものはない。
ひょっとして逃げたんじゃ──そんな考えが浮かびかけたころ、こちらの心情を見透かしたようなタイミングで状況が動いた。
幸臣の足元が揺れ動く。先ほどと同じ揺れに対処もまた同じでいいはずだと思った。そう思い込んだのは大きな間違いだった。
揺れの中心がどこか、そして、いくつの揺れが生じているか。ヒントはいくらでもあったのに見逃したのは、紛れもなく自分のミスだった。
横に避けようと飛び退ろうとして、けれど、その動きは即座に封じられた。
髪が砂柱に触れて、チッと擦れる音がした。
砂柱が噴き上がる。それも、ひとつじゃない。二つ、三つ、四つ──いや、もっと。
タイミングにほとんど差はなく、そのせいで抜け出すこともできなかった。幸臣を中心とした円の外縁を埋めるように、砂の壁が円形に迫り上がる。触れればただでは済まされない、サンドブラストの壁。
数メートル先に空が見える。壁を超えて上から抜け出るなんてとても無理だ。
閉じ込められたのだと気づいた。
「……っ、まずい」
足元の砂が揺らぐ。
(砂柱? いや、違う)
知能が高くて、プライドも高い。なら、狩りの最後はもっと劇的に決めたいと考えるんじゃないのか。
血を吹き出しながら死に瀕した獲物の表情を見る。あのシャチなら、きっとそういうのを望むはずだ。
安全圏から無難に狩るのではなく、自分の手で──牙で。
でも、それがわかったところで防ぐ手立てはない。