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王と僕。  作者: モミジ
4/11

04 白砂の古城(1)

 砂漠を探索するなかで気づいたことが三つある。


 ひとつ目に、ここはとんでもなく広いってこと。“果てがない”、そんな言葉がしっくりくるくらい、この砂漠に終わりは見えない。

 もちろん、果てはあるのかもしれないけど、目指そうと思ったら年単位は覚悟しなきゃならないないんじゃないだろうか?


 ふたつ目に、ここは着の身着のままで来ていいような場所じゃなかったってこと。

 水がないって最悪だ。一昼夜歩き続けて、オアシスを見つけたときには泣いた。クラウスなんか頭から水に突っ込んで飲んでた。

 それに寒い。

 昼夜の気温差が激しすぎる。クラウスがどこからか取り出したガウンがなければ、冗談じゃなく凍死していてもおかしくなかった。

 ふたりして同じガウンにくるまって、くっついて暖をとっているのに、それでも寝られないくらい寒い。裸足ってのも痛かった。


 そして、三つ目。最後だけど、これが一番肝心なことだと思う。


「──こんのぉっ!」


 振り抜いた木の棒が、砂から飛び出してきた奇妙な魚の頭を殴りつける。 

 硬い感触、岩を殴りつけたみたいな衝撃に手の平がジンと痺れた。


「ぐぅっ!」


 取り落としそうになった棒を咄嗟に握り直して、幸臣は殴りつけた魚がどうなったかはあえて見ず走り出す。


 “クランチフィッシュ”、この魚の名前だ。

 砂に同化するような白ちゃけた鱗に長い身体、鋭い牙と棘のついたエラを持っている。

 二匹、三匹では効かない。魚群と言えるほどの数が次々と砂のなかから飛び上がってくる。それを叩き落としながら、幸臣は砂漠を走っていた。

 砂を泳ぐなんて、尋常じゃない。

 でも、この砂漠で出会った生き物のいずれもが、幸臣の知る常識からは大きく外れたような生態を持っていた。

 

 モンスター──システムは言う。

 この世界とは異なる異世界の生物たち。そして、そのいずれもが幸臣やクラウスに対して敵意を剥き出しにする。

 この砂漠にいるかぎり常に命の危険に晒されている。ただ生きるだけでも過酷な砂漠で、モンスターへの対処もしなきゃならないなんて……。


「ていうか、多すぎっ!」


 殴りつけたクランチフィッシュが弾かれて、力無く砂に落ちる。それを視界の端にとらえながら、幸臣は必死に逃げる。

 見てくれが小さな魚でも、モンスターはモンスターだ。頭を目一杯殴りつけたくらいじゃ気絶はしても殺せない。


 だから──。


「クラウス!」


 呼びかけに答えるように前方の砂が持ち上がる。砂丘のちょうど稜線のあたり。

 隠れ潜んでいたクラウスが姿を現したことに反応して、背後の気配がよりいっそう強まるのを感じた。

 明確に向けられた敵意に肌が粟立つ。

 正直、怖い。でも、だからこそ、逃げる脚に力がこもる。


「──!」


 クラウスは両手をかざし、幸臣の背後に迫りつつある魚群れを見据えて小節を唱える。

 ちいさい声なのに、不思議とよく聞こえた。祈りのような、低く響いて波のように空気を伝っていく。


 〈ホーリーシールド〉──幸臣がクラウスの横を駆け抜けた次の瞬間、かざした両の手を起点として光の壁が出現した。


「っ!!」


 目と鼻の距離にまで迫っていたクランチフィッシュの群れ。それらが光の壁に衝突し、甲高く耳障りのする音をひっきりなしに立てている。

 雨みたいだ。

 肩で息をしながら幸臣は思った。鋼でできた弾丸の雨。


 けれど、それだけの衝撃を受けながらも、光の壁にはヒビが入る気配も、それどころか揺らぐ様子もまったくなかった。


「……終わった?」


 衝突音がやんでから数秒後、自信を持ちきれず尋ねると、クラウスは肩をすくめてみせた。確信がないのは彼も同じようで、ふたり、恐る恐る壁の向こうを覗き見る。


「──おお!」


 うまくいった。光の壁の向こう側では、目に見える範囲で数十匹のクランチフィッシュが昏倒して、砂の上にひっくり返っている。

 動いて向かってくるものはいなそうだ。

 無事だった個体も、散り散りに逃げていくのが見えた。


「よかった……」


 本当に良かった。

 思わず胸を撫で下ろすと、隣でクラウスも同様に安堵した表情を浮かべた。

 疲れた、でも、なんとかなった。これなら、作戦はうまくいったと思っていいはずだ。

 クラウスが頷きかけてくる。それに対して笑みを返すと幸臣は力が抜けそうになった膝を叩いて、気絶しているクランチフィッシュをゆっくりと拾い上げ始めた。

 

 これが、気づいたことの三つ目。

 ここにはモンスターがいて、モンスターを倒さない限りは生きていかれないということ。

 そして、今の自分たちには、それが酷く大変だってことだった──。


「着いたあ、疲れたぁ〜」


 拠点にしているオアシスに着き、幸臣は肩に背負った網を下ろして腰を伸ばす。ポキポキと節々が鳴るのをほぐしながら、うーんと唸った。

 数日の間、ロクな睡眠も食事も取れていないせいか、こうしている間も地面に伏せて寝てしまいたい気分ではある。

 だけど、そうもいかない。

 後ろに置いた網の中で気絶していたはずの魚たちがピクピクと動き出している。あれを早いこと対処しなきゃ、またさっきの二の舞になるだろうから。


 ストレッチもそこそこに、幸臣はしゃがみ込んで網を持ち上げた。

 その揺れに網が震えたように感じたけど、構わず胸の前に抱えて湖の中に投げこむ。すると、水に触れた瞬間、網の中のクランチフィッシュたちが一斉に暴れ始めた。

 すごい力だ。外に逃げないよう網の口を縛った縄を両手で押さえ、幸臣は歯を食いしばって耐えた。

 穏やかだったオアシスの湖面に激しく波が立つ。

 波紋の起点はふたつ。クラウスもすぐ近くで同じように踏ん張っている。


 何をしているのか──これも、立派なモンスター討伐だ。


 クランチフィッシュはこの砂漠で一番ありふれたモンスターだ。

 一番数が多く遭遇しやすく、おそらくは食物連鎖の最下層。だからこそ、その性質も把握しやすかったといえる。

 彼らはオアシスには近寄らない。幸臣たちを追っているときでさえ、水を恐れるかのように引き返すその姿にひとつ閃いたことがあった。

 

 はたして、それは正解だった。


 砂海を泳ぐ魚のモンスター、魚でありながら彼らが最も恐れるのは水だ。水のなかでは呼吸もできず、それどころか、砂に適合した身体は水に濡れると途端に脆く砕けていく。

 水の中に全身を浸されて、クランチフィッシュの動きが見てわかるほど鈍くなっていく。縄を引く力も次第に弱まって、数分が経つころにはぴくりとも動かなくなった。



−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>>モンスター:クランチフィッシュ×26を撃破。

>>加えて、契約獣が撃破したモンスター:クランチフィッシュ×31の経験値の一部がプレイヤーに分配されます。

>>経験値取得に際し、【星の先駆者】、【黄金律】が活性化。

>>取得経験値増加・・・

>>レベルアップ。


・浅桜幸臣(Lv.1 >>>Lv.5)

・クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェ、(Lv.1 >>>Lv.3)


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 通知が届く。目の前に現れたウィンドウを見て、幸臣は息を吐いた。


「レベルアップ……やっとかあ」


 影の怪物を倒したときの通知から、モンスターを倒すことで“経験値”がもらえるのは知っていた。だから、ステータス欄に記載されていた“Lv.”についてはずっと気になってたんだ。

 ゲームじみた考えではあるけど、レベルが上がるにつれて能力が上がっていくんだろうなと思っていたから、実際にこうしてレベルアップをしてくれたのは幸いだった。


「ステータス」


 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


浅桜幸臣(あさくらたかおみ)  Lv.5


HP :10/20(+10)

MP :5/17(+12)

筋力 :12 (+7)

俊敏 :12(+7)

魔力 :12(+12)

神聖 :10(+7)

幸運 :45


【職業】 

 テイマー

>>契約獣

・クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェ (Lv.3)


【装備】


【スキル】

交感 テイム(3/3) 絶対命令権(1/1)


【特性スキル】

星の先駆者


【刻印】

天蓋


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



「へえ、なるほど」


 ステータスがあがってる。


 テイマーなんて後衛も後衛だから期待なんてしちゃいなかったし、高いのか低いのかってところは正直なところわからないけど、元々の数値に比べて倍程度に増えたって、かなり凄い。


(これ、もしかして)


 ぴょんっとその場で跳んでみる。

 足元が砂地だから普段より動きにくいくらいなのに、ジャンプした高さはいつもと同じか、少し高いくらいだ。


 それなら、走るのは?


「──おわっ!」


 試しに走ってみると、その違いがよく感じられた。

 身体がやけに軽い。もとから運動は得意じゃないし、今履いている靴だってクラウスが草や木の葉を編んでくれたものなのに。


 それなのに速い。凄い、本当に。

 今なら砂漠のどんなモンスターからも無傷で逃げ切れるかもしれない。


「…? タカオミ?」


 目を丸くしてこちらを見つめるクラウスに手を振り、そのまま前も見ずに走る。

 と、調子に乗っていたのがいけなかったのかもしれない。急に砂に足をとられたかと思えば、あっと思う暇もなく、顔面から思い切り倒れ込んだ。


「いったぁ……」


 驚いて駆け寄ってきたクラウスに詫びて、立ち上がる。


「タカオミ」

 

 クラウスが眉根を寄せてこちらを見つめた。 

 不注意にもほどがある。そう言われている気がして、幸臣はもう一度頭を下げた。


「ごめんなさい……」


 調子に乗って……自業自得だ。

 仕方なさげに息を吐いたクラウスが〈ヒール〉を使う。

 擦りむいた膝や、口の中の噛み傷がすうっと治り、手を煩わせてしまったことに幸臣がもう一度謝ると、今度は苦笑を浮かべてクラウスは手を振った。

 

「──、─」


「え?」


 後ろを指さしてクラウスが何事かを言った。幸臣が聞き返すと、再度、クラウスが指し示す。

 焚き火と、いつの間にか取ってきてくれていた木の実。そして、数匹ほど、水に放り込まずに別でとっておいたクランチフィッシュが小さな網の中に入って置かれている。

 

「もしかして」


 クラウスが頷く。

 そういえばもうお昼時だ。身体の動きをチェックするのは後にすることにして、幸臣はクラウスと一緒に準備を始めた。


 ──〈エンチャント・フレイム〉


 クラウスが木の葉を摘んで低く何かを呟くと、指先から赤い光がゆっくりと漏れ出す。

 光は葉の表面に絡みついて、やがて葉全体が炎のような赤いオーラを纏うと、クラウスは慎重に木の枝を組んだ山の上に葉を落とした。

 火花が散った。

 葉のオーラが触れるたび枝の隙間からいくつもの火花が飛び散って、数秒が経過したころには小さな炎がチロチロと揺れながら枝全体に燃え上がり始めた。


 エンチャント── 物体に特定の性質を付与する魔法。漢字で書けば“付与術”になるのかな。

 炎の性質を付与されたものは、触れた対象を燃焼させる。

 初めて見たときには、それはもう驚いた。

 着火剤もなしに火を出せるなんて魔法って凄い。なにより、この魔法があれば炎の剣が実現できるって。

 最初のうちは確かにそんなふうに思ってたけどさ。

 でも、もう慣れっこだ。


「……」


 すでに、この砂漠に迷い込んで三日が過ぎている。

 衣食住の何もないなかで、よくここまで頑張ってこれた。生きているだけで本当に儲け物だ。


 けど、それだけじゃダメなんだ。

 少なくともこのダンジョンという場所は、自分たちにただ漫然と過ごすことは望んでいないようだから。


 一日目の夜だった。この場所が何かを尋ねた幸臣にシステムは回答した。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


【ダンジョン】

 《大樹の幼苗》により形成された異空間と、その内部に広がる地形・建造物を指す名称。ダンジョンには原則、二種類が存在する。


迷宮型(ラビリンス)

 通路と各所に点在する部屋のみで構成されたダンジョン。フロアごとに存在するボスを討伐することにより、次の階層への移動、ダンジョン内外を移動するためのポータルの利用が可能となる。


物語型(ストーリー)

 異空間内部に現実世界とまったく異なる世界が内包される。与えられたクエストを進め、そのクリアにより報酬を得ると同時に、ダンジョン外への帰還が可能となる。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 どちらのダンジョンであれ、その中に入ってしまった以上は、階層あるいはクエストをクリアしない限り抜け出すことはできない。

 ここは明らかに物語型(ストーリー)ダンジョンだ。とすると、クエストが与えられるはず。

 でも、そんなもの受けた覚えはなかったし、通知の履歴にも残っていなかった。


 三日たった現在も、その状況は変わらない。


「……クエストってなんなんだろ」

 

 難易度はどれほどだろう。自分たちのレベルで、はたしてクリアできるのだろうか。

 クエストがひとつなのかもわからない。複数あったとしたら、受けた内容によってはより困難な状況に置かれる可能性だってある。

 そもそも、この広い砂漠の上でクエストの痕跡なんて見つけられるものなのか。

 

 かすかな風に焚き火が揺れる。

 パチっと枝が弾けて、散った火花が砂に落ちた。


「……よし」


 ぼーっとしてる暇はない、今は自分にできることを。

 そう思い直して、幸臣は目の前にぐったりとひっくり返っているクランチフィッシュに向き直る。


 クランチフィッシュは水に触れると土塊のように崩れてしまう。けれど、そうしない限りは普通の魚とあまり変わりはない。

 牙も棘も鋭いけど、少なくとも毒はないし、味もそこそこ。

 なんで知ってるかっていうと、それはまあ……食べるものがなかったからとしか。


 そりゃあ、ダンジョンに入ったあと色々探してはみたけどさ。見つかるものなんてオアシス周りの木の実くらいしかないし、それじゃ空腹が誤魔化しきれなくなって……結局。

 下痢にでもならないか心配だったけど、食べられることを知れたのは結果的に良かったのかもしれない。

 

「よいしょっ……!」

 

 握った小石をクランチフィッシュの頭に振り下ろす。

 一回では足りず、二、三殴ってやっと経験値の取得が通知された。

 同じようにして他のも倒し、口を開いて、そこから木枝を通す。焚き火の周りに刺して、ひとまずの準備はこれで終わりかな。

 

「タカオミ」


 魚が焼けるのを待っていると、クラウスが幸臣の肩を叩いた。そして、指で地面に絵を描きトントンとある一点を指さして、もう一度何かを言った。


 地図──中央にオアシスとふたりの人、西の方向は空白で、これが砂漠だろう。

 その反対、東には大小様々な四角、クラウスはそこを丸で囲って指し示している。

 オアシスの東は岩石地帯が広がっている。遮蔽物が多くて何が潜んでいるかわからないから今までは避けてきたけど、

 

「今度はここを探索したいってことですね?」

 

 幸臣が尋ねるとクラウスは頷いた。地図の西方を指し、ふらふらと真っ直ぐ定らない線を書き加え、肩をすくめる。

 今のところクエストの痕跡をひとつも見つけられていない以上、砂漠を漠然と彷徨ったところで無駄な時間を過ごすだけ。

 幸臣も感じていたことだけに、伝えられていることはすぐにわかった。


「でも……」


 岩場の方をこれまで目指さなかったことにも理由はある。

 だからこそ、口ごもった幸臣をクラウスは静かに待ってくれていた。

 

 口に通した枝を伝って、クランチフィッシュから垂れた脂が火に落ちる。いつのまにか皮が焦げて、めくれたところに白い身がのぞいていた。

 枝の向きを変えて、くるくると魚を回しながら火の通りを調節すると、そうしているうちに、香ばしい香りが強くなってきて、ちょうどいい塩梅になってきた。

  

 幸臣が頷きかけると、クラウスは一本を手に取り、大きくかぶりつく。

 その食べっぷりに、自分も──そう思って伸ばした手が不意に止まる。

 

「クラウス──僕に、魔法を教えてください」


「──?」


「お願いします」


 たとえ伝わっていなくとも、戸惑うクラウスに幸臣はぐっと頭を下げた。

 

 

 

 岩場は東北東から南方にかけて広がっている。石柱が林立し、その足元には表出した地表の文様が波打つように広がって、朱色の海原にたつ尖塔のような様相を呈している。

 幸臣はクラウスの後をくっつくようにして、岩陰を縫うようにゆっくりと進んでいた。


 遮蔽物が多くて、遠くを見通すことができない。外敵に気づかれにくい利点はあるけど、それはこっちも気づきにくいってことだ。

 ひとつ岩陰を出るたびにキョロキョロと周囲を見回して、それから次へ進む。クラウスといえば、そんな幸臣に苦笑しきりで、警戒はしているものの景色を眺める余裕もないわけじゃなさそうだ。


「──っ!」


 遠く声がする。トンビの鳴くような声。

 思わず身体が強張って息が荒くなったのをクラウスが察して、背を撫でてくれた。

 声は遠い、きっと大丈夫──息を吸って静かに吐き出す。吐き出される息と一緒に身体からゆっくりと動揺が抜けて、少し落ち着いた感じがした。


「……ありがとう」


 背中を離れる手。クラウスがゆるく口元を綻ばせた。

 まったく、こんなことくらいでビクビクしちゃってさ……自分の情けなさにむしろ元気すら出てくる。


 ──こんなもんだよ、僕なんか。


 ザラザラとした岩肌に手で触れながらまた進み始める。

 鳴き声はたまに聞こえはするし、怖いのも変わらない。でも、過剰に緊張してたんじゃ身がもたないのだって事実だ。

 だから、もういっそのこと景色でも見て楽しむくらいでいたほうがよっぽど良いんじゃないかって、そんな気がした。


 しかし、不思議な光景だ。とても、この世のものとは思われない……いや、ダンジョンの中なわけだし、“この世のもの”でもないのかも。

 朱色の岩が波打つように流れる。

 朱色といっても全体に捉えた場合であって、実際には微妙に異なる色味の地層が、曲線を描きながら何層も表出している。

 岩の形状に相まって、地層の文様がこの岩場に“波”を形作っているのだろう。

 

 岩の隙間の所々に草もちょろりと生えている。

 なんだか透けているような気がして、通りがかりに葉に触れると軽い音を立てて割れてしまった。

 飴細工のようだ。葉の破片を空にすかすと葉脈の筋が見て取れる。顕微鏡なんか使えば、ひょっとすると細胞単位で見れるんじゃないかな。

 奇特な職人がいて、景観のために自分の作品をいたるところに置いたというのでなければ、この草はきっとこれで生きてるんだ。


(……凄い)

 

 岩の切れ目から光がさす。

 明暗が混在するなかを、時折上からこぼれ落ちる砂の粒がキラキラと反射して白く輝く。

 試しに指に摘んだ葉を光にかざしてみると、屈折した光がステンドグラスのように周囲に緑の線を描いた。


 静かだ……踏み締める砂の音以外には何も聞こえない。

 

「……タカオミ」


 と、前を歩くクラウスが立ち止まった。急なことだったから幸臣はとまれず、彼の肩にぶつかった。

 あっと、声が漏れかけて、けれど、クラウスの手が口を塞いで遮った。


(何が──)

 

 瞬きをして、しかし、クラウスが指差す先を見て、その光景に口をつぐんだ。


 眼下、数メートルの距離に無数のカニがいる。

 甲羅にハサミ、飛び出た目、八本の足。形はよく見知ったものだけど、大きく違う点がひとつだけあった。


(デカ、すぎる……)

 

 人の腰丈くらいあって、ハサミなんか幸臣の四肢どころか胴体も両断できそうな大きさだ。

 色が薄く、おそらくは幼い個体と思われるカニでやっと一般的な大きさ。

 ウジャウジャとそれが無数にいる。

 岩場のそこだけが窪地のように開けて、青い空の下、カニの甲羅の赤色が鈍く光を反射している。


 クラウスとふたり、そろそろと後ろへ下がった。

 音を立てないよう慎重に、カニの目に自分たちが映らないよう、なるべく姿勢を低くして。

 けれど、それも手遅れだったのかもしれない。


 後方から、何かが連続して砂に突き刺さるような音がする。

 それは奇しくも、あのカニの足音と似ていた。

 まだ姿は見えない。けれど、もしもあの巨体がこちらに向かってきているとするなら、鉢合わせする以外に未来はない。


「やばい」

 

 足音が──近い。

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