02 前夜(2)
公園の駐車場にふたり、星明かりの下にいる。二つあるはずのシルエットはひとつに重なって、ぼんやりと照らす街灯のもと影が長く地面に伸びていた。
そこに声はない。沈黙だけがふたりの間に交わされる、たったひとつの言葉だった。
ふたりを祝福するように。星空の下を風が吹き抜ける。
金糸の髪が揺れている。星の輝きが零れたような色に目を奪われながら幸臣は思った。
──一体なんなんだろう、この状況。
王様(仮称)の抱擁を受ける今の状況に、ひたすら困惑していたのだった。
それに、もうひとつ……無視できないことがある。
「あ、あの」
いい加減、気恥ずかしくなって王様の肩を叩くと、王様の方も気付いたのか、はにかんだような表情を浮かべて幸臣の身体から両腕を離した。
「──、─?」
そのまま何か言葉をかけてくるものの、その言葉はまるで理解できない。
けれど、柔らかな声色と幸臣に向ける微笑みから、自分のことを心配してくれていることだけはわかった。
「大丈夫、こんなの平気です」
別に平気なんかじゃない、本当は。
追われていたときに負った怪我はジクジク痛むし、それにかなり疲れてもいる。
でも、素直に向けられる好意ってなんだか照れくさいものだ。
言いつつ幸臣が顔を背けると、それと察した王様は優しく目尻を下げた。そして、何かの小節を唱えると幸臣の胸にそっと触れた。
「うわっ!?」
王様の手の甲に黄金の紋章が浮かび、眩く光が発せられる。
光が伝うようにして全身を覆うと、じんわりとした温もりが体表から体の芯へと広がっていった。
これ、まさか魔法?
(きっと、そうだ)
光が落ち着いた頃には、身体中の傷も疲れもすっかり消えていた。
唯一、地面に擦ったときの服の汚れとほつれだけが、影に追われていたあれが夢ではなかったのだと示している。
王様が優しく微笑む。
これが、魔法──あるいは、スキル。
(だとしたら──)
治してくれた王様に礼を言いつつ、幸臣は先ほどからずっと目の前に浮かんでいるそれを改めて見つめた。
王様が現れてから、というより、石が光りはじめたあたりから、奇妙なものが現れた。
【ステータス】と表記されたウィンドウ──光る板が空中に突然現れたのだ。
付かず離れず常に視界の中にあり、それは王様の抱擁を受ける間も幸臣の反応を待つように静止し続けていた。
妄想か、それか、web小説の読み過ぎかなって思ってたけど、でも、どうやら違うらしい。
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浅桜幸臣 Lv.1
HP :10/10
MP :5/5
筋力 :5
俊敏 :5
魔力 :0
神聖 :3
幸運 :45
【職業】
テイマー
>>契約獣
・クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェ (Lv.1)
【装備】
−
【スキル】
交感 テイム(3/3) 絶対命令権(1/1)
【特性スキル】
星の先駆者
【刻印】
天蓋
>>通知があります・・・[詳細表示]
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なんだかRPGの能力画面みたいだ。
スキルや職業、色々と気になるところはあるけど、詳細は見れるかなと触れようとしても実体がない。
指がスッとウィンドウをすり抜けてしまう。
(だったら)
──詳細が見たい。
そう強く念じてみる。
何の詳細か指定しないといけないかもしれないから、とりあえずは【スキル】の欄。
すると、ピコンと音を立ててウィンドウが切り替わった。
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【スキル一覧】
・交感[分類:パッシブスキル]
モンスター・契約獣との意思疎通を可能とする。
──熟練度が著しく低いため、能力非活性に近い状態です。熟練度は契約獣との交流や接触により上昇します──
・テイム[分類:アクティブスキル]
同意を得た、あるいは、一定以上のダメージを与え、撃破したモンスターを対象とし発動可能。契約を結び、使役する。
発動可能回数:3
クールタイム:24時間
・絶対命令権[分類:アクティブスキル]
契約獣に対して、拒否不可の命令を下す。対象の能力を超えた命令は不可。
発動可能回数:1 (一体につき)
クールタイム:240時間 (一体につき)
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「やっぱりゲームみたいだ」
【職業】欄に書かれていたのも、確かテイマーだったはず。
傾向を見るにスキルが職業と紐づいているのは明らかだし、テイマーといえばモンスターを仲間にして自分は後方支援をする職業のイメージもある。
そういったスキルも今後のレベルアップで獲得できるのかな?
訓練次第で新しいスキルが手に入ったりするのかもしれないけど、どうだろう?
スキルを一通り確認し終えて、ウィンドウをステータス画面に戻す。
もうひとつ気になることがあって、幸臣は、【職業】欄の下にある“契約獣”に意識を向けた。
「やっぱり、そっか」
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【契約獣一覧】
クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェ Lv.1
HP :20/20
MP :11/15
筋力 :3
俊敏 :2
魔力 :10
神聖 :25
幸運 :88
【種族】
ヒト
【獣位】
なし
【装備】
・王典
【スキル】
ヒール ライトニング ホーリーシールド
エンチャント〈炎/聖〉
【特性スキル】
黄金律
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そりゃ、確かに予感はあった。
【ステータス】の契約獣の欄にある名前的に、なんかすごく威厳ありそうな感じがプンプンしてるしさ。
「クラウス、さん?」
遠慮がちに名前を呼ぶ。
呼ばれるとは思っていなかったらしく王様、もとい、クラウスはを丸くしてコクコク頷いた。
発音が違うんじゃないかと心配したけど、どうやら大丈夫だったらしい。
「──、──?」
クラウスが嬉しそうに何事かを口にする。
でも、やっぱり何と言っているのかさっぱりわからない。
「ごめんなさい…わからなくて」
「──!」
すると、クラウスは思わずといった感じで照れたように笑み、自身の胸を叩いて言った。
「クラウス」
次に、幸臣を指さして首を傾げる。その仕草には、無邪気な好奇心が滲んでいて。
そうか、もしかして──。
「名前聞いてるのかな」
幸臣はようやく意図を理解して、少し戸惑いながらも自分の胸に手を当てて答えた。
「幸臣です。浅桜幸臣」
すると、クラウスは満足げににっこり笑いながら、まるで確認するかのように口を動かした。
「タカオミ……タカオミ」
その発音は少しぎこちなく、舌ったらずな感じがする。それがどこかおかしくて幸臣は思わず笑ってしまった。
すると、クラウスもつられて笑顔になり、ぽん、と自分の胸を叩いてからもう一度言った。
「タカオミ!」
そして、幸臣に向かって親しげに手を差し伸べる。
「……えっと、よろしくってこと?」
言葉は通じないけど、その仕草や表情は十分に友好的で、幸臣もその手にそっと触れた。クラウスの手は大きくて温かく、力強い。
優しい人だなと思う。
この人は掛け値なしに自分を助けてくれた。あの人形の影を退けたのは、きっと、この人のスキルだと思うから。
早く、言葉も通じるようになればいいんだけど。
そう思いつつ、ステータスの確認もそこそこに幸臣はクラウスを連れて自宅に歩き始めた。
家族への説明はどうしようとか、そういう面倒ごとは後回しにして──。
「……あ」
──ダメだ。
気づいたのはその時だ。
というか、クラウスのことの前にもっとまずいことがある。
忘れてた、完全に。
「そういえば、玄関扉全開なんじゃ!」
嫌な予感に公園の時計を見ると、午後7時はゆうに過ぎている。時間帯的に、そろそろ姉が帰ってくる頃だ。
もしも、本当にもしもの話だけど……。
玄関も裏口も開いたまま外に出ていることがバレたりしたら……。
(伯父さんならまだしも、それがチサ姉だったら……)
自分は死ぬ。すりつぶされて死ぬ。
嫌だ。でも、そういう“もしも”って当たるもんだよねって思う。
というか現実、当たった。
「……怒ってるもんなあ」
思わずため息が漏れ出る。だって今の状況、最悪だ。
家の前で仁王立ちする姉の姿を遠方から眺めつつ、幸臣はもう一度ため息をついた。
幽霊だ呪いだなんて、そんな話、信じちゃくれないだろうなって雰囲気ビンビンだ。
むしろ火に油、火にガソリン……いや、ニトロ……?
「──、?」
どうしたのかと言うように、クラウスが幸臣の肩を叩く。
「いや、大丈夫。大丈夫です……よね?」
背を叩く手に励まされながら、幸臣はゆっくりと向かっていった。
作戦はこうだ──。
幸臣が姉から怒られている隙に玄関からクラウスを二階の自室に向かわせる。
それだけ、穴だらけ。でも、やるっきゃない。
だって、普通にクラウスを連れて帰ったらどうなるか。
王冠被ったコスプレ外国人おじいさん、そんなの警察を呼ばれるのが関の山だ。しかも、渡航歴も国籍もないなんて、どんな扱いを受けるか……。
(頑張れ、僕……頑張れ!)
「た、ただいまぁ〜?」
声が裏返る。
少し前から近づいているのには気づいていたようで、姉──浅桜千咲──の視線は鋭く、本当に鋭く幸臣を射抜いた。
「ふざけてんの?」
開口一番これだもん。
「鍵、戸締り、火の元、それだけは気をつけてって何度も言ってたよね。なのに全開って何」
「は、はい……」
「全開って何ッ!!」
「ごめんなさいっ!」
視界の端、草葉がガサガサと揺れた。
「ん?」
千咲の視線がそちらに向きかける。幸臣は咄嗟に声をあげた。
「──あ、あの!」
「……何よ」
「えと……ええっと〜」
声をかけたはいいものの言葉が思いつかずに口ごもる。
不自然さを感じたのだろう、訝しむ視線を送る千咲だったが、幸臣の煮え切らない様子に呆れたのか長く息を吐いて言った。
「とにかく……夕飯できてるから早く家入りな。いい? 話はまたその後だから」
「わかり、ました」
玄関から上がり居間へ向かう千咲の背を見送って、幸臣は後ろの方向へ手招きをした。
そのままゆっくりと玄関扉に手をそえ、草薮から出てきたクラウスを招き入れた。千咲が台所にいるのを確認してから、ふたり連れ立って忍びながら二階の部屋へと上がっていった。
「はあ、疲れた」
ひとまず、なんとかなった。
クラウスを連れ込むのには成功したし、千咲からのお説教も思ったほどじゃなかった。この分なら、ひとまずは大丈夫かもしれない。
クラウスもほっと息を吐いて、カーペットに足を投げ出している。安心しきった様子になんだか面白く思えて幸臣がぼんやり眺めていると、視線があった。
そのままどちらともなく笑う。
声も出さずに気をつけながらだけど、同じ戦場を乗り越えた戦友みたいな感覚だった。
「……ここからどうしたらいいのかな」
不意に溢れた言葉。
眉を上げて目を丸くするクラウスにゆるく首を振って、幸臣は組んだ手を見つめた。
どうしたらいいか。ずっとクラウスを隠してはいかれない。
きっと、いつかは知られるだろうし……というより、たとえ気づかせずにいられたとして、それはクラウスに酷く窮屈な思いを強いなきゃ無理だ。
そんなのはイヤだ。
それに、分からない。
そもそもが、どうしてこんな変な状況に置かれているのか。自分が何に巻き込まれているのか、まるでわからない。
小説で言えば、ジャンルはローファンタジーだろうか。
世界にダンジョンやモンスターが溢れる設定で、文明社会が半崩壊するような。
もしくは、バトルロイヤル系かもしれない。不思議な力に覚醒したプレイヤーが互いに争いあって、勝者は願いを叶える権利を与えられる……とか。
でも、どんな設定の物語だってガイド役くらいいなきゃ困る。
こんな訳のわからない状況で放置じゃ、ちょっと辛いよ、流石にさ。
「あれ?」
ふと、引っかかりを覚えた。
「ガイド役……?」
──そうか、
「そうだよ……!」
──ステータスウィンドウがあるじゃん!
急に立ち上がった幸臣の様子にクラウスがビクッと身体を震わせた。
けれど、今はそれどころではない。
「ステータス!」
気になって後回しにしていたことを、今思い出した。
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浅桜幸臣 Lv.1
HP :10/10
MP :5/5
筋力 :5
俊敏 :5
魔力 :0
神聖 :3
幸運 :45
【職業】
テイマー
>>契約獣
・クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェ (Lv.1)
【スキル】
交感 テイム(3/3) 絶対命令権(1/1)
【特性スキル】
星の先駆者
【刻印】
天蓋
>>通知があります・・・[詳細表示]
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「これ、気になってたんだ」
ステータス画面の下部、“通知があります”の一文に目をやる。
ヒントがあるとすれば、ここしかない。
[詳細表示]に意識を向けて念じれば、はたしてウインドウは音を鳴らして切り替わった。
−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>契約獣:クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェの顕現を確認。それにともない【天蓋】が刻印されます。
>>プレイヤー資格の獲得に伴い、システムによる職業の選定・解放を実行します。
>>選定中・・・特殊業績を確認。
>>【隠し職業:テイマー】の取得条件をクリアしています。
>>検証・・・適正に合致していることを確認しました。
>>確定。
>>職業の解放に伴い、【スキル:交感】【スキル:テイム】【スキル:絶対命令権】を取得しました。
>>モンスター:カースドアンティーク=ベア(Lv.1)に対して【テイム】を使用しますか?
>>最新の通知を表示中。
>>それ以前の通知は・・・[詳細表示]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
知りたい情報はここにはない。ウィンドウに目を走らせた幸臣は素早く判断して、他の通知に切り替えていく。
そして、
「──あった」
−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>>モンスター:シャドースタンプ(Lv.3)の撃破を確認。
>>モンスター初撃破に伴い、レベルキャップを解放。[Lv.0→100]
>>経験値取得によりレベルが上昇します。
>>【ワールドシナリオ:テラ・メモリア】開始前におけるモンスターの討伐(8/10)により、【特性スキル:星の先駆者】を獲得します。
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「【ワールドシナリオ】……きっと、これだ」
“開始前におけるモンスターの討伐”ということは、これから、この【テラ・メモリア】とかいうのが開始されることと同じだ。
これが何かわかりさえすれば、幸臣のおかれた状況もきっと、その一端だけでも理解できるはずだ。
直感信じて、意識を集中する。すると、ウィンドウは切り替わった。
けれど、それは幸臣の期待したようなものではなかった。
「え?」
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開始時刻まで・・・07:21:48
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「何、これ」
表示された数字は少しずつ減っていく。素直に受けとるなら、これは何かのタイマーだ。さらに言えば、【ワールドシナリオ】という何かが開始されるまでの残り時間だ。
見ている間も刻一刻と、タイマーは進んでいく。
今の時刻と照らし合わせれば、このタイマーは今夜、ちょうど午前零時に“0”になる計算だ。
そのとき、何が起こるのか……。
“【テラ・メモリア】開始前におけるモンスターの討伐”、幸臣はそれにより、報酬のような形でスキルを得た。
それを踏み込んで考えるなら、【テラ・メモリア】開始後にはモンスターを討伐するような状況が当たり前になるとも捉えられるんじゃないだろうか。
「……」
背筋に怖気が走った。
その様子を心配してくれたのか、クラウスが立ち上がって幸臣の肩に手を置いた。
「どうしよう……」
こんな話、誰も信じちゃくれない。幸臣自身も信じきれていない推測なんか話したって、ほら吹きの狼少年もいいとこだ。
「どうしよう?」
思わずクラウスの目を見つめる。と、琥珀色の瞳がかすかに揺れて、けれど、背けることなく幸臣の目を見返した。
答えは期待していなかった。言葉は通じないし、ただ、少しでも、ほんの短い間だけでも縋れるものがあればと思って。
クラウスの目が優しく弧を描く。
固く引き結ばれていた口が綻んで、顔が穏やかに笑みを浮かべた。
──大丈夫。
「でも……」
それでもなお不安を口にすると、クラウスはゆるりと首を振った。表情は穏やかなまま、少しだけ突き放すように。
心配してもどうにもならない。何かが起こったときに頑張るしかない。
そんなふうに言われた気がした。
思ってみれば不思議だ。
どうして、この人はここまで親身になってくれるのだろう。
今日出会ったばかりの幸臣を相手に、普通できることじゃないのに。
幸臣が口を開きかけたそのとき、
「ご飯できたー! 早く来なさい!」
間の悪いことに、階下で千咲が呼ぶ声がした。
「でさあ、聞いてよ。帰ったら家のドア開きっぱなしの、電気もつけっぱなし。てっきり空き巣にでも入られたんじゃないかって、アタシ本当に気が気じゃなかった」
「まあまあ、チサちゃん。タカのやつも悪気なかったんだからさ、その辺に……」
「悪気ないったって限度ってものがあるの! 伯父さん、幸臣に甘すぎ」
「だってよぉ、なあ?」
伯父──浅桜啓次が、苦笑いを浮かべて幸臣に視線を向けた。
何が、『なあ』なのか……?
返答もみつからず曖昧に笑うと、目ざとく見つけた千咲が咎めるように睨みつけた。
「アンタ、本当に反省してるわけ?」
「は、反省してるよ!」
「末っ子だからって甘く見てると、今に見限られちゃうからね。アタシからも、伯父さんからも」
「俺は別に見限るとかそういうのは──」
「伯父さんは黙ってて」
「はいはい」
じゃあ、俺は風呂でも入ってくるからと言って啓次はそそくさと部屋から出ていった。
取り残された幸臣は、シャケの切り身に箸を入れつつ、千咲の顔を盗み見る。
「──ッ!」
視線があった。
恐ろしいくらいまっすぐに見つめる目。その相貌と視線がかちあって、思わず下を向いたのは仕方ないことだと思う。
怒っているんだと思ったから。
でも、違うことにはすぐ気がついた。
「心配したの……別に、家のことだけじゃないから」
「え?」
先程までとは打って変わって静かな声色に、幸臣はそっと顔を上げた。
「あんな状態で家が開けられてたんじゃ、アンタの身に何かあったのかなってそりゃ思うでしょ……どっかに逃げたのかなって」
「……ごめん」
「謝らなくていいからもう同じこと繰り返さないで。今日だって警察を呼びかけたのよ? あやうく変な恥かくとこだったんだから」
顔を顰めて言う千咲の、照れ隠しだか本気だかわからない言葉に幸臣はこっくり頷いた。
多分、両方ともだ。
心配してくれたんだなと思って、本当のことを話していないことが、なんだか不義理な気がしてしまう。
でも、まだダメだ。
少なくとも明日になって、幸臣が考えているような異変が起きるかどうか、それを確かめてからでなければ説明ができない。
だから、今は話せない。
「ねえ、チサ姉」
努めて平静を装いつつ、申し訳なく思いながら声をかける。
「ん?」
「夕飯のあまり、もらってもいい? 食べながら勉強したくて」
「別にいいよ。台所のテーブルの上に置いてあるから、持っていきな」
「ありがとう」
礼を言って幸臣は夕食を終え、おむすびをふたつ皿にのせて、二階へ上がった。
「ごめん、待たせました?」
幸臣が部屋に入ったとき、クラウスは棒針と糸を持って机に向かっていた。
どこから引っ張り出して来たのだろう。たしかアレは昔、幸臣が編み物に興味をもったとき母から貰ったものだ。
奥にしまい込んでそのまま幸臣すら置き場を忘れてたくらいなのに、これまた古い編み物の本を前に、太い指を器用に動かしていた。
なんだか意外だ。
だって、見るからに王様なのに、編み物するなんて変な感じ。
「クラウス?」
クラウスは幸臣の姿を確認すると、棒針にキャップを被せて机の脇に置き、立ち上がろうとする。
それを手で制して、皿を机に置くと、クラウスは皿と自分とを交互に指さした。
「そう、なんだけど。ごめんなさい、こんなものしか用意できなくて」
クラウスは首を振った。そして、そのまま、躊躇わずおにぎりに手を伸ばした。
手掴みで食べさせるなんて不敬罪だな、きっと……。
でも、なんでだろう。言葉が通じていないはずなのに、どうしてか会話ができる気がする。
(僕って、そんなにわかりやすいのかな)
味は大丈夫かなと思ったけれど、あんまり観察していちゃ居心地悪いだろうな。
大きく頬張るクラウスをあえて見ないようにして、幸臣はカーペットの上に座り込み、スマホのラジオアプリを開いて置いた。
無音はなんだか嫌だったから、とりあえず音があった方がいいかと思って。
『──どなたでも気軽にお申し込みを。美に彩られた日々をあなたに、この番組は株式会社ビューティの提供でお送りします。さあ、それでは次のコーナーに行ってみましょう』
CMがあけ、女性パーソナリティがリスナーからのメールを読み上げる。
『寿さんからのお便り、〈最近寒くなってまいりました。いかがお過ごしですか?〉確かに寒くなって来ましたねえ、私、昨日おこた出しちゃいましたし』
たわいもない話。日常だ。
(変なのは、僕だけか)
幸臣はカーペットの上に横になって、天井の照明をぼんやりと見上げた。
「ステータス」
目の前に出たウィンドウを、切り替える。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
開始時刻まで・・・06:05:43
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「やっぱり、減ってるか」
どうしてごくごく一般人な自分に、こんなものが見えるようになっちゃうかなあ。
もっと社会的に認知されてて、突飛なことを言っても、ある程度受け入れてもらえるような、そんな立場の人だったらわかるけど。
「僕がこんなの見れたって、何の役にも立たないのにさ」
本当にどうしよう。こればっかりだ。
クラウスは励ましてくれたけど、でも、やっぱり不安だ。
不安なものは不安なんだ。
(明日起きたら……また、何事もなく一日が始まらないかな)
今夜のことは全部夢で、人形に襲われたのもステータスやら、テラなんとかやら、そんなのも全部無くなって……。
(──でも)
クラウスとの出会いだけは、なくならないで欲しいような気もする。それだけは否定したくないなって思ったんだ──。
全世界的に起きるだろう異変が日本の時刻を基準にしているという点は、ご都合主義ということにさせてください……