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王と僕。  作者: モミジ
1/11

01 前夜(1)

 旅行のテンションというのは恐ろしいもので、普段なら絶対に手を出さないものに不思議と惹かれてしまうものだ。

 それが良い思い出になることもあるけれど、今回は完全に失敗だったなと思う。


 本当に、それはもう致命的(・・・)なまでに……。




「これ、おいくらですか?」


 アンティークベアを手に浅桜幸臣(あさくらたかおみ)が尋ねると、出店の店主はパチパチと瞬きをした。


「値札が付いてませんか? 腕の後ろあたり」


「腕の後ろですか?」


 値札、値札……?


 言われた通り、人形の両手を確認してみても値札はついていない。

 もしかして、他のところかな……?


 人形をひっくり返したり、腕や足の関節部分に挟まっていないかと探してみても見つからず、幸臣が首を振ると様子を見ていた店主は首を捻った。


「……あれ、おかしいな」


 つけはずなんだけど、そう言って、店主は幸臣から人形を受け取り、クルクルと回しながら値札を探し始めた。


「おーい、浅桜ぁ〜。まだぁ〜?」


 時刻はすでに午後4時を過ぎている。

 十月も中旬を迎えれば、すでに日は西に傾いて、オレンジ色の陽光がビルの谷間に沈みつつあった。


「ちょっと待って、あと少し!」


 みんな、帰りたそうにしてる。

 そりゃそうだ、もともと蚤の市に寄ったのだって幸臣のちょっとした提案だったんだから。

 それが、なんだかんだと魅入ってしまって……結局、こんな時間になるまで迷った挙句、何かを買おうって気になったのも幸臣ひとりだけだったし。


「あの、それで、お値段って」


 遠慮がちに声をかけると、その様子をみていた店主が詫びるように眉尻を下げた。


「ああ、ごめんなさい。値段……そうだね、七千五百円でどうでしょう?」


「えっ」


 三十センチいってないくらいの人形にそんな値段?


「ね、値引きとかって」


「値引きか……難しいかなあ、これでもだいぶ破格なんです。生地の質感や模様が物珍しくて、スタイフュのこのタイプのものは私も他に見たことがないくらいなんですよ」


 店主が人形を撫でながら言う。


「胸のタグが取れてるのと、毛並みが少し荒れてるから低めに設定して一万五千円。もう店じまいだから、そこからさらに半額引いてって感じでね。流石にこれが限度だなあ」


「そう、ですか」


 買おうと思えば買えるけど、なけなしのお年玉貯金が吹き飛ぶ……でも、アンティークは一期一会って言うし。

 だから、


「どうしますか?」


 そう、尋ねてくる店主に幸臣は、


「……買います」


「本当にいいの?」


 今夜あたり後悔するんだろうなあという予感を感じつつも、やめときゃ良いのに首を縦に振ったのだ。


 そもそも、今回の東京観光は前々から計画していたものではなかった。

 すごく出し抜けに、それこそ思いつきのようなものだった。


「……はあ」


 高校二年の秋。

 生命力あふれる夏から凍えて寒い冬に繋がる短い季節。空高く、木の葉は紅葉に色づいて──まさしく『儚い』って感じじゃないか。

 この時期、大学受験へ向けて塾通いやら図書館通いやらの子も増えてくる。

 そうなってくると、友人関係もちょびっと希薄になったりなんかして。


 だから、思いついたんだ。


 ──そうだ、東京へ行こう。って。


 もともとが、そういう突発的なテンションだったからか。そうでなきゃ、こんな……。


(でも、それだって限度が……)


 袋から取り出した人形を見て、幸臣は息を吐いた。

 古いというよりかは古ぼけて、ガラスの目玉の焦点が合わないところなんか、そこはかとなく不気味だ。

 確かに可愛い。珍しい見た目でもある。飾ってみたら意外に似合うかもしれない。

 そう思って試しに壁際の本棚の上に座らせては見たけど、これはどうだろう?


「やっぱし不気味」


 いつのまにか姿勢が変わっていそうな雰囲気がある。というか、夜トイレに起きたときに見たら思わず失禁しちゃうかもしれない。

 ホント、どうしたものか。

 

「チサ(ねえ)か、伯父さんの部屋にでも置いとく、とか……? いや、でも」


 プレゼント、で果たして通るかしら。

 同居人ふたりの顔を想像して、どうにも無理そうだなと幸臣は首を振った。


「もう、諦めて飾っとこ」


 それがいい。そもそも、せっかく七千五百円も払って他の人にあげたんじゃもったいない気もする。

 どうしても、この人形だけミスマッチな気がしなくもないけど、出店で見かけたときは、こんなふうに恐いとかまったく思わなかったのにさ。

 むしろ目を惹いたくらいだ。


「逆に惹かれていたのは僕の方だった、なんて」


 身体がブルリと震えた。

 オカルトは嫌いだ。幽霊も呪物も信じちゃいないけど、恐いものは恐いし。考えないようにした方がいい。

 

 それより、お土産だ。

 

 土産物を抱え、人形の入っていた袋を手に立ち上がる。

 居間へ向かおうとして、ふと電気を消そうか消すまいか迷った幸臣は、結局消さずに部屋を出た。


 幸臣の部屋は戸建ての二階にある。北関東の片田舎にある家で、秋冬の夜にもなれば廊下や階段は真っ暗だ。

 姉や伯父と暮らしてはいるけど、ふたりとも帰りが遅い。もうしばらくは孝臣ひとりっきり……いや、あの人形とふたりっきり?


「いやいやいや、考えない考えない」


 そんなことばかり考えているせいか、なんだか階段のギシギシという音がやけに耳についた。


 居間もやっぱり薄暗く、レースカーテンの向こう側に見える景色の中、電灯がひとつ灯っている。

 近所の人は帰っていないようだ。窓は真っ暗。外の景色の中で明かりといえば、あの電灯だけで、それだって人の温もりを感じさせるようなものでは決してない。

 吐いた息が冷たく感じる。

 薄ら寒いななんて思ったところで、幸臣は明かりをつけた。こんなことばかり考えてると損だ。せっかくの旅行気分が台無しってもんじゃないよ。

 カーテンを閉めて、テレビをつける。

 そもそも自分で買った人形にそこまで怯えてどうするのかって思う。バカバカしい。


「そうだよ。バカバカしい」


 人形のことはもう忘れて、とりあえず今は土産を……。


 テーブルの上に土産を置き、紙袋を仕分ける。

 捨てるものと取っておくもの。

 ビニール袋は取っておくとして、人形の入っていた紙袋なんかはシワがよっててボロボロだ。捨てた方がいいだろう。

 そう思い、一応捨てる前に中を覗くと、


「ん?」


 空だと思っていた袋の中に、なにやら石が入っている。


「なんだ、これ」


 何かの種のような形だ。茶鼠色のざらざらとした手触りの石。

 

「こんなの、入ってたかな」


 蚤の市で入り込んだとか?

 出店の棚に袋がぶつかって転がり込んだのかもしれない。

 値札が貼っていないのは不思議だけど幸臣が買った人形も値札はなかったし、そういうこともままあるのだろうか。


「あれ?」


 じっと見つめていると、石の()に不思議な紋様が見えた気がして幸臣は声を上げた。

 “奥”だなんて変な言い方だと自分でも思う。手の中のこれは、宝石のように中身が透けているはずもなく、見た目からしてただの石ころなのに。


 けど、確かに見えるんだ。

 この石の奥にある“紋様”、そして、それが湛えるかすかな光が。

 奇妙な感覚だった。視界に見える様々な物体が、その輪郭をじんわりと滲ませてゆく。

 そのうち、ひとつのことを悟った。

 光を捉えているのは目ではない。目で見ているのではなく、もっと根源的な、もっと奥底の何か──。


「──ッ!?」


 それを知覚した瞬間、ふっと明かりが消えた。

 変に集中していたせいだろう、思わず声もなく悲鳴をあげた。

 心臓がバクバクする。胸の中心からすっぽ抜けて、頭から鳩尾(みぞおち)までを転がりながら、至る所にぶつかっているような感じだ。

 

「停……電?」


 カーテンを開けて外を見る。けれど、外の電灯は灯ったままだ。

 とすると、ブレーカーが落ちたのだろうか。でも、なんで?

 浮かんだ疑問をひとまず追いやって、スマホの明かりを頼りに暗がりの中を台所へ移動する。

 もしかしたら居間の電球がおかしいのかもと、台所のスイッチを押してはみたけど反応はなかった。


 仕方ない。

 ブレーカーは入って右奥の天井近くだ。蓋を開けて中を確認する。


「ん?」


 あれ、おかしいな。


 確認してみても、どこをどう見てもブレーカーが落ちているような感じがしない。

 全部オンになっているし、ネットで調べてその通りに操作してみても電灯がつくような気配もない。


「……変だ」

  

 なにかが──変だ。


「何か」


 音が、聞こえた気がする。


(──明かり)


 ふっと、浮かび上がるように幸臣の影が台所の壁に薄くうつった。

 耳の奥で心臓の音が鳴る。頬から首筋にかけて怖気が立つ。

 見たくないと、胸の奥で声がする。しきりに叫ぶその意に反して、幸臣の身体はゆっくりと振り返っていった。


 幸臣の瞳にそれが映った。

 暗い居間の隅でテレビが何かの映像を映している。何の映像かはすぐにわかった。


「僕の部屋だ……」


 映像は左右に揺れている。


 けど、色が変だ。全部が真っ赤だ。

 家具も何もかも、血が滲んだように赤く色づいている。

 視点もおかしい。

 床スレスレを這うように移動しなきゃ、あんなふうに見上げるような構図になるはずない。

 映像は部屋を出て、徐々に階段へと向かっていく。

 一段ごとゆっくりとくだり、踊り場を抜けて、さらに下へ。玄関横の廊下を通り、映像は扉の向こうから居間を覗き込むような位置まで来て──止まった。


 荒い呼吸音、自分のものだと幸臣は察した。冷えた水を注ぐように、怖気に冷え切った血液が全身を巡っている。

 台所の裏口から逃げようか……頭ではそう思っていても身体が動かない。どころか、居間の方へ勝手に向かっていくのだ。


 テレビの映像は幸臣が居間に足を踏み入れた瞬間、ぶつりと途絶えた。

 嘘のように穏やかな部屋、開いたカーテンの向こうから月明かりだけが照らしている。

 映像が最後に映していたのは、入り口の扉の向こう側だ。そちらへ視線を向け注視するも、扉の向こう側には誰も何もいないようだ。

 そう思った。思って、ちょっぴりでも安堵してしまった。

 それがいけなかったのかもしれない。

 

 もう一度ブレーカーを見よう。

 そう思い台所へ踏み出した足が突然グッと横に引かれた。


「づッ!?」

 

 不意打ちだった。


 何もわからぬまま、フローリングに思い切り身体が打ちつけられる。肺の中の空気が一気に押し出されて、隆臣は痛みにうめく間もなく、激しく咳き込んだ。


 ──痛い……!


 胃がえずく気持ち悪さに涙が滲む。

 痛みに耐えながら、なんとか上体を起こすと、ぼやけた視界を音もなく黒い何かが横切った。


「か…げ……?」


 煙が空でたなびくように、それは薄暗がりのなかで波打っている。

 細く、黒い影の腕。率直に言うとすれば帯のように見えたであろうそれを、幸臣は“腕”と捉えた。

 何故か。それはひとえに、()()()()()


 あのアンティークベアがいたからだ──。


「うあぁあぁぁあああッ!!!」

 

 はじかれたように立ち上がり、孝臣は泡を食って駆け出した。

 人形のいる方へは行かれない。それとは反対へ、台所を通り抜けて裏口に走る。

 家の中のどこに逃げ込んでも、あれは執拗に追いかけてくるだろう。追いつかれたらどうなるかなんて、そんなの火を見るより明らかだ。

 なにより、あんなのがいるような家にこれ以上いられるものか。


 裏口から出た瞬間、夜の冷えた空気が身体を包みこんだ。厚着なんかする暇はなかったから寒くて当然だ。

 でも、今はそんなことを感じる余裕もなくて。幸臣は衝動に駆られるまま、夜闇のなかに走り出した。

 

 


「ハァッハァ……!」


 胸が痛い。足が鉛みたいだ。

 疲れた。休みたい……疲れた、疲れた……!


「疲れたぁあ……もう、なんなんだ、あれぇ……!」


 これ以上はもう走れない。

 道端の街灯を目印にそこまでなんとか走り切ると、幸臣は思い切り息を吐いて、膝に手をついた。

 足元はアスファルトの道。

 月明かりすら今は雲に隠れて、ポツンポツンと点在する街灯や民家の明かり以外には、視界はほとんど闇に包まれている。

 これでは、あの人形が襲ってきても気づけないかもしれない。

 息が切れるほどの速さで走り続けたが、振り切れたかどうか。荒い呼吸音も心臓の鼓動も、暗闇の中ではかき消されていくようだった。


 不安だ……でも、少しだけ。


 幸臣は、そのまま街頭に寄りかかるようにしてズルズルと腰を下ろした。

 気づけば、家からかなり離れてしまっている。ここらでは唯一の二車線道路、下り坂の中程に幸臣はいた。

 歩道の反対側は急傾斜の土手になっていて、数メートル下に小川が流れている。

 深夜というわけでもないのに通る車は一台もなく、ひっそりと鳴く虫と小川のせせらぎ、風にそよいで擦れる葉の音だけが聞こえている。


 空気は冷たいけど、額には汗が滲んでいた。


 震える指でポケットからスマホを取り出し、画面をつけた。

 弱々しい光が手元を照らす。白く光る画面を見 タップして、伯父と姉に自分の置かれた状況を知らせようとしたところで、ふと思いとどまった。

 自分が相手の立場ならどうか。

 寝ぼけてるんじゃないのと、一蹴したっておかしくない。あるいは、東京観光に浮かれてふざけてるだけだと思うかな。

 そうじゃなきゃ、強引にでも医者に連れて行こうと考える気がする。


「……はあ」


 結局、打ち込んだメッセージを削除して幸臣は項垂れた。


 ……疲れたなあ。


 ポタポタと髪や顎先から滴り落ちた汗が、アスファルトにシミをつくっている。

 なんだって、こんなことになっちゃったかなあ。


 そもそも、あんな人形買うべきじゃなかった。


(……でも、買っちゃった以上しかたないし)


 それに、あの影が何かってのも考えたってわからない。から、この際それは置いておくとして。

 あのタイミングで人形が現れたのが偶然か否か、つまり、気になるのは、気づかず握りしめたままだった、この奇妙な“石”のことだ。


「また、光った……なんだか、さっきより」


 気のせいでなければ、光が点滅を繰り返しながら少しずつ強まっている。

 握った手がじんわり温かいのも不思議で、寄り添うように誰かの手が添えられているような感覚だった。


 考えてもみれば、怪現象が起き始めたのもこの石の不可思議さに気付いたときだった。それを、偶然と片付けていいのかどうか。


 あの人形が仮に、この石を狙っているとするなら一体どうするべきだろう?

 渡せば見逃してくれる?

 放り投げて気を引いているうちに遠くへ逃げる?


 いや、ダメか……確証もないし。


「どうしたもんかなあ……」


 呟きが夜風に消える。

 ふと顔をあげると、ジジッと音を鳴らして頭上の街灯が激しく点滅した。


 何かの気配を感じた気がした。

 

「──来た」


 坂の上、視線の先の闇が蠢き、何かが迫る気配がする。

 じりじりと後退しつつ、暗がりの中を凝視すしていると、黒い影の塊がじわりじわりと近づいてくることに気がついた。


「なんなんだ、アレ」


 先ほど見た姿とはまるで違って、蠢くように形を変えている。とんでもない巨体だ。

 建物に遮られていた月明かりが照らし出したことで、ようやくその全貌が見てとれた。


 影の腕、あれがいくつも寄り集まって糸玉のような姿をとっていた。

 ちょろりと横に垂れた腕が数本、ビタビタと地面に叩きつけられて、押し出されるように巨体が転がっている。

 

「……まずい」


 影の塊が坂の傾斜に乗る。

 重力に引かれた巨体が自然と坂の下方へ転がり始めた。


 ──まずいッ!!


 束の間の恐怖が、疲れて鈍った幸臣の身体に喝を入れた。


 砂を蹴って走り出す。


「くそ……くそッ!!」


 けど、身体は正直だった。

 足が重い、気持ちについていかれない。

 限界を超えた動きなんてできるはずもなく、少しばかりの休憩じゃ、むしろ走り出せただけでも御の字だ。

 こんだけ走れてるのなんか、もう奇跡なくらいだ!


 なのに──!


「何でっ!?」


 こんなに必死で走っているのに、影との距離が縮まっていく。

 振り返るたび、近づいてくる。


 アレの顔が見える。

 黒い腕の隙間から、人形の顔がわずかにのぞいてる。無感動な瞳が、こっちをじぃっと見つめてるのが見えるんだ。

 

(どうしよう、どうしたら!)


 走りながら周囲を見回す。

 武器になりそうなもの、助けてくれそうな人、逃げ込む場所、なんでもいい、なんでも──。


「──あそこだ!」


 向かう先、横方向に伸びる短い橋が見える。

 

 気配が近い。

 この分では、追いつかれるのも時間の問題だ。

 だから、それを逆手に取る。

 人形を限界まで引き寄せて、捕まる寸前にあの橋へ飛び込む。

 それしかない。

 あの巨体、あのスピードじゃ急に止まることなんてできやしないはずだ。


 はたして、その目論見は──。


「やっ……た?」


 横合いの橋に飛び込んだ瞬間、ゴゥッ! と影を巻き込んで、影の塊が通り過ぎた。

 踵を掠めた感触がする。もし、あと一瞬でも遅れていたかと思うと肝が冷えて仕方がない。

 でも、今はそんなことに構ってられない。

 いつ、あれが戻ってくるかわからない以上、早くこの場所から──。


 耳をつんざくような音が背後からした。


 大きく心臓が拍動する。

 後ろは振り返らなかった。ただ、反射的に走り出した。


 橋は公園に続いている。

 駐車場ばかり広く、遮蔽物も何もない。それはつまり、ここに追い込まれた以上、影の手から逃れる術はないということを意味していた。


 ──ビュンッ!!


 風を切る音──それが鼓膜に届いたときには、衝撃が身体の芯を突き抜けた後だった。


「──っ……」


 刹那の空白。両足が完全に地面から離れた浮遊感が全身を包む。


「ぐぅッ!!?」


 一瞬の後、アスファルトに打ち付けられた衝撃によって、消えかけた意識が無理やり現実に引き戻された。

 そのまま地面をすって数メートル転がり、身体がやっと止まったのは駐車場の白線の上だった。


 痛みで何も考えられず、呻きながら仰向けになる。

 と、眼前数センチとない距離で、ガラスの瞳が幸臣の目を覗き込んだ。


「───」


 甲高い音が聞こえた。

 金属板を引っ掻くような酷く耳障りな音が耳朶を打った。

 

 ──違う。


 音ではなくて声だ。

 ごく近距離から響いて聞こえる。恐怖と驚愕と、ないまぜになったような……。

 

 ──僕の声だ。


 人形はゆっくりと離れながら、その腕を幸臣の手足に巻き付けてゆく。

 糸の塊を垂らすかのように、じわじわと身体を呑み込む影は一切の抵抗を許そうとはしない。

 しかし、幸臣の頭だけは覆ってこなかった。

 まるで嘲笑っているかのように人形は左右に揺れている。


 ──助けて……。


 ダメだ、言葉にならない。

 誰にも届かない。届いたところで、誰がこの状況から救えるというのか。


「……、ぁ…」


 幸臣が諦めかけたそのときだった。

 手に握りしめたままだった()()()が確かな熱を発した。




−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>>個体名:浅桜幸臣の強い情動に《霊種》の共振を確認。

>>個体名:浅桜幸臣および《霊種》間の回線(パス)を構築。

>>《霊種》が発芽します。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



「え……?」

 

 石の中心──紋様を中心に眩い光が溢れ出ている。

 影の腕を突き破り、塵々に払いながら四方へ光を発する石。


 人形は光を酷く嫌うような様子で、幸臣から影の腕を離し距離を取ろうとするも、光は逃す間を与えず、瞬きのうちに広がった。


「───ッ─」


 声にならない叫びをあげている。

 苦悶するように身をよじり、風船のように虚空に消える影の腕。その体躯が急速に縮んでゆくのを幸臣は呆然と眺めていた。

 恨めしくこちらを睨め付ける人形。

 しかし、それを最後に四肢を投げ出すようにして、力なくアスファルトの上に落ちた。




−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>>モンスター:シャドースタンプ(Lv.3)の撃破を確認。

>>モンスター初撃破に伴い、レベルキャップを解放。[Lv.0→100]

>>経験値取得によりレベルが上昇します。

>>【ワールドシナリオ:テラ・メモリア】開始前におけるモンスターの討伐(8/10)により、【特性スキル:星の先駆者】を獲得します。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




「凄い……」


 紋様を中心に発せられた光が渦を巻いている。

 渦巻く光はやがて糸のような形を取り、寄り集まって帯を象る。

 帯はくるくると円を描き、それぞれが異なる軌道を描きながら、ひとつの方陣を空中に浮かび上がらせた──そして、


「くぅっ…!」


 方陣が収束し、その中央が激しく光る。目も開けていられないほどの眩さに幸臣は顔をすむけた。

 

 ──何かがいる。


 アスファルトをザリッと踏み締める音。

 瞼の裏に感じていていた光が徐々におさまるのを感じて、幸臣はゆっくりと音の方向を確かめた。

 確かめようとした。


「ふえっ……?」


 ぎゅうっと抱きすくめられる身体。ふわりと日向のような香りがする。

 突然のことに驚いていると、()()()はぎこちなく笑みを浮かべながら、幸臣の顔を見、ゆっくりと頭を撫でてきた。


 敵意はなさそうだ。

 むしろ、温もりと自分を抱く相手の柔らかさを感じて、見ず知らずの相手なのに幸臣は不思議と安堵した。

 

(でも……)


「……?」


 年代は五十か六十代ってところ。顔の周りをふわふわの(ひげ)が覆って、身体はどっしり、堂々とした佇まいだ。


(こういうのって普通……女の子じゃないんだ)


 というか、有り体に言えば、THE・王様って感じのおじいちゃんが出てきた。




−−個別通知−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>>契約獣:クラウス=ルイス・ゴルドシュファルツェの顕現を確認。それにともない【天蓋】が刻印されます。

>>プレイヤー資格の獲得に伴い、システムによる職業(ジョブ)の選定・解放を実行します。

>>選定中・・・特殊業績を確認。

>>【隠し職業(ヒドゥンジョブ):テイマー】の取得条件をクリアしています。

>>検証・・・適正に合致していることを確認しました。

>>確定。

>>職業の解放に伴い、【スキル:交感】【スキル:テイム】【スキル:絶対命令権】を取得しました。

>>モンスター:カースドアンティーク=ベア(Lv.1)に対して【テイム】を使用しますか?


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