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予定調和な婚約破棄に喝采を

作者: 七花まど

 公爵令嬢であるセイラ・ドラウは、学園の卒業パーティに婚約者を連れず一人で臨んでいた。


 これが意味するところ、今夜、彼女は婚約者であるルーク・アルドラージ殿下から婚約破棄を突き付けられることは想像に難くなかった。


 華やかなパーティの中、セイラは終始暗い顔のまま笑わない。この後に起こることに想像が付いていて、それが決してセイラに幸福を呼ぶイベントではないと理解しているからだった。周囲はセイラをチラチラと遠巻きに眺め、ひそひそと噂が飛び交っていた。


「セイラ様、調子が悪いの?」


 首を横に振る。「そうではないわ」セイラは震える手を見せた。「緊張しているのよ。やっとこの日がやってきてしまったのだもの」


 セイラのことを理解し、今日まで隣にいてくれた友達の令嬢にイブニンググローブに包まれた手を見せ、わずかに震えていることを伝えた。


 セイラは今日までいずれ王となるルークの隣にあり続けるためと、ふさわしいよう勉学に励み、外国語を多く習得、外交にも顔を出して隣国ではだいぶ顔なじみにもなった。そして美容にも気を使い、彼女に婚約者がいなければ申し出たいという殿方は数えきれないほどに美しく成長した。


「今日までの努力が無駄になるって、なんか悲しいね」


「いいえ、決して無駄にはならないわよ。殿下の隣にあり続けようとした努力は水泡に帰すけども、勉学で得た知識や経験は今後も活用できるもの」


 王都一のホールは競技場のように広く煌びやかで、ダンスホールと合わせて立食パーティとしても今回は使用されている。広すぎるホールには魅力的な料理がどこまでも続いていて、セイラは緊張を紛らわせるために黙々と食事を続けていた。


「あら、このサラダ美味しいわよ。こちらのお肉は口の中で溶けるように柔らかいですわね」


「セイラ様、あまり食べすぎるのもよくないよ。ドレスきつくならない?」


「そうね、ここで止めておきましょうか」


 大事な場面でコルセットの辛さを味わう前に、そっと食器を片付けたセイラは、シェフから水をもらい、口の中を潤す程度に含んで嚥下した。


「それにセイラ様は……あ、セイラ様」


「ええ、来ましたわね」


 セイラたちのいる場所でも、少し離れた場所から徐々に静けさが波のように伝わってきていた。周囲の子息令嬢たちもセイラと同じく緊張した面持ちで道を開けていき、ルーク・アルドラージ殿下へと続く一本道が作られた。


「行ってくるわ」


「いってらっしゃい。頑張ってね!」


 セイラは友に背中を押され、無表情を繕いながら道を歩んだ。背筋は貴族令嬢のお手本のようにきれいに伸び、歩き方もそれだけで魅入ってしまうほどに美しい。伊達に物心つく頃から王妃になるためと学び続けてきただけの自負がセイラにはあった。


 セイラが殿下の正面に来れば、関係を知っている者からすればあまりにも奇妙な光景だろう。


 本来殿下の隣には婚約者であるセイラがエスコートされていなければならないが、今は別の令嬢がエスコートされている。侯爵令嬢のビアンカ・ウタイだった。


 セイラの金髪とは対照的な銀髪の少女は、どこまでのセイラに反発するような容姿をしていた。セイラが凛々しさを振りかざすなら、ビアンカは愛らしさを、冷酷さを含む吊り目には庇護欲を誘う垂れ目の少女。この日もセイラの輝きを放つ金色のドレスに対して、透き通るような清純な銀色のドレスを身に纏っている。


 セイラに嫌気が差したとしか思えないほど正反対の彼女に惚れてしまったルークに、セイラは何度ため息を漏らしたことだろう。


「ごきげんようルーク様、ビアンカ様」


 一分の隙もないカーテシーを披露したセイラは怪しげに微笑みながらビアンカの方を見た。なんの権利があって私の婚約者の隣にいるのかしら、と冷酷な視線がビアンカの全身を貫いた。


 そのあまりにも冷たい視線を向けられてはビアンカがかわいそうだと、ルークは二人の間に割り込むように声を張り上げた。


「セイラ! やめないか! そうやって君は彼女をいじめるのだ」


「あら、私が何か悪いことをしましたでしょうか? 本来そこにいなければならないのは私のはずでしょう?」


「同じ学び舎の友を虐げる者が俺の隣にいるべきだと? 世迷言を言うな! 大体お前はいつも――」


 聞く耳を持たないルークは重箱の隅を突くように言葉を紡ぐ。心の中でため息を漏らしたセイラは口を閉ざし、代わりにビアンカの言葉を待つ。さて、どうしたものかとビアンカの様子を見れば、こぶしを固く握り、勇気を振り絞ったようにルークの言葉を遮った。


「ルーク殿下、そこまでにしましょう」


「おお、ビアンカ、そうだな。こんな奴にいつまでもくだらない言葉をぶつけるものではないな」


 ビアンカの言葉には素直なルークはビアンカの腰を抱き、周囲に、そしてセイラに見せつけるように身体を密着させた。ビアンカは頬を赤らめるが、その行為は婚約者いる者がしてはいけない行為であることは誰の目からしても明らかで、ルークがビアンカを新たな婚約者として迎えようとしていることは明白だった。


「ビアンカ、お前がセイラにされたことを告発してやれ」


「はい。私はこの一年間、セイラ様に様々な嫌がらせを受けてきました」


 心外だとばかりに目を見開いたセイラは、それでも冷静にビアンカに問うた。


「たとえば何かしら?」


「教科書を破られ、二階からバケツで水を被せられました。他にもドレスを切られたり、靴を隠されたりもしました」


「私がやったという証拠はあるのかしら? ないのならただの言いがかりよ?」


「セイラ! 自分が実行犯じゃないからって余裕の態度かもしれないが、お前が犯人だという証言はあるんだぞ!」


「ルーク殿下! ここは私が話しますので」


「あ? ああ……、任せたぞ?」


 意気揚々と証拠を突き付けようとしたルークを制し、ビアンカは深呼吸を一つ。一歩前に出たビアンカはセイラをにらみつけるように目で威嚇し、嫌がらせの証拠を口にする。


「私が嫌がらせを受けたタイミングは、必ずと言っていいほどセイラ様にアリバイがありました。そのため姿が見えない犯人の正体はセイラ様ではない証拠ばかりが集まりました」


「なら犯人は私ではないのでしょう。あなたの言っていることは言いがかりですわ」


 ビアンカは首を横に振って続けた。


「セイラ様にアリバイがあるということに不思議なことはありません。しかし、必ず存在するアリバイがゆえにそこには綻びがありました」


 ビアンカが思い出すように瞼を伏せた。「セイラ様にはアリバイがありすぎるんです」と呟くように言うと、持ち上げた瞼の奥から鋭い眼光がセイラを貫く。


 セイラがちらりとルークを見やると、困惑した表情を浮かべている。ルークはそこまではっきりとした証拠を見つけてはおらず、臣下の証言一つで断罪してやろうと考えていたのだ。


「アリバイがありすぎるとは、どういうことかしら?」


「私への嫌がらせに対し、数名に犯人を絞ってアリバイを探していましたが、セイラ様だけが行動に矛盾が見つかりました。例えばですが、私が水を被せられ、着替えている間にヒールが折られるという嫌がらせを受けましたが、この間に三十分もかかっていません」


「それがなにか?」


「この一連の流れを個別に分けて調査し、セイラ様のアリバイを探ったところ、私が水を被せられたとき、セイラ様は音楽室にしたそうですね?」


「いつのことか分からないけども、続けて」


「次に、私が着替えている間にヒールが折られた時、セイラ様は王城で書類整理をしていたそうですね? 入城履歴からもこの情報は確かなものです」


「なら、音楽室にいたというアリバイは誰かが私を犯人に仕立てるために行った工作ではないかしら? なんにせよ、私は王城で書類整理をしていたのだから犯人ではないのは確定したわ」


 ビアンカは下唇を噛み、“目元に涙を溜めて”セイラの近くにいた令嬢を指さした。


「音楽室にいたというのは、その方の証言です」


 ビアンカが指差した先を周囲の生徒が注目する。セイラもその指先の方を追うように見ると、そこには先ほどセイラの背中を押してくれた友がギョッとした顔をしていた。


「わ、私は――」


「セイラ様と行動を共にするあなたが、セイラ様はその時、音楽室にいたと証言しました。セイラ様を陥れるための犯行ならば、あなたが真犯人ということでよろしいですか?」


「私は犯人じゃない!」


 疑いを向けられた令嬢は必死に訴えかけるように叫ぶ。セイラの様子をチラチラと窺いながら、隙あらば背を向けて逃げようとしたが、ルークの命令で退路を塞がれる。逃げ足に自信のあったとしても、ドレス姿で騎士団長の息子率いる風紀委員たちからは逃げられないと悟り、諦めて後頭部をはしたなく掻いた。


「ビアンカ様が被害を被っていた時、彼女は教師の手伝いで別のことをしていたわ。多くの生徒たちが目撃していることでしょう」


「はい。なので私は彼女を共犯者だと捉え、必ず指示役の人物がいるはずだと推察し、特定するためにセイラ様の行動を監視させました。王族の者の証言は納得がいかないでしょうから、セイラ様とこれまで接触したことのない生徒、教師数名に協力を願い、行動を記録させてもらいました。私自らも監視に参加し記録に齟齬がないか確認しています」


「…………」


「まとめた記録をすべて公開しないと納得しませんか?」


「いいえ。その必要はありません」


「では、セイラ様。……あなたが犯人ですね?」


 疑問形で聞いたビアンカだが、ほぼ確信を得ていた。


「ええ。そうですわ。私が他の令嬢たちに指示を出し、あなたに一年もの期間、嫌がらせを続けてきた犯人ですわ」


 そっと瞼を伏せ、犯人であることを認めたセイラは、震える手をごまかすように手を重ねて腹部に置いた。


 ルークは予定とはまるで違ったが、確実なものとなってやってきた終幕に、ここまで黙って見てきたがここぞとばかりに前へ出てきて高らかに話し始めた。


「セイラ・ドラウは犯人であることを認めた! 実行犯ではないことをいいことに、ビアンカに一年にわたり嫌がらせを続け、このような逃げ場のない状況になるまで自首することもなければ反省する色も見せない。この罪はあまりにも重く、俺はここにセイラ・ドラウに罪状を言い渡す!」


 顔がにやけているのを隠しもしないルークは、唾を飛ばしながらセイラを指さす。


「セイラ・ドラウ! お前は俺との婚約を破棄し、国外へ追放する! 己の罪を反省し、一人他国で生きていくんだな! 牢屋に入れられないだけ感謝しろ。拒否権はない。お前の口から罪と、婚約を破棄することを認めろ!」


 惚れた女の前で完膚なきまでにセイラを征服したかったルークは、周囲の感情をコントロールしようと前に出る。今まで勉学で敵わなかったセイラ相手に、俺は強い存在だと周囲にアピールし、威厳という箔を付けるためわざと大仰にふるまって見せた。


 しかし周囲は息を吞んだように静まっていて、セイラの次の行動をいつまでも見守っている。


「…………」


 瞼を伏せたまま動かなかったセイラは長く息を吐き切り、スッと一瞬で必要な分だけ息を吸う。


 うまくコントロールできなかったと憤りを覚えたルークだが、この際セイラの口から望みの言葉が聞ければいいと催促しようとするが、セイラの持ち上がった瞼の中から現れた冷たくも力強い瞳に気圧され、静寂の中に呑まれてしまった。


 そして開かれた口から放たれる言葉にホール内の全ての人が耳を澄ませた。


「私、セイラ・ドラウは、この婚約破棄を……受け入れます」


「やっとみとめ――」


「ウオォオオオオオオオオオオ!!!!!!」


 ルークの言葉は周囲の子息令嬢たちの歓声にかき消された。拍手喝采、指笛や軽快な音楽まで奏で始め、突然のお祭り騒ぎだった。


「な、何事だ!」


 突然の歓声に理解が追い付かないルークはあたふたとあたりを見渡す。「先生!」その声はルークのすぐ隣、ビアンカの口から発せられたものだった。


「先生! お世話になりました!」


「ビアンカ……何をしているんだ?」


 ビアンカが先生と呼んだ人物、それはセイラだった。いきなりルークの隣から駆け出し、セイラの前に来ると感謝の言葉を伝え、勢いよく頭を下げたのだ。


「ビアンカ様、頭を上げなさい。せっかく合格を与えたのに、ドレスで走ったことは減点ですわよ」


「えぇ!? それはあんまりです!」


 今日は一度だって見せたことのない柔和な笑顔を見せたセイラは、ビアンカに「今日までよく頑張りましたね」と素直に褒めた。


「ど、どういうことだ? なぜビアンカがセイラを先生と呼ぶ?」


 ついさっきまで険悪な雰囲気だった二人が、この騒ぎを皮切りに師弟の関係で仲良くしだした。どこまでも理解が追い付かないルークは、ふらふらと二人に近づいて問いただした。


「殿下。私はビアンカ様の妃教育のため、三年前からウタイ侯爵様の屋敷へ通っていましたのよ」


「どうして……、セイラはビアンカが俺の隣にいたことが煩わしくて嫉妬していたのではないのか!?」


「……いいえ。殿下が婚約者の私に辟易し、他の誰かを好きになるだろうことは予想していましたわ。いずれ婚約破棄を言い渡されることも予想していましたし、ならば私にできるのは新しい妃候補に、私のこれまでを継承させること。幸いビアンカ様が早くに名乗りを上げてくれたおかげで教育に時間を取ることができ、今日という日に万全な状態で臨むことができましたのよ」


「予想していた? では先ほどのことはすべて演技だったというのか? 悔しそうにしていたのも全部演技だったのか!?」


 セイラはいいえと首を横に振り、「本当に悔しかったのですよ」と微笑みながらハンカチを取り出し、ビアンカの目元にあてがう。そこにはわずかに涙の玉が残っていた。


「この最後の試練。私は本気でビアンカを潰すつもりで計画しました。それを見抜かれたことが悔しかったのは本当ですわよ。ですが、ビアンカ、先ほど指さすとき、泣きそうになったわね。駄目よ、相手に余計な感情を見せては。そこからいろいろ邪推されるかもしれないわ」


「だって、先生を断罪するなんて……。先生みたいに簡単に感情を殺すなんて私には無理です。最後に試練があるとは聞いていましたけど、もう感情がぐちゃぐちゃだったんです。今日まで我慢しただけほめてください」


「仕方ありませんね」


 セイラに頭を撫でられるビアンカは子犬のように見えない尻尾をぶんぶん振り回す。


 信じられないものを見たといわんばかりのルークは頭を抱え、二人の会話を反芻していた。


「こ、この騒ぎはなんなんだ? どうしてセイラが婚約破棄を認めた瞬間に騒ぎ出したんだ?」


「そりゃ、みんなその瞬間を待ち望んでいたからに決まっているよ」


 その答えは、先ほどビアンカに指さされ、逃げ出そうとしていたセイラの友が気さくな口調で答えた。ビアンカに一言「ナイス名推理!」とだけ伝えると、近くのテーブルからサンドイッチを手に取って食べ始めた。


 ビアンカが改めて「いままでありがとうございました」と改めて感謝の言葉と共にセイラと握手をすると、周囲の騒ぎは一層激しくなる。


「セイラ様の苦労はみんな知っていたからね。役目を終えるにはやっぱり婚約破棄を言い渡されて、それを受け入れなきゃいけないし、それを見届けないと学園を卒業したとも思えなかったんだろうね。殿下にばれないようによく過ごしたもんだよ」


 殿下相手に砕けた口調であることを指摘する余裕もないルークは、目を白黒させながら状況を確認する。


「は? ということは俺以外全員が共犯ってことか? 父上もそうなのか?」


「そもそもこの計画の発案者は王様ですわ」


「もう、わけがわからん……、説明してくれ」


 再度頭を抱えたルークは近くにいたシェフから水をもらい、それを一気に飲み干す。空になったグラスを叩きつけたくなる衝動を抑え、近くのテーブルに置いた。


 セイラはどこから話そうか思案し、やはり一からということで、思案顔で頷いた。


「私と殿下が婚約を発表したのは四歳の頃。もっと前から話は出ていたようですから、正確には生まれる前からかもしれませんわ」


「そ、そんなに前だったか?」


「ええ。私は物心ついた時から隣には殿下がいて、将来は結婚するのが当然のこととばかりに妃教育に励んでいましたの。しかし殿下はやがて、そこに疑問を持ち始めたのですよね?」


 合っているか? とセイラがルークの方を見れば、自分のことだが半信半疑になりつつも、そうかもしれないとルークは頷く。


「では、なぜ殿下が当たり前だと思っていたことに疑問を持ち始めたのか。それは、私たちの距離感にありましたのよ」


「距離感? 俺はただ自由に恋愛もできない環境に辟易して、そんな時にビアンカが現れてくれたから……」


「自慢ではありませんが、私、かなりモテますのよ。この計画を他貴族たちに発表してからはお見合いの申し込みは後を絶ちませんわ。海外からもお誘いを貰っていますし。つまり何が言いたいかと申しますと、私は女としてかなり魅力的であるということですわ」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめるセイラ。しかしその言葉に反対の声はなく、近くにいた者たちはうんうんと頷いている。セイラへのお見合いを申し込んだ男子はいつ返事がもらえるかと首を長くして待っていたが、良い返事がもらえたためしはない。セイラほど高嶺の花という言葉が似合う令嬢もいないだろう。


「私と殿下は生まれてすぐに一緒にいましたわね。仲もよいならば婚約も問題ないと思われましたが、距離感が近すぎる幼馴染というのはあまり恋愛感情を育みにくい傾向にあるようでして。一度心が離れてしまえばもう相手を異性として見ることはないでしょう」


「そんなことは……」


「そんなことはないと言いきれますか? 私も殿下のことを知りすぎてしまいましたのよ。朝起きて何をするか、どれほどの学力をお持ちか、執務に真摯に取り組んでいるか、すべてを加味した上で、……私は殿下と結婚したいとはもう思えませんのよ」


「ならそれを早く言っていればお前は苦労しなかっただろ。教育なんてどうでもよかったのではないか?」


「殿下の隣を離れます私から、王となる殿下へのアドバイスです。どうかご自身の言動に責任を持ってくださいな。私と婚約破棄する責任、王となる責任、そして――」


 セイラは隣にいるビアンカの手を取り、その手をルークと繋がせる。


「女を惚れさせた責任。ちゃんと持ってくださいな」


 ビアンカが頬を赤く染め、ルークと腕を絡ませる。セイラにとっては見限ったかもしれない相手でも、ビアンカにとっては心から惚れた男であり、後の王妃として責任を持つ覚悟はこの三年間で示してきた。

「俺がビアンカを惚れさせた? ビアンカが俺のことを好いたのではないのか?」


「ルーク殿下はお忘れかもしれませんが、私は昔、誘拐されたことがありました。その時、たまたま街に出ていたルーク殿下が幼いながらも身体を張り、賊を退けてくれたのです。みすぼらしい格好をしていた私のことは平民に見えたかもしれませんが、ルーク殿下は民を守るためならこれくらい当然のことだと、地面に座り込む私の手を引っ張り上げてくれたのです」


「……あの時の顔を赤く腫らした少女のことか! まさかビアンカなのか!」


「はい。ルーク殿下はお礼などいらないと突っぱねましたが、王族に助けられて何もしないわけにはいきません。婚約者である先生……セイラ様に話を通し、秘密裏に感謝の品を渡してもらいました」


「殿下が今も身に着けているブレスレットがそうですわ。装飾の石には大切な恩人に送る親愛の意味が込められていますのよ」


 ルークの右腕には黄色の宝石が散りばめられたブレスレットがあり、ルークの好きな色ということもあり長年愛用していた。ルークのお付きから渡された物であり、本人は意味を知らなかった。


「セイラはこの時からビアンカが新たな俺の婚約者候補だと目を付けていたのか?」


「候補ではありましたわ。学園に入園してからしばらくは様子を見て、殿下と相性がよく、家柄も問題なく、私の教育にもついていける限られた令嬢はビアンカだけでしたわ」


「なんだその限定的な婚約者選びは! それほど無理難題な条件を探すくらいなら、セイラなら無理やり王妃となる道もあっただろう?」


「たしかに。私が王妃教育を完了していることや殿下の一番の理解者であることを理由に、ビアンカ様を殿下から引き離すことは容易でしたわ。殿下が私と結婚するつもりならそれでもよかったのですが、殿下を好きだという令嬢、同時に殿下が惚れてしまった令嬢が現れては退かざるを得ませんでしたのよ」


「なぜだ?」


「そもそもの話、なぜ私が殿下の婚約者に選ばれたか知っていますか?」


 セイラはルークに問うた。首を傾げるルークにセイラは答える。


「血が近すぎたのですよ」


 最近まで鎖国に近い状態だったこともあり、他国に比べて情報に疎く、近親婚を繰り返してきた王家では血は特に濃さを求めていた。しかし開国近隣国との貿易強化や政治への出席に伴い、血が濃い事のデメリットや他国に顔を出す際の体裁など、手を打たなければならないことは山のようにあった。


「新しい風を呼び込むためにも、私が殿下の婚約者にあてがわれましたわ。しかし“夫婦の仲”を求めるならビアンカ様が適任であるのですわ。外国のマナーや言語には苦労しましたけども、ビアンカ様は見事三年間で習得なさったわ。殿下の婚約者として申し分ありませんわよ」


「だからなぜ! お前は身を引く?」


「ルーク殿下。それは……」


 ルークの強い言葉と共にセイラの顔に影が差す。周囲からは殺伐とした雰囲気が漂い始めた。この件はあえて避けていたセイラだったが、このような空気になってルークがそれに気づいてしまった以上、話さざるをえなくなった。


「一度浮気された婚約者という看板を下げながら、外交の場で華々しいデビューが出来るとお思いで?」

「……あっ」


「私はこの国の体裁のためにも、殿下に婚約破棄せざるを得ない状況で身を引かざるを得ませんでしたの。そうしなければ殿下の浮気に理由を持たせることができませんもの」


「だからビアンカに一年間も嫌がらせを続けたというのか!」


「はい。この計画には多くの方々を巻き込んでいますのよ。王様には頭を下げられ、王妃様には泣かれながら抱擁されましたわ。ビアンカ様も始めはこの計画に否定的で、説得には骨が折れましたわ」


 ビアンカの否定は、それだけビアンカが誠実であり、セイラのことを慕っていた証でもある。説得に応じてからはルークを愛しているがゆえに今日まで努力を重ねてきた。


「父上と母上も……、セイラは本当にそれでよかったのか?」


「殿下、私は悪人ですのよ。いずれ王となる者が悪人に温情を与えてよいのですか?」


「べ、別に俺はセイラを嫌っていたわけじゃない! 自由に恋愛が出来ないことが嫌だっただけで……。そうだ! 側妃として俺に仕えるのはどうだ?」


「ルーク殿下……」


 明らかに混乱しているルークの腕をぎゅっと握るビアンカは不安な表情を浮かべながらセイラを見る。ビアンカはセイラの怒声が飛んでくると思っていただけに、予想とは逆に微笑んでいることに驚いた。


「殿下、それが私たちのためにもならないことは子どもでも分かりますわよ。それに――」


 セイラは一歩後ろに下がり、カーテシーをする。それが別れの挨拶だということがルークに伝わる。


「私は先ほど、殿下によって国外追放となった身でありますわ」


「そ、そんなの取り消しだ! セイラは俺の隣にいればいい」


「もし私にまた会いたいと仰るなら、外交の席に来てくださいな。私とて、ただで国外追放されるわけではありませんもの。隣国の王子と婚約を結び、のちのち外交の席でビアンカと手を取り合うことになりますわ」


 この計画の犠牲となるセイラには、当然ながら褒美となるものが用意されていた。他国を巻き込んだ計画でもあり、外交に出席していたビアンカをお気に召した隣国の王子も協力し、この婚約破棄と同時にセイラには新たな婚約が結ばれた。


 徐々に自分がしたことの愚かさに気付いたルークは、失う存在の大きさに慌てながらセイラを引き留めようとしたが、それは叶わなかった。


 セイラは最後に一言「ごきげんよう」と優しく笑うと、二人に背を向けた。


「先生!」


 ビアンカがルークから離れてセイラの背中に抱き着いた。腹に腕を回し、セイラを無理やりその場に留めた。


「先生、どうか行かないでください! 私がルーク殿下を好きにならなければ――」


 セイラは細い腰を捻って無理矢理ビアンカと相対すると、取り出した扇子でビアンカの頭を叩いた。セイラがビアンカの家庭教師をしている時、間違いがあれば指摘する時に行っていたことだった。


「…………」


 セイラは何も言わない。もう言葉にしなくてもあなたなら分かるでしょうと、ビアンカの目を見ていた。


 涙目となっていたビアンカは、手の甲で拭こうとして慌ててハンカチで押さえるように涙を拭うと、そこにはもうセイラの生徒としての弱々しいかんばせのビアンカはいなかった。


「よくできましたわ。これでもう本当に私からは卒業ですわね」


 卒業証書代わりに、セイラは持っていた扇子をビアンカに渡す。何度もビアンカの頭を叩いて多少使い褪せたものではあったが、ビアンカにとってこれ以上ない贈り物だった。


「次に会う時は、さらなる成長を遂げたあなたの姿を楽しみにしていますわ」


「はい! 必ずや先生を……、セイラ様を驚かせて見せますわ!」


 セイラに負けず劣らずのカーテシーを披露したビアンカはそのままセイラのことを見送った。







 卒業生たちがセイラの通り道を左右に分かれて確保し、拍手喝采をもって送り出す。それを一身に浴びながら大きな扉から外へ出れば、ひんやりとした空気が熱くなったセイラの身体を急激に冷やす。それを心地よいと感じたセイラは迎えの馬車が来るまでの間、近くの高台に近づいて空を見上げた。


 満月には一歩遠い、形容しがたい月が浮かんでいて、まるでセイラの心を現しているようだった。


 完璧にこなしてきた王妃教育も、ルークの隣にふさわしい人格であり続けた努力も、どれか一つ欠けているだけで満たされることはない。


「ああ、それゆえに私は満足しているのですね」


 セイラのこれまでの努力は、皮肉にも予定調和な婚約破棄によって認められ、そして新たな一歩を踏み出すきっかけとなった。


 拍手喝采に溢れたホールに思いを馳せ、これまで隠し続けた“恋心”に涙を流し、セイラはたった一言だけ月に向かって叫んだ。


「ああ、私はゴーシャス!」


 セイラは首に手を掛け、ネックレスとしてかけていたものを取り出す。それは昔、子どものルークから贈られた小さな指輪を銀のチェーンで通したものであり、セイラはそれを足元に広がる森に向かって投げ捨て、決別するように背を向けた。


 振り向いた拍子に飛び出したたった一滴の涙が落ちていく指輪にお供し、やがて、今後誰にも見つかることのない指輪の上でそっと弾けた。







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― 新着の感想 ―
ハッピーでもバッドでもどっちでもいいが、クソ王子は生きてる価値無いのは確か
2024/11/13 08:26 退会済み
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キーワードの『悪訳令嬢』は、どこに?         ↑ ……外国語が苦手な令嬢が出てくるのかと、ちょっと期待したのですが…… もしかしたら誤変換ですか?
ビックリした。 ありきたりなメタなタイトルと思って読み進めたら、見事に裏切られました。 面白い物語をありがとうございました。
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