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湖畔亭の事件

 アケチ探偵は、仕事を依頼されて、首都トーキョーから車で約2時間の場所にある保養地ニッコウへと、一人で訪れていた。

 ニッコウには、老舗の温泉旅館、湖畔亭がある。この旅館の所有者である大鳥喜三郎氏こそが、今回のアケチの雇い主なのだ。大鳥家は、現在の表向きの職業こそ、地方の旅館の経営者だったが、実際には、侯爵の爵位だって持っている、明治の頃から続く名家なのだった。アケチとしても、そんな地方の名士から丁重に仕事をお願いされては、断る訳にもいかず、二言返事で出向くしかなかったのである。

 なんでも、喜三郎侯の一人娘である不二子嬢に関しての、ひどく緊急の用事だったらしい。詳しい事は直接会ってから説明すると、アケチは伝えられていた。どうも、あまり人には知られたくない内容だったらしくて、アケチだけで対応すると言うのも、大鳥家側から出された条件なのだった。

 アケチは、湖畔亭にと到着した。湖畔亭は、かなり年季の入った建物ではあったが、さすがに、この周辺でも随一の大きさの旅館であった。恐らくは、古くから、温泉通や金満家たちのご用達の旅館だったのであろう。この旅館の隣に、連結する形で、大鳥家の本邸も建っていた。

 湖畔亭に着いたアケチは、その玄関で、手厚い歓迎を受けたのだった。そのあと、彼は、大鳥家の本邸の方には案内されず、湖畔亭の応接間へと通されたのである。応接間では、喜三郎侯だけではなく、執事の尾形老人も一緒に待っていた。

「それでは、さっそく、何が起きたのかを教えていただけますか?」と、喜三郎侯らと簡単な挨拶をかわしたアケチは、早くも、仕事の話へと移った。

「アケチさん。あなたは、吸血鬼の存在を信じますかな」喜三郎侯は、おごそかな口調で、いきなり、そんな事を喋り始めたのだった。

「吸血鬼?」

「そう。映画で観た事はありませぬか。ほら、吸血鬼ドラキュラが出てくる怪奇映画とかを」

「まあ、ドラキュラ映画でしたら、一度ぐらいは拝見した事がありますが」

「このニッコウの地にも、どうやら、そのドラキュラが棲み着いているらしいのです」

 アケチは、つい言葉を失った。ここで大笑いしてやりたいところなのだが、相手が相手なだけに、そう言う訳にもいかないのである。

「もう少し、詳しく説明していただけませんか」アケチは言った。

「話は1週間前まで遡ります。その日、わしの一粒種の不二子が、大幅に門限を破って、一人で帰ってきたのです。もう真夜中でした。わしらは大変に心配していたと言うのに、不二子ときたら、なぜ、こんなに帰宅が遅くなったのかを話そうとしません。頑として、理由は教えてくれないのです」

「まあ、若い娘さんでしたら、時には、そんな事もあるでしょう。不二子さんは幾つでしたっけ?」

「22歳になります」

「もう成人は過ぎてらっしゃるのですね。でしたら、もう少し、娘さんの事を信じてあげては?」

「何をおっしゃいますか!あの子は、大鳥家の大切な跡取りなのですぞ。もし、好き勝手な事をさせて、何か起きてしまったら、どうするおつもりなのです?」

 アケチは反論するのをヤメた。この父親は、何を言っても、聞き入れてくれそうな雰囲気ではないのである。

「話を戻しますよ。このようにして、夜遅くに帰ってきた不二子でしたが、その態度には、どこか恍惚としたものがありました。それで、わしらは、疑いを抱いたのです。もしかしたら、娘は吸血鬼に襲われたのではないかと」

「そりゃまた、唐突な推測ですね。なぜ、そのように思われましたか?」

「不二子は、わしの言いつけに背いて、悪い事をするような子ではありません。もし、それでも早く帰宅できなかったのだとすれば、それは、きっと、何かの事件に巻き込まれたからなのでしょう」

 アケチは、苦笑するのを必死に堪えたのだった。全く、娘を溺愛しすぎる父親と言うものは、ほんとに、何も分かっていないらしいのだ。

 と言うのも、不二子が快活な恋愛体質のお嬢様だった事は、社交界でも実に有名な話で、アケチですら承知の事実だったからである。恐らくは、こんな辺ぴな地方に住んでいたものだから、なおさら、良い殿方との出会いがなくて、やたらと惚れっぽい性質になってしまったのであろう。その事を知らないのは、実の父親だけなのだ。

「では、事件の犯人が、人間ではなくて、なぜ、吸血鬼だと思われましたか?」

「実際に、この温泉の周辺で、吸血鬼らしきものを見かけた人がいたのです」代わりに答えてくれたのは、執事の尾形老人だった。

「え?」と、アケチ探偵。

「目撃者の話によると、その怪人物は、顔の表面に皮膚がなく、骸骨のような顔をしていたそうです。まさしく、映画に出てくる吸血鬼ノスフェラトゥにそっくりです。本物の吸血鬼に違いないでしょう」

「待ってください。まだ、そう結論づけるのは早いのでは?その怪人物の素性は?あるいは、その目撃談からして、作り話ではないのですか?」

「その骸骨のような男はあちこちで目撃されていますが、どこの誰なのかまで調べた人はいません。でも、実在しているのは、紛れもなく確かなのです」

「だからって、吸血鬼だと決めつけるのは、ちょっと・・・。何か、証拠でも有りますか?例えば、吸血鬼に襲われたら、首筋を牙で噛まれると聞きましたが、娘さんにそのような傷はありましたか?」

「いえ、お嬢さまはスカーフを愛用してますので、普段から首まわりは見せてくださらないのです」

「だが、娘は、門番を破った夜は、記憶を消されて、我が家に戻ってきたのかも知れん。ほら、吸血鬼には、襲った相手を催眠状態にする能力があると聞きましたよ」そう言葉を続けたのは、喜三郎侯だった。「それに・・・」

「それに?」

「娘は、その日以降も、夜中に、誰かと会っているらしいのです」

「一人で、こっそりと外に出かけていると言うのですか。それとも、何者かが、不二子さんの部屋にまで会いに来ているとでも?」

「その、どちらもです。お嬢さまは、そんな事はないと、頑なに否定しているのですが、それらの挙動を目にした使用人が何人もいます。どうも、間違いない話らしいのです」と、尾形老人。

「この邸宅に、そうも堂々と忍び込める奴なぞ、普通の人間ではないだろう。きっと、妖怪化身なのだ。映画でも、ドラキュラは、一度襲った美女のもとに、その後も何度も訪れていたでしょう?」喜三郎侯が、熱く訴えた。

「う〜ん、どうでしょうかね。もし、この家の身内で、手引きするような者がいれば、不可能ではない感じもするのですが」と、アケチ。

「とにかく、我々としては、この件で、今、大変に困っておるのです。娘の印象に傷がつきますので、あまり大げさに騒ぎ立てたくありません。できれば、警察の手も借りたくないのです」

「それで、僕に、その謎の人物を捕まえて、不二子さんから引き離してほしい、と言うのですね」

「そうです。相手は恐ろしい怪物かも知れませんが、お願いできますか」

「いいでしょう。お任せ下さい。まあ、2、3日もいただければ、すぐ片付くのではないかと思います」アケチは、あっさりと返事をしたのだった。まるで余裕の表情なのである。

 言うまでもなく、理知的なアケチは、幽霊や妖怪なんてものは信じていなかった。この不二子にまつわる出来事についても、喜三郎侯らが考えている真相とは違う目星を付けて、すでに解決の糸口を見つけていたようなのだ。

「さて、依頼を引き受けてくれたばかりで申し訳ないのですが、アケチさんは、今夜は、この旅館には泊まらないでいただけないでしょうか。と言って、わしの本宅の方に泊める訳にもいきません。近くにある別の温泉宿に予約を取りますので、そちらに移っていただけませんか」と、話し合いが終わった矢先に、喜三郎侯は、いきなり、そんな事を言い始めたのであった。

「え、なぜですか?」アケチも、つい聞き返した。

「本当に、日にちが悪かった。今日は、このあと、湖畔亭には、大事な貴賓を迎え入れる予定なのです。よって、今夜は、うちの旅館は、その一行だけの貸切にします。つまらぬ粗相とかは絶対に起こせませんのでね。よって、アケチさんであっても、特別扱いで一緒に泊める訳にはいきません。なあに、実を言いますとね、我が家の家宝である十人阿弥陀を、フランス大使のルージェール伯がぜひ拝見したい、とおっしゃっておるのですよ。大使は大の日本ファンでして、彼に家宝の骨董品を見たいと希望されますのは、とても名誉な事でもあるのです。この度、大使は、小用で、このニッコウの地に訪れておるそうでして、忙しいスケジュールの中、今晩だけ休みを作れましたので、うちの旅館へも来訪してくださる事になったのです」

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