赤土の謎
少年探偵団の団員が、拉致されたり、蛇で脅かされたりして、魔法博士の一連の騒動は、ちょっと子供たちだけでは手に負えない状況になってきました。よって、子供たちの安全を優先して考えるアケチ探偵事務所としましては、ここで、少年探偵団については、この案件からは手を引かせる事を決めたのでした。
すでに、謎の怪人・魔法博士の捜索と言う点では、警察も動き出してくれています。今後の天野くんの警護なども、もう、プロのお巡りさん達に任せておけばよいのです。
そして、探偵団の中でも、アケチ探偵の直属の弟子であるコバヤシくんのみは、一人だけ、このまま、魔法博士の事件の追求を続ける事にしたのでした。師匠のアケチ探偵も、コバヤシくんには、それを許可してくれたのです。
コバヤシくんは、最初の頃から、この事件に関わっていただけあって、実は、彼にしか気付いていないような情報も、いろいろと持ち合わせていました。こうして、事件がいよいよ大事になってきた事で、ついに、コバヤシくんも、この案件に総力で取り組む事となったのです。
さて、コバヤシくんが握っていた有力な情報の一つに、例のセタガヤ区の洋館の玄関で見つけた、怪しい赤土がありました。やや赤みがかった土が、ほんの僅かだけ、洋館の玄関の手前の地面にと落ちていたのです。他の人たちは気にも留めなかった代物ですが、何度もこの洋館に訪れていたコバヤシくんだけは、この赤土が最初からこの場所にあった訳ではなかった事を見抜いたのでした。
この赤土を洋館の玄関で発見したのは、大友くんが洋館の中で見つかった後のことです。と言う事は、同じく、玄関で大友くんの探偵バッジが少年探偵団員たちに拾われた以降だと言う事になります。この探偵バッジにつきましても、大友くん自身は、自分では、この場所には捨てていない、と証言していました。彼は、いつの間にか、(恐らくは、トラックの荷台の中で眠っていた間に)自分の探偵バッジを無くしていたのです。
つまり、大友くんの探偵バッジは、探偵団を陥れる罠に使う為に、魔法博士の一味にと盗み取られていたのでしょう。それは、セタガヤ区の洋館の玄関に置かれる事で、まさしく、花田くん達をおびき寄せる絶好のオトリの役割をまんまと果たした事になるのです。
そうなりますと、この大友くんの探偵バッジは、魔法博士の一味の誰かの手で、この玄関前に捨てられた、と言う図式が成り立ちます。ならば、あの謎の赤土だって、この探偵バッジを捨てた人物がいっしょに落としていった線が、がぜん、強くなってくる訳なのです。
コバヤシくんは、この憶測を十分に断定しきれなかったので、この赤土の調査を、ひとまずは個人で進める事にしました。その為に、最初は、師のアケチ先生にお願いして、この赤土の成分の分析を、警察にと頼んでもらったのです。アケチ探偵は、コバヤシくんの頼みを快く引き受けてくれました。あとは、とんとん拍子であり、アケチ探偵の依頼ならば、警察も、すみやかに赤土の分析を行なってくれたのです。
科捜研へと回されて、簡単に、赤土の正体は判明しました。それは、ありきたりの関東ローム層の土でした。大トーキョー・シティやその周辺の土地の地盤となっている土壌の土なのです。ただし、セタガヤ区では、この土層は、地表にまで露出していませんでした。でも、他のトーキョー・シティの地域では、何か所も、この赤土がむき出しになっている場所があったのです。つまり、それらの場所から、この赤土がセタガヤ区の洋館に持ち込まれた可能性が、かなり高くなってきたのであります。
そこで、次にコバヤシくんが手につけた活動は、関東ローム層が地上に表出していると言う区域を調べる事でした。それは、けっこう、あちこちに散らばって存在していたのですが、それでも、コバヤシくんは、いろいろな資料に当たってみて、一通りをピックアップしたのです。
最後に、彼は、それらの赤土が採取できる地帯を、自ら出向いていって、自身の目で確認して回ったのでした。人に聞いたデータをそのまま使用するのではなく、自分でもきちんと歩き回って、現場の生の情報を調べる事こそが、正しい探偵の心得なのです。
コバヤシくんは、地道に、トーキョー・シティ内の各所を訪問しました。そして、実際に、その地域の露出した赤土を拝見してみて、それが本当に人に付着する事があるかどうかを判断していったのでした。切り立った、高い崖の斜面にむき出しになっているような関東ローム層の断面などは、ほぼ、一般人が触れる見込みはありません。そんな場所は除外しながら、コバヤシくんは、有力そうな赤土の採掘場所ばかりを絞っていったのです。
こうして、トーキョー・シティ内の探索は全て完了しましたが、それでも、コバヤシくんの調査は終わりませんでした。今度は、トーキョー・シティの周囲の地域の赤土を探す番なのです。少しでも怪しい場所があれば、漏らさずに当たってみるのが、腕のいい探偵と言うものなのであります。
そんな訳で、今日のコバヤシくんは、トーキョー・シティの隣のヨコハマにまでやって来たのでした。ヨコハマもまた、土壌は関東ローム層であり、その赤土が露出している地域が散在するとの情報があったのです。
電車を乗り継ぎ、ヨコハマにと到着したコバヤシくんは、あとは、地図を頼りに、てくてくと歩きながら、目的の場所を探し回りました。そうして、ついには、その場所を発見したのです。
「うん、間違いない。これも赤土だぞ」と、コバヤシくんは呟いて、満足しました。
ヨコハマの赤土は、浅い崖の斜面にと表出していたのです。その崖の下は、一般用の公道になっていましたので、崖からこぼれた赤土が人や衣服、車などについてしまう可能性は十分に見込めたのでした。
それだけを確認すると、コバヤシくんは、ゆっくりと周囲を見渡しました。この場所は、ちょうど都市開発が始まったばかりの地域なのです。まだ建物もほとんど立っておらず、広い空き地といった感じでしたが、それでも、人が行き来する割合はゼロではなさそうなのでした。
ほんのすぐ近くには、ヤマノテ町の外国人居住地も見えました。そこは、かつて、明治の頃に、欧米人ばかりが移住して、住み着いていた町だったのです。現在では、それらの住民のほとんどは祖国へと帰ってしまいましたが、それでも、当時、建てられた屋敷や家屋は、そのままの状態で残されていたのでした。
コバヤシくんが、これらの景色を、じっくりと目に焼き付けていた時、実は、彼のそばを一台の小型トラックが走り過ぎて行きました。このトラックは、なんと、大友くんが乗り込んだトラックとそっくりだったのですが、残念ながら、コバヤシくんは、以前にこのトラックをじかに見た事がなかったものですから、このトラックとすれ違った事にも、何とも思わなかったのでした。
「さて、次の調査場所に向かうとするかな」コバヤシくんは、独り言ちました。
その矢先です。
「ヨシオ兄ちゃん、何やってるの?」
いきなり、背後から、そんな少女の声が聞こえてきたのでした。あまりに突然だったものだから、さすがのコバヤシくんも、驚いて、飛び上がりそうになりました。
「うわっ!・・・って、なんだ、マユミちゃんか」
振り返ったコバヤシくんは、相手の姿を見て、ホッとしたのでした。
そこには、一人の10歳ぐらいの女の子がいました。たいへん可愛らしい顔立ちで、服装も上品で、オシャレなのです。この子は、コバヤシくんとも顔なじみの花崎マユミちゃんなのでした。彼女は、アケチ探偵に憧れて、自分も少女探偵を目指していると言う、将来が有望なお嬢さんなのです。
「どうしたのよ、ヨシオ兄ちゃん」と、マユミちゃんは、すました表情で、さらに、コバヤシくんへと話し掛けてきました。
「それは、こっちのセリフだよ。マユミちゃんこそ、なんで、こんな場所にいるんだい?」コバヤシくんも、逆に、マユミちゃんへと尋ねてみます。
「あたしは、パパに連れられて、ヨコハマにいる知り合いのおうちに遊びに来ていただけよ」
「ああ。お父さんも一緒だったのかい」
コバヤシくんが、ちょっと安堵した表情になりました。マユミちゃんのお父さんとは、鬼検事として知られている花崎俊夫氏だったのです。アケチ探偵事務所とも面識のある、とても信頼の置ける人物なのでした。
「で、そのお父さんは、すぐ近くにでも居るのかい?」
「いないわ。だって、あたし、知り合いのお家の中にいても、退屈だったから、ちょっと抜け出して来たんだもん。そしたら、偶然、道を歩いているヨシオ兄ちゃんの姿を見つけたので、こっそりと、つけてきちゃったの」
「えええ!」と、コバヤシくんはうろたえました。
「ずっと、後ろから追い掛けていたのに、ヨシオ兄ちゃんったら、今まで、まるで気が付いていなかったのよ。あたしの尾行も、大したものでしょ」マユミちゃんが、得意げに、腰に手を当てます。
でも、コバヤシくんの方は、すっかり慌てていたのでした。
「そ、そんな。何やってるんだよ、マユミちゃん。今ごろ、君がいないのが分かって、お父さんも心配しているんじゃないのかい」
「大丈夫よ。今は、ヨシオ兄ちゃんと一緒にいるのだし」
「だ、大丈夫じゃないよ。マユミちゃんを連れ出したのが、ぼくだと勘違いされちゃったら、後で、アケチ先生から大目玉を食らってしまう。いや、花崎さんからも怒られちゃうよ」
よほど、アケチ師匠に叱られるのが怖かったのか、コバヤシくんは、完全に動揺しているのです。
「マユミちゃん、携帯電話は持っている?まず、君のお父さんに電話をして、君が安全な事を伝えなくっちゃ」
「あたし、まだ、ケータイは持たせてもらっていないわ」
「じゃあ、ぼくの携帯電話で連絡してあげるよ。自分ちの電話番号は知っているよね」
そう言いながら、コバヤシくんは、服の胸もとから、自分の携帯電話を取り出しました。スマホではなく、ガラケーなのです。最新家電に弱いコバヤシくんは、まだ、一昔前のケータイの機種を使っていたのでした。のみならず、古いケータイを扱う指先でさえ、どこか、おぼつかないのです。
「ええと。番号を押すよ。さあ、電話番号を教えてくれないかな」
口ではそう言っていても、コバヤシくんは、ひどくモタモタしていたのでした。彼は、事務所と連絡を取る時ぐらいしか、携帯電話は使った事がなかったのです。
そんな風に、コバヤシくんが、電話を掛けるのに手こずっている最中に、突如として、携帯電話の方が先にプルルルルと鳴り出したのでした。




