奇術博士
「あなたは、どなたですか?虎井博士とは違いますよね?」
とりあえず、コバヤシくんは、謎の美少年に、そのように尋ねてみました。
「僕の方が年下だから、敬語じゃなくても構わないよ。僕は、虎井博士の少年助手さ。君が、アケチ探偵の少年助手だったのと同じようにね」謎の少年は、爽やかに答えました。
コバヤシくんは、そう言われると、この少年に、妙に親近感が湧いてきたのでした。だから、彼も、この少年を相手に、もっと気楽に接する事にしたのです。
「なぜ、そんな服を着ているんだい?」と、コバヤシくん。
「これは、博士の趣味さ。変わっているって、皆は言うけど、僕はけっこう気に入ってるよ。いかにも、ここのような不思議な研究所に勤務している研究員っぽいからね」少年助手は笑いました。「いいかい。君の先生が、世界一の名探偵ならば、僕の先生は、世界一の科学者なんだ。そんな点でも、こうした先生がたの助手をしている僕たちも、ぞんがい似た者同士なのさ」
「ああ、それそれ。その虎井博士と会わせてもらいたいんだけど」
コバヤシくんは、さりげなく、話を戻そうとしました。
「博士は、今、ここには居ないよ。ちょうど、宇宙生物を狩りに出かけているんだ」少年助手は、すまして、そのように答えたのでした。相変わらず、この少年の話す内容は謎が多いのです。
「宇宙生物だって?」
「でも、すぐ戻ってくると思うよ。だから、それまでの間、この部屋で待っていたらいい。大丈夫。退屈はさせないから」少年助手が、ゆっくりと歩き出しました。「さあ、こっちに来てごらん」
少年助手は、この部屋の壁の一角まで歩いて、そこで立ち止まったのです。そこの壁には、大きな鏡が掛かっていました。壁の半分を覆うほどの大きな鏡なのです。
「いいかい。この鏡を見ていてごらん」少年助手は言いました。
コバヤシくんも、この鏡のそばにまで歩み寄って、言われた通りに、鏡を凝視したのです。
次の瞬間でした。
鏡に写っていた鏡像が、突然、変化しました。これまで写っていた部屋の内部や少年助手やコバヤシくん達の姿が消えてしまったのです。代わりに、鏡には、一面に海中の光景が写し出されたのでした。
「これは?」と、コバヤシくんが、呆気にとられます。
「おやおや。そこまでビックリするほどの事でもないだろう?この鏡は、実はモニターだったのさ。使っていない時は、鏡になっている仕掛けだったんだ」少年助手が楽しそうに笑いました。「まあ、見ていてごらんよ」
そう言われて、コバヤシくんも、鏡だったモニターをジッと眺め続けたのです。
にしても、モニターに写っている、この海中は、一体、どこなのでしょうか。青い海水の中に、小魚や水中動物がいっぱい泳いでいるのです。それらの生物は、必ずしも、見慣れないものばかりでもありませんでした。
「あ、分かった!この海はトーキョー湾だね!」ハッとして、コバヤシくんが声を張り上げました。
「ご名答。これは、すぐ近くのトーキョー湾の中を写した光景だよ。海の中に水中カメラを設置していて、そこから撮影しているのさ。でも、それだけじゃないよ。よおく見ていてごらん」
少年助手が自慢げに言うので、コバヤシくんは、さらに、モニターを睨み続けたのです。
すると、モニター内の海中には、魚とも水中生物とも違うものが写り始めたのでした。その何かは、とても大きくて、真っ黒なのです。前後にスラリと長くて、まるで魚雷かロケットのような形をしていました。
「ああ!あれは潜水艇だね!」興奮して、コバヤシくんが思わず大声で言いました。
「その通り。この研究所は、地下にも通路がずうっと伸びていて、その先の方がトーキョー湾の岸にも繋がっていてね、そこが潜水艇の船着き場にもなっているんだ。もちろん、ここに写っている潜水艇は、博士の私有物だよ。凄いだろう?そして、博士は、今ちょうど、この潜水艇に乗って、海の散歩をしている最中だったのさ」
少年助手の説明を聞いているうちに、彼が、なぜ、さっき、「博士は宇宙生物狩りをしている」などと言ったのか、コバヤシくんにも理由が分かって来たのでした。海の中の奇妙な形をした動物たちは、確かに、宇宙生物のようにも見えなくもないのです。
「おや。博士も、そろそろ、散歩からお帰りみたいだよ」少年助手が言いました。
モニターの中の潜水艇も、いつしか、一方へと泳ぎ去ってしまい、画面からは見えなくなっていたのです。
そして、程なくして、部屋の中にブザーの音が響き渡ったのでした。
「お待たせ。うちの博士のおなりだよ。でも、なにぶん、多忙な方なので、ちょっとしか顔を見せて下さらない。謁見するのは此処からにして、用件は手短かにね」少年助手が、先に注意をうながしました。
それから、鏡のモニターとは反対側の壁に掛かっていた暗幕が、左右にバアッと開いたのです。よく見ると、そこには、コバヤシくんを案内してくれたのと同種のアンドロイドが二体いて、それぞれが暗幕を左右に引っ張っていたのでした。このアンドロイドたちも、実は、この研究所の専属の使用人だったのでしょうか。
さて、暗幕の向こうには、小さな部屋がありました。そこに、一人の初老の男が立っているのです。この人が、恐らく、虎井博士なのでしょう。ただし、博士にしては、少し妙な格好をしているのでした。全身を真っ黒なアクアラングスーツで覆っているのです。右脇には、潜水用ヘルメットまで抱えていました。
でも、よく考えたら、博士は、たった今まで、潜水艇で海中散歩をしていたのでした。このような潜水スタイルだったのも、不思議ではなかったのかも知れません。だけど、そうなると、博士は、潜水艇を降りてから、すぐ、この場所にまで駆けつけてくれた事になります。
しかし、それはそれで、ちょっと不思議なのです。だって、この研究所内と海辺までの間には、けっこうな距離があったはずですから。こんなに早く、この場所まで来れたとは思えないのです。
と、コバヤシくんが、そんな事を考え込んでいるうちに、博士の方から話し掛けてくれたのでした。
「ようこそ。君がコバヤシくんだね。噂はかねがね聞いているよ。アケチくんの優秀な一番弟子なんだってね。わしも、君のような素晴らしい探偵助手とお会いできて、たいへんに光栄だよ。初めまして。わしが虎井博士だ」
こんな変わった研究所に住んではいますが、虎井博士は、思っていたよりも、マトモそうな人物なのです。
「こちらこそ、初めまして!アケチ探偵事務所から来たコバヤシヨシオです!」
コバヤシくんも、負けずに、元気に挨拶を返したのでした。
「博士。では、さっそくですが・・・」
「おっと。それ以上は言わなくてもいいよ。君が聞きたいのは、魔法博士についてだろう?だったら、心配はいらん。彼は、全く、問題のない好人物だよ」
「でも・・・」
「我がマジシアンズ・クラブの一員である魔法博士くんは、本名は雲井良太と言う。変わり者のお金持ちでね、決して悪い人間などではない。彼が、君ら子供たちと遊びたいと言うのであれば、ぜひ付き合ってあげたらよいだろう。きっと、君たちも貴重な経験ができると思うよ」
「しかし、博士・・・」
虎井博士は、一方的に話し続けるだけで、コバヤシくんに質問する機会も与えてくれないのです。
「おお、すまない。残念ながら、もう時間のようだ。話をするのは、これでおしまいだ。君と会えて、楽しかったよ。では、さようなら、コバヤシくん」
虎井博士が、さっさと別れの言葉を告げてしまいました。そして、そのあと、不思議なことが起きたのでした。
博士の体の上に、突如、ノイズのようなものが走ったのです。そればかりか、博士の姿が薄れたかと思うと、その形が変化しました。顔が、黄金仮面そっくりの銀の仮面になったかと思うと、身につけていたアクアラングスーツの方も、黒色のマントに変わってしまったのです。
同時に、博士の高笑いが、部屋全体に広がりました。それから、博士の姿は、一瞬で消えてしまったのでした。
「ええ?あれれ?」コバヤシくんは、目を丸くしました。
その隣で、あの少年助手が得意げに笑い出したのでした。
「どうだい、コバヤシくん、うちの博士のマジックの腕前は。今のは全て、博士の奇術の一部だよ。君に見せてあげようと、前から準備していたんだ。さあて、君に、この手品のトリックは解けたかな?なんなら、博士がいた部屋の方も調べてみてもいいよ」
許可が出たので、コバヤシくんは、博士のいた小部屋の中も覗いてみました。
だけど、博士の部屋は、全くの空っぽなのです。そこには、もう何も残っておらず、ガランとしていたのでした。一見、この部屋には、どんな仕掛けもなかったかのようにも見えました。
だけど、コバヤシくんは、すぐにピンと来たのでした。
「分かった!今の博士の姿は、全部、プロジェクションマッピングを応用したものだったんだね。同じ仕掛けを、リョウゴク国技館で開催されていたロウ人形展で見た事があるよ。ここにいた博士は、最初から最後まで、壁のスクリーンに投影されたものだったんだ。立体映像だったので、見事に騙されちゃったんだね。で、投影機は、きっと、天井のどこかに、隠して、設置してあるのかな」コバヤシくんは、途中でつまる事もなく、スラスラと謎を解いてみせました。
「うん、うまい、うまい。まさに、その通りだよ。何もかも当たっている。やっぱり、さすがは名探偵だね、コバヤシくんは」少年助手も、ニコニコしながら、コバヤシくんを讃えたのでした。




