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名探偵危機一髪

 十人阿弥陀の盗難が判明した其の日のうちに、アケチ探偵はニッコウを出発して、トーキョーへと帰ってきたのだった。

 あれほど抜かりのない犯人ならば、とても何かの手がかりを残していったとは思えず、これ以上、現場検証を続けても無駄だろう、と彼は判断したのであった。

 それに、アケチが依頼された仕事は、十人阿弥陀の奪回ではなく、不二子嬢の警護なのだ。不二子嬢が賊と合流している事はほぼ間違いないし、そうである以上は、現場検証を行なうよりは、賊の居場所を探し出す事の方が先なのである。そして、賊は次の犯行予告をしているのだから、その次の犯行時に賊をとっ捕まえた方が、ずっと、不二子嬢を取り返す近道になるだろう、と名探偵は考えたのであった。

 こうして、アケチは、ミナト区リュウド町にある自分の事務所へと戻ってきたのである。

 ところが、彼が事務所についた次の日から、さっそく、彼の身の回りでは不吉な事が起き始めたのだった。

 捜査先では、怪しい脅迫状が舞い込んできた。アケチに対して、あらゆる事件の捜査をやめろ、と言う内容なのである。その警告を無視して、彼がなおも捜査を続けていると、本当に、アケチの命を狙っているかのような、危ない出来事が立て続く事となったのだった。

 例えば、アケチが、路上を歩いていると、不気味な車が、わざとアケチを轢こうとするかのごとく、猛スピードで接近してきた。アケチは、ギリギリでよけたのだが、その謎の車は、すぐに逃げ去ってしまったのである。

 かと思えば、アケチが外食をすると、その食事の中には毒が盛られていた。もちろん、その外食店の従業員が入れた訳ではない。何者かが、ちょっとの隙を見て、こっそりと食事に毒を注入したようなのである。あいにく、この時も、食べる直前に、アケチがこの罠に気が付いたので、大事には至らなかった。もし、知らずに、この毒入りの食事を食べていたら、死にはしなくても、当分の間は、アケチは病院で寝込んでいたであろう。

 工事現場の下をアケチが歩いていた時なんかは、かなり危うかった。建築中の骨組みのビルの上から、アケチ目がけて、鉄柱が落ちてきたのである。その鉄柱は、アケチの目の前の地面にと突き刺さった。本当に、あと少し、アケチの移動が早ければ、彼は命を落としていたかも知れないのだ。言うまでもなく、この時、鉄柱を落とした犯人も、誰なのかは分からなかったのだった。

 さすがに、こんな事が繰り返して次々に起きると、アケチも真剣に警戒しだしたのである。

 彼は、比較的安全と考えられる自分の事務所の中でだけ、しばらく作業を続けた。すると、なぜだか、その間は特に何も起こらず、平穏な時間を過ごせたのである。どうやら、アケチの命を狙っている凶賊は、ほんとに、脅迫状の警告どおり、アケチが外での活発な捜査さえ行なわなければ、何もしないようなのだった。

「困りましたね。どうしましょう、先生」事務所の中で、彼の忠実なる助手であるコバヤシ青年が、弱りながら、アケチに聞いた。

「どうやら、敵は、きちんと約束は守るみたいだね。現地に出向かず、事務所で話を聞いたりするだけなら、大した事もできないと踏んで、襲っては来ないらしい。僕も、そうとう舐められたもんだね」このような状況になりながらも、けっこう余裕の態度で、アケチは答えたのだった。

「でも、確かに、現場に出向かないと、満足な仕事ができないでしょう?警察に頼んで、護衛をつけてもらいましょうか」

「いや。僕にちょっと考えがあるんだ。この事務所に、ナミコシ警部を呼んでもらえないかな」

 かくて、アケチの提案で、ナミコシ警部が、一人の部下を連れて、このアケチの事務所にと訪れたのである。

 この一人の部下と言うのが、実は、盗聴・盗撮装置探しのエキスパートであった。彼は、アケチの事務所の中に、不審な機械が取り付けられていないかを、とことん調べてくれたのだ。

 その結果、怪しいものは、何一つ、見つかりはしなかった。さすがに、天下のアケチ探偵の事務所の中に、隠しカメラや盗聴器を秘密裏に仕込む事は、いかなる凶賊でも不可能だったのだ。

「これで安心したかね、アケチくん」笑顔でナミコシが言った。

「はい。ありがとうございます、警部」と、アケチ。

「君を狙っている犯人は、少なくとも、この事務所内で君が何をしているのかまでは、分からない事になるね」

「そうなりますね。そこでですね、ちょっと試してみたい事があるのですよ」アケチも、悪戯っぽい表情を浮かべたのだった。

 それから、少し時間が経ってからである。アケチの事務所の玄関からは、ナミコシ警部とその部下が出てきたのだった。本署の方に引き返すのであろう。部下の方は、妙に深く帽子を被っており、来た時と比べると、どこか違和感を感じさせた。

 その時である。突如、アケチの事務所のそばに停まっていた一台の車が動き出した。その車は、スピードを出して、ナミコシらのそばに近づいて来たのだ。

 その謎の車のドアの窓がスルスルと開いたかと思うと、そこからはニョキッとライフルの銃口が突き出した。その銃口は、ナミコシの部下の方にと向けられていたのだ。

 いきなり、そのライフルは火を吹いた!

 ライフルの弾が顔のすぐ真横をかすめ飛んだものだから、ナミコシの部下は、びっくりして、ヘナヘナとその場に座り込んでしまったのだった。同時に、彼の被っていた帽子も脱げてしまった。中から出て来た顔は、ナミコシの部下ではなく、アケチであった。

 それが一瞬の間に起こった。このような凶行をやり遂げてしまうと、謎の車は、あっという間に走り去ってしまったのである。もしかすると、この車は、以前、アケチを轢こうとした車と同じ車体かも知れなかった。

「だ、大丈夫かね、アケチくん」ナミコシが、座り込んだアケチに、慌てて、声を掛けた。

「は、はい、ケガはないです。まあ、さすがに、驚きましたけどね」

「にしても、いきなり、街のど真ん中で、銃をぶっ放すとは、なんて奴だ!」

「それだけ、敵も本気なんですよ。ああ、それと、今から追っ掛けたところで、あの車は捕まらないと思いますよ」命を狙われながらも、アケチは、けっこう冷静なのであった。

「あいつらは、君がすり替わった事を見抜いていた訳だな」と、ナミコシ。

「そうです。たとえ、事務所の中を盗聴していなくても、その程度の小細工は見破れると言う事なのでしょう」

「外からででも、君の事務所を監視しているのだろうか」

「恐らく、そうでしょう。もし、屋外のあちこちに隠しカメラが設置されているのでしたら、それらを全部、回収するのは、かなり難作業ですね」

「じゃあ、いよいよもって、君は事務所の外には出られない、と言う事になってしまうな」

「ですね。仕方ない。別の手段を考える事にしましょう」

 こうして、アケチは、外出するのを中止して、再び、自分の事務所の中へ帰っていったのだった。

 それは、まさに、賊の思い通りだったのであろう。賊は、とにかく、アケチのことを、最大の強敵として認めていたのだ。そして、自分の犯行中は、アケチには出て来てもらいたくないようなのである。

 かくて、それ以来、アケチの、事務所に篭りっきりの生活が始まったのだった。

 賊が、どのように、アケチの事務所を見張っていたのかは、正確な事は分からなかった。道端のどこかに、ひそかにマイクロカメラが取り付けられていたのかも知れないし、賊の尖兵自身が、通行人に化けて、さりげなく覗きに来たりもしていたのかも知れない。

 とにかく、アケチの動きは、全て、賊の側に筒抜けだったようなのだ。事務所への来訪客の人数や来訪時間まで把握されていたみたいだった。先ほどのように、アケチが誰かとすり替わって、外出すると言うトリックですら、連中には、全く通用しないらしいのだ。

 だから、アケチは、逆に、絶対的な身の安全を確保する為に、わざと、事務所内にいる自分の姿を見せびらかすような手段にも出たようなのだった。事務所の窓は、いつも開いていた。そして、どこかここかの窓で、中にいるアケチの姿が、ワザとらしいぐらい、よおく、外から目撃できるようになったのだった。コバヤシとか他の人間などではない。確かに、それはアケチなのである。望遠鏡で顔をアップにしてみても、きちんと、そこに居るのはアケチだと明確に見分けられたのだった。

 このように、アケチが、おとなしく事務所の中に居てくれた方が、外で危険な事が起きなくて、むしろ良かったのかも知れなかった。その間も、賊は、ずっと、このアケチの姿を見張っていたのであろう。

 そうやって、アケチは、ついに、1週間近くもブラブラと過ごしてしまったのである。その期間中、彼が行なった事と言えば、たまに電話に出るぐらいなものだった。例の国立博物館での犯行日時が近づくに連れて、ナミコシ警部も、まるで、この事務所には顔を見せなくなったのである。

 ナミコシだって忙しいのだ。アケチが現場に来て、サポートしてくれない分、ますますナミコシの負担が増えているのである。自分の身を守っている為とは言え、何もしてくれないアケチにかまっている暇はないのだ。

 賊にとっても、これは、まさに彼らが望んでいた状態だったのであり、彼らも、きっと、どこかでホクホクしていたに違いないのであった。

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