アケチの名推理
湖畔亭の大広間では、アケチによる事件の真相説明会が、なおも続いていた。
「待ってくださいよ、名探偵。脱衣場からは、明らかに、大量の血痕が見つかったんですよ。これは、どうお考えなのですか?」と、誰かがアケチに質問した。
「確かに、血は見つかりましたが、それが不二子さんのものだとは、確定していないでしょう?」アケチはそう言ってから、隣にいるナミコシ警部の方に顔を向けた。「ナミコシさん、今、あの血痕の分析は、鑑識の方で進められているんですよね?」
「ああ。間もなく、結果が出ると思う」と、ナミコシ。
「DNA鑑定の方も、よろしくお願いします。仮に、血液の型が不二子さんと一致していたとしても、DNA鑑定では、確実にボロが出ると思いますので」
「すると、君は、あの血痕は誰の血だと思っているのかね?」ナミコシがアケチに聞いた。
「多分、病院からくすねた輸血用血液パックあたりでしょう。この点も、よおく分析してくだされば、新鮮な血液か、冷凍保管してあった血液だったかが、すぐに判別できると思われます」
「つまり、あの脱衣場の凶行の跡は茶番だったと言うのかい?」
「はい、その通りです」
「どこから、そのような推測を?」
「証拠は、いっぱい有りますよ。まず、あの事件現場の跡は、何から何まで不自然すぎます。あれほど鮮血が飛び散るほどの凶行なのに、足跡が一つも付いていません。犯人が自分の足跡を消すのは分かるにしても、被害者の不二子さんの足跡まで無いのは、オカシイでしょう?でも、それもそのはずなんです。あの血痕は、どうせ、血液パックの中身を、ただブチまけただけの物だったのでしょうから」
「しかし、凶行の様子は、バッチリ、監視カメラにも写っていたはずだ」
「それも、全部、わざとらしい演技です。カメラの映像を見て、すぐピンと来ちゃいましたよ。犯人は、本当に凶行があったように見せかける為に、わざとカメラの前で殺人の寸劇を演じてみせたのです。もちろん、不二子さんも演者の一人だったのです。実際の犯行現場にしては、あの監視カメラの録画映像は、あまりにも上手にカット割りが出来すぎていました。犯人は、ちょっと自分のアイディアに溺れてしまい、カッコよく撮り過ぎちゃったのです。本物の殺人の現場なんて、もっと汚くて、野暮ったいものなんですよ。まあ、あの監視カメラの映像も、鑑識の方で解析すれば、すぐに芝居だった事が判明されるでしょうが」
大広間にいた者たちは、もはや、ポカンとして、アケチの説明に聞き入っていたのだった。
「君の推理によれば、不二子さんは、殺されてないどころか、どこかでピンピンしていると言う事になりそうだな」ナミコシが言った。
「はい。不二子さんは必ず生きていますよ。今ごろ、元気に、自由を噛み締めている事でしょう。もう少し、僕の出陣が早くて、この事件の直後にでも行動していれば、不二子さんをすぐにでも連れ戻す事も出来たのかも知れませんが、今からでは、もう無理でしょう。彼女も、今は、だいぶ遠くまで逃げてしまったはずです」
「逃げたって、不二子さんは、一体、何のために?」
「何のためって、決まってるじゃないですか、駆け落ちですよ。不二子さんは、事件に巻き込まれたのではなくて、本当は駆け落ちをしたのです」
アケチの一言で、大広間の聴衆たちは、ワッとどよめいたのだった。
「ふ、不二子が駆け落ちするだと!どうして?わしには、そんな話、信じられんぞ」喜三郎侯は怒鳴った。
「気付いてなかったのは、あなたがた親だけですよ。不二子さんが、駆け落ちだってヤリかねない情熱家だった事は、第三者の目では、誰からも明らかだったはずです。大鳥さん、あなたは、不二子さんが吸血鬼か何かに見初められたと思っていたようですが、実際には、彼女の相手は、普通の人間の男性でした。どちらから接触したのかは分かりませんが、とにかく、恋仲になった彼らは、こうやって、かなり入念なトリックを仕掛けた上で、まんまと皆を騙して、どこかへ二人で逃げてしまったのです」
アケチの推理には、寸分の隙もなかった。あとは証拠さえ固まれば、彼の推測は、すべて、真実だと立証されたようなものなのである。アケチは話を続けた。
「先ほども言いましたように、今の僕は、大変に憤慨しているのです。不二子さんが、駆け落ちをした事にではありません。むしろ、その若い情熱的な心意気には、僕は共感さえしているのです。もし、彼女たちの逢い引きの現場を、僕が先に押さえる事ができましたら、彼女の思いをよおく聞いた上で、彼女の恋路を応援してあげようとすら考えていました。何しろ、熱い胸の思いのままに人を恋する事は、若者の特権なのですからね」
「じゃあ、君は何に対して、そんなに怒っているのかね?」
「駆け落ちする為とは言え、不二子さんは、こんな茶番の事件を演出したからですよ。この騒動のおかげで、どれだけ沢山の人が巻き込まれて、心配するハメになったと思っているのですか。その事が、僕には許せないのです。いかに自分の意思を貫きたくても、やっていい事といけない事があります。ねえ、そうでしょう?」
アケチの言う事は、ひどく、もっともなのであった。
「さて、だとすれば、君は、不二子さんが、どこへ逃げたと思うのかね?」ナミコシがアケチに聞いた。
「そこまでは分かりません。現状では、データが足りなすぎます。いくら、僕でも、情報不足では推理はできません。もっとも、まだ、不二子さんを探し出す、最後の手掛かりは、残っているんですがね」
アケチのこの一言にビクリとした人物が、実は、この大広間の中にいた事に、すぐ気が付いた人物はまだ居ないようであった。
「そう言えば、アケチさん。あなたの推理が正しかったとして、一つだけ、よく分からない部分があります。小雪さんが脱衣場の殺人現場を発見して、慌てて皆を呼びに来た後、私たちはすぐに大浴場の方へと向かったのです。大浴場の周囲を取り囲むようにして集まったはずなのに、脱衣室の偽装を行なったばかりのお嬢さまは、私たちに見つからないようにして、いかなる方法を使って、旅館の外まで逃げ出してみせたのでしょうか?」従業員の一人がアケチに質問した。
「そんなの簡単なトリックですよ。そもそも、不二子さんは、あの同じ時間に、脱衣場での狂言殺人を演出した訳ではなかったのです。皆さんは、事件の内容に驚きすぎて、よく確認しなかったのかも知れませんが、あの狂言殺人が演じられてから、小雪さんが皆を呼びに行くまで、けっこうなタイムロスがあったのです。この点も、あの監視カメラの録画映像を改めて調べ直せば、すぐ分かるんじゃないかと思います」
「何ですって?それって、どう言う事ですか?」
「不二子さんは、監視カメラに、あの狂言殺人の芝居を撮らせた後、十分な余裕を持って、誰にも見られないようにして、旅館の外へ逃げていきました。それを最後まで確認してから、小雪さんは皆を呼びに向かったのです」
「え?どうして、そんな事を?」
アケチは、キッと、部屋の片隅に佇んでいた小雪を睨んだのだった。彼女は、すでに真っ青な顔をしていた。
「だって、この茶番の殺人事件は、協力者がいない事には、とても、不二子さん一人じゃ実行できませんからね。そうじゃありませんか、小雪さん」アケチは、小雪を見ながら、ビシリと言ったのだった。
周囲の視線も、いっせいに小雪の方へと集まった。困惑して、汗だくになる小雪。まさに、針のむしろなのだ。
この状況に耐えられなくなった小雪は、たまらず、大広間の外へと走り出したのであった。
「逃がしちゃいけません!彼女は、不二子さんの駆け落ちの共犯者です!」アケチが、急いで叫んだ。
それを聞いて、この場にいた地元の警官やら旅館の従業員やらが、いっせいに小雪のあとを追い掛けたのだった。
大広間に残っていた人々も、すっかり、ざわついていた。
「アケチくん、さすがだよ。よく、小雪さんが共犯者だと見抜いたね」ナミコシが、アケチに声を掛けた。
「ほんとの事を言いますと、まだ十分な証拠がなかったので、ちょっとカマをかけたんですけどね。しかし、彼女が自分から逃げ出しちゃった事で、自白したような結果になってしまいました」アケチが、苦笑してみせた。
「にしても、小雪さんも、バカ正直に、この説明会に参加したりせずに、こっそりと先に逃げておけば、こんな事にもならなかったのに」
「その素直すぎる部分が、あの子の性格だったのでしょう。それに、こんなに早く、狂言殺人のトリックが見破られるとも思っていなかったのかも知れません。鑑識の結果が出てから、狂言殺人が判明するには、まだかなりの時間が必要でした。その間に、小雪さんも、ごく自然と姿をくらましてしまう予定だったのかも知れません」
アケチとナミコシがこんな分析を行なっていた頃に、当の小雪は、湖畔亭の廊下を必死に逃げ回っていたのだった。さいわい、旅館の人間のほとんどは大広間に集まっていたので、先回りした追っ手にゆく手を阻まれるような事もなかったのである。
小雪も、湖畔亭の作りは十分に知り尽くしていた。彼女は、とっさに追い掛けてきた追跡者を巻いて、今は、誰もいない廊下を、ビクビクしながら、そっと歩いていたのだった。
その時である。
「待て。どこへ行くんだ」そんな男の声と共に、いきなり、小雪は腕を掴まれたのだった。
彼女は、飛び上がりそうなほどビックリした。それでも、彼女が、腕を掴まれた方に目を向けると、そこには、小桜縅の鎧武者が立っていたのだった。その鎧の手が、小雪の腕を引っ張っていたのだ。
「怖がらなくても良い。俺も、あの方の使いの一人だ。最後の確認を任されて、まだ、ここに残っていたのだ」鎧武者は、そのように、小雪に話し掛けてきたのであった。




