突き動かすクエスト
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ、最近のゲームってクエストがたくさんあるんだねえ。
しかし、依頼とかもクエスト、クエストか。どちらかというと「リクエスト」じゃないか?
もともとクエストは「探求」「探索」の意味合いだから、この手のちょっとした外伝的内容とは少し毛色が違う感。いうなれば「ミッション」のほうがまだ近いか。
この手の依頼はあっせん所で受ける形態が見受けられるが、ときに思わぬ場所で引き受け、また負わされる可能性をはらんでいる。それこそ、人生の大筋からは外れることがほとんどの外伝的シナリオさ。
この手の寄り道、どれだけ人生で味わってきたかが、豊かさに直結する……なんて言い出すのは、おこがましいかな。ふふ。
だが、その「クエスト」というか「ミッション」というか、必ずしもすがすがしい思いをするとは限らない。
俺の話、以前の話を聞いてみないかい?
困っている人には親切にしてあげるべし。おそらく家で、あるいは道徳の時間などで一度は教わったことのある心構えじゃないだろうか。
習慣にも似て、この手の行動はいつもやる人ほどナチュラルに行うことができるだろう。一方、少し遠ざかっただけで、すぐ「面倒」という感情が湧き出してくる。
なぜなら、自分に直接危害が及ばなかったからだ。放っておいて益にも不利益にもならない事象だったと分かると、とたんに徒労感が押し寄せる。
それを重ねていくと、こう思うものだ。「別に俺、私がやらなくていいんじゃね?」と。
一度サボると、徹底的にサボる道を探してしまうのが人間。種の目的たる長生きするのには、心身に不要な負担をかけない方がいいからな。
だから親切とは、個人差はあれど覚悟がいること。自分で望んでおもむく勇気を要すること。たとえ当たり前で考えこそしないレベルの人であろうと、心に負荷のかかる「ミッション」を与えているといえる。
その俺も、この親切心の火をどうにか絶やさないために、日ごろから小さな親切をしようと無理をしてきた。
犠牲なき献身こそが、まことの献身である、とはナイチンゲールの言葉だったっけ? そう考えると、俺の行動は偽善な献身だったのだろうな。
だが、それさえできなくなったとき、俺は本当の善なる行動もとれない奴になるのでは、と恐れていた。
俺はどちらかというと、性悪説の方に考えが傾いている人間だからな。たとえ拷問にかけるような心持でも自分を律しなければ、たちまち堕落しちまうだろうと、当時から考えていた。
だから、あの車いすの人を見た時も、たとえ面倒ごとだろうが助けなきゃと思っていたんだ。
その人は、下校中の俺の行く道。坂道の途中にいた。
歩ける人にとっては、ほんの数メートル程度の長さしかない坂道だが、傾斜はそれなりに急だ。車でもサイドブレーキなしではずれ落ちる恐れもあるとは、当時の大人から聞いたことだった。
その坂道を、あのおじいさんは車いすで登ろうとしていた。後ろ向きのままでだ。
俺は車いすには詳しくないが、もし前から登ろうとしてずれ落ちた場合、下り坂の先を視認できない。ろくにブレーキも踏めず、相手がいるかもわからないじゃ悲劇の第一幕だろう。
ならば、少なくとも坂の下を視認できる、後ろ向きで登るのかなあ……と。
髪の毛一本も頭にいただかないおじいさんは、両足にぐるぐると白い包帯を巻いていた。
先から太ももまで、一分の肌をさらすことなく、ぎっちりとだ。足の先なんか、特に包帯を厚く巻いているようで、すっかり丸くなっていた。
おじいさんは、必死にタイヤに手をかけてなお回そうとする。が、わずかに身じろぎしては、タイヤは少し戻りを繰り返す、千日手状態。
俺は坂手前の角からあらわれ、坂を登り終えるまでの、ほんの十数秒で何度もその動作を目の当たりにしたから、相当な頻度と力の入れ具合だったのだろう。
――ミッションだ……!
見て見ぬフリが、首をもたげるその前に、俺は先手を打っていましめる。
あの人を助ける。見返りは後悔の念の解消。それでいい。
「……あの、車いす引きましょうか?」
俺は内心、びくつきながら声をかける。
つい最近、同じように声をかけたら、馬鹿にされたと思ったのか、罵倒を受けたことがあったからな。すんごいダメージがでかくて、勇気がいることだったが、やった。
おじいさんは最初、俺の言葉が聞こえないかのようで、眉毛ひとつ動かさずに同じことを繰り返していた。無視というのもダメージでかいなと、このときの俺は思った。
「あの、く・る・ま・い・す・ひ・き・ま・しょ・う・か?」
滑舌を意識して、今度はゆっくり伝える。はたからは、あおっているように見えなくもないかも。
今度は、おじいさんがこちらを向いた。車いすの背もたれに頭を預け、かすかに傾ける格好で。
その口がいくらか動くが……分からない、聞き取れない。息さえ吐いていないように思えた。
耳を寄せれば分かったかもしれないが、俺は最近、そうやって頭とかをがっとわしづかみにされるホラー映画を観たばかり。知らぬ人へ、不用意な真似はできなかった。
おじいさんは、まったく表情を変えずに口のみを動かし続けている。読唇術の心得などないし、必死に読み取ろうとしても意味不明。ただ手に関しては変わらず、タイヤをつかんで坂の傾斜と戦い続けていた。
――いやいや、こいつは絶対助けなきゃいけないやつでしょ。ほっとくとかないって。
決断したら、俺は早い。
ぱっと車イスの背後に回るや、手押しハンドルを握る
。二本のハンドルにカバーはされていない。素のものと思われる、銀色部分がむき出しだ。
だが、ぐっと握ってみるや声が出そうになった。
静電気。これまでに感じたもので、いっとうきついものだ。つい一瞬、手を離しかけて、直後におじいさんが振り返る。
顔をしわくちゃにしながらさ、また口だけパクパクさせるんだ。
頭から湯気がのぼりたつように見えた。手を当てたタイヤが震え、背を預ける背もたれもまた小刻みに揺れて、むくむく大きくなるかと思う気配。
鬼気迫る表情に、つい「ごめんなさい」と頭を下げて、逃げようとしたよ。
だが、できなかった。厳密には、しようとして引っかかった、だが。
静電気を感じたハンドル。そこにぱりぱりと音がしたかと思うと、俺の触れた10本の指たち、それぞれを細く貫く、金色のいばららしきものが飛び出ていたんだ。
気づくのには、わずかに遅かった。あわてくさっていた俺は、そのいばらにつながれていると知らぬまま駆け出し、はからずも車いすを強引に坂の上へ押し上げる形になっちまった。
気づいたときは、俺は自分の指をしとどに血で濡らし、いばらを見て強引にもぎはなっていたし、対するおじいさんはというと、両手で頭を抱えながら、がっくりうつむいてしまったんだ。
そこからは、あっという間だった。
俺が触れたいばら、そことつながるハンドル。いずれも銀色だったそれが、俺の指を貫いた場所から、どんどん茶色いサビの色になっていくんだ。
走る、という表現がこれほど合う勢いもなかった。ハンドルをおかしきったサビは、たちまち車いす全体を、そしておじいさん本人にもたちまち及び、染め抜いてしまったんだ。
2秒と経たないうちに、サビの塊となったおじいさんに目を見張ったのもつかの間。その身体へ唐突にスポットライトらしき光が上より当てられ、おじいさんたちは浮き上がっていく。
見上げたときには、おじいさんは先ほどまでなかった、突然の黒雲のかたまり。その中央部の光の中へ吸い込まれてしまったんだ。雲そのものも、まばたきしたときにはもう消えて、そこにはケガをした俺だけが残されたわけ。
傷が治った今でも、ときどき思う。
俺が手前勝手に決めたミッション。そいつは必ずしも相手を救うものでなかった。
あのおじいさんが何者か分からないが、声もまともに出せなかったところを見ると、俺たちとは違う生き物だったのかも。
それが俺に触れられることでああなったばかりか、追ってきたあの雲がたどれる「足」がつき、そのままでいられなくなってしまったのだろう、と。